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博士論文要旨

論文題目:女性の就労をめぐる政策と政治:フレキシビリゼーション・平等・再生産
著者:堀江 孝司 (HORIE, Takashi)
博士号取得年月日:2002年3月28日

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 本稿は、ポスト高度成長時代、とりわけ1980年代の日本を中心として、女性の就労に関係する政策の展開に焦点を当て、その政策形成に至る政治過程と、その結果もたらされた政策の帰結を分析したものである。女性の労働が重要であるのは、それが現代の先進社会が直面している諸課題にとって、鍵となる位置を占めるものだからである。本稿ではその重要な課題を、副題に掲げた「フレキシビリゼーション」、「平等」、「再生産」という三つにまとめられると考えている。この三つの課題に沿って、1980年代、1990年代には、日本でも女性の就労に関係する重要政策が、数多く行われている。

 第一のフレキシビリゼーションという課題については、労働市場に柔軟性を提供するパートタイマーや派遣労働者といった、非正規雇用の比率を高めるという戦略を多くの企業が模索する中、こうした人びとの存在を積極的に認め、その上で適切な保護を与えるという方向性を、労働省は低成長時代には採るようになっている。それはかつて同省が、近代的部門と前近代的部門の「二重構造」は解消されるべきであり、また臨時工は本工になるべきだと考えていたこととは、明らかに異なっている。かつて、臨時工の多くは、男性のフルタイマーであったのに対し、昨今のパートタイマーや派遣労働者は、多くが女性であり、しかも主たる生計維持者でなく、フルタイムの正社員になることを必ずしも望んでいないという「ニーズ論」が背景にある。そのためこの時期には、これらの就労形態の人びとに関する政策が、数多く行われてきた。本稿では派遣労働者とパートタイマーについて、それぞれ政策展開を検討している。

 第二の平等という課題は、国内外の運動によってアジェンダ・セッティングされたものといえるが、特に海外からの圧力によって、日本政府は雇用における男女の平等を確保するために、一定の対応を迫られることになった。また、労働省の婦人少年局(→婦人局→女性局)は、男女の平等を促進することを組織の選好としてもっており、その実現のために、財界を説得するツールとして、「外圧」を用いたりしている。本稿では、国際条約の署名・批准と男女雇用機会均等法、および後者と同時に実現された、労働基準法の女子保護規定緩和についての検討を行っている。

 第三の再生産という政策は比較的新しいもので、1990年の「1.57ショック」を直接のきっかけとするが、以来、「少子化」は社会問題化し、昨今に至るまで、重要な政策課題としての位置を占めている。本稿では、この「少子化」問題のアジェンダ化から育児休業法制定をはじめとする、さまざまな政策を検討している。

 他方、そうした政策の内容自体がもつ重要性に加え、本稿で対象とした「女性」や非正規雇用労働者に関係する政策は、それらの人びとが通常の利益政治過程に自己の利益を適切に代表されにくいという事情を反映して、多元主義論やネオ・コーポラティズム論の枠組みでは扱い難い型の政策過程を展開させている。その点について本稿では、第2章・第3章の理論的インプリケーションを踏まえた上で、第2部のケース・スタディにおいて、具体的な政策を通じて検討している。

 また、こうした政治過程の特質は、政策自体がもつ上述の性質と無関係というわけではなく、例えば「平等」という課題が国際的にきわめてプライオリティの高いものとなることにより、利益政治システムにおいて利益を代表されにくい「女性」には、いくらか有利な状況が生まれることがある。また、少子化問題のアジェンダ化に伴う「再生産」という課題の顕在化は、すべての政治的アクターを拘束し、コンセンサス型の政策を現出させる。フレキシビリゼーションの課題に対しては、使用者内部に異論がない上、「世界の流れ」でもあるために、もともと力関係において相対的に劣位にある日本の労働側には、ほとんど阻止する術がなく、この間、労働市場の流動化は劇的に進んだ。加えて、労働者派遣法の制定過程において、労働運動が分裂したことや、派遣労働者・パートタイマーの利益を十分に代表してこず、またこれらの人びとの組織化を進めてこなかったことなど、非正規雇用労働者をめぐる労働組合の対応は、実のところ、労働力全体に占めるこれらの層の比率を高めることにより、結果として労働運動全体のパワー・リソースを減少させてきたという面がある。

