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博士論文要旨

論文題目:魯迅小説の物語論的研究:【吶喊】から【故事新編】へ
著者:景(加藤) 慧 (JING, Hui)
博士号取得年月日:2001年11月27日

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 本学位請求論文は、近代中国の代表的な作家である魯迅の小説作品に対する、「物語論」という文学研究の方法による研究を内容としたものである。以下論文要旨として、文学研究の方法としての「物語論」、およびその方法によるこれまでの魯迅文学の研究について触れ、本論文の目的、そしてその論考の成果について論述したい。

 

 文学研究の方法としての「物語論」(英語ではnarratology、中国語では「叙事学」の語が当てられる)は、一九六〇年代のヨーロッパに始まっている。現代アメリカを代表する物語論の研究者であるジェラルド・プリンスは、その著書『物語論辞典』の中で、文学研究としての「物語論」を定義して次のように記している。


 時間的に配置された状況・事象のことばによる再現化の様式として物語を研究すること(ジュネット)。このように限定された意味での物語論は、物語内容のレヴェルだけを取り扱うことはない(従って、物語内容やプロットの文法を定式化することを試みることはない)。このような物語論は、もっぱら、物語内容と物語テクスト、語りと物語テクスト、物語内容と語りとの間に成り立つ可能な諸関係に焦点をあてることになる。とりわけ、時制、叙法、態の諸問題を究明する。



 こうした文学研究としての物語論の、ヨーロッパに於ける一つの集約点は、上のプリンスの解説文も人名を引くことを忘れていないように、ジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』、それの補論とも言うべき『物語の詩学―続・物語のディスクール』の内にあるとされている。特に前者はマルセル・プルーストの『失われし時を求めて』の物語論、それの語りの構造論として、『失われし時を求めて』特有の、いわゆる「無意志的記憶」と言われる物語が、どのような語りの上に可能となったのかを周到に論じたものである。

 ジュネットの著書に一つの到達点を示したヨーロッパの物語論を、中国文学を対象とした研究の埒内に導入したのが、陳平原氏の著書『中国小説叙事模式的転変』(一九八八年)であった。同書は唐代伝奇から、中国における近代小説の誕生に至るまでの姿を、小説の語りの位相の転変という物語論的視点から跡付けたものである。陳平原氏の後を追うように出版されたのが、趙毅衡氏の『苦悩的叙述者』(苦悩する語り手)(一九九四年)である。陳氏同様同書も清末民初を中心とした伝統小説から、近代小説に至るまでの推移を物語論の方法によって論述している。陳平原、趙毅衡両氏の活躍と前後して、新しい時代の魯迅研究者として脚光を浴びたのは、汪暉氏であった。氏の著書『反抗与絶望―魯迅的精神結構与《吶喊》《彷徨》研究』(反抗と絶望―魯迅の精神構造と『吶喊』『彷徨』研究)(一九九一年)は、副題が示しているように、主に【彷徨】までの魯迅の精神構造への追跡と解剖であった。

 中国での中国文学を対象とした物語論の適用という新たな動向を受けて、日本での中国文学研究の中にも、中国文学を対象に、しかも魯迅文学をも視野に入れた形での、物語論によるアプローチの動きが現われてきている。

 中里見敬氏の著書『中国小説の物語論的研究』(一九九八年)は、まとまった形でのそれの早い試みと言える。同書の中で氏は、『孔乙己』『故郷』『村芝居』等の小説集【吶喊】収録の魯迅小説、更に小説集【彷徨】所収の小説『祝福』『傷逝』をも、具体的かつ詳細な論述の対象として取り扱っている。中里見氏の論の基本は、魯迅小説の「時間」への着目という点にある。「物語行為の時間」と「物語内容の時間」という、物語における「時間の二系列」の指摘から入った氏は、魯迅文学に一連の「回想形式」の語りの系列を見出していく。そして「回想形式」の「極限」が語り手の「独白」という作品形式であるとされ、その観点、物語論的視点から、氏が魯迅小説の到達点としているのは、魯迅作品の中では必ずしも代表作とは言えない『傷逝』である。

