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博士論文要旨

論文題目:ドイツ社会政策史研究:ビスマルク失脚後の労働者参加政策
著者:山田 高生 (YAMADA, Takao)
博士号取得年月日:2003年7月9日

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要 旨                     
 第2次大戦でドイツは、日本と同様に壊滅的な打撃を蒙ったが、しかし日本とは異なって、戦後まもなく旧・西ドイツのモンターン産業において被用者共同決定制度や経営協議会制度という参加型労使関係が導入され、その後この制度はドイツ社会のなかに着実に根を下ろし、今日に至っている。
 本書は、こうしたドイツの参加型労使関係の成立を、戦前のビスマルク失脚から第1次大戦までのほぼ30年間にわたるドイツ第2帝政期後半の国家社会政策史との関連で明らかにしようとする試みである。その場合ここでの研究手法は、ボルンやトイテベルクのような通史的な歴史叙述ではなく、それぞれの時代に、この制度の成立にかかわった3人の「官僚政治家」たち――ベルレプシュ、ポザドフスキ、グレーナー――の生い立ちと職歴、さらにその思想と行動を通して明らかにするというものである。   
 これらの官僚政治家たちを取り上げる理由は、ドイツの著名な社会学者マックス・ヴェーバーの政治論文のなかにしばしば登場する官僚政治家の実像を明らかにしたいと考えたことである。この人たちは、ビスマルク、カイザー、ヒンデンブルクらの著名な政治家とは異なって、わが国ではその名前さえ知られていないが、しかし各時代の政府の責任者としてドイツの社会政策を導いた。私がこれらの人物に注目したのは、その時代の社会政策の実相は、例えば「社会的総資本」(大河内理論)のような抽象的概念では捉えることができず、むしろ社会政策の政策主体としての意図や目的を、その手段と結果の関係で捉える必要があると考えたからである。
 さて、以上のような関心から、上述の3人の官僚政治家について、被用者の経営参加の前史である労働者委員会の設立事情を考察する。  
第1部「ベルレプシュの「新航路」社会政策」では、ビスマルク失脚の原因となった1889年のルール鉱山労働者の大規模なストライキ、帝国議会における「社会主義者鎮圧法」の延長廃止、ヴィルヘルム2世の「2月勅語」を背景に成立した1891年営業条例改正における任意制労働者委員会の成立とその挫折の経過を通して、プロイセン商務大臣ベルレプシュの主導した「新航路」社会政策の性格を明らかにする。
第2部では、世紀交替期の「結集政策」のもとでの帝国内務省長官ポザドフスキの社会政策観の変化、つまり、反動的な労働立法である懲役法案の提出から、家内工業の労働者保護政策とプロイセン鉱山法改正(1905年)における義務制労働者委員会の導入について論述する。
第3部では、第1次大戦中の戦時管理庁長官グレーナーによる祖国戦時労働動員法の導入と、その下で労働者委員会の設置を義務化し、労働組合との宥和政策の推進に努めた事情について説明し、これが、それに続く敗戦時における復員局の設置と「中央労働共同体」における重工業家グループの代表と労働組合の代表との同権的参加の素地になったことを論じる。
 最後に、第2部と第3部のそれぞれの末尾に「補論 社会学的社会政策論の形成」と「補論 経済民主主義の生成と展開」をつけ加えているが、この配置の意味は、前者の補論が第2部ポザドフスキの時代のなかから生まれ、後者の補論は第3部のグレーナーの時代からヴァイマル時代を背景に生まれたことを表している。その後、社会学的社会政策論は戦後西ドイツの社会保障改革を先導したゲゼルシャフツポリティーク論として受け継がれた。また、経済民主主義論も、ナチズムの時代の中断を経て、戦後のDGB(ドイツ労働組合同盟)の指導理念として復活し、今日のドイツにおける企業レヴェルの共同決定制度と経営参加制度を支える役割を担っている。これらの理論は、ともに「参加と統合」という政策課題を特徴的に有しており、今後さらに検討さるべきテーマである。 

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