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博士論文要旨

論文題目:近世林業技術の近代化に関する研究
著者:脇野 博 (WAKINO, Hiroshi)
博士号取得年月日:2004年3月10日

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要 旨
 本論文は、日本の在来技術の一つである林業技術について、その歴史的展開及び近代化過程の特質を明らかにしようとするものである。近代日本における産業技術の近代化過程の特質解明は、技術史研究上の重要な課題の一つ、即ち技術の伝播・移転の態様を明らかにするという点で、また近代日本産業における技術の展開過程の特徴を把握する点でも不可欠な作業である。本論文では、日本の近世社会を支えた基盤産業である林業をとりあげ、近世林業技術及びその近代化過程について考察する。

 序章では、これまでの研究史の検討を通じて問題提起を行う。近世林業史研究においては、専ら林業生産における商品化・資本主義化という視角から分析がなされ、商品生産の存在を見いだすことに力が注がれてきた。この結果、近世林業生産の特質は主として商品生産との関係で把握され、幕藩制という他の時代とは異なる固有の社会構造との関わりで近世林業を把握するということが不十分であった。そこで、本論文では幕藩制固有の原理・構造に即して考察する。また、林業技術史研究においても、林業の資本主義化という問題意識に規定されたために、近世から存在した日本各地の在来林業技術との関わりで近代化をとらえるという視点は弱く、在来林業技術が無条件に近代技術に置き換わるととらえがちであり、近世技術と近代技術が非連続であると理解される傾向が強かった。そこで、本論文では従来十分に考慮されてこなかった近代化以前に存在した在来技術と近代技術の連関に力点をおき分析することで、近世技術と近代技術の連続性と非連続性の双方を視野に入れて考察を行う。さらに、林業技術を考察する際には経営と労働にも注目し、材木生産を行う経営主体の経営実態、材木生産に関わった労働者の存在形態やその編成のされ方に留意する。以上のことを踏まえ、本論文は二編から構成されている。第一編では、近世の伐出技術を考察し、幕藩制という固有の社会における林業技術の特質を明らかにする。第二編では、伐出技術の近代化過程について考察し、林業技術近代化の特質を明らかにする。

  第一編
 第一章では、幕藩制成立期における材木生産と伐出技術について論じる。古代以来の林業先進地である畿内地域で材木伐出に従事してきた杣は、近世初頭においては最も高い大材伐出技術を有した杣であった。幕府はこれらの杣を幕府大工頭中井家の工匠組織をつかって動員し、公儀作事に必要な材木を伐出した。幕府作事に必要な労働力を編成する過程は、在村の大工が大工頭のもとに組織化され、職人身分としての大工身分が形成された過程でもあった。大工頭は大工とともに大鋸、杣も同時に組織化し、大鋸と杣の職人身分も形成された。この職人身分形成は、農民身分からの職人身分としての分離であり、兵農分離の結果であった。幕府は大工頭を通じて職人役によって大鋸や杣を自由に編成し動員することができるようになり、木曾など在村から遠く離れた地域への動員も可能になった。兵農分離によって、中世を通じて成長してきた在村の伐出労働力は、杣という材木伐出を専門に行う職人として自立し、幕藩領主はこの自立した職人を編成することによって材木生産を実現した。かくして、兵農分離による職人身分の確立を基盤にした林業、即ち近世固有の林業が成立した。

 第二章では、成立期の木曾林業を対象にして、近世的伐出技術の成立について論じる。近世初期、木曾では畿内など他所から多くの杣が動員され、大材を伐出していた。当時の木曾在地には、小材の伐出技術のみを有する林業労働力しか存在せず、大材伐出のためにはその技術を有した他所の杣が必要であった。第一章で論じたように、兵農分離による職人身分確立によって、それら他所の杣を動員することが可能になった。また、大材運材の多くは角倉氏など、大材運材に必要な河川開削技術を有した豪商が請負っていた。幕藩領主はこれら豪商を介して大材運材技術を編成した。木曾においては、他所杣の動員や幕藩権力と結びついた豪商の動員によって大材伐出技術が伝播し、杣による伐木造材と日用による運材を基盤にした木曾式伐木運材法と呼ばれる近世的伐出技術が成立する。