 上述の中里見氏による、中国小説における物語論、その魯迅論を批判的に継承しながら、それら近年の物語論・語り論の基底でもある、ジェラール・ジュネットそのものをも、「方法論的」に「越えて」、魯迅文学に対する物語論的探究を意欲的に進めようとしているのは平井博氏である。平井氏のその方面での論文としては、「叙述から見た魯迅の一人称小説―唐代伝奇、晩清小説と対照しつつ―」(一九九六年)及び「魯迅小説の言説分析のために」(二〇〇〇年)がある。平井氏が上の二篇の論文中で取り扱っている魯迅の具体的な小説は、『狂人日記』『薬』『故郷』『孤独者』『傷逝』等である。平井論の基本は、「物語内容の物語行為への溶融=語り手の声に作中人物のそれが(ときには視線、時間とともに)重なる事態」という言葉に集約されているように、「物語行為」一元論とも言うべきものである。上の言葉をもとに氏は、「ジュネットの「時間(順序)」「叙法」「態」の3つの範疇分立はここで物語りの力として再び重層化することになる。」と述べている。そうした立場から氏は、中里見氏の『故郷』『祝福』等の語りの「時間」の問題を批判的に検討し、中里見氏の『傷逝』論の中心概念である「独白」という語りの概念についても、修正を試みている。

 本論文では、中里見・平井両氏の成果に刺激をうけつつ、平井氏が中里見氏の理論的弱点の克服に努めて理論そのものへの関心に傾くのに対して、あくまでも魯迅の作品に密着した姿勢をとった。そのうえで、以下のような問題に対しても新しい地平を見いだそうと努めた。まず中里見・平井両者間の、つまり物語論、語り論間での相違は、どのように考えられるべきなのか。そして魯迅文学への物語論的視点の導入が、魯迅文学への評価軸にどのようなものを付け加えることが可能なのか。もし従来の研究に問題があるとすれば、物語論の魯迅文学への適用とはいかなるものであるべきなのか。本論文がこうして狙いとするのは、かつての諸研究にあっては意想の外にあった、魯迅小説の新断面を示すことである。

 

 以下、本論文の手順としては、第一章では、魯迅の第一小説集【吶喊】収録の魯迅小説について、第一節では魯迅のデビュー作、且つ中国近代小説の嚆矢としてもあまりにも著名な『狂人日記』の叙法、第二節では、【吶喊】内の「魯鎮」という場所に想定された物語群、『孔乙己』『明日』『波紋』『村芝居』等の作品、第三節では、魯迅小説では初めての客観小説、三人称小説であった『薬』を、第四節では作者魯迅の自伝的な作品として、作中の語り手「私」を、魯迅その人として論じられることの多かった、『故郷』を論の俎上にのせた。第五節では、魯迅の作品においてのみならず、近代中国文学の最高傑作の一つ、『阿Q正伝』を、これまで皆無と言ってもよい物語論の観点で取り扱った。

 第二章では小説集【彷徨】所収の小説を扱い、第一節では【彷徨】中の『祝福』『酒楼にて』『孤独者』の三作品を、ひとつのまとまりとして考察することで、そこに共通する語り手の語りの構造に焦点を当てた。第二節では、魯迅小説の中では難解なものとされる『傷逝』を取り上げ、とくにその語り手の質の問題に迫った。そのことを通して従来の作品論、そして物語論からの研究によっても論じられていなかった、作品の本質に迫ってみた。

 第三章は、従来の魯迅研究においては、ほとんど敬遠ないしは座視のままに置かれることを余儀なくされているかに見える、【故事新編】について、物語論の立場から考察した。第一節は、【故事新編】の語り手の問題について、第二節は【故事新編】の叙法について、考察した。第三節では、『出関』『起死』の二作品を論じた。この二作は、実は郭沫若の同じく老子、荘子を主人公とした『柱下史入関』と『漆園吏遊梁』のそれぞれを、先行作品とする小説である。【故事新編】はこれまでの正攻法の文学研究を、あざ笑うかのように存在して来た作品集である。従来の研究法では及ばなかったような、この作品集の成立の内景について、本章では上の三節にわたって、物語論の視点から光を当ててみた。

