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博士論文要旨

論文題目:シャルル・フーリエのユートピア:アイロニーとユーモアの視点から
著者:福島 知己 (FUKUSHIMA, Tomomi)
博士号取得年月日:2003年6月26日

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本論文は、フランスの思想家シャルル・フーリエ(1772-1837年)のユートピア思想を、そのレトリックの分析と関連させて、論じたものである。本論文が提出する主要な仮説は、大きくいって2種類ある。
第1の仮説は、フーリエが、日常生活の観察、決まり文句や世間知、平凡な世論、よく知られた文学作品といった、われわれが現実の唯一の表現だと考えている一連の観念を、ある仕方で変換することによって、そのユートピアに到達した、ということである。これまでユートピアは、エンゲルスやアウグスト・チェシコフスキの主張を見ればわかるように、現実とは相容れないものとみなされてきた。けれども、この第一の仮説に従えば、ユートピアとは現実のもうひとつの姿であり、現在の裂け目に絶え間なくやって来る未来の可能性なのである。
第2の仮説は、そのように事実性の領域に属するものをユートピアに変換するためにフーリエが用いた方法を、アイロニーからユーモアへの思考の歩みと形容することができる、ということである。フーリエの著作のあちこちに、意識的かどうかを問わず、くり返し現れている共通の発想方法を検討すれば、そのような歩みがあることを理解できるはずである。
そうやって考えることで、われわれはユートピアを、現実逃避とか、現状肯定主義のたぐいではなくて、画一性の打破をめざす思考の運動として位置づけることができる。ユートピアとは、エマニュエル・レヴィナス流の言い方をすれば、社会的他性なのであり、それを認めることによってはじめて、事実性の空間が含んでいる抑圧から解放されるきっかけをつかむことができるのである。
本論文は大きく2つに分かれており、第1部「レトリックと思想」では主に方法論に重点をすえて叙述をおこなったのに対して、第2部「フーリエの『ユートピア』」では、方法論をふまえたうえで、労働や恋愛のようなテーマをたてて多面的な考察をこころみた。
第1部をなすひとつの章「アイロニーからユーモアへ」では、フーリエが用いているさまざまなレトリックの技法を検討しながら、アイロニーからユーモアへという道筋をたどって事実認識がユートピア構想へ変換されるありようを明らかにしようとした。
まず、第1節「レトリック」では、フーリエの用いるレトリック(修辞学)の検討という研究方法が、狭義の文芸批評的な意図にとどまるものではなく、思想の分析におよぶ広がりをもちうることを述べた。たしかに、レトリックという言葉は、しばしば、単なる美辞麗句の技法とみなされてきた。このような考え方のもとでは、レトリックとは、合理的な推論をさまたげる余計な飾りでしかない。けれども、それは本来、説得の技術であり、人間のあいだに起こる具体的問題を言葉によって解決しようとする哲学的課題を担っていたのである。
そうやって考えると、フーリエにおいてレトリックというものがもつ意味が理解できる。一方で、フーリエが美辞麗句は不必要だと述べているときおこなっているのは、悲惨な事実を糊塗しようとするイデオロギー(フーリエのいう「偏見」)の告発である。他方で、そういう告発が、それ自体、アイロニー、パロディ、ユーモアといった、本質的にレトリカルな方法を用いておこなわれていることも重要である。
第2節「アイロニー」では、とりわけアイロニーに焦点をあてて、フーリエのレトリックを検討する。実際、フーリエは、最初の著作『四運動の理論』を一個のアイロニーとして構想したと述べている。たしかに、『四運動』の商業的失敗を受けて書かれたこういう回顧的文章には、失望を覆い隠すための自己欺瞞という性質もある。けれども、それだけではなく、フーリエの思想や気質がもつアイロニー的なありようをはっきりと反映してもいるのである。
そう考えてみると、ボードレールがいう「絶対的滑稽」の要素が『四運動』に多々含まれている理由の一端も理解できる。調和世界では海水がレモネードに変わる、といった、自然の変容にかかわるさまざまなフーリエの予言は、古典的なレトリックが用いる不可能事のトポスの逆用であり、未来の自然によって現在の頽廃を告発するという政治哲学的意図を秘めている。つまり、フーリエにとって自然とは、現状の批判と未来の創造のための武器なのである。