 第三章では、技術体系として確立した近世中期以降の木曾林業の伐出技術について、技術構造と労働の面から論じる。まず、技術の記録史料(材木地方書)の性格を明らかにし、伐出技術の全体像を再構成して示した。伐出技術は専門的な知識と熟練が要求され、熟練した職人のみが担える技術であった。伐木造材職人である杣、運材職人である日用は、杣頭・日用頭が雇入れて杣組・日用組という組を通じて組織した。この職人編成が職人役による動員ではなかった点に、近世初頭とは異なる近世材木生産の新たな展開をみることができる。さらに、近世の地方書に記録された伐出技術から、当時の平均的な伐出技術の内容を明らかにし、木曾の伐出技術と比較した。その結果、木曾の伐出技術は近世の平均的な伐出技術よりも高度な特殊技術であり、近世伐出技術の到達点を示していることが明らかになった。

 第四章では、材木生産の近世的展開のさらなる特徴把握のために、近世後期の武州と甲州における商人請負による御用材生産について論じる。領主の御用材は大材で、その伐出を請負った商人は、伐出地に杣・日用が存在する場合は彼らを雇入れ、伐出地にそれらの職人が存在しない場合は他所から雇入れた。いずれの場合も、杣は杣組に、日用は日用組に組織された。このように、請負商人が伐出地の実情に応じて労働力を編成することができたのは、大材を伐出できる労働力が杣・日用という自立した職人として、各地に存在したからである。そして、大材伐出労働力の編成が、職人役による動員によるのではなく、商人による雇入れによるということが一般化してきたことが、材木生産の近世的展開の特徴としてとらえることができる。

 第五章では、近世後期の武州西川林業を対象にして、領主による御用材生産とは異なった、農民による材木生産の伐出技術について論じる。19世紀中頃、材木を江戸の商人へ販売していた山方の材木商人は、材木生産を行う生産者的な性格を強めていく。材木商人は、この材木生産に必要な林業労働力を、地元の農民を日雇いという形態で直接雇用し編成した。職人である杣を用いず、地元の農民を林業労働力にすることができたのは、西川材が小材であり、その伐出技術は大材に比べて低位な技術水準のものであったからと推察できる。そしてまた、職人を必要とせず、地元農民を編成することで伐出しえたからこそ、山方の材木商人自らが材木生産を行うことができたのである。近世の材木生産は、大材伐出技術と小材伐出技術の相違から、領主による大材伐出では職人を編成し、農民による小材伐出では非職人を編成するという、二類型に分けることができるという見通しを示しておく。

 第六章では、近世における育林政策の分析を通じ、近世伐出技術の展開に関わる社会的要因について論じる。森林枯渇が深刻化するなか、幕府の育林政策の基調は伐採禁止・制限にとどまっていた半面、御林での御用材生産は活発に続けられたことから、幕府の育林への取り組みは材木生産に比べ消極的であった。一方、萩藩の番組山は、領主が輪伐による計画的育林という施策を実施した点で画期的であったが、実際の経営は計画通り行かず、育林政策としては失敗であった。このように、領主による育林政策は、結果的には材木生産優先のために、ほとんど実現をみなかった。しかし、領主が材木生産を重視したことによって、枯渇する森林資源の再生よりも、未開発森林の開発が優先され、より伐出困難な奥地林伐出のために、木曾式伐木運材法のように大材伐出技術が高度に発展を遂げた。近世においては、領主による材木生産の強力な推進が伐出技術の発展をもたらした。

  第二編
 第一章では、近代青森県の国有林開発を概観し、津軽森林鉄道が導入された背景について論じる。明治維新以後、青森県は国家によって後進・未開の辺境と蔑視されてきたが、他方で青森県の森林資源は国家による官林(国有林)化推進のなかで、その当初から全国官林の中核的地位を占めてきた。つまり、森林資源という視点からみたとき、青森県には未開発の広大で豊かな森林資源が存在し、その資源は国家財政に寄与する大規模な開発が期待できる場であった。それゆえに、津軽半島国有林には全国に先駆けて森林鉄道が導入された。

 第二章では、津軽森林鉄道の導入と在来伐出技術との関わりを中心に、津軽地方における近世伐出技術の近代化過程について論じる。明治後期、津軽半島の国有林では、在来伐出技術の限界を克服するために、在来伐出技術の運材工程(橇出・堤流し)のうち、堤流しの代替として森林鉄道が導入された。この運材技術の変革は、在来伐出技術との軋轢を生ぜずに進められた。なぜなら、在来の伐出工程においては、林業労働者である杣子が伐木造材から運材までを一貫して行っていたが、この工程に森林鉄道を導入しても、労働力不足や杣子の失業を生ずることはなかったからである。したがって、津軽森林鉄道導入においては、在来技術が近代技術導入の桎梏になるということはなく、古来よりの習慣といわれた在来伐出技術の近代化は積極的に進められた。

