博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:ヴォドゥン民俗祭祀における「モノ」をめぐる儀礼実践と「個」という布置:ベナン共和国アジャAja社会の民族誌的研究
著者:田中 正隆 (TANAKA, Masataka)
博士号取得年月日:2002年7月31日

→審査要旨へ

1. 本論の目的と構成
本論は西アフリカ・ベナン共和国南西部、アジャAja(Adja)村落社会におけるヴォドゥン(voju神霊)をめぐる儀礼実践に関する民族誌的研究である。そのさい、アジャ社会における「個」(人=ame、gbeto)とモノ(enu、nuwanu)の生成と関わりに焦点をあわせる。父系出自によるリニジ紐帯(アコako)の強固なこの社会では、個は、モノは、いかなる様態として捉えられるのか。本論は1996-1999年にかけてベナン共和国南西部で実施された現地調査にもとづき、その記述と分析をとおしてアジャ社会における「個」と「モノ」の相関に接近を試みる。ベナンはフランス植民地支配期、奴隷海岸の名称でよばれ、また神格ヴォドゥンvojuをめぐる多彩な信仰活動の中心地とされてきた。論者は村落部においてヴォドゥン民俗祭祀を実見するうちに、それが霊的存在を憑依などに顕現させるとともに、多彩な祠、祭壇、呪物をめぐる信仰であることを確認した。人々は祭祀をとおしてヴォドゥンとかかわりながら、絶えずそれらを更新し、作成し、金銭を媒介として売買されている事実を知るに至った。論者はヴォドゥン信仰が「モノ」をめぐる信仰であり、「個」がそれらのやり取りと、モノ化の営みに深く関わっているに違いないと考えた。しかし、従来の人類学においては、個人を社会の対立軸に措定し、機能因子とみなしたり、モノ=呪物を「象徴」や「表象」、「代理物」ととらえ、それを操作する行為主体として「個」を位置づけてきた。そして人とモノとの双方が別個の領域の問題であるとして議論されてきたのである。
「個」や「人」の社会的位置づけを焦点の一つに据えるとはいえ、本論の意図は西欧的「人格」を明示化し、それとの比較を試みるものでもない。本論は調査資料に基づき、アジャ社会における「モノ」の扱いが、「人」の位置づけと不可分であるという、一つの事例を提供することを、目的とする。なぜ彼らは執拗にモノにこだわり、神霊がモノとなって、それを人の介在を通して売買、流布させているのか。本論はこうした問題を解明するために、モノの扱いと個の位置づけを、相互連関において詳細に記述してゆく方針をたてた。論者は、アジャ社会の「個」と「モノ」の位相へ接近するために、個人の儀礼実践、信仰形態、経済活動、地域社会の歴史とがむしろ相互に重層性をもって連関しており、それが民族誌記述という方法において具体化されることが重要であると考えた。そこで本稿は、調査資料をもとに、「個」をさまざまな儀礼実践においてたち現れる現実ととらえるために、「モノ」との転換やそのやりとり、関連づけという事実のつみあげによって、「個」を多元性、重層性のなかに布置化する。儀礼や観念体系の共時的な分析にとどまらず、ギニア湾岸の社会に顕著な集団移住や政治的変遷、混淆化という歴史的深度のなかに、生業や商取引などの経済活動、社会変化を背景にもつ、ヴォドゥン信仰と人々のかかわりが記述されてゆく。
本論は、序論を巻頭に、2部、9章立ての構成をとり、その具体は以下のとおりである。

緒言
序論 議論の視座
はじめに
0-1 黒アフリカ研究における「個」の位置づけ
0-2. 問題系としての「個」の議論のゆくえ
0-3. 議論の指針―調査と記述の背景
第一部 社会的背景と信仰世界
Chapter 1. 民族誌的概況
1-1. 自然環境と言語的位置づけ
1-2. 社会構造と婚姻
1-3. 生業と商取引

Chapter 2. 集団形成と経済史的視点