『四運動』でフーリエが展開する、「絶対的懐疑」と「絶対的隔離」という2つの方法基準も、フーリエが自覚的にアイロニーを用いようとしている恰好の例である。フーリエ流の社会科学の目的である未来の調和世界の把握のためには、まず、現在の文明世界の批判的検討をアイロニーによっておこなうことが必要だからである。
ところで、アイロニストがもっている暴露趣味が実生活に適用されると、しばしば、矛盾した人生を送るという表現をとることがある。苛烈な商業批判者でありつつ、晩年まで小規模仲買業に従事したフーリエの人生は、この意味で、アイロニストの矛盾に満ちている。  
第3節「パロディ」では、アイロニーを表現するためにしばしば用いられる手段であるパロディについて検討した。パロディは事実に迎合するふりをしているが、実際には非難し、嘲弄している。フーリエの調和世界がある意味で文明世界のパロディであるのは、既存秩序の批判と社会構想の方法が一体化しているからである。この意味で、バフチンがいうように、パロディとは支配的意識との対話の過程であり、そこには認識と願望の往還運動があらわれている。
『愛の新世界』で展開されている古靴修理人の英雄譚は、フーリエのパロディがもつ特徴をよくあらわしている。本節では、擬英雄譚の活用、逆三段論法、誇張法といった言葉を用いて、その特徴の説明をこころみた。
ところで、フーリエのレトリックは、アイロニーのみにとどまるものではない。第4節「ユーモア」では、ラ・ブリュイエールのようなモラリストとの比較において、フーリエの思想がアイロニーを超えるユーモアの段階にも及んでいることを指摘した。実際、アイロニーを用いたフーリエの社会批判はモラリストのものとよく似ているが、後者がしばしば改革は不可能だというペシミズムに陥るのに対して、フーリエの思考は、共感を通じた温かいまなざしであるユーモアへと到達することで、どっしりしたオプティミズムを手に入れる。アイロニーとユーモアは通常正反対のものと思われているが、フーリエにあっては、ドゥルーズがソクラテスについて述べているのと同様、一体化している。もっと正確にいえば、アイロニーによって法の上位の原理へと上向していったのちに、ユーモアによってふたたび下降していくという、アイロニーからユーモアへの思考の歩みが、フーリエの思想に本質的なのである。
恋愛の自由をめぐるフーリエの議論は、こういう思考の運動の恰好の例である。19世紀には、フーリエはしばしば放縦な恋愛観の持ち主と噂されてきた。けれども、フランス革命期以降の保守主義的な離婚反対論と比較すると、フーリエが、文明世界の頽廃した性習俗を批判しているということがわかる。そうでありながら、人間には本性的に単調さをきらう傾向があるという理由で、単なる乱交や放縦ではない、秩序だった多婚を構想しようとするのである。フーリエのこういう主張は、完璧な男女平等の要求と結びついているだけに、いっそう興味深い。
いったいに、フーリエの思考の根底には、善悪の二元論ではなく、善と悪の2つの運動形態を場合に応じてとりうる唯一の源泉への注目がある。フーリエがアイロニーによって文明世界の社会運動の有害さを辛辣に批判するとき、調和世界の社会運動がそれだけいっそう幸福に満ちているとユーモアをこめて断言しうるのはそのためである。
 最後に第5節「言説と政治」では、第1章の締めくくりとして、フーリエにおける政治的なものについて考察した。フーリエは従来、非政治的な思想家と思われてきた。実際、いわゆる政治変革にはなんの効果もないと当人が述べているのである。けれども、ミゲル・アバンスールが述べているように、フーリエの思考はまず言説の水準で政治的なものの配置を変更し、そしてそれを通じてひとつの実践の理論になっているという意味で、はっきりと政治哲学的である。せいぜい利益配分の仕方を変えるだけの欲求の政治に代えて、フーリエは、世界像の転換を通じて異なる行動の仕方を学ばせる、欲望の政治を提起しているのである。
フーリエのフランス革命観やナポレオン観は、欲望の政治のありようをくっきりと示している。フーリエにとって、フランス革命とは、欠乏を強制する体制である。けれども、革命を導いた政治経済学の教義やフリーメイソンの陰謀とは、本来、奢侈と逸楽をめざしたものであり、そういう要素に着目していれば、革命はまったく違うものにもなりえたはずである。変革を導くのはイデオロギーにすぎない理念ではなく、日常生活にひそむ欲望なのである。
