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博士論文要旨

論文題目:労働需給調整制度の構造と規制緩和政策
著者:佐野 哲 (SANO, Tetsu)
博士号取得年月日:2001年12月10日

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【構 成】

   序章

 第・部 労働需給調整システムの構造

   第1章 労働需給調整事業の動向

   第2章 政府の役割と組織

 第・部 民間部門の創成と拡大

   第3章 常用雇用型有料職業紹介事業の機能と構造

   第4章 登録型労働者派遣事業の法制化とその構造

 第・部 規制緩和政策の進捗と評価

   第5章 規制緩和政策の背景とその内容
   第6章 規制緩和政策の評価と労働需給調整事業の変容


   終章  総括と展望

   参考資料

   引用・参考文献

 

【要 旨】

 本論文は,1990年代後半の労働市場法制の見直しに伴う,極めて短期間での政策変化を「規制緩和政策」として捉え,その評価とともに,同政策が労働力需給調整事業に与えた影響と問題点について検討を加えようとしたものである.わが国の労働力需給調整事業,特に民間事業に関する研究は,長い間規制下にあったこともあって,実態がほとんど解明されないまま現在に至っている.本論文の意義は,規制緩和政策により突然あらわになった民間による有料の労働需給調整事業の実態と問題点を整理し,当該事業および事業を所管する法制度のあり方を検討しようとしたところにある.

 労働需給調整事業は,外部労働市場のシステムを構築するうえで不可欠な事業である.その意味で一連の規制緩和政策には,その具体化の背景に,企業および企業グループ内で機能する内部労働市場のプレゼンスが大きいわが国の労働市場に対し,異なる産業,企業間での労働移動の効率性を高め,産業構造転換や景気動向に柔軟に対応できるシステムを育成し,市場原理の徹底を求める考え方がある.しかしながら,わが国の労働需給調整制度は戦後の50年の歴史のなかで,産業・就業構造の実態を踏まえつつ,また労働者保護の徹底,さらには日本型の雇用慣行との共存を考慮しながら構築されたシステムに他ならない.わが国労働市場への安易な市場原理の導入は,労働需給調整制度の本質を看過し,わが国のこれまでの制度化プロセスにおける知見および経験を無視する結果となる危険性が非常に大きい.

 以下は,各章の要約である.

 

第1章 労働需給調整事業の動向

 問題の検討・分析を進めるにあたって,まず対象となる事業を定義付け,労働市場に関係する数多のサービス事業(以下,労働市場サービス)から労働需給調整事業を取り出す作業が必要である.

 労働市場サービスには,大きく分類して次の3つの種類がある.<1>情報提供事業は新聞広告欄,求人情報専門誌や,最近ではインターネットの求人広告サイトなど,求人企業等が求職者の直接募集を行う際の媒体事業である.・需給調整事業は求人企業と求職者の間に立って,両者間での斡旋サービスを行う事業である.そして<3>需給支援事業は求人企業や求職者に対し個別にノウハウを提供したり,失業等の際に失業保険を給付するなど利用者を側面からサポートする事業である.ここでとりあげる・労働需給調整事業には,さらにa.職業紹介とb.労働者派遣のふたつの事業形態がある.a.職業紹介事業については職業安定法が定義づけており,同法によれば,職業紹介とは「求人及び求職の申込みを受け,求人者と求職者の間における求人関係を斡旋すること」である.また,b.労働者派遣については労働者派遣法が「自己の雇用する労働者を,当該関係の下に,かつ,他人の命令を受けて,当該他人のために労働に従事させること」と定義している.労働者派遣事業のサービスの中心は,希望者をあらかじめ登録しておき,その受け入れを希望する派遣先事業者が決まった後,その希望者を雇用して派遣する登録型派遣と言われるシステムで,その際の事業拡大のポイントは,受け入れ先を開拓し,登録者ニーズと摺り合わせる斡旋機能の拡充にある.

 労働需給調整事業の付加価値は,求人者と求職者の間に立ち,それぞれのニーズや要件等についてコミュニケーションを介しながら摺り合わせ,マッチングを図ろうとするところにある.求人要件が高度化し,求職者側のニーズが多様化するなかで両者のミスマッチが社会問題化していることもあり,労働需給調整事業の果たす役割は非常に大きくなっている.