 

 以上の手順に即した、本論文の論考の成果について辿ってみたい。

 第一章第一節の『狂人日記』の叙法についての論では、平井博氏の論文を批判的に検討することから始めた。『狂人日記』の文言文の序文と、白話文の「狂人日記」本体との間の隙間、断層に対する平井氏の論考には、恣意性を指摘できる部分も含まれている。つまり『狂人日記』そのものからは、出てこないと言わざるを得ないような解釈が、導き出されているということである。問題は従って、『狂人日記』の先蹤としてあった、ゴーゴリの『狂人日記』が「狂人日記」としての、自己完結的な世界、性格を持たされているのに対し、魯迅の『狂人日記』は何故そうはならなかったのか。即ち白話文の「狂人日記」本体のみで自己完結出来ずに、文言文の序文により、いわゆる病跡学の資料の対象とされてしまうというようなことに、何故なったのかということである。序文の筆者を、作者魯迅その人に同定してしまうような従来の研究の立場、方法からは、こうした本質的な問題に対する解答は、出てこない。本論文ではその問題について、「狂人日記」の「狂」度、「狂」性の弱さの問題として捉えることにより、その観点から、従来の『狂人日記』論の諸問題についても、検証を試みた。

 小説集【吶喊】収録の、「魯鎮」を場所的な設定とした、『孔乙己』『明日』『波紋』『村芝居』の四小説では、『孔乙己』と『村芝居』は、等質物語世界外の語り手、『明日』と『波紋』は、異質物語世界外の語り手による物語である。そうした物語内容と物語行為にかかわる、語り手の可能な類型化は、それぞれの語りの質と性格とに照応したものであることは言うまでもない。上の内の前者は、故郷喪失者が自己の少年時代、つまり清朝末期の「魯鎮」を共に語りの対象としているのに対し、後者は民国初年の「魯鎮」の今現在、地方の良くも悪くも変わらないその在り方を、民衆の視線の高さに即して包むように語っている。

 第三節で論じた『薬』は、全体が四節からなる作品である。一~三の三節と第四節との間には、半年ほどの間がある。前の三節は、秋冷の頃の早朝からの一日未満。四節は清明節の、やはり早朝の二、三時間が、語りの対象である。第一、第二の二節は、黙説法の叙法が取られており、またそれに見合った形での、登場人物への内的焦点化が、精緻に駆使されている。第三節に至ると一転して冗舌法の叙法となり、過度とも言えるような情報量の呈示がなされる。第四節は墓地、墓参が物語内容であり、亡児の墓参りをする二人の女性、しかも世間的には全く無関係でありながら、実は曰く言い難い関係を持つに至ったその二人が、一方は内的焦点化の対象、一方は外的焦点化のみという、叙法上の区分けの下に置かれている。作品『薬』は、そうした物語論的な布置のもとに見る時、人間の生への期待、希望の凝集点としての「薬」というものの、象徴性が浮び上がるような小説と言える。