2-1 Aja集団の形成からTado王朝へ
2-2 交易・奴隷・交換財
2-3 植民地体制をへて : 小結
Chapter 3. ヴォドゥンVojuの信仰世界
3-1. 神々の諸相
3-2. 神々の動態
3-3. 神々・自然・モノ
3-4. 呪物、薬とBoの観念
3-5. 結社社会と祭祀集団
―Vojuno、Vojusi、カルト結社―
3-6. 施術師と民俗世界
―BokonoとTashino―
3-7. まとめ
Chapter.4. アジャ社会における運命と霊魂の観念
0. 問題としての運命概念再考
4-1. Joto、Kpoli、Yaze、JogbuiとFa
4-2. ボコノ、タシノとその活動
2-1 Bokonoとその活動
2-2 村落社会におけるTasinoとその儀礼
4-3. 運命とのかかわり方
Chapter.5. 第一部のまとめ
5-1. 第一部のまとめ
5-2. 「モノ」「神々」「歴史性」から「個」という問題へ
第二部 個という布置と集団の実践
はじめに 第二部の構成
Chapter.6 アコと人生
6-1. アコであるということ
6-2. アコに生まれることとアコで死ぬということ
 2-1. 新生児誕生の周辺
 2-2. 誕生をめぐる儀礼
 2-3. 成長、結婚と死
6-3. 考察
Chapter.7 アコヴィという布置
7-1. 問題系としての子供
7-2. 子供のタイポロジー
 2-1. モデルとしてのEke、Toxosu、Edan-Toxosu
 2-2. アジャ社会における双子小考
7-3. 取り込みとそれを免れるもの
 3-1. 嬰児殺し ― gbanbla―
 3-2. 養子制度 ― Huashi ―
 3-3. 考察
7-4. まとめと展望
Chapter.8 呪力を附される個、呪物をつくる集団
8-1. Etanuwawaと身体
8-2. 村落儀礼としてのCijunuwawa
8-3. 考察とまとめ
Chapter. 9 結論
9-1 アジャ社会と「個」
2. 議論の展開
序章では、アフリカ社会民族誌の蓄積における、「個」の位置づけをめぐる議論の整理をおこなった。本稿の主題において、批判的に検討すべき議論として、
(1) person/indivudualへの分類―比較
(2) 構造機能主義における「個」
(3) イニシエーション論、ライフサイクル論からの「個」
(4) 実践理論における「個」-「主体」
(5) プラグマティック・アプローチ
という項目をたて、整理した。この作業から本稿は、対象社会における個の観念の概念的な整理の重要性、個と社会の静態的な対立図式観の克服、西欧-非西欧の二元論を回避する(儀礼的)実践からの生活世界への接近、関係論的「個」への民族誌記述による接近という視座をえた。
また、「個」の位置づけと「モノ」の扱いや置換を同時に相関関係において記述するという作業で、ギニア湾岸社会を対象とした、経済人類学、地域経済史学の成果を吸収し、交換の歴史を議論に接合させる模索をおこなった。本論では、歴史的背景を現代との二元論的図式におくのではなく、妥当な歴史的段階設定において、経済と信仰をめぐる活動が、非還元論的な機能連関として記述する視点をえた。

本稿は二部構成をなす。第一部において対象社会の民族誌的背景を、機能的連関および歴史的動態のうちに位置づける。第二部では対象社会固有の個のありかたを、語りと儀礼実践の記述、およびその分析の積み重ねの中にみてゆく。第一部で対象社会の民俗信仰ヴォドゥンvoduismを、霊的存在とその観念体系やコスモロジーという孤立した世界として描くのではなく、人々の生活との関わりの面に視点をあてて整理する。そこでは、ひとまず機能論的な見取り図を、歴史的背景と重ねながら提示することに努める。そこでは神霊とモノとの関わりが検討される。