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博士論文要旨

論文題目:義務教育機関における異文化間言語教育の実践研究
著者:神谷 純子 (KAMITANI, Sumiko)
博士号取得年月日:2004年7月23日

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1.課題
 異文化の中に生きにくさを抱える人々をいかにして支えうるか。本論文は定住外国人に対する日本語教育の場に焦点を当て、この難題(aporia)を解く鍵を探る。異文化の中での生きにくさとは、異文化自体ではなく、それを有する人々との関係においてつくり出されるものである。従来こうした困難を克服する努力は少数派である人々に一方的に求められてきたが、近年では主流に属する人々が自らのあり方を省みて関係性の変革を試みるようになり、日本語教育に携わる人々からも日本社会や日本語母語話者のあり方を問う声が聞かれるようになった。また、日本語教育の場においては、日本語教師と学習者との関係を膠着化させないように、その役割分担自体を崩そうとする試みも見られる。しかし、特に型・形の習得が必要な入門期や初級の日本語教育など、教師という役割を抜きには考えがたい場もある。本論文は、教師と学習者の間に機能する権力テクノロジーに着目してその関係性を変革することにより、異文化に阻まれた日本語学習者に各々の学びを取り戻そうとする試みである。また、実践の背景となる場や、ひいては社会がこうした個人間の関係性に及ぼす影響を考察するために、義務教育機関のひとつである中学校夜間学級における実践を取り上げる。義務教育機関は元来主流文化の伝達を目的としており、教師に課せられる社会的役割は大きい。そのため教師‐学習者の関係は膠着化し、その間に強い権力テクノロジーが機能しやすい。しかし、終戦直後の開設当初より、公教育から疎外された人々に教育を補償するための場であった夜間学級においては、全日制の公立学校には見られない制度的特質が育まれ、それが教師‐生徒間の関係にも影響を及ぼしている。本論文では、こうした場や社会の持つ影響力も視野に入れながら、教師‐学習者間の関係に機能する権力テクノロジーを抑制するための要因を探る。

 2.定住外国人を対象とする日本語教育の理論と実践
 日本では定住外国人に対し適応型の教育が幅広く行われてきた経緯があるものの、近年では、日本語母語話者も交えて(α)言語や文化の学び合いを試みる日本語教育の実践も見られるようになった。しかし日本語教育の枠組みの中にある共生のための理論、実践には、日本語の母語話者と非母語話者との関係が非対称であることに対する洞察が弱い。一方、社会教育等における地域の日本語学習支援には、教師‐学習者間の関係を組み替えるためのより具体的な試み、例えば(β)役割の転換による関係の逆転、(γ)地域の課題をテーマとした共同学習等が見出せる。(β)の例としては、定住外国人が料理講習やことばのクラスなどの教師役を担ったり、医療通訳や地域の衛生環境向上運動の指導的役割を果たしたりする事例が報告されている。(γ)には、地域の課題に取り組む中で、支援者も日本語学習者とともに学ぶという試みがある。これらの試みは一定の成果をあげているが、日本語教育の場における教師‐学習者間の関係は依然膠着したまま残されている。これに対し、倉地曉美は、教師‐学習者間に関係の対等性を拓き、異文化間の「対話」を成立させようと実践を重ねている。本論文は、この教師‐学習者の関係性という軸を日本語教育の実践分析に採り入れた。