 第四節で取り扱った『故郷』に関しては、中里見敬、平井博の両氏に論の対立、分岐がある。中里見氏は『故郷』を、「語り手「我」の作中人物「我」による代行」の物語として論じる。つまり中里見氏は『故郷』の内には、A・B・C三つの時点の区別があるとする。そして帰郷した時点Bの語りでは、「作中人物「我」」が、幼年時代Cの時点を回想するというその物語行為において、『故郷』のAの時点の「語り手「我」」の語りを、「代行」しているという捉え方に立つのである。しかし『故郷』全体の語り手が、作中人物によりその語りを「代行」されてしまうというような事態は、果たして起こり得るのであろうか。こうした基本的な疑義を、「物語内容の物語行為への溶融」という物語論の立場に立脚して、批判的に論じたのが平井博氏である。しかも平井氏は、『故郷』のように等質物語世界外の「私」を語り手とする作品の場合には、「かげの主体」というものを想定する必要があることを述べている。つまり「かげの主体」―「語り手の「私」」―「作中人物の「私」」という、三重化の形で『故郷』そのものの語り手は考える必要があるというのである。こうした両者の論を比較対照しながら、『故郷』の物語論を整理検討し、その上で『故郷』の叙法に関して、「在」と「非在」、「現実」と「非現実」という対概念の下に論じた。平井論文の「変」と「不変」という枠組よりは、その方がより的確に、「希望」という一語に収斂していく、『故郷』の叙法の本質に迫れると考えたからである。

 第五節では『阿Q正伝』を論じた。物語論から見た場合の『阿Q正伝』の語り手は、等質物語世界外の語り手「私」が、顕在の異質物語世界外の「私」へ、そしてそれが、非顕在化していくという推移をたどる。語り手のこの変移は一見した所、例えば阿Qとのかかわりにおいて、関係性の密から疎への動きのようにも見える。しかし現実にはその逆である。処刑された阿Qの語り手への「鬼」としての取り付き、憑依に、阿Q「正伝」の語りへの動機が置かれている。『阿Q正伝』の中核に据えられた命題として、あまりにも著名な、「精神的勝利法」という処世術。語り手はそれを駆使する阿Qの感覚的な内面を、語りの「モダリティ」〔例えば、原文の「似乎覚得……(第九章 大団円)」(…というような気がしているようであった。)はそれである。〕を用いながら、精細に語っている。阿Qの感覚的な鈍麻を代償として、有効性が保証されていたかに見える「勝利法」は、第九章の「大団円」に至って、無効性、というよりは、阿Qの中でそれへの駆使の意欲が衰えてしまったかに見える。「正伝」の語り手はその経緯を、阿Qへの内的焦点化の叙法の内に、丹念に語りの対象としている。そのことは、「死」への恐怖を自認した阿Qへの、本来の「人」としての諸感覚の、生起と回復ということにほかならなかったと考えられる。従って『阿Q正伝』の物語は、「鬼」としての阿Qの、語り手の語りの内における、「人」への変容と再生の物語ではなかったか。即ち生前には、「人」「鬼」双方以前の、ある何物か、というよりはむしろ、何物でもあり得なかった阿Qの、刑死後の「鬼」から「人」への再生の物語、それへの語りとして、『阿Q正伝』は読まれ得るのではないかということである。そうした視点に立った時、木山英雄、丸尾常喜両氏などによって指摘されてきた、『阿Q正伝』と『狂人日記』との、末段の相似性の問題も、単純な退歩、後退といった処理の仕方では、済まされない事柄と言うべきであろう。物語論の視点から論じられたことのなかった『阿Q正伝』は、上のような物語の世界を構成する。

 第二章の第一節は、【彷徨】所収の小説から、『祝福』『酒楼にて』『孤独者』の三作品を対象とした。『祝福』は【吶喊】内の「魯鎮」物語の系譜に連なる作品であり、主な物語内容の中心とされているのは、祥林嫂という、薄幸の山家の寡婦である。それに対して『酒楼にて』『孤独者』の両作は、「S市(S城)」が基本的な場所であり、物語内容の主な対象も、呂緯甫、魏連殳という、清末民初の知識人である。後者の二つの作品が、同一俎上で論じられることはあり得ても、『祝福』がそれと共に論じられるべき必然性は、ないように考えられる。しかし語り手の語りの構造という点に着目して、三作品を比較して考察した時、そこには相互の構造的な相似性という、密接な関連が見出されるのである。三作の中で最も明確な構造性を備えているのは、『祝福』の一篇である。つまり『祝福』は、五節から構成されている。第一節と第五節が、一次物語として捉えられる部分であり、そこは等質物語世界外の私を語り手とする部分である。その一次物語に挟まれた第二、第三、第四の三節が二次物語、そして顕在の異質物語世界内の私を、語り手とした語りの展開されている部分である。一方の『酒楼にて』『孤独者』は共に、等質物語世界外の私を語り手とする作品である。表面的には語りに、相互の関連性はないかに思われるが、詳細な検討を加えると、構造的な相似性の存在は明らかであり、それを支えているのが、物語行為の動機の通底性ということであった。即ち一言で言うなら、「死の受容」という言葉で言えるようなものとして、そのことを論じた。

