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博士論文要旨

論文題目:対応推論における状況要因の利用についての実証的研究-動機づけの働きに着目して
著者:李 岩梅 (LI, Yanmei)
博士号取得年月日:2004年7月23日

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1.提出論文の問題設定
 本論文は、動機づけが対応推論に及ぼす影響に関する筆者のこれまでの研究をまとめたものである。
 社会環境に適応するためこの環境の構成要素である他者を理解する必要がある。人々は、他者の行動から他者のパーソナリティ特性や持続的な目標、価値などの内的で安定した属性(傾向性)を推測することを通じて、他者を理解する。この理解は「対応推論」というプロセスを通じて行われる。対応推論の際、認知者は、まず観察された他者の行動に反映される傾向性を判断し、その傾向性を行為者に付与する。その上で、行為者がどの程度、その傾向性を持つかを見積もる。ここでの「対応(correspondence)」とは、ある行為とその行為から推測される行為者の傾向性との一致程度である。
 行動は状況による要因と行為者の傾向性による要因の両者が合わさって引き起こされるものである。しかし、対応推論の際、行動の状況要因はしばしば無視あるいは軽視される。人は状況要因で完全に説明できる行動からでも、行為者のユニークな傾向性を推論してしまう。つまり、行動に対する傾向性要因の影響から状況要因の影響を十分に割り引かないのである。そこで、本論文は対応推論での状況要因の利用に焦点を置く。
 対応推論に関する従来の研究の知見によれば、他者の行動情報に対するシステマティックな処理を促進する動機づけは人の状況要因への注意を促す。このような場合、人は、状況要因の影響を考慮に入れ、他者が行動に対応する傾向性を持つ程度を低く見積もる。すなわち、行動に対する傾向性要因の影響から状況要因の影響を十分に割り引くことができる。しかし、情報のシステマティックな処理を促進する動機づけがある場合には、傾向性要因の割引が状況要因を利用する唯一の方法ではない。認知者の必要に応じて、状況要因が推論の手掛かりとして利用される可能性、更に利用されない可能性もあると考えられる。これは情報のシステマティックな処理が、状況要因を利用する前提ではあるが、最終的にどのように利用されるかについての決定因ではないためである。対応推論は社会環境に適応するための情報収集でもあるので、状況要因が最終的にどのように利用されるか、また利用されるかどうかは、安全を確保した上で環境に適応するという基礎欲求によって決められると考えられる。したがって、本論文の目的は、安全を確保した上で適応するという基礎欲求に立脚点を置き、対応推論の際、状況要因の利用が動機づけの影響によってどのように変化するかを明らかにすることである。
 人間のあらゆる動機づけの中で最も基礎的、本能的であるのは生存である。他のより具体的な動機づけはすべて生存という動機づけに根差している。人は自分の肉体、利益、精神を何らかの脅威から守ろうとする動機づけが満足された上で、周りの環境や他者を適切に理解しようとする。このように、これらの動機づけは階層をなしている。人の生存により直結している生命の維持やリスク回避などの動機づけは、この階層の最上位の動機づけシステムに属する。自己に密接に関わる信念および認知的な一貫性などを守ろうとする動機づけは、その次の階層を占める動機づけシステムに属する。他者を正確に理解しようとする動機づけは階層の比較的下位にある動機づけシステムに属する。これらの動機づけは、適切な刺激に出会ったことによって高められると、人の行動(認知的な活動を含む)に影響を及ぼす。複数の動機づけが同時に高められた場合、比較的下位にある動機づけの働きはより上位にある動機づけに制限されるだろう。
 先行研究の知見により、一般に次に挙げる2つの場合に高まる動機づけは、対応推論の際、他者の行動情報に対するシステマティックな処理、および状況要因による傾向性要因の割引(状況要因の割引的な利用)を促進しやすいとされてきた。1つは、観察された行動が認知者の行為者に対する「予期」に不一致である場合に高まる「予期」維持への動機づけである。もう1つは、他者の傾向性に関する判断の正確さが要求される場合に高まる「正確さへの動機づけ」である。しかし、これらの場合、他の動機づけもしばしば高まりやすいと考えられ、他の動機づけは状況要因がどのように利用されるかにも影響を及ぼすと考えられる。