そして第二部ではヴォドゥン祭祀活動のうち、「個」をめぐってなされた、いくつかの儀礼資料の検討から、アジャ社会の日常で用いられるモノとの相関が検討される。その資料には、アジャの子供の人生儀礼、そして、集団による秘儀的結社の年更新儀礼をとりあげる。本稿は儀礼において「個」のあらわれる場面を過程的に記述し、「個」が「モノ」と置換される事例を並置することによって、社会における様相としての「個」を保存しようと試みる。それゆえ、「個」を検討するに際して、ヴォドゥンvojuとの関係づけ、あるいはその位置づけの転換は、不可欠の要素となる。「個」を記述することは、ヴォドゥンを考察することであり、「モノ」の位置づけを追求することだ、と本稿は考える。
第1章では対象社会の生態的環境と社会構成をふまえながら、生業・経済活動の史的変化を整理した。第2章は、対象社会を歴史的変遷のなかにいちづける試みとして記述される。孤立したアジャ社会像を前提とするのではなく、ギニア湾岸地域からサハラ南縁の地域との交渉史を、当時の交易品、財をめぐる交換・交易の活動を踏まえて記述した。地域社会の動態を、単に編年的に羅列するのではなく、起源をたどれるアジャ-タド王朝への移民・集住の過程、北方交易と海岸部交易の交錯点となる段階、そして植民地支配をへた段階という3つの節に分類して整理を試みた。1、2章の記述は、あるいは、民族誌的前提として確認されるのみで扱われてきたが、本稿ではむしろこの部分の記述に少なからぬ比重をかけるものである。それは地域社会としての対象社会の固有性を保存するのに不可欠な作業である。歴史的段階設定は、アジャの政治体制変革史とベナン南部の地域社会経済史とにおいて次のように整理された。
<政治体制>
(1) アジャ民の前史~アジャ呼称集団の現出 (14-5世紀) (2) タド王朝成立 ~アラダ(Fon)集団の分立 (15-6世紀) (3)ダホメの台頭と奴隷交易の変化(17-8世紀) (4) タド、ダホメ衰退化から西欧の植民支配へ(19世紀)
<生業 (農耕)>
(1) 自生的なヤムイモ根茎類、ヤシを中心とする採集および小規模栽培期(12世紀 ?) (2) トウモロコシ穀類、マニオク流入、栽培期 (3) アジア産のヤムイモ、果実、コメ類流入期、対西欧奴隷交易の展開期 (15-6世紀~) (4) 奴隷交易の衰退から換金作物パーム核のプランテーション (19世紀中葉~) (5) パームの貿易不振から綿花、ピーナッツ、ココアなど複合換金作物の栽培へ(独立期以降 20世紀中葉~)

<商取引>
(1) 集団移住、形成期からの物々交換主体の地域的交換活動 (14世紀) (2) 北方交易との接合、交換財使用によるローカル市からリジョナル市の交流、地域複合型商活動の展開(14-5世紀~) (3) 対西欧奴隷交易の隆盛による南部海岸部の商取引と内陸部ブローカーの商取引(16-7世紀から18世紀中葉) (4) 奴隷交易から換金作物パーム交易へ。国際経済市場の貨幣経済システムへの参入、包摂化(19世紀中葉) (5) 植民地支配期以来からの資本主義経済の影響 貨幣経済、運輸手段、市場経路の変化(19世紀末、20世紀~)
第3章と4章で本稿はアジャ社会におけるヴォドゥンvoju信仰の具体的記述へとすすんだ。
3章の議論では、ヴォドゥンのモノ化の展開を前章の社会的背景と対照する作業がなされた。アジャの人々が、神々を執拗にモノ化するが、呪物、祭壇はアジャ語では等しくボ(e)boもしくはヴォドゥンvojuとよばれ、それが霊的存在であるか、力の観念であるか、単なるモノであるのかという区分で呼称されてはいない。神体や祠へと造形化された対象は、儀礼においてヴォドゥンの表象として扱われているのではなく、むしろヴォドゥンそのモノとなる。崇拝の対象である霊的存在は、積極的に造形化され、儀礼において供物をそなえられ、名を呼びかけられ、また憑依という形式など多元的な姿で人々のなかに可視化されていた。