 第二節は『傷逝』の論に当てた。魯迅小説に「回想形式」という一連の流れを認め、「回想形式」の終着点として、「独白」という形式を見出し、それを「自由間接話法」という西欧の言語学、文体論の表現概念により基礎付けたのは、中里見敬氏であった。氏によれば、『傷逝』とは、「独白するエゴイズムの「我」」と、「回想する悔恨の「我」」との「葛藤」の場である。即ち「語り手「我」と作中人物「我」をめぐる葛藤に、このテクストの持つ本質的な逆説」があるとしている。しかし現実の『傷逝』に、そうした「葛藤」の「逆説」という事態は、どこに見出されるのであろうか。

 『故郷』の場合と同様、中里見氏の立論に対して批判的な検討を試みたのは、平井博氏であった。氏は「自由間接話法」を「独白」とした中里見論を修正して、「自由直接言説」=「独白」とし、また「自由間接話法」は、「自由間接言説」として捉え直されるべきとしている。ただし平井氏には、それ以上の『傷逝』に対する具体論はない。ところで『傷逝』の語り手を「エゴイスト」とする中里見氏の論は、『傷逝』に愛の「エゴイズム」を見た、丸山昇氏の作品論からの立論に重なるものであった。一方北岡正子氏は、『傷逝』は「不快」さと「抗い難」さという、相反する想念を喚起させるものとしている。氏はその相反性を一元的に捉えるために、『傷逝』の物語内容を精密に分析し、そこに「虚言世界へのイニシエーション」という命題を措定している。しかし『傷逝』の物語内容にのみ限定的な氏の解析は、『傷逝』の物語行為そのものの、客観的な定位には達していないと言わざるを得ない。『傷逝』の、一見「エゴイズム」「エゴイスト」の語りとして済んでしまいそうな、その物語内容を語る物語行為を支えているのは、むしろ「ナルシシズム」として言うべき、閉鎖的な主観主義のそれであったと考えられる。しかもそのことは、魯迅の見た近代中国の、西欧受容の姿でもあったのではないであろうか。

 第三章は【故事新編】を扱った。【故事新編】の語り手は、戯曲構成の『起死』を括弧に入れれば、すべて非顕在の異質物語世界外の語り手である。第一節はそうした語り手が、「故事」の「新編」を語るに際しての、語りの時間的な処理の問題を論じた。つまり元来は【吶喊】所収であった第一作目の『補天』では、語り手はその語りの現在、現代という、語りの時間的、時代的な今を明示する語り方をしている。従って『補天』の物語内容である、神話時代の女カの補天の業の物語は、飽くまでも二十世紀の現代からの時間的な溯及としてのそれでしかない、という性格が不可避となった。それに対して第二作目の『鋳剣』、そして特に三作目の『奔月』以降では、そうした『補天』のような語りの時間的構造は、解体され消去されている。その結果『奔月』『出関』に顕著なように、語り手の極めて自在な時間、時代的な行き来、つまり中国の通時代的な性格が保証された形での、物語の時空が可能になったと考えられる。

