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博士論文要旨

論文題目:トヨタの労働現場:ダイナミズムとコンテクスト
著者:伊原 亮司 (IHARA, Ryoji)
博士号取得年月日:2004年3月26日

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要 旨
 本論文の課題は、トヨタの労働現場のあり方を労働者の視点から調査・分析することにある。これまでにも多くの研究者がトヨタの労働現場に注目してきたが、それらは、経営側の言説から、あるいは労働者への聞き取り調査から、現場のあり方を推測し再構成してきた。本論文では、それらの研究成果を踏まえながらも、自ら一労働者として働きながら参与観察した結果をもとにして、労働現場のあり方を検証する。
 具体的な研究課題は、大きく分けて3つある。1つめは、「変革」後(途中)のトヨタの労働現場のファクト・ファインディングである。2つめは、先行研究の争点の検証である。3つめは、労働過程論の再検討である。以下、本論文の構成をみていきながら、各課題の内容を簡単に説明したい。
 トヨタは、バブル崩壊以降も「勝ち組」であり続けている数少ない日本企業であり、現在、「一人勝ち」の様相を呈しているが、しかしながら、これまで常に追い風を受けてきたわけではない。バブル経済の絶頂期の頃、いわゆる「3K」と言われる職場には人が集まらず、入社してもすぐに辞めてしまう。深刻な人手不足に悩まされていたのだ。トヨタは、その問題を克服すべく、様々な実験を試みる。
 具体的には、人と機械を分離させる自動化を改め、「人と機械を共存させる自動化」を考案した(「インラインの自動化」)。長大なラインをところどころで区切って、ライン・ストップのプレッシャーを軽減させ、さらには、単純作業の寄せ集めにすぎなかった従来の作業を車両機能ごとにまとめ、労働者が自らの労働の意味づけを行いやすくした(「自律完結工程」)。そのほかにも、組立ライン作業の困難度を定量化し、困難度の高い作業を改善することで、若手労働者の定着率を高め、高齢者や女性にも働ける現場づくりをめざした。「人にやさしい職場づくり」をスローガンに、過度の自動化を抑制する方向へと転じたのであった。
 これら一連の「変革」に対して、経営学者も労働研究者も、おおかた好意的な評価を下している。しかし、いかなる評価を下すにせよ、現場の実態把握が先決であることは自明の理である。労働のあり方を経営側の言説から推測したり、生産システムから演繹的に導き出したりするだけでなく、現場の視点から把握する必要があると考える。これが一つ目の課題である。
 そこで、第1章では、参与観察した工場・職場・勤務形態の概要を説明し、第2章では、「変革」後の現場労働の実態把握を行った。標準化された反復労働、「変化」や「異常」への対応、「工程間の微調整」といった日常業務、「提案制度」とQCサークルといったライン外活動、さらにはローテーションの運営実態を明らかにした。
 二つ目の課題は、先行研究の争点の検証である。自動車工場の労働研究の分野では、多くの関心が寄せられてきたものの、評価の定まっていない2つのテーマがある。
 一つは「熟練」である。80年代以降の諸研究によれば、ライン労働者は、企業内で「キャリア」を少しずつ形成していきながら、高いレベルの技能を徐々に身につけているという。さらに近年、「ふだんの作業」をとおしても「量産型熟練」とでもいうべき技能が形成されていると主張する論者もいる。第3章では、現場の実態に即してこれら2つの「熟練」を評価し、その実質の限界を明らかにした。
 もう一つは「自律性」である。トヨタの労働者は、改善活動・QCサークルといったライン外活動や職場運営をとおしてある程度の「自律性」を確保しているが、これまでの研究は、それらに対して大きく分けると相対する2つの評価を下してきた。一方では、「参加」や「ボトム・アップ」や「産業民主主義」に結びつく「人間尊重」のシステムであると肯定的に評価し、他方では、自分の首を自分の手で絞めさせる手段にすぎないと否定的に評価する。筆者は、それら両側面を認めた上で、両者の接合関係を明らかにしたいと考えた。そこで注目したのが、労働量の「規制」である。第4章では、「自律性」の発揮が労働量の「規制」に結びついているのか、いかなる形で結びついているのか、その過程と結果をつぶさにみていくことで、両側面の接合関係を解明した。
