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博士論文要旨

論文題目:北アイルランドのユニオニズムにおける自己表象:「包囲」された「ブリティッシュネス」
著者:尹 慧瑛 (YOON, Hae Young)
博士号取得年月日:2002年7月31日

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1.問題意識と「場」の設定
 日本では、「アイルランド問題」と「北アイルランド問題」とがしばしば混同して用いられることが多い。しかし、両者はともにイングランド/ブリテンのアイルランド植民地支配という歴史的起源を背景に持ちながらも、異なる様相を含んでいる。30年におよぶ紛争の背景としての北アイルランド問題をみるためには、アイルランド問題との連続性・非連続性を指摘しなくてはならない。アイルランド問題がイングランド/ブリテンとアイルランドの支配-被支配の関係を問題にするのに対し、北アイルランド問題は、紛争という背景の下に、むしろ北アイルランド内部における宗派等にもとづいたコミュニティ間の関係に重点をおく。しかし、より重要なのは、以下の点である。
 北アイルランド問題は、その起源がイングランド/ブリテンのアイルランド支配に根ざしており、イングランド/ブリテンとの関係性において問題をとらえる必要がある点において、アイルランド問題と連続性をそなえている。しかし一方で、アイルランド問題が、イギリス対アイルランドという二項対立的枠組みにおいて、問題の解決策として「自治」「独立」を志向し、それを「実現」させたnational questionであったのに対し、北アイルランド問題は、「自治」「独立」といった領土と不可分に結びついたナショナル・アイデンティティの確立が、もはや「解決」とならない状況に直面し続けてきたのである。言い換えるなら、アイルランド問題と北アイルランド問題の非連続性は、実は、アイルランド問題がすでに含んでいた「アイルランドにおけるネーションとは誰か?」という問題、また「そもそもネーションとは、ナショナリズムとは何か」というもっとも厄介な問いが、北アイルランド問題に凝縮されている点にあるのだ。これこそ、アイルランド問題が「北アイルランド問題」というかたちで切り離し、また、現在のアイルランド共和国がおきざりにしてきた問題であるといえるだろう。
 北アイルランドという「場」を以上のような観点から扱いたいと考える背景には、近年のいわゆる「国民国家論」におけるナショナル・アイデンティティをめぐる議論への関心と違和感があることを最初に述べておきたい。国民国家論は、国民国家の単一性・均質性・正当性に疑いをむけ、その形成過程やそこでの排除や包摂という問題を分析することで、これまで自明なものとみなされてきた国民国家のありようをさまざまに相対化してきた。しかし、このことは私たちを取り巻く支配-被支配の構造やそれと結びついたナショナル・アイデンティティがすぐさま消滅することを意味しない。国民国家という強固なシステムにおいて、ナショナル・アイデンティティは、依然として私たちを世界に位置づける基軸として支配的な位置を占めており、根強い差別や抑圧の状況は、人びとをすぐさま支配-被支配の構造のなかへと引き戻してしまう。国民国家の「脱構築」は、こうした現実における根強い支配-被支配の構造と切り結びながら考えられなければならない。そして、「ナショナル・アイデンティティを乗り超える」といった主張をめぐる言説は、誰がどのような位置から、何に向けて語るのかによって大きく意味合いが異なってくる。
 みずからのナショナル・アイデンティティが自明であるかのようにみえる人びとにとっては、ナショナル・アイデンティティは、それが本当に自明であるのかという問いを素通りして、さまざまな制度や言説によって支えられる「保証された」ものとなる。そして、この保証があるからこそ、なんら不都合を感じることなく、また、ナショナル・アイデンティティなど取るに足らない、簡単に乗り超えられるものであるかのように錯覚してしまう。こうした状況においては、ナショナル・アイデンティティをめぐる問題やその意味は、非常に見えにくいものとなるだろう。
 一方で、みずからのナショナル・アイデンティティが決して自明なものではありえず、また、それゆえに、ナショナル・アイデンティティの獲得と保証が、緊張を伴った日常の問題である人びとにとっては、そうした諸問題は常に切実なものとして立ち現れる。私たちはなぜナショナルな支配-被支配の呪縛から簡単に逃れ得ないのか。そして、私たちにとってナショナル・アイデンティティとはいかなる意味を持つものなのか。このような問いについて考えることは、国民国家の批判的考察を行ううえで不可欠な課題であろう。