 第三章では、明治後期から大正期における、木曾御料林の森林鉄道導入過程について論じる。森林鉄道は、在来伐出技術である木曾式伐木運材法の限界を克服するために、木曾式伐木運材法の中核的技術である河川運材技術の代替として導入された。この運材技術の変革は、伝統的な運材労働及び労働組織と対立する要素を有した。それは、木曾式伐木運材法が杣と日用の分業、即ち伐木造材と運材の分業を基礎にして体系化された伐出技術であったために、森林鉄道導入という運材工程の機械化は、運材労働者である日用の失業を招くからであった。このように、森林鉄道導入にとって木曾式伐木運材法は桎梏たりえる性格を有したため、森林鉄道は在来伐出技術との緊張関係を孕みつつ導入された。

 第四章では、大正期の秋田国有林における森林鉄道導入過程を論じたうえで、津軽・木曾森林鉄道導入との比較をしつつ、三林業地における在来伐出技術の近代化過程の特質について考察する。秋田国有林では、在来伐出技術として夏季運材と冬季運材の二種類の運材技術が存在し、森林鉄道は冬季運材技術の限界を克服するために導入された。これは、夏季運材技術に新たに森林鉄道が接ぎ木されたととらえることができ、運材は冬季運材から夏季運材へ一本化した。
 さて、秋田、津軽、木曾における、森林鉄道導入による在来伐出技術の近代化過程の共通点と相違点は次のようである。三林業地にみられた共通点は、在来伐出技術の限界を克服するために森林鉄道が導入されたということである。しかし、森林鉄道に代替された伐出技術には違いがみられた。この相違は、秋田と木曾では年間を通じて運材が可能であり、津軽はそれが不可能であったという、秋田・木曾と津軽における在来伐出技術の違いから生じたものであった。つまり、森林鉄道はそれぞれの林業地に存在した独自の在来伐出技術のあり方に即して導入されたのであり、それはまた、伐出技術の近代化は在来伐出技術に規定されるということを示している。

 終章
 近世初頭、兵農分離によって職人身分としての杣が成立し、大材伐出技術は杣の有するところとなった。そして、職人役を通じて杣を必要に応じて自由に編成することは、大材伐出技術を必要に応じて自由に編成できることを意味した。幕藩領主が職人役によって杣を大材伐出に動員した結果、それまでは伐出が困難であった森林の開発が進み、材木生産が飛躍的に発展した。その後、大材伐出技術は木曾においてより高度な水準に達するとともに、杣・日用という職人の成立をみた。また、木曾以外の山間地域でも木曾同様の職人・技術が成立した。そして、これらの職人が、職人役による動員によるのではなく、請負商人の雇入れによって編成されるようになっていったことにより、全国的規模で大材の伐出が展開した。以上のように、近世の材木生産の成立から展開過程においてみられた大材伐出技術は、兵農分離によって確立した職人身分を基盤にしており、近世林業技術は幕藩制固有の技術であった。
 近代にはいり、近世の大材伐出技術と職人は、国有林・御料林経営に組み込まれ、組頭制度として存続した。明治中期以降、国有林・御料林における材木増産の国家的要請のため、近世において手つかずであった未開発森林の開発や、より効率的な伐出生産が求められ、近世以来の大材伐出技術は限界を迎え、その限界を克服するために近代技術である森林鉄道が導入された。津軽、秋田、木曾の各林業地では、在来伐出技術が部分的に森林鉄道に置き換わり、在来技術が残存したため、半近代的な伐出技術が成立した。ただし、この半近代的な伐出技術の形成過程や技術のあり方はそれぞれの林業地で異なっており、それは近世に各林業地ごとに独自に形成された在来技術に規定されて、近代の技術が成立したからであった。なお、この半近代的な伐出技術はその後、集材機やトラックなどの導入によって近代化が達成されていくが、この近代化過程の解明は今後の課題としたい。
 序章で述べたように、これまでの日本林業史研究では、近代林業の萌芽を近世林業のなかに発見することに重きがおかれ、いわば近代からみた林業史であった。それに対して筆者は、近世社会に即して近世林業を把握することに重きをおき、本論文では、近世林業技術は近世社会のなかで成立した近世固有の技術であり、さらに近世林業技術が近代化される過程においては、近世技術が近代技術を規定したことを指摘し、近世林業技術近代化の特質の一端を明らかにした。

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