2.カテゴリー予期に不一致な行動に対する対応推論と状況要因の利用
 他者の行動が観察された時、既存知識に基づき、他者がどのような人であるか、またどのような行動を起こりうるかというような見込みすなわち「予期」が生じてくる。本論文では、他者に関する予期の中、他者の人種、職業などのカテゴリーに関する知識に基づいた「カテゴリー依存型予期」(以下、カテゴリー予期)に注目する。このような予期はよくステレオタイプ予期として言及されている。
 観察された他者の行動がカテゴリー予期に不一致である場合、人は認知的一貫性を守ろうとするため、予期を維持しようと動機づけられる。したがって、不一致な情報を予期に統合できるように、その行動の原因を探し、行動の情報をシステマティックに処理する。このような場合、認知者は状況要因に注目しやすいだけではなく、他者の行動の原因を判断する際、状況要因の影響を高く評価しやすい。そのため、対応推論の際、行動に対する傾向性要因の影響から状況要因の影響を十分に割り引いて、予期に不一致な傾向性を持つ程度を低く見積もり、予期を維持する。つまり、予期不一致な行動に対する対応推論過程での状況要因の利用は、その状況要因の影響に対する高い評価を前提条件とする。
 ところで、状況要因には、行為者に、行動に対応する心理的状態(意図や感情など)を生じさせずに行動を引き起こす外発状況誘導因(以下、外発誘導因)と、行為者に、行動に対応する心理的状態を生じさせることを通じて行動を引き起こす内発状況誘導因(以下、内発誘導因)の2種類があると考えられる。例えば、親切な援助行動が観察された場合、その行動が起こる際、第三者の命令があった場合、その第三者の命令は外発誘導因であり、援助する対象の苦境は内発誘導因である。その対象を援助したいという行為者の気持ちは、対応する心理的状態である。予期不一致の状況での対応推論に関する従来の研究は、外発誘導因に主眼が置かれていたため、本研究では、内発誘導因に注目する。
 また、予期不一致な場合、認知者は予期を維持しようとすると同時に、判断に対する自信が少なくなるため、判断の正確さをより求めようとする弱い正確さへの動機づけも生じる。予期維持への動機づけは、動機づけの階層的な構造において、正確さへの動機づけより上位にあるため、内発誘導因の存在する予期不一致な行動に対し対応推論を行う際、より大きな影響を及ぼすだろう。しかし、適切な条件がある場合、この正確さへの弱い動機づけは内発誘導因の利用にも影響を及ぼすと考えられる。ただし、予期不一致な行動に対する対応推論過程での内発誘導因の利用は、内発誘導因の影響に対する高い評価を前提条件とすると考えられる。

2-1 カテゴリー予期に不一致な行動の内発誘導因に対する認知
 内発誘導因は、行為者に行動に対応する心理的状態を引き起こすことを通じて、行動に影響を及ぼす。対応する傾向性とは部分的な補完関係にある。つまり、行動を生じさせるには必要最小限度の対応する傾向性が必要である。内発誘導因が行動に与える影響が強いと認知されれば、相対的に傾向性の影響が占める割合は少なくなる。したがって、内発誘導因のある行動が予期に一致しない場合に、人は内発誘導因の影響を高く評価しやすいと考えられる。そうすることによって、行為者が行動に反映された、予期に一致しない傾向性を持つ程度が低いという結論が得られ、予期が維持されるためである。
 実験1(第1章)では、職業カテゴリー(政治家)を取り上げ、行動がカテゴリー予期に不一致である場合、認知者が内発誘導因の影響を高く評価するかを確認した。その実験では、良い政治家予期あるいは悪い政治家予期を持つ参加者が、ある政治家が苦境にある自国民の人質を救出する行動を描いた物語を読み、その政治家の行動原因を判断した。結果、良い政治家予期を持つ参加者と比べ、悪い政治家予期を持つ参加者は、人質の苦境(内発誘導因)がその政治家の行動の原因である可能性が大きいと判断した。この結果は政治家の行動の内発誘導因に対する参加者の認知に、その行動が政治家に関する予期に一致するかどうかが影響した可能性を示唆している。この結果は主として、行動によって確証されていないカテゴリー予期を維持しようとしたことによると推測できる。悪い政治家予期を持つ参加者は、観察された政治家の良い行動が予期に不一致であると感じただろう。その不一致を解釈するため、情報に含まれている人質の苦境という内発誘導因に注目し、内発誘導因が判断対象である政治家の行動の原因である可能性を高く評定したと考えられる。一方、良い政治家予期を持つ参加者は、その予期が観察された良い行動によって確証されたと感じただろう。したがって、行動の内発誘導因の影響を考慮に入れる必要はなかった。そのため、内発誘導因が行動の原因である可能性を高く評定しなかったと考えられる。これらの結果から、内発誘導因の存在する行動が予期に一致しない場合に、認知者は内発誘導因の影響を高く評価しやすいことが実験1から示されたと言えるだろう。