 本稿では、このような問いを考えるためのひとつの「場」として、北アイルランドに注目する。そもそも、ナショナル・アイデンティティがまったく自明なものであり、またそれが完全に保証されているということなどありえないが、それが先鋭的にあらわれている一つの「場」が、北アイルランド紛争という緊張状態に置かれ続けた国民国家の「周縁」、北アイルランドなのである。
 北アイルランドの帰属をめぐって、カトリック系住民の多くはイギリスからの分離・アイルランド島全島の完全独立を主張する「ナショナリスト」であり、入植者の子孫であるプロテスタント系住民の多くはイギリスとの連合(the Union)の維持を望む「ユニオニスト」であるとされる(特に後者においてはその傾向が強い)。そのため、しばしばカトリック/プロテスタントという区分はナショナリスト/ユニオニストという政治的要求による区分と同義であるかのように見なされるが、両者は必ずしもイコールで結べるものではない。両者があたかも同義であるかのように見なされ、互いに対立させられることこそ、北アイルランドにおける事態を硬直化させてきた原因のひとつであったと言えるだろう。本稿では、ナショナル・アイデンティティをめぐって葛藤をみせているユニオニズムを、支配者/被支配者という二分法から離れたところでとらえ、ユニオニズムにおけるナショナル・アイデンティティの問題を分析するひとつの方法を提示したうえで、ユニオニズムにおける自己表象の具体的内容に踏み込むことを目的とする。
2.ユニオニズムへの視角
 12世紀以来イギリスの支配下にあったアイルランドでは、19世紀後半にホーム・ルール(自治)運動が盛んになる。これに対抗して形成されたのが、アルスター(アイルランド北部)を中心に展開されたアイルランドとイギリスの連合を主張するユニオニズム運動であり、その担い手は主として入植者の子孫であるプロテスタントであった。ユニオニズムは、1920年にアイルランド統治法によって北アイルランドが成立した後は、北アイルランドとイギリスの連合維持・反アイルランド統一を主張するものとなった。ユニオニズムの本格的研究は、北アイルランド紛争開始後の1970年代に始まるが、ユニオニズムに対する批判・攻撃という政治的動機を背景として、その多くがユニオニズムを一面的にとらえたものであった。そこでは、イギリスに忠誠を誓う一方、時としてイギリスの政策に反抗もする「条件付きの忠誠」としてのユニオニズムは、近代的なナショナル・アイデンティティ形成に失敗したものであり、偏狭な民族的・宗教的色彩の濃いイデオロギーであると「否定的に」評価されたのである。それに対して、ユニオニストの研究者からは、ユニオニズムは連合王国という政治体制へのコミットメントであり、リベラル多元主義を標榜する「肯定的な」ものであるという評価も行われている。こうした研究のあり方に対して、最近では、ユニオニズムにおける多様性に注目する必要性が指摘されている。
 本稿では、ユニオニズムのひとつの側面をとりあげ、そこからひきだされたエスニックな/宗教的な/市民的なアイデンティティのあり方を否定/肯定するのではなく、ユニオニストにとってのナショナル・アイデンティティがどのような意味を持ち、またそれがどのように形成されてきたかを考察する。その際、ユニオニズムを北アイルランド内部の問題としてではなく、イギリス・アイルランドとの関係というより広い枠組みにおいて位置づけるためにも、ユニオニズムのナショナル・アイデンティティにおける他者との関係性をあらわす「包囲の心理(siege mentality)」と、ユニオニズムのナショナル・アイデンティティにとって核となる「ブリティッシュネス(Britishness)」を考察の軸にすえる。
3.ユニオニズムと「包囲の心理」