 ところで、これら三つの課題は、いずれも女性の就労と関係が深いという意味では、相互に関連し合っているとしても、各々が独立の原理をもち、そのため矛盾や齟齬をきたし合うことによって、政策間でその効果を相殺し合うことがありうる。例えば「平等」の課題を追求することは、労働市場にある種の規制を持ち込むことになるため、フレキシビリゼーションという課題と矛盾する面がある。また、育児と仕事を両立しやすい環境を十分に整備しないままに、フレキシビリティを求めて労基法の女子保護規定の緩和を進めたことは、おそらく出生率の一貫した低下傾向と無関係ではないと思われる。こうした異なる政策領域同士の連関と相互作用については、第8章で具体的な政策に即して検討することに加え、本稿全体でも常に意識している。
さて、本稿の具体的な構成であるが、第1部では、主に理論的な問題を取り扱っている。第2部では、5つの章において、具体的な政策ごとに、その展開過程を資料に基づき叙述している。

 第1部では、事例研究の前提となる理論的な諸問題を扱っている。

 第1章では、本稿が注目する三つの課題のうち、とりわけ労働市場の動向と直接関係する、「フレキシビリティ」(第1節)と「再生産」(第2節)について、政治エリート、経済エリートの構想や、実際の労働供給や出生率の動態、「政治」や「政策」のそれらへの関わり、およびそれと関連する若干の理論的問題を検討している。また、労働市場のフレキシビリティや少子高齢化に伴う労働力不足への対応として、「女性」とともに期待を集めると考えられる周辺的労働力として、中高年層や外国人労働者についても、若干の検討を行なっている。結論的にいえば、フレキシビリティを提供する層としても、また労働力不足の解消のためにも、これらの人びとは、日本においては、「女性」ほどには期待されてこなかったといえる(第3節)。

 第2章は、本稿が主たる対象とする1980年代に、日本の政治学が経験した大きな潮流の変化を振り返り、それらとの関係で、本稿が取り上げる事例研究の位置づけを確認している。そして、本稿で焦点を当てようとする人びとについての政策は、多元主義論やコーポラティズム論では、対象としてこなかった政策領域にあるということが主張され、またそれらが、「政策領域」としてもつ意味についても探っている。

 第3章は、女性の就労と関係が深い政策について、それらがいかなるメカニズムで形成されるのか、またそれらの国による差異の大きさをどのように説明したらよいのか、といった点を考えるために、福祉国家論や日本の公共政策をめぐる先行研究などに学びながら、いくつかの論点を検討している。まず、従来の福祉国家研究の多くが、男性のフルタイマーを中心に議論を組み立てており、そのため、それらの人びとの所得保障に関わるプログラムの比重が高く、女性の就労とより関係が深いケア労働などについての扱いが不十分であったという主張など、ジェンダー派による福祉国家研究の成果が概観される(第1節)。次いで、福祉国家の形成要因などに関する議論の中でも、より「政治」の役割を重視する系譜のものについて、収斂論と非収斂論にわけて整理を行っている。そして最後に、ネオ・コーポラティズム論や自民党の創造性・柔軟性を評価する議論など、日本において、労働政策や福祉政策の充実を説明してきたモデルを検討した上で、それが「女性」についての政策にとっては、さほど有効でないという点を確認する。また、女性の権利や地位の向上をもたらす上で、重要と考えられる存在として、ナショナル・マシーナリーと「外圧」が示唆される(第2節)。第3章で検討されたさまざまな先行研究の概念装置や説明図式は、第2部において必要に応じて参照される。

 続く第2部は、具体的な政策についてのケース・スタディからなる。

 第4章では、1985年の労働者派遣法成立を中心として、派遣労働者に関する政策の展開を分析する。従来、職業安定法違反の疑いが指摘されながら、特に政策的には対応が取られぬまま放置されていた派遣労働者について、労働省は1980年代にその量的増加などを背景に対策に乗り出す。そこから各アクターが参加する政治過程が活性化するが、結局のところ、労働運動が分裂していたために、野党が十分な対応を取ることができずに、労働者派遣法は1985年に成立し、派遣労働者を正式の法認を受けることになる。

 第5章では、1993年に成立するパートタイム労働法の制定にいたる、パートタイム労働をめぐる政策の展開を分析する。派遣労働者と異なり、パートタイマーはもともと違法な存在ではないが、その存在を積極的に承認した上で、適切な保護を与えていく方向を労働省は低成長時代に志向するようになる。そして、パートタイマーの身分の不安定さや労働条件の劣悪さなどから、野党や労働組合からその改善を求める声が上がる中、1980年代には労働省も法制化へ乗り出すことになる。野党主導で行われた一度目の法制化の動きに際しては、労働省は消極的であったが、二度目には労働省も積極的になる。しかし、使用者団体の反対により、審議会での意見が集約できずに、法制化は失敗に終わる。1990年代に入り、また野党主導で法制化の気運が高まった際には、野党への対抗意識もあり、労働省は強引に法制化を進めるが、使用者側の反対という状況は変わっておらず、規制の弱いパートタイム労働法しかつくることができなかった。この間、自民党からの積極的な働きかけはなく、この点ではパート減税への対応とは違いがある。どちらも、パートタイマーに恩恵をもたらす政策であるにもかかわらず、なぜこうした違いが生じるのかについて、本章では政策領域の観点からの説明を行っている。