ヴォドゥン祭祀は、施術師や年長者などの個人を中心に実践されるもの、家族集団が中心となるもの、村落全体にわたるものとに区分され、施術師・職能者(集団)としてヴォドゥノ、ヴォドゥンシ、ボコノ、タシノという4項に整理がなされた。だがこれらの区分は理念型であり、実際には相互に入り組んで祭祀が行われていた。伝統的神格と多くのヴァリエーションとが、単線的歴史変化として配置されるのではなく、混淆している状態であることと、それは対応していた。先の政治・経済の変遷と対応する信仰活動の要素としては次のような項目・段階が想定された。
<信仰要素>
(1) タド王朝成立期前後 (ヨルバ、オヨ的要素)、北方との融合、呪物・卜占信仰(15世紀前後) (2) ダホメ王国台頭と融合期 : 自然神格、動物神格の伝播、融合、定着期 (17、8世紀~) (3) 解放奴隷層の社会分散、北方民族定住民、キリスト教、イスラム教 (19世紀中葉~) (4) 植民地支配、西欧貨幣経済浸透期 : 女性商人層、新興カルトの出現、西欧人の文書記録化 (19世紀末・20世紀)
信仰形態の状況は、集団形成・政治体制の変遷、生業、経済面での変化が、それぞれの段階において、複層的、重層的にかかわりをもつことが読み取れる。たとえば初期ヤムイモ農耕の影響は、現在でも行われる年更新儀礼における祖先の食物=ヤムイモの献納と共食と相関する。ダホメ王朝期に由来する自然神、動物神をまつる祭祀においては、ヤシ油、ヤシ酒とともに、15-6世紀ころ流入し、現在では基本食材となった、トウモロコシ紛の練ガユが用いられる。また、20世紀初頭以降の移動、運搬経路の整備および移動手段の変化は、女性商人層の進出の機会を広げ、経済的繁栄や消費生活の肯定を特色とする。そして、それは伝統的神格の役割では不可欠であった子宝の多産をむしろ保証しない新興の神格、マミワタが展開する背景となっていた。本節の作業により、ヨルバ要素、北部交易民、新大陸帰還奴隷、そして西欧商人という居住環境と歴史変遷の混淆状態が、むしろ安定的、静態的な社会モデルや変化要素の社会還元論を拒絶し、時代や空間を横断しつつも、相互に並存する状況となっていることを明らかとした。
4章ではアジャにおける運命観念と、施術師によるその扱いを語彙分析と儀礼の記述の両面から検討した。前章において紹介された4種の儀礼の担い手のうち、ボコノとタシノの2種を取り上げて、その活動を対比的に位置づけた。ボコノは卜占技術と各種の病気治療を施す伝統医であり、タシノはタド王朝に起源を辿ることのできる女性の司祭職であった。前者は血縁、地縁の枠をこえて相談者との取引関係をもち、相談者の個別の悩みに応じ、ときに呪物の売買や作成をひきうける。後者は親族集団アコの儀礼をうけもち、集団へ個人を位置づけ、あるいは個人の死後、壷に処置を施す。事例研究では、ボコノにおいて神格、精霊をモノ化する、聖地作成の儀礼を、タシノにおいて、ヒトに固有の運命がモノ化された壷の処置をめぐる儀礼をとりあげた。前者は、主目的となる神格の作成だけに限定されず、むしろ依頼者にかかわる多様な神格の勧請と供儀儀礼をも行い、儀礼複合とよぶべき状況を呈していた。タシノはボコノによって特定された個人の運命kpoliを壷kpoli-yazeへと具象化し、小屋のうちへと設けられる。また、死者に対して、その身体(遺体)は、生前起居していた小屋のうちへと埋葬されたのち、運命である壷は親族によって掘り起こされ、儀礼を通して藪へと運び去られる。ヴォドゥンの祠が父系親族をたどって継承されるのに対して、卜占Faによって判じられる運命は、親から相続されず、どこまでも個人に託され、かつ個の生に先行する。彼らはこうしたアジャ的「個」である運命=壷を、集団の儀礼のなかで処理してゆくのである。