2-2 カテゴリー予期への不一致と対応推論における内発誘導因の利用
 ところで、人が対応推論を通じて推測しようとする他者の傾向性は、状況に依存せず、適用範囲の広い抽象的な特性と、状況に依存し、適用範囲の狭い具体的な条件つき傾向性の2種類がある。人には、必要に応じて、特性か条件つき傾向性のいずれかを推論する傾向がある。内発誘導因の存在する予期不一致な行動に対し対応推論を行う際、この2種類の推論のどちらも行われる可能であると考えられる。ただし、それぞれの推論において、動機づけの影響により、内発誘導因の利用が異なると考えられる。

2-2-1 予期不一致な行動に対する特性推論と内発誘導因の割引的な利用
カテゴリー予期の基礎であるカテゴリー知識は体系化された階層的な知識構造である。その中枢的上位を占めるのは特性である。観察された行動がカテゴリー予期に不一致である場合、予期の維持にとって最も重要となるのは特性の維持であろう。特性の推論を行う際、特性レベルにおける予期への不一致は予期への脅威が大きいため、予期維持への動機づけがより強くなるだろう。そのため、内発誘導因が存在する予期不一致な行動から特性を推論する場合、内発誘導因が特性要因の割引に使われやすいと考えられた。
内発誘導因の利用はその誘導因に対する高い評価を前提条件とするため、実験2および実験3(第2章)では、実験1(第1章)と同じパラダイムが用いられた。この2つの実験では、同じく政治家カテゴリーを取り上げ、観察された行動がカテゴリー予期に不一致である場合、認知者が、特性推論において、内発誘導因をどのように利用するかを検討した。この2つの実験では、良い政治家予期あるいは悪い政治家予期を持つ参加者が、ある政治家が苦境にある自国民の人質を救出する行動を描く物語を読み、その政治家がどの程度優しいリーダーであるか(特性)を判断した。結果、良い政治家予期を持つ参加者と比べ、悪い政治家予期を持つ参加者は、「人質になった国民の命が危なかった」という内発誘導因が政治家の良い行動に与えた影響を高く評価し(実験2)、その政治家個人が優しいリーダーである可能性を低く評価した(実験2および3)。この傾向は、観察された政治家の行動が政治家予期に不一致である場合、認知者がその行動の内発誘導因を用いて、行動に対する特性要因の影響を割り引きやすくなる可能性を示唆している。この結果は主として、不一致な情報を予期に統合しようとするため、認知者が情報を慎重に処理し、内発誘導因の影響に注目したことによると推測できる。政治家の良い行動が悪い政治家予期に一致しないと感じた参加者は、その不一致を生じさせた原因を追究するため、情報を慎重に処理し、行動の内発誘導因に注目した。したがって、その政治家の特性を推論する際、内発誘導因の影響を用いて、特性(優しさ)を割り引いたと考えられる。他方、政治家の良い行動が良い政治家予期に一致したと感じた参加者はその行動によって予期が確証されたため、情報をシステマティックに処理する必要も感じなかったし、内発誘導因の影響に注目する必要もなかった。そのため、これらの参加者は行動に対応する特性をその政治家に付与したと考えられる。この結果によって、内発誘導因の存在する予期不一致な行動に対し特性推論を行う際、内発誘導因が特性の割引に利用されやすいことが示されたと考えられる。
しかし、ステレオタイプのようなカテゴリー知識は、過度に単純化された知識構造であるため、新たな情況に適合しない可能性もある。予期不一致な行動に対し特性推論を行う際、予期を維持するため、状況要因を対応特性の割引に使うという利用方法は柔軟さに欠け、ときに非適応的とも言えるであろう。したがって、予期不一致な行動に対応推論を行う際、社会的により適応的で有利な状況要因の利用方法もあろう。そのより適応的な状況要因の利用方法は、予期不一致な行動に対し、条件つき傾向性の推論を行う際に見られると考えられる。
