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博士論文要旨

論文題目:詩画集「響き」にみるカンディンスキーの芸術理念
著者:江藤 光紀 (ETO, Mitsunori)
博士号取得年月日:2002年3月28日

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 本論文は20世紀美術における抽象絵画の誕生に深くかかわり、大きな貢献を果たした画家ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)の詩画集「響き」(1913、実際の刊行は12年末)についての分析である。
 カンディンスキーは19世紀末のユーゲントシュティールや印象派の影響のもとに画家としてスタートし、色彩に特徴のある風景画や童話的な主題を扱ったテンペラ画などを多く制作していたが、ミュンヘン-ムルナウ時代のはじまる1908年ごろより作風を変化させ始め、対象の急激なデフォルメを通じて、色彩の爆発ともいうべき1913年の〈コンポジションVII〉で抽象画における最初の絶頂期を迎えた。しかしカンディンスキーにおける抽象は、色彩と形態の純粋なコンポジションといった単純な理解にはおさまらない。戦後の研究は、〈コンポジションⅦ〉に至る作品が、一見それとわからない形で多くの対象的なモチーフを含んでいることを明らかにしてきた。没後半世紀以上の時が経ち、実証的データは蓄積されてきているものの、その芸術実践とそれを支える思想に関しては、未だ議論百出の状態が続いているのである。

 ミュンヘン時代のカンディンスキーの芸術思想が複雑なのは、彼の関心が単なる無対象絵画や抽象に向いていたのではなく、もっと根源的で総合的な芸術に向けられていたからである。研究史においてもまた、画家への洞察が深まるほどに、「絵を描くこと」以外の試みにも、抽象への歩み、その意味の理解への重要な鍵が隠れているという認識も強まっている。この時代、カンディンスキーは絵画だけではなく、脱境界的に理論的著述(「芸術における精神的なもの」他)、「筋のないオペラ」ともいうべき舞台コンポジション、同時代の芸術潮流を見渡す展覧会の企画、年鑑誌の編集(「青騎士」)、そして「響き」のような詩作といった、多面的な仕事にたずさわっていた。こうした活動の広がりは、画家自身のいうモニュメンタルな芸術、すなわち絵画・音楽・舞台芸術を統合した総合芸術に向けられていたのであった。

 詩画集「響き」は、画家の言葉によれば、版画はもっとも古いもので1907年にさかのぼり、詩は刊行までの三年間に書き下ろされた。これはカンディンスキーが1908年から13/14年にいたる抽象化へのダイナミックな変化を見せている時期に重なり、ファンタジックな題材を童話的なタッチで描いていた段階から、対象性を弱め、不定形の色彩の爆発につきすすんでいく過程において産み落とされたものである。ここに掲載された38篇の詩と56篇の木版画は、他の多面的な活動とともにカンディンスキーの謎の多い総合芸術思想と抽象への歩みを解く鍵を提供する。

 画家は「芸術における精神的なもの」の中で、違う媒体を用いて同じ響きを繰り返し、同じ響きを積み重ねることは、感情が熟すのに必要な精神的雰囲気を濃厚にすると述べている。また、後年「響き」を振り返り、詩作はパレットの代わりにタイプライターをという意味での単なる道具換えであり、創作へと駆り立てる力は常に同じだとも述べている(「私の木版画」)。このような点で、本書は比較的早くから研究者たちに着目されてきた。しかし本詩集は、詩の内容が曖昧で分かりにくいだけでなく、通常のイラストレーションのような形で詩の内容を木版が図解しているのでもなければ、木版の内容を直接的に言葉が敷衍しているというわけでもない。「彼は木版と詩の併置が一種の『総合された』統一体を形作ることを信じ、はじめからこのアルバムを『音楽的な』出版物として構想した。にもかかわらずこの統一体がいかにして出来あがっているのかを見極めるのは易しくない」というリンゼイ(Complete Writings on Art)の見解に端的に表れているように、図版と詩の関連は表面上は隠されている。「響き」については少なからぬ量の学位論文も書かれているが、図像的なメディアと言語的なメディアがどのように絡み合っているかを論理的に説明しようとする試みは、現在にいたるまでなされてこなかった。分析の多くは字句・音韻レヴェルの解釈や、象徴主義・表現主義などといった同時代の他ジャンルの動向の調査、文中に用いられるモチーフの検討とプログラムへの関連づけといった程度にとどまり、画家の言葉は、もっぱら綱領的なものとみなされて、木版画と言葉の統一がいかようなものかは、多くの場合、問題にすらのぼっていない。

 本論文はそのような先行研究の重大な見落としに光を当て、詩画集において詩と版画、像と言葉という異なったメディアがどのように統合されているのかを改めて明らかにし、そのことによって、抽象に至るカンディンスキーの芸術理念を問い直そうとするものである。

 第一部(第一―三章)では、「響き」の基本的データを提供するとともに、先行研究を検討することを通じてその問題点を明らかにし、第二部以下の分析の基礎をなす論者の立場を明らかにするものである。
 