第一部から第二部への議論の架橋として、第5章のまとめにおいて、本稿の主題である、社会における「個」の考察に展開する理論的準備をおこなった。第一部ではヴォドゥン信仰世界の見取り図と施術師(宗教的)職能者の活動を地域社会の政治、経済的変動に相関させた。人々は神霊=ヴォドゥンを、個人の運命を積極的にモノ化していた。呪物fetishをめぐる議論は、人間精神の原初的段階という進化論的解釈から、むしろ個々の社会や文化に埋め込まれた人間の普遍的な認知過程という解釈へ転換してきた。だがその一面で呪物を神霊の象徴や表象、代理物とする二元論が根底にある。本論は二元論図式をしりぞけ、またフェティシズムに普遍性を認めながら、社会の固有性に埋め込まれているという意味で歴史性、社会性をよみとる立場をとる。アジャにおけるヴォドゥンや個のモノ化は、壊れやすい媒体を用いながら、繰り返し後代の人間が更新しつづけてゆくことで継承、伝達をしてゆく歴史化の方法をよみとることができる。こうした伝承の様式からは、伝承内容が閉鎖的体系なのではなく、歴史的、地理的に由来の異なる多様な要素を統合して形成されうる開放系としてのフェティッシュ、モノ化の性格が浮かび上がってくる。アジャでは、個人の死に際してその身体は小屋のなかに埋葬され、別な人間によって住み継がれるのに対して、個の運命=壷は藪へと運び去られる。この事例は個人が死ぬことで「歴史」が絶たれるのでなく、小屋という空間や儀礼という実践の反復によって、後代の人間が絶えず更新しつづけてゆくことを示している。かくして本論は、モノの扱いと歴史的動態との相関が、第二部における「個」の生成の議論に接合される。
6章および7章においては本論の主題の一つといえる「個」の「集団」における生成の具体として、新生児の関わる(もしくは新生児を関わらせる)諸儀礼、慣習をとりあげて検討した。アジャAja社会における子供アコヴィの位置づけが紹介されたのち、それをめぐる儀礼を施術師の関わりにおいて記述された。その際に、集団に加えられる子供とそれをまぬがれる事例をとおして、村落社会における「個」と「集団」を問題化する。3章および4章における考察をふまえながら、本稿は個に施される儀礼が「モノ」をめぐる実践となる点に目をむけた。アコヴィをヴォドゥンや名前、儀礼、小屋、祠などに関連づける事例として、双子、養子制度などが検討された。双子儀礼では祠の作成と双子の化身である、森にすむサルに関連するやぶ草とインゲンとの交換、タカラガイをもちいた卜占が行われた。双子をアコに統合する部分をタシノが受け持ち、卜占と体を浄化させる儀礼をボコノが受け持つという、両施術師の交錯によって儀礼がなりたっていた。それは双子をアコに位置づけるとともに、双子霊を祠にモノ化することによって、双子という「個」性が形成される過程であると分析された。養子の取引では子供の身体を転倒させ、タカラガイをやりとりする儀礼段階が注目された。それらアコヴィはタシノが儀礼執行するが、アコ間のやり取りであるモノ化された子供=ワシにはタシノは関与しない。養子のやりとりは、「個」をモノ化させ、タカラガイを用いておこなう、経済的取引の呪術化と考察した。

8章においては「個」を対象とする病治し・祈願儀礼と「集団」の参加が重要となる年更新の民俗儀礼を、モノと身体性との関わりの事例として、提示、検討がなされた。前者エタヌワワは、依頼者が半裸になり、頭、腹、左半身に供儀の血をうける個人を対象とした儀礼であった。それは半裸となった「個」の身体が呪物化される儀礼であると論じた。後者チジュン儀礼は、ヤムイモの初物をそなえる祖先儀礼の一類型であると従来解釈されてきた。その儀礼的特徴は大量の供儀の集団的遂行と、呪薬を調合して身体に塗りこめる点に帰せられる。そして呪薬が毎年調合しなおされるとともに、身体に塗布することによって、その呪力を附す実践がある。だが、儀礼財、儀礼過程、儀礼歌、秘儀的呪言の分析、そして男性結社員による排他的性質を、2章での生業、商取引、信仰の社会動態と重ね合わせることで、重要な側面を掘り起こすことができた。すなわち、チジュン儀礼はヤムイモを献納する祖先儀礼、農耕儀礼であり、社会的結合をつよめる集団儀礼でありながら、個人祈願をも対処する側面をもつ。同時に、呪薬を調合し塗布する邪術対抗儀礼であり、男女間のジェンダー的、経済的緊張を内包する儀礼複合であることが明らかとなった。