2-2-2 予期不一致な行動に対する条件つき傾向性推論と内発誘導因の再同定的な利用
 条件つき傾向性は、一定の状況に依存するため、より具体的な、適用範囲の狭い傾向性である。条件つき傾向性におけるカテゴリー予期への不一致は、そのカテゴリーに与える脅威が比較的小さいため、正確さへの動機づけがより働きやすくなると考えられる。条件つき傾向性の推論には3つの前提条件が必要である。1つ目は、他者をよりよく理解しようとする動機づけがあることである。2つ目は、他者の行動に条件つき傾向性を推論する手掛かりに関する情報があることである。3つ目は、その情報を手掛かりにし他者の行動を具体的な次元で同定することである。予期不一致な行動に内発誘導因が存在する場合に、この3つの条件が満たされると考えられる。予期不一致な場合、認知者は判断に対する自信が少なくなるため、弱いながらも、判断の正確さをより求めようと動機づけられる(条件1)。また、内発誘導因が行動を引き起こすのに行為者が行動に対応する必要最小限度の傾向性を持つことが必要であり、行為者に行動に対応する心理的状態が生じていることを暗示する。そのため、条件つき傾向性の依存する状況に関する情報、また条件つき傾向性を推論する手掛かりに関する情報となり得る(条件2)。また、予期不一致な状況下では、認知者は予期への矛盾を避けるため、行為者の心理的状態を描く動詞あるいは行動を解釈する動詞を用いて、その不一致な行動を具体的な次元で再同定する傾向がある(条件3)。
 ただし、このような再同定には、行動に対応する心理的状態を生じさせる状況的な手掛かり、すなわち内発誘導因を手掛かりにすることが必要である。この場合、内発誘導因は不一致な行動の再同定に使われるため、条件つき傾向性の割引には利用されないと考えられる。
 実験2および実験3(第2章)では、特性推論における内発誘導因の割引的な利用を検討したと同時に、条件つき傾向性推論における内発誘導因の再同定的な利用を検討した。この2つの実験では、良い政治家予期あるいは悪い政治家予期を持つ参加者が、ある政治家が苦境にある自国民の人質を救出する行動を描く物語を読み、その政治家がどの程度国民を大切にする人であるか(条件つき傾向性)を判断した。その後、その政治家の行動がどのような行為であるかを書いた上で、その行動がどの程度ポジティブな行為であるかを判断した。結果の分析では、予期一致および不一致な場合の行動を解釈する際の内発誘導因にかかわる表現の利用頻度(実験3)、行動のポジティブさ(実験3)、および条件つき傾向性の推論の差異を調べた(実験2および3)。その結果、悪い政治家予期を持つ参加者は良い政治家予期を持つ参加者と同じく、その政治家の行動がかなりポジティブな行動であると判断した。しかし、その行動に対する解釈を自由に表現する際、良い政治家予期を持つ参加者は特性形容詞をよりよく使ったが、悪い政治家予期を持つ参加者は内発誘導因(人質の苦境)に関わる動詞的な表現をよりよく使った。一方、条件つき傾向性を推論する際、悪い政治家予期を持つ参加者は良い政治家予期を持つ参加者と同じく、その政治家が国民を大切にする人(条件つき傾向性)である可能性を高く評価した。これらの傾向は、観察された政治家の行動が政治家予期に不一致である場合、認知者が内発誘導因をその不一致な行動の再同定に使ったため、条件つき傾向性の割引には利用しなかった可能性を示唆している。これらの結果は主として、カテゴリー予期への不一致から生じた予期維持への動機づけと正確さへの弱い動機づけが対応推論に影響したことによると推測できる。悪い政治家予期を持つ参加者は、政治家の良い行動を観察した際、まず自動的にその行動をポジティブな行為であると同定し、行動に対応するポジティブな特性をその政治家に付与してみた。そこで、予期への不一致を感じ、予期を維持しようとしたと同時に、より慎重に判断しようとした。そして、情報を慎重に処理し、内発誘導因に注目した。したがって、内発誘導因を手掛かりにその行動を「自国民の人質を助ける行為」という具体的な次元で再同定したものと推測される。その際、内発誘導因を用いた再同定の結果が、判断対象が対応する条件つき傾向性(国民を大切にする)を有する行動的な証拠として認識されるため、これらの参加者はよい政治家予期を持つ参加者と同様に、判断の対象がこの条件つき傾向性を有する可能性を高く評定した。つまり、内発誘導因は条件つき傾向性の割引に使われなかったと考えられる。一方、良い政治家予期を持つ参加者にとっては、予期が確証されたため、内発誘導因に注目することおよび観察された行動を再同定する必要はなかっただろう。良い政治家予期を持つ参加者がその政治家が条件つき傾向性をもつ可能性を高く評価したのは、条件つき傾向性が良い政治家予期に矛盾しないためであったと考えられる。これらの結果によって、内発誘導因の存在する予期不一致な行動に対し条件つき傾向性を推論する際、内発誘導因が行動の再同定に利用されやすいことが示されていると考えられるだろう。