 第一章第1節では「響き」の刊行に関する具体的なデータを示し、バルやアルプ、ロシア・アヴァンギャルドの詩人らといった同時代人による反響を見る。第2節では「響き」についての個別研究の変遷を中心に、先行研究を概観する。第3節および第4節は、画家自身の言葉にもかかわらず、これまでの研究が本詩画集の詩と木版画を分離し、詩の解釈にかたよっていたことへの批判を行う。

 第二章では、「響き」に収録された木版画について包括的なデータを提供しているH.K.レーテルの木版画カタログを検討する。第1節では、木版画カタログ成立の経緯を振り返った後、作品点数の年代分布からカンディンスキーの創作において木版制作が占めていた位置をうかがい、またレーテルの見解に倣ってそれらの木版画の特性を確認する。第2節では、しかしながらレーテルの年代特定にはさまざまな矛盾(下絵と完成作の間の大きな時間的ブランク、同時代人の回想と年代の不一致)があり、必ずしもすべての作品についてそのデータが信頼しうるものではないと指摘する。第3節は、レーテルの年代特定を修正するものとして、バーネット&フリーデルの見解を引用し、そのことから「響き」の作品はレーテルが考えるように大部分が1911年につくられたというのではなく、1907年から、継続的に構想された可能性があることを指摘する。

 「響き」がそのように長期にわたって制作されたものであるとするなら、それは絵画だけではなく、同時期に長い時間かけて構想された理論書「芸術における精神的なもの」や舞台コンポジションなどと同じ発想から生まれてきたと推測することができる。第三章第1節では、これらの著作に同じような比喩や記述がみられることから、この多面的な活動は個別のものではなく、同じ根から発想されたものの違った表現であると推測される。第2・3節では、実際に「芸術における精神的なもの」や舞台コンポジションが「響き」制作プロセスと平行して生み出されたことを資料から検証する。第4節では、絵画・理論的著作・舞台コンポジション・詩作といった個別の活動を総合的に捉える必要性を訴える。第一部の議論から、以下に行われる「響き」の分析が、詩と版画の両面を統合する立場から独自のグルーピングによってなされるだけでなく、同じ時期の絵画・理論的著述・舞台コンポジションといったさまざまなジャンルとの比較検討においてなされるという方法上の正当性が述べられる。

 第二部(第四―七章)は「響き」の具体的な分析にあてられている。
 
 第四章は、詩と木版画の総合的な分析に入る前の予備的な考察である。第1・2節では「響き」木版画と下絵に繰り返し現れる「柳の下にいる二人の人物像」というモチーフを比較検討することを通じ、それらが単にデフォルメされるというだけではなく、作品の背後に共通する構造を浮き上がらせる形で抽象化が行われている事実を指摘する。(1)範列的な性質(柳がトウヒに置きかえられるといった、同属物間のおきかえ)、(2)連辞的な性質(特定モチーフが高い頻度で他の特定モチーフとともに出現する)という二つの方向から画面が決定されているという点で、この構造は言語と似た性質を持つ。第3節では、そのような統辞構造がよりはっきりと認められる木版作品を「響き」から抜き出し、それらに共通して認められるコードを指摘するとともに、対象のある属性を足がかりに形態を新しいコンテクストの中で次々に読み替えていく手法をアスペクト変形と名づけ、カンディンスキーの創造において重要な手法と位置付ける。第4節では、関連作品の分析を通じ、コードやアスペクト変形の存在を例証する。

 先行研究は、ある絵(漠然としている)が何を表しているのか、ある詩(漠然としている)が何を表しているのかを“解釈”することに重点を置く場合が多いが、本論文は解釈によって隠された内容をつきとめるのではなく、統辞構造を浮かび上がらせることによって、ある詩なり絵なりがどうしてそのように表象されているのかを明らかにする。第四章でみた統辞構造は、いくつかの作品をグルーピングすることによって浮かび上がってくるが、グルーピング手法は絵画同士だけでなく、詩と版画の関係を探る場合にも有効である。第五章第1節では変容について語っている詩「白い泡」を中心とする群を、第2節では抽象的空間の創出にかかわる詩「見る」を中心とする群を、第3節では終末と復活という時間観念の表出である詩「歌」を中心とする群を、それぞれ分析した。これらの分析の結果は、いずれも、「響き」が先行研究が思い込んでいたような暗示・暗喩の体系ではなく、一見曖昧に見える詩句も視覚像と明快に結びついていることを示している。

 「響き」は長い制作プロセスを経て成立した書物であり、そこで用いられている手法も単一ではない。第六章では、詩と木版画をつなぐさまざまな手法やモチーフについて述べる。第1節1はテクストが像的に読みかえられる例である。第1節2では稲妻モチーフを分析することから、現象がモノ化して、さらには抉ったり、切り裂いたりという属性の表象としてテクストに現れていることを指摘している。第1節3では文字が像として読み替えられたり、像が文字として読みかえられる事例である。
 第2節は像と言語とのさらに高度な係わり合いを論じる。木版画に複数表れる指差したり、両手を広げたりという表象は、審美的な像として画中に用いられると同時に、身振り言語として命令や禁止を指していると考えられ、テクスト中に頻出する命令や禁止表現に呼応している。第3節は、総合芸術の前提としての感覚連合についての実作での応用例を見る。この作例では視覚―言語ではなく、視覚―触覚の連想関係が用いられている。