 3.定住外国人を対象とする日本語教育機関
 日本語教育に関する事務を行っている省庁としては、文科省・文化庁、法務省、外務省、通産産業省、厚生省等があり、施設等機関、特殊法人、公益法人、その他の団体等においても日本語教育に関連した活動を行っている。1999年現在、毎年1回文化庁の主催により日本語教育機関連絡協議会が開催されているが、恒常的に日本語教育施策全体について連絡調整が行われる体制とはなっていない。また、いくつかの機関においては、日本語教育提供の拠点を整備しようとする努力が始まったところであるが、十分な成果をあげるところまでは至っていない。
 文科省文化庁の日本語教育実態調査において、日本語教育の主な対象者のうち「地域の居住者」には(イ)主として日系南米人、(ロ)主として中国帰国者、(ハ)主としてインドシナ難民、(ニ)その他が該当しており、そのうち国の援護施策対象となる一部の人々に対しては支援センターが開設され、施策の一環として数ヶ月の日本語学習が提供されている。しかし中国帰国者、インドシナ難民であっても、家族呼寄せにより「定住者」の在留資格で渡日した二世・三世等は施策の対象にはならず、また、日系南米人、外国人配偶等、さらには22万人余の未登録外国人に対する日本語教育は、国や地方自治体、各機関との連携、協力体制も不十分なまま、ボランティア頼りになっている部分が大きい。全国8都府県35の中学校に併設され、3,000名余りが学ぶ中学校夜間学級は、援護施策が取りこぼした定住外国人の日本語教育を担う公的機関のひとつである。終戦直後の開設当時には、被差別部落の者、形式卒業者 、身体に障害のある者、しばらくのちには高齢の義務教育未修了者や在日韓国朝鮮人、韓国・中国帰国者、さらに新来の定住外国人や不登校の青年も在籍するこの学級の生徒層は非常に多様であり、居住する定住外国人の割合に比して地域によってもかなり異なるが、大阪地区では、在日韓国朝鮮人が3分の1強、東京では韓国・中国帰国者が約半数を占める。東京の夜間学級で日本語を学ぶ定住外国人はこの他に、インドシナ難民、外国人配偶者等がいる。

 4.中学校夜間学級における定住外国人教育
 1954年より毎年1度、全国の中学校夜間学級から教師が集う全国夜間中学校研究会では、各校の課題や取り組みの状況、その時々に応じた調査、実践研究の報告などがなされ、情報交換や討議が行われる。参加者に配布される大会記録、資料には、その場の報告や討議の記録が、多くは録音より書き起した形で残され、学校現場の様子をうかがい知ることのできる貴重な資料となっている。本論文では特に、在日韓国朝鮮人の在籍が多い大阪地区の「基礎学級」、中国帰国者の多い東京の「日本語学級」に焦点を当てて1970年代以降の大会資料を参照し、教育方針、教材、そして教師‐生徒間の関係を軸にこの学級における定住外国人教育を分析、考察する。
 夜間学級増設運動により学級数が増加に転じた1970年代、大阪地区の夜間学級では、高齢の在日韓国朝鮮人女性の入級が激増した。大半が一度も学校へ通ったことのない未就学の人々であり、大阪地区の夜間学級では基礎学力の促進を目的とした基礎学級を設置してこれらの人々に対応し始めた。大阪地区において課題となったのは、対抗文化としての文化の獲得、すなわち、定住外国人――主に在日韓国朝鮮人――生徒に民族アイデンティティの自覚を促すことであった。深い歴史的、社会的を背景とした教育理念に基づく活動の中で、大阪地区の夜間学級に在籍する定住外国人生徒は、団結力、発言力を獲得してきた。他方、同時期に東京都では、日本語が全くわからない生徒として、まず韓国、次いで中国からの帰国者の入級が増え始めた。当時は帰国者に対する公的な日本語教育機関がなく、東京都では予算措置を設けて都内数校の夜間学級に日本語学級を設置し、これらの人々を受け入れた。東京の夜間学級に特徴的な課題は、日本語教育のみを求め、学校生活になじまない定住外国人生徒の出席を確保することであった。東京では、行事等の共同作業を介在に教師と生徒、また生徒同士に連帯感を持たせることで出席率を上げ、授業や行事の取り組みにおける熱意を引き出そうという試みが見られた。
 こうした方向性の違いはあるものの、定住外国人生徒を主体とした学びが追及される中で、夜間学級の教師‐生徒間の関係には、義務教育機関一般には見られない権力テクノロジーの在り方が育まれた。本論文では、資料分析に加え、東京の夜間学級における参与観察および聞き取り調査から、(1)参加の決定、(2)学習内容の決定、(3)評価、の3側面から夜間学級の制度的な縛りの弱さを指摘し、それが夜間学級の教師‐生徒間に働く権力テクノロジーに与える影響を示唆した。