ナポレオン観のほうはもっと複雑である。フーリエは、文明世界から調和世界への転換は、試験共同体組織による平和的方法でも、征服による強制的方法でも可能だと述べていた。この意味では、フーリエはナポレオンに「創立者」の役割を期待していたことになる。ところで、フーリエはナポレオンの戦争が数々の災厄をもたらしたとも書いている。実際のところ、フーリエが期待していたのはナポレオンがもつ激しい情念の力だった。善悪の二重の運動にフーリエが着目していることをすでに述べたが、ナポレオンが実際には相次ぐ破壊しかまねかなかったにせよ、破壊の激しさに比例して、華々しい建設をおこなう可能性もあったのである。
本論文の第2部「フーリエの『ユートピア』」では、第1部でおこなった方法論的検討をふまえて、労働論や恋愛論のようなフーリエの思想の基幹的要素を分析しようとした。アイロニーからユーモアへというフーリエの思考の歩みを念頭におくことで、従来静態的にみられがちだったフーリエのユートピアを、文明世界についての事実認識から調和世界についての社会構想が生みだされる過程として、動態的に把握することをめざした。
まず、第2章「欲求・欲望・意志:労働論」で、フーリエの労働論の検討をおこなった。手始めに、第1節「労働権と窃盗権」では、フーリエがどのように労働権を主張しているかを検討した。フーリエは労働権の最初の提唱者とされているが、後年のコンシデランたちの労働権要求とくらべると、きわめて独自な仕方で定式化がおこなわれていることがわかる。48年革命世代の社会主義者にとって、一言でいって、労働権とは労働者の尊厳の経済的表現だったが、フーリエの場合はまったく逆に、労働するとは名誉を捨てて富裕者に従属することなのである。言い換えれば、それほどまでに貧民が飢えに苦しんでいることを、フーリエは労働権要求によって、アイロニー的に表現しているのである。そうやって考えると、なぜフーリエが労働権とならべて、窃盗する権利を提唱しているかがわかる。必要にせまられた盗みもまた、飢えの苦しみの表現だからである。
ところで、窃盗権を主張したもう一人の人物、サドと比較すると、フーリエの主張のいっそうの独自性がわかる。サドの窃盗権要求の結論は、窃盗こそ人間の自然であるということだが、フーリエの場合は、窃盗権を主張する一方で、調和世界においては必需品の最低保障と名誉の感覚の利用によって事実上盗みがなくなってしまうとも述べているのである。つまり、フーリエの主張はまず飢えの苦しみという欲求の次元の問題から出発しているが、それだけでは終わらず、他の次元の真理がありうることを予期しているのである。実際、本章の後2節で見るように、フーリエの労働論は、欲求・欲望・意志という3つの次元に構造化されているのである。
次に第2節「欲求から欲望へ」では、フーリエにおける労働の問題を、彼の情念論全体のうちに位置づけることを通して、彼の労働観のより明晰な理解をこころみた。すでに見たように、フーリエにとって、労働の問題はまず、味覚の対象の欠乏としてあらわれている。ところで、飢えによって叛乱が生じうるのと同様に、触覚の対象の欠乏、すなわち性的欠乏によっても叛乱が生じうる。しかも後者の叛乱は、ひそかにおこなわれるだけに、いっそう陰湿になりやすい。だからこそ、調和世界では、生活必需品の最低保障と同様に、恋愛の最低保障も必要なのである。
ところで、こうした最低保障は、五感の充足のための最低条件であるが、調和世界では、それにとどまらず、五感をさらに洗練させるべきである。このように考えられた情念は、もはや欲求にとどまるものではなく、欲望の水準に進んでいる。
こういうフーリエの考え方の基礎には、情念のはたらきについての考察がある。彼によれば、本性に発するやむにやまれぬ情念が抑圧されると、かならず悪辣な影響をおよぼす。フーリエの情念論を思想史上で検討すると、その特徴が明らかになるだろう。たとえば、デカルトにとって、情念とは意志の力によってその方向を有徳なものになるよううまく制御されるべきである。18世紀にはむしろ激しい情念に注目があつまったが、その場合、激しい情念が偉大な徳をもたらす可能性と同時に、巨大な悪をまねく可能性も気づかれていた。この意味では、啓蒙主義のもとにおける情念の復権は、情念と情念の相互抑制によって、悪の危険をふせごうとする考え方をともなっていた。フーリエもまた、激しい情念が善悪両方に作用しうることに気づいていたが、彼の解決法は、啓蒙主義とはちがって、情念と情念をかけ合わせ、複合化させることだった。
