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博士論文要旨

論文題目:近代ドイツの国制と市民:地域・コルポラツィオンと集権国家
著者:田熊 文雄 (TAKUMA, Fumio)
博士号取得年月日:2004年3月10日

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要 旨
 18世紀末以降のドイツにおける地域的社団(Korporation)と国制(Verfassung=国家・社会構造)、および国家的諸改革との関係を19世紀中葉まで考察する。それによって、とくに地域的な市民的社団、都市市民身分(Stadtburgerschaft)・都市手工業者ツンフトがドイツにおける<近代>の形成にどのように関与したのかを検討する。これまでしばしばなされたように、ドイツ社会を単に西欧に対する後進性として捉えるのではなく、その国制と市民の固有の構造――コルポラティーフな構造――を解明することを狙いとする。主としてプロイセンについて考察したが、ザクセンとの比較も試みた。
 第1部では、18世紀末のプロイセン王国の国制の特質と経済的変化を市民諸階層の動向と関連して考察した。
 第1章では、18世紀末のプロイセン王国の国制の特質――「諸州と諸身分の多元的な構造」――が維持されつつも、啓蒙主義的法典編纂において官僚制的な法治国家思想が形成されたことを指摘し、伝来の都市市民層と台頭しつつあった教養層・国家官吏層の国制上の相違について明らかにした。
 第2章では、1794年に首都ベルリンにおいて発生した織布工ストライキに注目し、この時期のとりわけ首都における経済的変化、毛織物マニュファクチュアの展開と毛織物工ツンフトの変化、および織布マイスターの権利意識を史料にそくして検討し、さらにこの事件に対する行政と司法の対応の相違――絶対主義的な警察(Polizei)と自由主義的な司法判断――を明らかにした。
 第2部では、都市市民層の国制的位置とその変化をプロイセン改革との関連で考察した。国家市民(公民)を創出すべく制定された都市条令とこれに対する都市市民層の対応について検討した。
 第3章では、これまで我が国ではシュタインやハルデンベルクに比べて取り上げられることが少なかったが、改革の全体について最も詳細な構想を提起したアルテンシュタインAltensteinの意見書を検討し、改革の狙いが伝統的な国制の変革を意図した国制改革であったことに注目し、改革が地域的・出生身分的諸特権を廃棄し、伝来の州と諸身分を再編成して、集権国家と公民を創出することにあったこと、また同時に開かれた形での身分(団体)を国民形成の観点から温存しようとしたことを指摘した。
 第4章では、1808年に制定されたシュタインの都市条令が伝統的な都市の特権(旧時の自治)に代えて、公民としての都市民とその自治権(近代的な都市自治)を創出する意図のもとに制定されたこと、これに対して当時の都市民層は、新しい都市条令が伝統的な市民的権利を侵害するとして当初は条令に反対したことなどを指摘した。従来の研究では、これらの点はあまり言及されなかったところである。
 第3部 社会経済史研究が明らかにしたように、19世紀初頭に始まった封建的土地所有の解体――農民解放――が19世紀半ばにまで及んだように、都市においては「営業の自由」の導入によって ツンフト制度が直ちに解体ないし衰退したわけではなく、かなりの営業部門において非ツンフト営業と併存・競合したこと、両者の緊張関係を理解することが三月前期のドイツ社会を理解するうえで肝要であり、また、ゲノッセンシャフト的団体を重視した点にライン地方や西南地域とは異なる東部市民の特質があったことなどを指摘した。
 第5章では、1810年のプロイセンにおける「営業の自由」導入後に、クントKunthなどの改革派官吏の間でツンフトの評価をめぐって変化が生じたことを、国立公文書館(メルゼブルク)の未刊行史料をもとに明らかにした。とくに1816年の農業不況後に、ツンフト(制度)が再評価されたことに注目した。
 第6章では、これまで我が国ではほとんど取り上げられなかったが、営業自由の導入に際してハルデンベルクの助言者として重要な役割を果たしたヨハン・ゴットフリート・ホフマンJohann Gottfried Hoffmannの未公刊史料、「ベルリンにおけるツンフト的営業経営の状態に関する報告」(1827年)をもとに、ツンフト的・非ツンフト的経営の状況について検討し、非ツンフト営業と並んでツンフト的手工業経営がなおかなり広範に存続し、後者の職人労働力が前者の労働力を支えていたことなどを解明した。
 第7章では、ホフマンの後期の著作、『営業経営の諸権限――とくにプロイセン国家における営業自由と営業強制に関する判断を正すために』(1841年)を検討し、初期のホフマンが「営業の完全な解放」を主張していたのに対して――『現存のツンフト制度のもとでの人間と市民の利害』(1803年)――、後期においては、「営業自由」を実施するに際しては地域や諸営業における歴史的諸条件を勘案すべきであると説き、またゲノッセンシャフト的営業組織を再評価したことなどを指摘した。
 第8章では、ベルリン市参事会員であったオットー・テオドーア・リッシュ Otto
Theodor Rischの1840年代の時論をもとに彼の営業制度・社会論を検討した。これまで経済史研究では、リッシュはツンフトの利害に密着した人物とされたが、彼は営業自由のもとでのツンフト(制度)の変化に着目し――「現在の諸ツンフトでは、入会は徒弟とマイスターとの間の合意にもとづいてなされ、職人もマイスターを選択でき、他の営業への移動も認められている」――、開かれた団体になりつつあったツンフトを基盤として営業制度を再編すべきことを提言したことを明らかにした。それとともに、東部市民の特質として、営業制度においてゲノッセンシャフト的要素を重視したことを指摘した。
 第9章では、ドイツ産業革命の中心地の一つであったザクセン王国におけるツンフト制度と営業自由の関係について考察した。ザクセンでは1860年代初頭に営業自由が法制化されたものの非ツンフト的営業は早くから展開したが、手工業ではなおツンフト(制度)が存続し、後者の労働力が前者の労働力を支えたこと、またケムニッツ市手工業者協会においては40年代以降に自由な結社への転換が図られたことなどを当時の新聞・雑誌などをもとに明らかにした。これらの点は、営業自由を早期に導入したプロイセンの場合と近似していたが、職人の労働規律はザクセンにおいてより強かったと見られることなどを指摘した。

(1)国制Verfassungの概念について
 原語は、通例、国制と訳されている。この場合、国家構造・制度の意味に理解されることが多いが、18世紀から19世紀にかけての歴史的な理解では、社会構造も包摂されていた(E.R.フーバー)。筆者も国家・社会構造の意味で用いている。

2)社団Korporationについて
 伝統的な地域的身分的団体で、成員の権利を確保するために非成員に対して閉鎖的な特徴を持っている。旧時の都市市民身分層Stadtburgerschaftやツンフトなどがそれに 該当する。
 絶対主義国家は社団を排除せず、国家の末端の組織として組み入れたというのが現在の学界の理解といってよい(第1章)。
 都市市民身分層とその改革後の変化は、第3・4章で考察した。
 19世紀初頭の国家的諸改革は社団の特権を廃棄しようとしたが、ライン以外のドイツの多くの地域ではツンフトは営業の自由の導入後も直ちには解体せず、開かれた職能団体へと変化したことを考察した。絶対主義的社団国家から近代国家・市民社会への移行過程における、ツンフトなどの変化と役割を考察した(第2章、第5~9章)。これまでの我が国においてはその点の解明がなお十分になされていないように思われる。

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