 「響き」の詩は或る出来事を物語っているわけではないし、図版は物語の図解(イラストレーション)でもない。しかしそこには、“物語のようなもの”をイメージさせる何かがあることも確かである。第七章第1節では一見、漠然としていて何を言っているのか分からないような詩でも、当時の画家のおかれていた状況を考慮すると、現実からの寓話と読めるものがあることを指摘する。第2節以下は“物語形式”についての考察である。第2節では、〈いろとりどりの生〉と関連する舞台コンポジションの記述を例に、絵画作品と童話物語のつながりは観照的なもので、物語の内容は失われてしまっても、物語る/聴く、見る/見られるという関係は保たれていると論じる。第3節では多くの木版画が“眠り”のイメージと関連していると述べる。第4節では夢、想起、舞台鑑賞という要素が混ざりあいながら、詩と絵画の双方が組み合わさることによって、語りの形式を保っている物語の輪郭が浮かび上がってくる作例を挙げる。

 第三部(第八・九章)では第二部から得られた結果をもとに、「響き」で想定されていたと思われるプログラムや世界観について考察する。

 第八章第1節は記述形式についての議論である。第1節1は体系によって機能を与えられると同時に審美的な対象として自律的な価値をもつ記号の二面性について、カンディンスキー自身の比喩を見たのち、異なる体系同士か関係しあうことにより、新しいディメンジョンが生まれるダイナミックスを、数学の表象体系を例に考察する。第1節2および3は詩と版画のグルーピング内に関数と関数式のような関係性を想定することにより、空間や時間、運動の概念が表象可能になると論じる。第1節4は、時間や空間の表現についてのこのような試みが、キュビズムや未来派といった同時代の前衛芸術家の手法と較べて、極めてユニークなものであったと指摘している。
 第2節は進む、前進するという概念が、「響き」という書物全体を貫く形で異なる表象形式のもとに現れていることを指摘する。この概念は像的には馬、ボート、歩く人々の列などといった表象物として、構成的には強力な奥行き空間として、言語的には同じ言葉やフレーズの執拗な反復として表される。このような概念は表象体系を精査することによってはじめてうかびあがってくるのだが、第3節ではカンディンスキーの創作における“隠すこと”への嗜好とその意義についての議論である。このような「隠蔽」は、鑑賞者が対象物を認知し、意味化するまでの時間を遅らせる効果をもっている。対象物の認知と意味化が進めば、知覚はランダムな対象をランダムなままに受け入れるよりなくなるが、このような発想は絵画の抽象化にそのままつながっていくものである。

 「響き」は単なる知覚実験にとどまるものではない。こうしたシンボル操作の手法は、深層における神話的世界観の表明として捉えることができる。第九章第1節1ではカンディンスキーの同時代のプリミティヴィズムに寄せる関心が、部族芸術の外面的な模倣ではなく、彼らの知覚形式や世界観に向けられていることを、彼自身の記述や作例からうかがう。第1節2では、モスクワ時代の民俗学研究を通じて、カンディンスキーが実際に、そのような神話的世界観に知悉していた事実を指摘する。一神教的な世界観とアニミズム的‐多神教的世界観の対立という構図は、「響き」の作品にも見られる。第2節では、カンディンスキーと同時代の哲学者カッシーラーの見解によりながら、「響き」のシンボル操作が、語や像がモノ・現象の一部として考えられていた神話的世界観からの記号としての語・像の自律、一神教的イメージを作り上げる宗教的世界観の神話的な世界からの自律という発展モデルと多くの点で共通することを指摘する。その創作がキリスト教的な世界観にのみかかわるものではなく、より深く神話的なレヴェルに届いていた例として、第3節では画家のワーグナーへの傾倒を取り上げる。ワーグナーのオペラはカンディンスキーにとって総合芸術の先例だっただけでなく、英雄譚・北方伝説など神話的世界観の表象に満ちていた点でも、関心を引いたに違いない。第4節は、旧約聖書の創世記に題材を求めた「楽園」のモチーフを扱う。楽園とそこからの追放とは、記号がモノと区別されていない神話的世界観から、記号が意味を担うものとして自律する近代的世界観への移行を表象していると考えられる。

 結論1では、全体を振りかえりながら「響き」が器官・記号・知覚といったレヴェルと、深層を成す神話的世界観という二重の視点から理解されなければならないと結論する。結論2では、詩画集「響き」が抽象化プロセスにおいて占める意義を考察する。「響き」の最後の詩では、シンタックス構造すら破壊され、言葉はその連なりによって、直接にスピード感を伝えてくる。詩的言語におけるこのような作例は、ミュンヘン‐ムルナウ時代の絶頂を画する絵画〈コンポジションⅦ〉が、「最後の審判」という意味を隠し持ちながらも、外見上はもはや色彩と形態の大爆発としてしか見られない、というディスクリプティヴな絵画の終着点=アブストラクト絵画の出発点に対応しているのである。

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