以上をふまえて、第3節「欲望から意志へ」では、フーリエの労働観がさらに意志の水準でも論じられることを証明しようとした。すでに見たように、フーリエにとって、労働の必要は、食べる必要とか、洗練された食生活をいとなむ欲望から、そのための手段として、導入されていた。とはいえ、文明世界ではほとんどの場合、労働が苦痛でしかない。けれども、すでに述べた情念のかけ合わせをおこなうことを通じて、だれもがおのずから進んで労働したいと思うようになる。こういう労働は、デカルトとはちがった意味だが、意志の水準で論じられるべきものだ。調和世界でいとなまれる「小群団」の子供たちの労働や、恋愛感情をうまく利用して家事労働を「誘引的」なものにしようとする構想は、かけ合わされることによって意志的なものとなった情念の効果を応用したものなのである。
第3章では、『愛の新世界』にフーリエが挿入した、「聖英雌(sainte heroine)ファクマの請出=贖罪(redemption) 」と題された、戯曲形式で書かれた長大な架空の逸話を検討することを通じて、フーリエの恋愛観を探ろうとした。それと同時に、なぜフーリエが推論ではなく架空の逸話によって論証をおこなおうとしているのかも検討しようとした。なお、この戯曲は、全文の翻訳を本論文の附録として収めた。
フーリエの考える調和世界では、「統一の掟」によって、唯物愛(amour materiel)と心情愛(amour sentimental)の両方の充足が推奨されている。この寓話は、ファクマをはじめとする登場人物たちによって、どのようにして統一の掟のための自己献身が果たされるかを述べたものである。
まず第1節「はじめに」で全体の見通しを述べた後、第2節「パロディ」では、ファクマの物語におけるパロディの要素を検討した。redemptionという語の2つの意味を考えればわかるように、この物語は、キリスト教の禁欲主義のパロディでもあり、また、文明世界的な戦争のあり方へのパロディでもある。言い換えれば、キリスト教や戦争がもつ抑圧的特質をするどく告発するというアイロニー的性格をもちながら、そのなかに含まれている必然的要素の善用の道を探るというユーモア的性格もそなえている。
それ以外にも、ファクマの物語は、宮廷風恋愛のパロディでもあり、また、オノレ・デュルフェの『アストレ』やヴォルテールの『マホメット』のパロディでもある。ところで、宮廷風恋愛や『アストレ』は17世紀のプレシューたちのおためごかしの意見として引き合いに出されたし、『マホメット』が提出する恋愛観や宗教観は革命期には古くさいものとみなされた。そうやって考えると、政治的害悪から逃れるために、フーリエがあえて恋愛と宗教に頼ろうとするのがきわめて独得であることがわかる。
第3節「英雄の系譜学」では、英雄という概念の変遷を文化史的にたどることを通じて、ファクマが英雌と形容されていることの意味を検討した。ホメロス、デカルト、コルネイユ、ヴィーコ、ニーチェといった人々の英雄概念を検討すると、英雄という概念は大きくいって2つの意味をもっていたことがわかる。マックス・シェーラーに従って、この2つを、第1は典型という意味、第2は指導者という意味とみなすことができる。第1の意味での英雄とは、人間だれもがもつ可能性であり、また、生者によっていとなまれるものである。
ポール・ベニシューによれば、英雄の概念は、ラシーヌ以降、没落の一途をたどった。コルネイユが英雄的自負として肯定的に評価したものが、虚栄心とか傲慢として否定的に解釈されるようになるのである。また、18世紀に入ると、英雄はもっぱら軍事的能力によって理解されるようになり、この意味で、偉人とはちがって、徳をそなえていないと考えられるようになった。それとともに、英雄性からの女性の排除も生じた。女性の特徴は柔弱さであり、恋愛や家庭のことには向いているが、英雄的な力強さには欠けているとみなされたのである。
英雄性にふたたび高い評価があたえられたのは革命下においてである。とはいえ、当時の英雄概念は、禁欲主義的意志によって革命的目標にむかって献身するという方向で理解されており、しかも、生者より死者に冠せられる称号だった。この意味で、革命下に頻発した政治的意図をもった自殺は、パンテオンに運ばれた革命的英雄たちの死と同じく、英雄的な死の一形態だった。
こういう革命期の英雄は基本的に複数の主体によって実現されうるものだったが、やがて革命が終焉に近づくと、ナポレオンというただ一人の権威主義的英雄像に人格化されるようになった。