 北アイルランドにおけるユニオニストの心理状況を説明する際によく「包囲の心理」という言葉が用いられるが、これは「アイルランド統一をはかるカトリック/アイルランド共和国」と「いつ自分たちを裏切るかわからないイギリス」によって脅かされているという、ユニオニストの恐怖を現していると同時に、ユニオニストのナショナル・アイデンティティの背景である他者との関係性を示してもいる。「包囲の心理」とは、通常「支配者」として位置づけられるユニオニストが、植民地と地理的に離れた「本土」ではなく、植民地の内部に位置する集団であることから引き出されたものである。この意味でユニオニストの「包囲の心理」は、他の植民地における入植者の心理状況と共通する特徴を備えている。19世紀以降、アフリカにおいて形成された「混合」植民地は、少数の入植者と開拓者が、数の上では圧倒的に優勢なネイティヴに対して白人支配を確立するという、それまでと大きく異なる植民地構造を持っていた。混合植民地の入植者にとっては、ネイティヴの反逆・解放は大いなる恐怖であり、ここから「包囲の心理」が生まれ、自己保存のための心理的かつ構造的な支配が行われることになる。また、混合植民地における入植者は、本国との利益の違いから、本土に対してアンビヴァレントな姿勢を形成していった。
 こうした植民地における入植者の心理を基盤として、ユニオニストの「包囲の心理」は、17世紀の「デリー包囲」、ホーム・ルール運動の登場、北アイルランド自治の開始、アイルランド共和国の成立、北アイルランド紛争の勃発、イギリスによる直接統治と北アイルランド自治の終焉といった、その時々におけるイギリス、アイルランド、カトリック、共和主義との関係性において形成され、また、その関係性の変容のなかで、強弱をみせていった。この「包囲の心理」は、変化に対する非妥協的な態度、保証の切実な希求、「抑圧者」としての認識の欠如、イギリスへのアンビヴァレントな忠誠といった、ユニオニストの「攻撃的」「偏執狂的」「非合理的」とみなされる思想と行動が、彼らにとっては正当化されてしまう理論的根拠を提供してくれる。また、「包囲の心理」は、「不安」「恐怖」「自己保存」「抵抗」というキーワードを中心とした、ユニオニストから見た北アイルランドの歴史を映し出してもいる。同じ出来事に対するユニオニスト/プロテスタントと、ナショナリスト/カトリックの反応と解釈の違いは、他のあらゆる歴史と同様に、北アイルランドにおいても「客観的な」歴史の記述などは存在しないということを示している。
4.ユニオニズムとブリティッシュネス
 ホーム・ルール運動が登場する以前の、アルスターのプロテスタントのナショナル・アイデンティティは、「アルスターネス」「アイリッシュネス」「ブリティッシュネス」が同時に矛盾することなく並存していた多層的なものであった。しかし、ホーム・ルール反対運動・北アイルランド成立を経て、こうした多層的なアイデンティティの在り方は変容を迫られ、「ブリティッシュネス」が、ユニオニストのナショナル・アイデンティティの核としての重要性を高めていくことになった。ところで、このブリティッシュネスとは、軍事的必要性から生まれた1707年のスコットランドとイングランドとの連合によって形成されたものであり、そこでの連合の概念は、スコットランドからの支持とひきかえに、イングランドがスコットランドの習慣や制度の保護を保証し、イングランドと同等の自由と繁栄に対する権利を約束するという、徹底的に契約的かつ「条件付き」なものであった。このことは、ブリティッシュネスが、スコットランドとアルスターにとっては必要性と利点がある一方、イングランドにとっては「イングリッシュネス」と同義にみなされるという、認識の違いをつくりだしてもいる。
 ユニオニズムのナショナル・アイデンティティにおいて、「ブリティッシュネス」は、3つの側面 - (1)連合王国の人々との歴史的な記憶・経験の共有、ブリテンという「想像の共同体」の文化的基盤、(2)イギリス国家における社会的・政治的制度との自己同一化、イギリス臣民としてのアイデンティティ、(3)アイリッシュ・アイデンティティへの対抗としてのアイデンティティ - を持つ。特に(3)は、イギリス人の「ポジティヴな」特質が、アイルランド人の「ネガティヴな」特質に対して位置づけられるという、帝国主義的な性質を帯びている。しかし、「ブリティッシュネス」が、ユニオニズムにおいて自己の優位性をあらわすものとして様々に用いられていることを考えれば、(1)と(2)もまた、レイシズムの側面をまぬがれていない。そこには、進歩=優位という思想が中心に据えられており、ユニオニズムにおける「ブリティッシュネス」は、ユニオニスト/プロテスタントを普遍的な「無徴」、ナショナリスト/カトリックを特殊な「有徴」と規定するものとして用いられているのである。こうしたユニオニストの「ブリティッシュネス」は、伝統行事やシンボルなどの様々な文化的象徴によって表象・再生産されている。例えば、ユニオニストによる連合王国のどこよりも熱烈な王冠への忠誠は、外部から見て容易に識別できる象徴を十分に使うことによって、自らの「ブリティッシュネス」を一貫して主張する行為であり、イギリスの彼らに対する無関心の下での保証のないアイデンティティを充足させる手段でもある。