 

第2章 政府の役割と組織

 職業紹介の国家独占原則のもと,戦後の長い間,労働需給調整制度の中核は公共職業安定所による無料の職業紹介事業であった.1990年代の後半に大規模な規制緩和政策が実施されたとはいえ,無料職業紹介のサービスは全国ネットワークとして構築されてきており,その重要性は今も変わらない.民間部門の活性化を図る施策は,公共部門の実態と機能,およびその歴史的経緯を把握してから検討される必要がある.

 わが国政府は,全国約660ヵ所に公共職業安定所等窓口を設置している.これは,1938年の職業紹介法によって,それまでそれぞれの地域に設置されていた市町村立の公共職業紹介所を国営化したことに始まる.19世紀末の産業革命以降に急激に増大した労働需要を背景に労働市場では民間による労働者募集仲介業が発達したが,その一方で仲介者という立場を利用した詐欺・誘拐・人身拘束などの事件があとを絶たず,不正行為を取り締まる規制が求められていた.そうしたなかで,大都市や地方工業都市の地方自治体で公共職業紹介所の設置がそれぞれ順次決定され,悪質な仲介業者を排除する施策が進められたが,財政的組織的な基盤が脆弱な機関が多く,また,農村から誘拐して都市の業者に人身売買を行うなど仲介業者の広域的な活動に対処するため,機能および相互連携の強化を目的として国営化されたものである.しかしながら,この国営化による全国ネットワークの構築が,その後の第二次大戦の戦局拡大に伴い,一転して軍拡政府による全国的な「労務統制」の実施機関として機能することになるという,不運な巡り合わせとなった.

 政府による公共職業紹介事業は,公共職業安定所等の窓口を介して実施されるものであるが,そのメリットとして<1>無料サービスであること,<2>全国ネットワークを有していること,<3>雇用保険事業を同時に行っていること,の3つがあげられる.日本国憲法が定める国民の勤労権を担保する(<1>)と同時に,均衡ある国土の発展に寄与する(<2>)機能もさることながら,それよりも失業者への失業給付業務を中心とした雇用保険事業を執り行っている(<3>)機関であるという側面が最も大きい存在意義となっている.失業保険は,政府の景気対策に密接に連動しなければならないうえ,また生命保険,損害保険事業者が死亡や損害という客観的事実を担保に保険金を支払うのに対し,失業保険は「失業」という個人の都合による主観的事実を認定しなければならず,到底ビジネスに馴染みにくい.失業者を対象とした場合,職業紹介と失業保険給付のサービスは不可分のものとなり,これを一体的に行う公共職業紹介事業の有効性が高く評価されている.[第2章]

 

第3章 常用雇用型有料職業紹介事業の機能と構造

 しかしながら公共職業紹介事業は,戦前の市町村立紹介所の時代から現代まで,その取扱実績が技能・建設の職業等ブルーカラー分野の紹介に偏ったまま現在に至っている.これは,公共職業紹介事業が失業保険の給付窓口を兼ねていることにより来所,登録する求職者側の属性の問題や,公共部門に求人開拓能力が欠如(公務員の組織に競争力原理が働かないことによる営業努力の欠如)していたため,サービス経済化に伴う新たな分野の求人事業所を確保できなかったことが背景にあるい.そうした政府の「不得意な分野」を担ってきたのが,政府から許可を受けた民間の有料職業紹介事業であった.

 民間の有料職業紹介事業には,大きくふたつの種類がある.つまり,政府にはふたつの「不得意な分野」があった.その一つが,<1>芸能家や家政婦,マネキン,調理師など短期就労が多く,特異な雇用慣行を持つ分野であり,そしてもう一つが,<2>管理職や専門・技術職等,その紹介斡旋に特別な専門知識を要するホワイトカラー紹介の分野である.一般的には,前者を<1>人材派遣型紹介,後者を<2>常用雇用型紹介という.後者について言えば,オイルショック以降,いわゆる「団塊の世代」が管理職層に大量に移行する一方,円高,バブル経済の崩壊と持続的な不況が定着するなかで,これらの世代の大量失業,およびその適正な再配置が社会問題となった.このとき,公共職業紹介部門は,その社会問題に対処するだけの機能とノウハウを十分に持ちあわせていなかったわけである.