フーリエの称讃する英雄は、戦争における勝利を至上の栄光とする破壊の英雄ではなく、調和と建設をむねとする生者の英雄である。実際、調和世界では、英雄たちが、有益な事業のための建設や、だれもがうらやむ恋愛によって知られるようになるとされている。この意味で、フーリエの英雄像は、革命的英雄観や英雄ナポレオン像をすっかり覆したものなのである。
第4節「英雄とユートピア」では、ファクマの物語の筋を、人間的弱さがキュニコス学派(犬儒学派)的アイロニーによって英雄的に乗り越えられていく精神の歩みとして読みうることを示した。ファクマに求愛する8人の男たちが肉体的欲求(「利己主義」)に自足しているのに対して、ファクマはそれが人間の条件であることを認めつつ、しかもそれだけに終わらずに、英雄的自負に導かれて、万人の幸福(「統一主義」)のために行動しようとする。それに感動した人々もまた英雄的に行動しようと願い、こうして万人の幸福をめざす運動が社会の全体に広がっていく。フーリエにとって、ユートピアが単独で構成されているわけではなく、このように、ユートピアにあらざるものがそこかしこで覆される変容が本質的なのである。
本節では、さらに、こういう英雄的な献身という考え方が、ディドロ流の市民劇(drame bourgeois)には見いだせないことも示した。
第5節「反=悲劇」では、主としてアリストテレスの古典的演劇理論との対比において、ファクマの物語がもつ演劇的特質を検討した。ファクマの物語は、高貴な主人公たちの崇高な行動を描くという意味では、アリストテレスのいう悲劇の筋書きをもっている。けれどもそこではいわゆる悲劇的アイロニーは生じておらず、真実の暴露が幸福の実現のきっかけになっているという意味で、反=悲劇的である。
また、この物語においては、古典的なカタルシス理論が要請しているような、中庸の徳の称讃も覆されている。この物語は、ファクマたちの激しい情念にもとづいた行動が、大団円を導くからである。中庸より情念的高揚を重視するこういう考え方は、ディドロをはじめとする啓蒙思想や、さらに革命期の政治言語に見られるものだ。とはいえ、フーリエの情念論は、理性をもちいて有徳な行動をおこなおうとする情熱として情念をとらえており、その意味では、ストア派のような理論との親和性も指摘できる。そうやって考えていくと、フーリエのユートピアとは、静謐と安定のうちにまどろむものではなく、激しい情念に導かれた行動をうながしていることがわかる。
第6節「恋愛の政治哲学」では、政治哲学的関心のもとで、ファクマの物語にあらわれている恋愛の理論を検討した。コルネイユの英雄劇が示唆しているように、恋愛はしばしば政治的情念より劣ったものと考えられてきた。さらに18世紀には、恋愛とは女性の領分であり、柔弱さによって特徴づけられるとみなされたから、恋愛(そして女性)は本質的に政治とは相容れないものだと考えられるようになった。これとはまったく反対に、フーリエは、恋愛を基軸にすえた一種の統一的政治学のようなものを構想している。それによって、政治哲学が生の全体性に溶けあわされるとともに、権力がもはや抑圧の道具ではなくなって、快楽に奉仕するものになるのである。
古典的な政治哲学にとって、政治的能力をもった人物とはだれかということは大きな問題だった。しばしばそういう稟質は血統によって継承されると考えられてきた。フーリエの場合、もはや血統的継承は信じられていないが、かといって稟質が後天的なものとみなされているわけでもない。体系的未来予想術と呼ばれるフーリエの理論によれば、稟質の出現は一種の法則性をもっており、子供のころ自然とおこなうさまざまな行動を観察することによって、将来どのような稟質を発揮するかが予測できるのである。
ところで、政治哲学が恋愛をしりぞけてきた理由の一つは、恋愛につきものの移り気が、行動の可測性を失わせてしまうというものである。ある種の社会契約論者にとって、気まぐれによる横暴が自然状態の特徴であり、それをふせぐためにこそ社会契約が必要なのである。これに対して、フーリエの提案する均衡遺言という制度は、まさしく移り気に立脚して、一種の統一を実現しようとしている。また、過去の過ちに対する赦しや、基軸愛と呼ばれる特殊な愛情にもとづいた未来への約束によって、活動の場における人間的自由の発揮がもたらしかねない危険性が減じられている。つまり、従来の政治哲学とはちがって、フーリエの理論においては、恋愛のような情念の力によって移り気が有益なものに変換させられているのである。