9章ではこれまでの議論の総括およびアジャ社会における「個」と「モノ」という問題への収斂が行われた。先行する章において分析を積み重ねた霊魂、運命観の位相、施術師の関わりと社会的配置の分析は、第二部のアジャにおける「個」の事例研究、つまり6章の新生児のアコでの位置づけ、7章の祠作成と個の生成、8章での身体の呪物化の考察に接続された。複数の宗教職能者、神霊やモノとのかかわりが儀礼において転換される、アジャ的「個」を図式化して提示した。アジャ社会の個は、関係という「様相」そのものを示している。これは社会科学において前提とされる社会に対立する概念としての「個」や、集団から自立してゆくべき「主体」ではなく、挨拶や結婚交渉、民俗儀礼という場面に応じて、「関係」の網目自身になることを厭わない。それは、集団や社会のなかの関係をいきているように我々の目に映りながら、個数や頭数に還元されえない、「関係」という様態そのものなのだ。他方、アジャの人々はさまざまなモノ化された神格や呪物を所有し、作成し、売買の対象とする。だがそれは複製されたモノが金銭と交換に流通しているのではなく、施術師の作成儀礼をへることで、所有者個人と不可分な存在となる。アジャ的個はモノを介在させるがゆえに神霊とむすびつき、モノは集団における個の生成に関わるがゆえに呪物となりうる。モノは個の誕生から死に至るまでの状況を可視化する支点であるがゆえに、人々は特定のモノへの強固なこだわりを維持している。こうした事態は、モノ化された神霊ヴォドゥンが、人々の手を介して売買され、拡散してきた、ヴォドゥン信仰の動態性とも深く関連する。以上の考察を通して、本稿は抽象化される「個」の実体ではなく、それぞれの場面での「個」という様相の描写を重ねる作業に徹することが、ヴォドゥン祭祀実践への接近として有効であることを示した。「社会」もそこでは「個」と対照されるのではなく、「個」が実現化されてゆく様相にすぎない。本稿は「個」を「モノ」のやりとりを通して「歴史」へと接合し、あるいは歴史的深度から「個」や「モノ」を配置する、非還元論的議論の積み重ねによって様相的「個」への接近を試みた。

3. 今後の課題へむけて

本稿は西アフリカの一地域社会の調査資料にもとづいて、ヴォドゥンを信仰の担い手である「個」と、社会的、歴史的深度をもった「モノ」の扱いをとおして接近した。だが「モノ」の扱いを儀礼資料のなかに分析したため、とりわけ人々の生活のなかでそれがどのような位置をしめるのか、十分に示すことができなかった。boとvojuヴォドゥンは経済力のある都市部だけでなく、村落部においても夥しい種類に分化し、流布している。それは今日のベナン社会において、顕著な特徴となっており、現代社会の分析において重要度を増しつつある。それらの悉皆的な調査は困難であれ、概観をあたえる資料の蓄積は不可欠の作業と考える。
ヴォドゥン信仰の実践を動態において分析する方法とは、「個」の交渉が、あるいは、「社会」や「集団」の移住や形成が、「モノ」のやりとりといかなる連関があるのか、それを妥当と思われる歴史的段階において、多元性、重層性のなかで考察されるべきと考える。本稿はアジャ社会における具体的な「個」の様相に論点を絞ったが、地域「社会」総体の記述や分析は、歴史や経済、地域相互の比較や連関を緻密に検討する、今後の課題として継続してゆきたい。

このページの一番上へ