3.推論の正確さが要求される場合の状況要因の利用とリス回避への動機づけ
 従来の研究の知見により、対応推論の正確さが要求される場合、状況要因の割引的な利用が促進されるとされてきた。この場合、他者の傾向性に対しより正確な結論を得ようとするため、認知者は他者の行動をシステマティックに処理する。そのため、状況要因が注目され、傾向性要因の割引に利用されやすい。
 しかし、他者の傾向性に対し正確な判断を得ようとする動機づけは、しばしばその判断の結果に基づき次の行動を行う場合に高まる。そのような場合、次の行動がリスクにさらされない判断を得ようとする動機づけも高まりやすい。但し、リスク回避への動機づけは、人の生存により直結しているため、動機づけの階層的な構造において、正確さへの動機づけより上位にある。また、認知者はしばしば自分の社会的判断の正しさに自信がないため、正確さへの動機づけの働きがリスク回避への動機づけによって制限されると考えられる。したがって、対応推論の際、リスク回避への動機づけが、認知者が状況要因を用いて傾向性要因の影響を割り引くかどうかを左右すると考えられる。具体的には、傾向性要因を割り引いて得られた結論によって、その後の行動がリスクにさらされるようであれば、認知者は状況要因を用いて傾向性要因を割り引かず、後の行動がリスクにさらされなければ、認知者は状況要因を用いて傾向性要因を割り引くと考えられる。
 この問題を検討するため、競争的な結果依存関係を用いて、判断の正確さが要求されるか否か、また、リスク回避への動機づけが高まるかどうかを操作し、リスク回避への動機づけが競争相手の傾向性を推論する際の状況要因の利用に与える影響を検討した(第3章の実験4および5)。実験4では、競争を予期する参加者は、状況要因がある(orない)、競争相手(or相手ではない人)の個人主義的あるいは協力主義的な行動についての情報を読み、その人物がどの程度個人主義者、協力主義者であるかを判断した。状況要因を含む、競争相手の個人主義的あるいは協力主義的行動についての情報に基づいた判断の違いを比較することを通じて、リスク回避への動機づけの働きを検討した。実験5では、競争を予期する参加者は、状況要因がある(orない)、競争相手(or相手ではない人)の高能力的あるいは低能力的な行動についての情報を読み、その人物がどの程度競争課題にかかわる能力を持つかを判断した。状況要因を含む、競争相手の高能力的あるいは低能力的行動についての情報に基づいた判断の違いを比較することを通じて、リスク回避への動機づけの働きを検討した。結果、競争相手の個人主義および高能力を反映する行動に対し対応推論を行う際、行動に明白な状況要因がある場合とない場合では、相手の協力程度は同じく低く評価され、能力レベルは高く評価された。競争相手の協力主義および低能力を反映する行動に対し対応推論を行う際、行動に明白な状況要因がない場合より、ある場合には、相手の協力程度が低く評価され、能力レベルが高く評価された。
 競争相手の個人主義的行動および高能力的行動に対し推論する際、リスク回避への動機づけと正確さへの動機づけによる推論の結果はお互いに葛藤を生じたと推測できる。競争相手の脅威的な個人主義および高能力を反映する行動に対し対応推論を行う場合、状況要因を能力要因の割引に使うことによって、相手の能力に関する見積もりが低くなる。この結論に基づいて行動した場合、競争を行う上でのリスクは高くなる。そのため、競争相手の状況要因有り条件の参加者は、状況要因を個人主義および高能力要因が行動に与えた影響の割引に利用しなかった。一方、競争相手の協力主義的行動および低能力的行動に対し推論する際、リスク回避への動機づけと正確さへの動機づけによる推論の結果は、お互いに葛藤を生じなかったと推測できる。競争相手の非脅威的な協力主義および低能力を反映する行動に対し対応推論を行う場合、状況要因を傾向性要因の割引に使うことによって、相手の協力レベルに関する見積もりが低くなり、相手の能力に関する見積もりが高くなる。この結論に基づいて行動した場合、競争上のリスクは小さくなる。そのため、競争相手の有り条件の参加者は、その状況要因を用いて、協力主義および低能力要因が相手の行動に与えた影響を割り引いて、相手の協力レベルを低く、能力を高く見積もったのであろう。