 もちろん上述の通り,民間部門における職業紹介事業は原則禁止とされていたが,政府は1964年の職業安定法施行規則改正によりポジティブリストに経営管理者と科学技術者を加え,許可制のもとで民間事業を容認してきた.その後,1980年代の円高期に米国系のヘッドハンティング会社が大量に日本に進出してきたことが契機となり,ホワイトカラー職種を扱う事業者が急増する.これらの民間事業者の特徴は,ホワイトカラー分野を扱ってきたことから,専門分野での情報蓄積および人的ネットワークの構築状況,求職者相談(カウンセリング)の専門性等に秀でており,公共職業紹介部門とは明らかに異なる特徴を持っていた.言うまでもなく,「団塊の世代」の管理職,専門・技術職の取扱いはその得意分野とするところであったが,従来からの規制によりマーケットの拡大は遅々としていた.特に,求人企業からの紹介料徴収規制,具体的に言えば「紹介した者の,再就職後の6ヵ月分の賃金の10.5%」を上限とする規制が大きかった.つまり,年収1,000万円で採用される求職者を紹介しても,この規制下では52.5万円しか紹介料を徴収できない.高年収の管理職や技術者は,縁故ルートでスカウトされることが多く,年間の取扱数はそれほど多くはない.その割には,探索に相当の先行投資,斡旋に高レベルの専門知識が要求され,そうしたマッチングができる高度なコンサルタントを雇用するにはそれなりの賃金条件が必要となる.このとき,ほとんどの常用雇用型紹介事業所は,違法と知りながら,探索・斡旋業務に費やしたコストを別途「顧問料」等のかたちで徴収して経営を維持していた.ホワイトカラー分野の職業紹介サービスは,いわゆる「日陰のビジネス」であったわけである.日陰ゆえに,事業の実態は事業者によって秘匿され,その事業内容が広く公開されることはあり得なかった.わが国において労働需給調整事業に関する研究が決定的に立ち後れたのは,こうした規制の弊害があったからでもある.

 1997年の職業安定法施行規則改正による職種規制のネガティブリスト化は,以上のような日陰のビジネスを公に位置づける役割を果たした.ネガティブリストによる取扱職種の原則自由化に合わせて紹介料上限規制は取り払われることになり,一方,持続的不況は改善されることなく中高年管理職の失業問題はまさに社会問題となって,こうした拡大するマーケットに沢山の事業者が新規参入している.しかし,事業所立地が著しく偏っており,ホワイトカラー分野を取扱う常用雇用型有料職業紹介事業は,大都市志向のビジネスとしての側面を強く持っていた.

 

第4章 登録型労働者派遣事業の法制化とその構造

 その一方,わが国の就業構造においては,高齢化,高学歴化,情報サービス化,OA化,女性の社会進出が進行してきており,それに応じて雇用形態の多様化が迫られていた.そうしたなかで,わが国政府は1985年,新たに労働者派遣法を成立させ,翌86年にこれを施行している.労働者派遣法は,有料職業紹介と同時に禁止されていた労働者供給事業(労働者と雇用関係を持たずに,これを支配下において他の第三者に供給し,使用させるもの)から,派遣元の雇用者責任,派遣先の使用者責任を明確にするかたちで制度的に取り出し,労働需給調整事業として許可制の下,新たに認定したものである.この制度は,マクロ的な就業構造の変化を踏まえ,その構想段階では,高学歴主婦の社会復帰や高齢者等の企業OBを想定して構築されていた.

 しかしながら労働者派遣事業の法制化においては,不安定就業化と社会保険未加入者の増加という問題を持ち合わせていたため,一部の労働組合,労働法学者から痛烈な批判を浴びている.上述の通り,労働者派遣事業は登録型派遣が中心となっているが,その場合「短期的断続契約・移動型」の就労パターンをとるケースが多く,契約の更新や再契約およびそれらに伴う派遣先や派遣元の移動によって就労期間が中断したり,社会保険(派遣元の被雇用者時)と国民健康保険・国民年金(派遣就労中断時)の出し入れの煩雑さから無保険期間が生じるなど,新たな需給システムと従来型の社会保障制度の不整合が顕在化しており,事実上そのまま放置されている状態にある.

 労働者派遣法は1986年の施行以来,ほぼ3年おきに見直しされており,その都度,労働者保護の徹底,業務分野の拡大が図られてきている.同法は,労働者派遣事業に係る労働者の拡大が従来型の日本的雇用慣行に守られた従業者層に影響を与えないよう最大限考慮しており,そのため,従来型の雇用慣行が認められない「専門職の分野」に限定する職種規制(ポジティブリスト方式)が敷かれてきた.86年の施行時には,これをソフトウエア,OA機器操作,ビル・メンテナンスなど13業務限定でスタートさせ,1回目の見直し(90年)でこれを16業務に拡大,2回目の見直し(94年)では高齢者派遣を自由化して法制定時の利用者想定を具現化し,3回目の見直しとなる96年の同法改正では新たに研究開発,書籍等の制作・編集など対象職種を大幅に拡大し,合計26業種がポジティブリストに載せられている.