 第6章では、1985年の男女雇用機会均等法制定およびそれと同時に実現された労働基準法改正(女子保護規定緩和)にいたる、雇用における女性労働者の保護と平等に関係する諸政策、ならびに均等法制定を後押しした、1980年の国連女子差別撤廃条約署名の政治過程を分析している。女子差別撤廃条約は、それを批准するために雇用における男女の平等を促進する法律を必要とするため、本来は使用者団体は反対のはずであるが、同条約の署名当時、いくつかの偶然が重なった上に、使用者団体がその意義を理解していなかったということもあり、その反対もなく署名は実現する。その結果、1985年の条約批准までに均等法をつくる必要が生じるが、途中から使用者団体の反対が始まる。だが当初、均等法制定に反対であった使用者側は、婦人少年局が外圧を利用して説得した結果、均等法制定はやむなしとする代わり、その分、年来の主張であった労基法の女子保護規定撤廃を実現すると同時に、均等法自体については極力実効の上がらないものを制定するという戦略に転換する。結局、条約批准を何よりも最優先する婦人少年局が、労使双方がのめるレベルを探り、それは労働側には不満の大きいものであったが、野党・労働組合ともに、条約を批准しないわけにはいかなかったため、結局そのレベルで決着を見ることになる。なお、本章では、同時に、婦人少年局の志向性が、「保護と平等」の両立から「平等」へ比重を移したという点についても明らかにしている。

 第7章では、1990年のいわゆる「1.57ショック」に端を発した少子化問題の社会的認知と、それを受けてのさまざまな政策的対応を、とりわけ1991年の育児休業法成立を中心として分析している。特に、1990年以前においては、専ら「高齢化」だけが問題として意識されていたのに、1990年代にはそれが「少子・高齢化」となったこと、および少子化はそれが意識されると同時に、高齢化社会における「負担」の問題と、将来にわたる労働力不足の問題として定義されていること、そしてそのことにより政治エリート・経済エリートの間に広範なコンセンサスが形成されたことを指摘し、それが政治過程にも影響を与え、1980年代前半に一部の自民党議員によって推進されながら実現をみなかった育児休業法案よりも、より水準の高い育児休業法が1991年に制定されるまでの過程を追いかけている。

 第8章では、均等法とほぼ同じ時期に、年金改革、税制改革によって、女性が働くよりも専業主婦でいる方が有利となるような、いわば均等法とは正反対の趣旨の政策が実現されたという現象に焦点を当て、政策領域間の整合性の問題を検討する。年金改革も、税制改革も、国民に新たな負担を強いるという意味では困難な改革であったが、その過程において導入された主婦優遇策は、いずれも労働市場対策ではない。それらは、「女性」のフルタイムの就労を妨げようという意図をもって行われたというよりは、単に大きな改革への反対を和らげるために行われた小さな譲歩にすぎないということを、本章では年金改革、税制改革の政治過程分析を通じて明らかにしている。また本章では、野党や労働組合を含めて、主要な政治アクターがこうした問題に関してもつバイアスの存在についても指摘している。

 最後に「結語」において、上述のごとく、これら複数の政策の帰結として、女性の就労をめぐる政策はどのような方向性をたどったのかについてのまとめを行うとともに、それが政治過程分析にとってもつインプリケーションについても述べている。総じて本稿で対象とした期間に、日本はフレキシビリゼーションと平等という課題については一定の進捗をみたが、再生産については失敗を続けてきた。それは、一つにはこの時期の政治過程を規定していた(外圧も含む)諸要因の結果でもあると同時に、第1章で詳論している人口政策という政策領域がもつ独自の特質にも由来する。「結語」のむすびにおいて筆者は、こうした複数の政策領域間の関連性と相互作用に再び注意を喚起し、政治エリート・経済エリートにも幅広く共有されるにいたったこの「再生産」の危機ともいうべき事態が、「平等」という別の課題にとってプラスに作用する可能性を示唆している。

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