5.ユニオニズムの自己表象 -アルスター協会の活動と出版物を通して
 「包囲」された「ブリティッシュネス」ともいえるユニオニストのナショナル・アイデンティティにおける緊張は、1985年のイギリス=アイルランド協定の際にもっともよくあらわされた。北アイルランド問題の「解決」にむけてアイルランド共和国の関与をはじめて認めたこの協定は、ユニオニストにとって、北アイルランドにおける彼らの地位を脅かし、アイルランド統一を後押しするものと映った。ここでの、イギリスに対する「裏切られたという意識」は、ユニオニズムの主張の中身を大きく分裂させていく契機となる。本稿では、こうしたユニオニズムの転換期に設立されたアルスター協会の活動を、北アイルランドが持つ緊張の中で、「文化」をキーワードとしたユニオニスト・アイデンティティの再想像/創造の試みとしてとりあげる。アルスター協会の活動目的は、「アルスター・ブリティッシュの文化」の保護・促進であった。この「アルスター・ブリティッシュ」というアイデンティティは、「ブリテンとのつながり」の再確認や、「アルスターの独自性」の「発見」と「創造」を通じた、文化的アイデンティティによるユニオニストの自信の回復を促すものであり、「文化」を通した「連合維持(pro-union)」、反統一アイルランド(anti-united Ireland)の主張であったといえる。このような「アルスター・ブリティッシュ」のアイデンティティにおいて「戦いの記憶」が支配的な位置を占めているのは、それが「包囲の心理」の下にあるユニオニストにとって必要とされた「苦難と勝利」の物語だったからである。また、彼らの文化的主張の根拠としてあげられる「市民権」「市民的平等」「多文化主義」といった概念は、ブリティッシュネスにおける「先進性」「普遍性」と分かちがたく結びつけられている。
 北アイルランドにおける「文化的主張」の有効性は、それが、直接的な暴力を回避しながら「生き残る」ための、ぎりぎりの選択になりうるということである。政治家による「和解」にむけての交渉がすすめられていく一方で、人びとの暮らしにおける社会的・心理的な境界は、依然として簡単には乗り超えられないものとして存在しており、何らかのきっかけで、その境界をはさんだ両者のにらみあいが再燃する危険を常に抱えている。「文化」にもとづいたアイデンティティの主張という選択は、このような北アイルランドの文脈において、「ゆきづまり」と「打開策」、「対立」と「和解」のあいだを揺れながら、格闘する場としてあるのだと言えよう。
6.結論
 ユニオニストの「ブリティッシュネス」は、その「包囲された心理」という状況のもとで、ブリティッシュネスの本質である隠された差別性・抑圧性を暴露し、まさにそのことによって、イギリスから無意識に拒絶されている。また、帝国の喪失、大量の移民の流入、EUという新たなアイデンティティの登場などに起因するイギリス本土におけるブリティッシュネスの急速な変容は、ユニオニストとイギリスとの距離をますます広げてもいる。この意味で「ブリティッシュネス」は、ユニオニズムを保証する基盤となりえていないのである。
 ユニオニズムが抱える、この「包囲」された「ブリティッシュネス」ともいえる緊張した状況は、なアイデンティティをめぐる諸問題を浮き彫りにしている。ユニオニズムにおいてよくあらわされているのは、精神的/肉体的な不安・恐怖から身を守るものとしての自己のアイデンティティが、他者に対する差別や抑圧の構造をつくりあげていく過程である。北アイルランド問題における「和解」にむけての転換を困難にさせてきた要因のひとつも、まさにこの、ユニオニストにおける不安・恐怖の問題であった。したがって、ユニオニストにとっての「和解」とは、こうした不安・恐怖をどのように克服していくことができるのか、また、対話に向けての信頼へと変えていけるのかを試されることにほかならない。人びとが「ナショナル・アイデンティティ」による呪縛から簡単には抜け出すことができないのは、それが、自らの「確かさ」を保証する重要な役割のひとつを担っているからである。したがって、ナショナル・アイデンティティの脱構築とは、自己にとっての不安や恐怖への保証が、他者への抑圧・差別といった支配-被支配関係をつくりだしてしまうことを、どのように考え、またいかにそれを克服するかという困難な課題を私たちにつきつけるものである。

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