 こうして限定されながらも拡充してきた労働者派遣事業は,登録型派遣の形態を中心に,1990年代の持続的不景気のなか「就職氷河期」にあったことにより常用雇用の枠で採用されなかった若年女性を大量に取り込むかたちで急成長を遂げている.しかし事業所立地については,常用雇用型有料職業紹介事業者と同様,登録型労働者派遣許可事業者のほとんどが大都市に集中している.

 

第5章 規制緩和政策の背景とその内容

 以上のような労働需給調整事業の実態があるなかで,1990年代後半,大規模な規制緩和政策が短期間に集中的に実施された.これにより,民間の労働需給調整事業のマーケットはさらなる成長を遂げた.政府が指定する新規・成長分野の一つとして注目され,また世論の期待もさらに大きくなっている.

 規制緩和政策の急激な進展の背景には,ILO新条約の採択といった外圧もさることながら,持続的不況を背景とした雇用流動化論(労働分野への市場メカニズムの導入)の盛り上がりが大きい.これには,不況に伴う売上低下の打開策として,組織・人事のリストラクチャリングを断行しようとした企業経営者の意向が大きく反映されている.また,政府当局が,行財政改革による「小さな政府」の実現と自らの組織維持を両立させるために,規制緩和政策の運用を工夫してきたことを看過してはならない.つまり,政府事業の有効性,存在意義を損なうことなく(雇用保険事業,雇用保険事業と職業紹介事業の連携見直しなどの改革は行わず),フローの労働需給調整事業に限って大幅に規制緩和し,民間事業を大量に創成させることによって公共職業安定機関の負担を軽減させようと企図したことである.したがって,一連の規制緩和政策は,民間の労働需給調整事業のマーケットの拡大と新規参入事業者の増大を念頭において進められた.

 民間の有料職業紹介事業に対する規制緩和政策,すなわち職業安定法の改正においてはは,ほぼ民間の事業当事者の意見がそのまま採り入れられた.事業・起業活動が容易になるように職種・参入規制は概ね取り払われ,港湾労働,建設労働,警備業務の3つ以外の取扱いは全て自由化という完全かつ単純なネガティブリスト方式が採用された.また,求人企業からの手数料についても,「紹介した者の年収の50%」を上限に自由な料金設定が可能になっている.さらには,これまで労働者の権利担保を理由に完全に禁じられていた求職者からの紹介料徴収が,職種ごとのキャリア形成の特殊性を勘案するかたちで芸能家とモデルについてのみ可能になっている.

 一方,労働者派遣事業に対する規制緩和政策,同様に労働者派遣法の改正については,政労使の三者構成からなる中央職業安定審議会において労働組合側委員から労働者保護の観点から多くの意見が出され,個人情報の保護や社会保険加入確認業務など規制が強化された局面が目立っている.さらに,規制緩和分野も従来型の職種規制が完全自由化することはなく,「日本型雇用慣行との調和」を重視した専門分野での限定(26業務の規制)はそのまま維持された.それ以外の分野については,港湾,建設警備,医療,生産分野のネガティブリストにより自由化されるという変則的な規制緩和政策となっており,しかも新たに自由化された分野は,派遣労働のテンポラリー・ワークとしての側面を強調することを目的として,派遣期間が1年と限定された.

 

第6章 規制緩和政策の評価と労働需給調整事業の変容

 1990年代の後半に集中した規制緩和政策は,わが国の労働需給調整制度にどのような影響を及ぼしたのだろうか.規制緩和政策によって,<1>政府の公共職業紹介事業,<2>民間の常用雇用型有料職業紹介事業,<3>同じく民間の登録型労働者派遣事業はどのように変容したのだろうか.その際,今後の課題として再検討されるべき問題は何なのだろうか.