 したがって、これらの結果は、対応推論の正確さが要求される場合、行動の状況要因がどのように利用されるかがリスク回避への動機づけによって左右される可能性を示唆していると考えられるだろう。
4.まとめ
 動機づけが対応推論における状況要因の利用に及ぼす影響に関する本研究の知見をまとめると次のようになる。
 まず、観察された行動がカテゴリー予期に不一致である場合、その予期を維持しようと動機づけられると同時に、弱いながら、正確な判断を得ようとする動機づけも生じる。そのため、対応推論を行う際、他者の行動の内発誘導因は主に2つの方法で利用されると考えられる。1つは、割引的な利用方法である。抽象的、適用範囲が広い特性レベルにおけるカテゴリー予期への不一致はそのカテゴリーに与える脅威が大きいため、カテゴリー予期に一致しない行動から他者の特性を推論する際、予期維持への動機づけの影響が現れやすい。その際、内発誘導因が認知されると、それは特性の割引に利用される。もう1つは、再同定的な利用方法である。一定の状況に依存し、適用範囲が狭い条件つき傾向性におけるカテゴリー予期への不一致は、そのカテゴリーに与える脅威が比較的小さいため、カテゴリー予期に一致しない行動から他者の条件つき傾向性を推論する際、予期維持への動機づけだけではなく、正確さへの動機づけの影響も現れやすい。その際、内発誘導因は行動の再同定に使われ、条件つき傾向性の割引に利用されない。
 次に、対応推論の正確さが要求される場合、正確さへの動機づけが高まると同時に、リスク回避への動機づけもしばしば高まる。さらに、正確さへの動機づけの働きはリスク回避への動機づけによって制限されると考えられる。リスク回避への動機づけは、行動に反映された傾向性が脅威的であるかどうかに認知者の注目を向ける。反映された傾向性が脅威的である場合、状況要因を用いてその傾向性を割り引いた結果に基づき行動することはリスクが大きい。そのため、状況要因は傾向性要因の割引に利用されない。反映された傾向性が脅威的ではない場合、状況要因を用いてその傾向性を割り引いた結果に基づき行動することはそれほどリスクが大きくない。そのため、状況要因は傾向性要因の割引に利用される。
 これらの知見から、対応推論の際、状況要因が最終的にどのように利用されるかは、その利用によって得られた結論が安全を確保した上で環境に適応するという基礎欲求によって決められると考えられる。すなわち、状況要因の割引的利用がこの基礎欲求を満足させられる場合には割引的な利用が、再同定的利用がこの欲求を満たす場合には再同定的利用が行われる。また、状況要因を利用しないことで基礎欲求が満たされる場合(e.g.リスク回避のような動機づけの必要に応じる場合)には、認知者は状況要因を利用しないものと考えられる。
5.本論文の構成
 序章では、これまでの対応推論における状況要因の利用に関する研究を概観し、動機づけと状況要因の利用との関係がいかに扱われてきたかを示すと共に、安全確保の上で社会環境に適応するという基礎欲求の観点から、動機づけが状況要因の利用に及ぼす影響を考察するための理論的背景を明確にする。その上で、問題の所在を明らかにし、本研究の目的を明示する。
 問題意識に基づき、行われた実証的研究の部分は第1部と第2部という2部構成をとっている。
 前半である第1部の第1章と第2章では、観察された他者の行動とカテゴリー予期への不一致によって高められた動機づけに着目し、観察された行動が予期に不一致である場合、認知者がどのように内発誘導因の影響を認知するか(第1章)、また、対応推論を行う際どのように内発誘導因を利用するか(第2章)という問題を検討する。
 後半である第2部の第3章では、対応推論の正確さが要求される場合、リスク回避への動機づけがどのように状況要因の利用に影響を及ぼすかを検討する。
 終章では、まず上述した実証的研究から得られた結果を全体的に考察する。次に本研究の意義を議論する。

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