 3つめの課題は、これまでの労働過程論において見落とされてきた側面の描写と分析である。
 先行研究に登場する労働者のほとんどは、経営側の意図にそって働く勤勉な労働者であったが、それらの研究は、以下の管理手法の有効性を前提としていた。一つは、生産システムによる管理であり、もう一つは、手の込んだ人事労務管理である。確かに、これらの管理手法も労働者をコントロールする上で重要な役割を果たしているであろう。第6章で明らかにするように、労働者は、選別と統合の手法を用いた緻密な労務管理の下、企業内に組み込まれている。
 しかしながら、それらのコントロールの有効性に対して2つの疑問が生じる。一つ目は、労働者はいわば間接的な管理だけで自ら進んで経営側の意向にそって働くのであろうか。この疑問に答えるべく、第5章では、職場内の管理の実態に注目し、現場における管理過程をつまびらかにした。労働現場では、機械・装置をとおして権力が行使されているのであり、「温情」として権限が与えられるのに対して、無限定な責任が押し付けられているのであり、コミュニケーションをとおして「同意」が調達され、さらには「トヨタ用語」が知らず識らずのうちにすり込まれているのである。
 以上より、現場労働者は職場内外に張り巡らされた管理の網の中に取り込まれていることが分かった。しかしである。労働者が経営側の管理に沿う形で働いているということは、彼ら・彼女らは経営側の論理に完全に浸りきっていることを意味するのであろうか。労働者は、いわば「会社人間」のように、経営イデオロギーに染まりきっているのであろうか。これが二つ目の疑問である。
 労働現場では、日常的には、あからさまな抵抗はほとんどみられない。経営側の論理と労働者の論理は必ずしも露骨に対立しているわけではなく、いわゆる労・使という二項対立的な権力関係はみえにくい。しかし、かといって、両者の論理はいわゆる「労使協調的」に一体化しているわけでもない。現実を見るならば、不満を抱いている労働者も少なくなく、労働現場では小さなコンフリクトも絶えないのである。ほとんどの労働者は、通常、「受容かさもなくば抵抗か」、といった極端なスタンスをとっているわけではなく、両者の間で揺れながら労働者生活を送っているのだ。では、いかなる分析フレームを用いれば、このような複雑な現場のあり方を、現場労働者の微妙なスタンスを適切に捉えることができるか。
 筆者は、「コード」(=行動規範)という概念を用いることによって、それが可能になると考える。職場の「コード」は、明文化されたルールと明文化されていないルールの両方からなる。それらのルールは、経営側主導で設定されたものであるが、日常的には、「皆のルール」として捉えられている(あるいは、捉えさせられている)。そのために、表面的には、職場は「労使協調的」に運営されているようにみえるものの、その内実は、労・使の対立が労働者同士の「相互監視」に変換されている場合が多い。労働者は、経営側による管理と他の労働者の「同意」をも織り込んだ「コード」に半ば強制的に、半ば自発的に従う形で、職場生活を送っているのである。
 そして、注目すべき点は、労働者はそうした「コード」に縛られながら行動しつつも、「コード」や「状況」を巧みに読み替えることで経営側の論理から距離をとっているという事実である。現場労働者は、あからさまには反発や抵抗を企てなくとも、労働者固有の世界を保持しているのであり、その読み替え方によっては、職場環境に変化をもたらしているのである。労働現場におけるコンテクストはきわめて複雑であり、流動的である。
 以上、第7章では、「コード」という概念を用いて現場を捉え直すことで、これまで全く触れられていなかったダイナミックに変化する複雑な現場の実態をリアルに描き出すことができたと思う。
 なお、補論では、日本の自動車工場の労働現場にかんする調査研究の流れを、「熟練」にかんする議論を中心に整理した。

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