 政府の公共職業紹介事業にとって,規制緩和政策は,持続的不況の下で急激に増大する紹介取扱い業務を軽減する施策として位置づけられている.しかしながら1990年代は一貫して失業率が上昇してきたこともあって,失業保険の給付を求める公共職業安定所への来所者数が増加しており,目立った軽減効果は出ていない.むしろ,規制緩和政策と同時に進められた情報化投資(インターネットや情報端末による窓口業務の省人化投資)によって,これまで直接コミュニケーションを重視してきたことによって培ってきたところの,公共職業安定所の属人的な紹介技術が著しく低下してきている.規制緩和政策の効果を最大限に発揮するためには,民間部門が多数創成されている大都市部(特に東京圏)における大規模な業務移管が不可欠である.大規模なマーケットを志向する労働需給調整の民間事業所はいずれも東京に集中して立地しているが,片や公共職業紹介部門においてその成果を示す「職員1人当たりの就職件数」を見ると東京都の水準が著しく低い.つまり,規制緩和政策による民間活性化の効果が最もでやすい大都市において,公共部門の職員配置数が最も多く,全国的に見ても偏っており,官民分業の効果が相殺されるかたちが構造化してしまっている.

 常用雇用型有料職業紹介事業においては,規制緩和政策以降,過当競争の激化が顕著なものとなっている.これは,同事業分野に対する施策が,事業当事者からの規制緩和要望への対応に終始し,中長期的にみたシステム全体の有効性を軽視した結果と言ってよい.民間事業者に所属する「コンサルタント1人あたりの年間売上高」を規制緩和政策の前後で実態調査に基づき,そのヒストグラムを比較してみると,1997年の職業安定法施行規則改正前(1995年7月)の「年間1,500万~2,000万円未満のカテゴリーを中心とした正規分布」は,同施行規則改正後(98年11月),さらには99年の職業安定法改正後(2000年12月)と規制緩和政策を実施するにしたがって大きく崩れ,全体の約6割が年間1,000万円未満のカテゴリーに集中する歪なかたちになっている.コンサルタント1人あたりの年間売上高が全体的に低くなれば,ダンピングなどの横行が定着し,さらには戦前のようにこれらの民間事業者がブローカー化するリスクも高くなってくるに違いない.

 登録型労働者派遣事業においては,規制緩和政策が社会保険加入の徹底など規制強化的な側面を併せ持ったため,緩和策によってマーケットが拡大する兆しはほとんどなく,市場原理の導入を目指した規制緩和支持派の立場では全く効果に乏しいものとなった.ネガティブリスト化による職種の自由化について,規制緩和後に行った大規模アンケート調査の結果を見ても,拡大が期待された営業職派遣など新分野の職業につく派遣労働者の比率は,調査対象となった派遣労働者全体の約7%にとどまっている.また,労働者派遣法制定時からの制度運用の一つの目的であった高齢者派遣の規制対象除外規定が職種のネガティブリスト化により廃止され,高齢社会対策としての労働需給調整機能を失うなど,ある側面で改悪の印象を強くした.

 

終章  総括と展望

 1990年代の後半に実施された大規模な規制緩和政策は,事実上,先行する民間事業の実態を後追いするかたちでの緩和策に終始してしまった.このため,行政改革を目的とした公共部門のスリム化(官民分業),戦前に経験したブローカーの弊害,高齢社会に必要な需給調整システムのあり方など,マクロ的そして長期的視点が乏しい場当たり的な施策となってしまっている.これは一連の規制緩和政策が,ILO新条約などの外圧や雇用流動化論の内圧的な世論に強く影響され,しかも異例とも言えるほどの短い間で実施されたがゆえに,それらの見直しのプロセスが,いずれも実態をきめ細かく把握した調査研究,およびそれに基づく論議のやりとりを欠いたまま進められたことに起因するものと考えられる.1999年12月に施行された改正職業安定法および改正労働者派遣法はいずれも3年後の見直しが予定されているが,これらの労働市場法制は,わが国労働市場システムのあり方に強い影響を及ぼすことが必至であるため,様々な立場からの学際的な論議の組立が急務である.

 労働需給調整制度は,画一的な市場メカニズムの導入だけでは中長期的な有効性を発揮できず,過去の弊害を繰り返すことにしかならない.労働需給調整事業のあり方,ひいては一国の労働需給調整制度のあり方を最終的に決定するのは,その利用者である国民のメンタリティと職業能力のレベルであり,国民経済および産業・就業構造の変化の方向であり,労働市場サービスの事業経営者および担当者の事業への取り組み姿勢である.今後,労働市場に係る諸制度の見直し作業においては,こうした複合的な視点を持ち,かつ実態を把握する作業をベースとする実証研究こそがより重要になってくるものと思われる.

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