 5.中学校夜間学級における日本語教育の実践研究
 筆者は1999年より5年余りの間、非常勤講師としてある夜間学級で日本語の授業を担当してきた。筆者の実践より5名の生徒の記録を取り上げ、筆者と生徒の間に働く権力テクノロジーと、それが機能しにくい関係をつくり出そうとする試行錯誤の過程を読み解いた。
 実践の記述、分析には批判的民族誌的手法を援用した。記述者=客観的な観察者という古典的な客観主義を排し、調査する者とされる者の関係を問い直す批判的民族誌学においては、一つの方向性として、調査者自身の立脚点・位置を批判的考察の対象とすることが模索されている。また、教育実践研究の視座からも、実践者の立場に立たないと見えない世界があることが指摘されている。この手法の援用により、実践者である筆者が相互作用の過程から何を学び、どう変化したかを詳らかにする作業も含め、実践の多元的、多層的なテキスト群を統合した「厚い記述」(C. Geerts)を試みた。
 本論文の実践の記述は、以下の4点を明らかにするものである。(1)当該生徒が学習に困難を感じたときの典型的な表出の方法、(2)その困難を引き起こす当該生徒の抱える要因、(3)筆者の当該生徒への対応、(4)その対応の結果。この記述に基づく分析により、筆者と生徒との間に権力テクノロジーを機能させた筆者のあり方として、以下の5点を指摘した。(α)生徒の発話を抑制する要因を省みず、発話を引き出すことに懸命になっていた、(β)新たな視点を拓く教材の活用がなく、生徒の悩みに直接助言しようとした、(γ)生徒が日本語運用能力の不足に対する不安を訴えていたにもかかわらず、なんら適切な対処を講じないまま授業を進めた、(δ)生徒の発話の背景をたずねることなく、筆者の考えに基づき生徒を説得しようとした、そして(ε)生徒の自発的な発話を封じることがあった。すなわち、生徒との間に権力テクノロジーを機能させ、生徒が自由に発言しにくく、その発するメッセージが筆者に届きにくい関係をつくった要因として、筆者に「教師として」果たすべき任務を遂行させた役割期待が内面化されていたことを示唆できる。他方、筆者との関係において学びやすさを獲得し、学習意欲の向上、積極的な自己表現や自発的な発話が見られるようになった生徒もいる。こうした実践例からは、権力テクノロジーの抑制する要因として、生徒自身の自己主張する力や、多様な年齢層を示唆できる。また(α)から(ε)に示したような一方的な関わりを避けるためには、自らに内面化された役割期待を見取る内省的な実践が教師に求められる。こうした不断の努力を引き受けることができるかどうかは、教師のvulnerabilityの自覚に依るところが大きい。

 6.まとめ
 以上の分析、考察を通じて、本論文は当初の課題設定に対し、以下の4点を示した。(1)異文化間教育の視点から定住外国人を対象とする日本語教育を読み直し、教師‐学習者間に機能する権力テクノロジーを抑制するための要因を示唆し、また(2)権力テクノロジーが抑制され、極めて対等に近く保たれた関係に基づく日本語教育の場では、教師と学習者との相互作用によって、各々の学習者の個性的な学びやすさが実現していくことを示した。さらに(3)筆者の実践の背景となった中学校夜間学級が、その実践によって獲得してきた特質を明らかにし、この学級における定住外国人教育を日本の異文化間教育における先駆的な実践として再評価した。加えて(4)民族誌的手法を援用して筆者自らの実践を記述、分析し、教育実践研究におけるこの手法の可能性を示唆した。
 本論文が冒頭の難題(aporia)に対して示しうる鍵は、関係性の変革であると言えるだろう。権力テクノロジーが機能するとき、支えるという行為は成立し得ない。それは、弛まざる自己の見取りに基づく、極めて内省的な行為なのである。

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