第7節「英雄と聖人」では、倫理学的視野から、調和世界の統一をめざす自己献身がどのような動機にもとづいているかを検討した。ファクマとイゾムは、どちらも自己犠牲によって統一のために献身しようとするのだが、両者の動機は異なる。ファクマは主として英雌としての自負から、イゾムは主としてファクマへの恋情に導かれて、自己献身を誓う。そういう相違は、言い換えれば、キルケゴールが『おそれとおののき』で述べているのと同様に、社会的承認を最終目標におく英雄的倫理と、愛する相手にさえ認められれば他の一切を顧慮しないという聖人的倫理の相違である。
そう考えてみると、なぜフーリエが『愛の新世界』で愛の宗教を讃美しているかがわかる。万人の幸福のための自己献身という考え方には、自分の幸福を犠牲にする、というパラドックスが含まれているが、愛の宗教にうながされた聖人的倫理において、このパラドックスが乗り越えられるからである。実のところ、フーリエのユートピアとは、愛するという一回的で偶発的な自由のいとなみによって、このような超出が不断に生じる世界なのである。
第8節「演劇と政治」では、本章全体のしめくくりとして、とりわけルソーの演劇批判との比較において、フーリエの調和世界にとって演劇的なありようがもちうる意味を、より広い視野から検討しようとした。まず、ルソーの演劇批判が、18世紀の幻想論(illusionnisme)の論者たちと共通の演劇観に立脚していることを指摘した。実際、デュボスやディドロなどがおこなった幻想についての考察をしらべると、幻想というものが、一方では、ほんとうの現実を忘れて没入するほどの疑似現実として、他方では、冷静に考えればただ驚きをもたらすだけの人工的誤謬として、二面的に考えられていたことがわかる。ところで、フーリエにとって、文明世界における幻想は、けっして叶うことのない夢想であり、自己欺瞞にすぎない。けれども、フーリエは、調和世界では幻想を積極的に醸成すべきだ、とも述べている。とりわけオペラを通じた教育を称讃するなかでフーリエが述べているように、そこでは幻想がもはや誤謬であることをやめ、統一精神のまことのあらわれになる。そういう世界では、だれもが俳優となり、生活が演劇そのものになる。
そういう世界は、ある意味で、ルソーが演劇との対比のもとで称揚した公共の祭りに似ている。ルソーは、祭りのなかで、民衆の自発性によって、集団的一体化と全体的昂揚が実現されると述べている。公共の祭りがもちうるそういう機能への着目は、その後、革命祭典に引き継がれた。ところで、別の角度からみれば、革命祭典とは、指導層の公共的訓育の手段であり、人々が多様に発揮する自発性を無視して、特定の思考法を押しつけるという性格をもちかねないものだった。ハンナ・アレントがルソーの一般意志論を政治的テロルの論理の源流とみなしたのは、このように、ルソーの思考のなかで多様性が排除されているからである。反対に、ブランショが述べるように、フーリエの思想には多様性が前提されている。その結果、ある人物の英雄的行動が称讃されるとしても、その人への同一化がめざされるわけでも、なんらかの特定の理念が事前に前提されているわけでもなく、そのつど生まれる情念のもとで、どこまでも多様な反応が形成されると考えられている。つまり、共同の祝祭と化したフーリエの調和世界とは、互いが互いをよき前例としつつ、無限に差異化される諸情念によって、不断に自己超出が果たされる世界なのである。
最後に、「終わりに」において、本論文全体のまとめをおこなうとともに、ヴァルター・ベンヤミンのフーリエ論を検討することによって、フーリエの思想がある意味で近代からの解放の可能性を示唆していることを述べた。ベンヤミンは、『パサージュ論』の最終構想において、ブランキ、ニーチェ、ボードレールの描いた永遠回帰論を検討しながら、近代という永続的破局から英雄的いとなみによって解放される可能性を探っていた。フーリエにとっても同様に文明世界とは永続的にくり返される破局であるが、それはけっして不可避ではなく、ごくわずかな転換によって、幸福の連鎖する調和世界が実現しうるものである。このような意味で、フーリエのユートピアは、のんしゃらんな夢物語どころか、決然たる自由への意志を秘めた思想であり、永続する破局の亀裂に解放の可能性を展望しているのである。

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