 第二節は叙法から見た、【故事新編】の物語論である。

 古代の英雄物語である『奔月』は、■の内面世界からだけで成り立っていると言ってもいいような、■への内的焦点化の叙法が取られている。そして非日常的であるべきはずの英雄が、妻嫦娥とのかかわりの中で、日常性の典型とも言える、日々の食物に拘泥し、齷齪とせざるをえない姿、その内面が物語られている。それでは『奔月』は、英雄の非英雄化という、反英雄の語りに終始しているのかと言えば、決してそうではない。英雄本来の■の在り方も、内・外の両焦点化の叙法の対象とされている。英雄、反英雄双方の、精妙な語りのバランスが、『奔月』の叙法の本質である。嫦娥の「奔月」ということから言えば、『奔月』は取り残された英雄、即ち生き過ぎた英雄の物語である。〔■は上が羽で下が「奔」の下の部分〕

 夏王朝の始祖である禹の、治水の事跡を物語内容とした『理水』では、言わば通時代的な中国、中国的なものの一つの断面が、外的焦点化の対象とされるような叙法が駆使されている。そこで語られているのは、圧倒的な量と質的な多彩さを帯びた、人々の話し言葉、話し声である。しかもそれらはすべて、現実的な有効性を全く持たない。それと対照的な語りの対象とされているのが、極めて寡黙な禹その人の在り方である。『理水』は更に二十世紀の最初の四半世紀に、中国を幾度か襲った現実の大洪水をも、その物語の背後に垣間見せるような、借景、つまり一種の黙説法の叙法が取られていると考えられる。

 『采薇』は『理水』の禹とは異なり、物語内容の中心人物である伯夷、叔斉の二人に対する、一貫した内的焦点化の叙法が持続されている。『史記』の記す二人に関する事跡は、餓死へと至るごくわずかなものでしかない。『采薇』はその事跡の空隙を埋めるかのように、それを二人の食物に対する内的焦点化の叙法で満たしている。そこから、「周ノ粟ヲ食マズ」という一つの大義が、「普天ノ下、王土ニ非ザル莫シ」という別のもう一つの大義により、苦もなく敗れてしまうという、中国的な風景が物語られている。しかも『采薇』は、魯迅の雑文『阿金』との連動性を持たされることにより、その中国的な風景が、二十世紀の上海との連続性をも持ったような、そうした物語行為の試みとなっている。

 全体が四章で構成されている『鋳剣』の叙法上の特質は、登場人物に対する、内・外両焦点化の、極めて意識的な使い分け、コンビネーションの妙ということである。即ち第一章では、眉間尺と母に対する内的焦点化が、物語行為の主要部分をなす。また母の対眉間尺の発話の中では、彼女の夫への内・外の焦点化が行なわれており、同時に剣も又外的焦点化の対象とされている。第一章の初めでは、眉間尺の視線を通して、鼠も外的焦点化で語られていた。一方第二章から現れる黒い男は、外的焦点化のみの語りで徹底されている。つまりこの男は、内的焦点化の対象となるような内面を持たない存在なのである。専制君主、絶対的権力者としての国王も、黒い男に似た存在である。そして第三章で首のみの存在となった眉間尺により歌われる歌、雄剣の雌剣への呼びかけの歌と考えられるその歌は、首のみの眉間尺への、内的焦点化の事例であろう。

 第三節は『出関』と『起死』とに当てた。

 『出関』には先蹤として、郭沫若の『柱下史入関』があった。『柱下史入関』の物語行為の目的は、老子の「入関」という有り得ない事を語りの焦点に据えていることにも示唆されているように、『老子』に対する、西欧近代の人間主義の立場からの、批判と否定ということに置かれていた。そのために『柱下史入関』は、語り手の語りの現在、現代を、推測可能なような語り方を敢えて行なっている。それに対して『出関』は、語り手の語りの現在への臆測を完全に封じているばかりではなく、『老子』への単純な否定といったことすらも、その物語行為の意図とされていたわけではない。『出関』の物語内容の背景となっている、『史記』の記述以前とも言えるような、様々な解釈以前の、「故事」そのものの提示とも言うべき始原の物語、それが『出関』という物語の場であった。現実にも『出関』は、「『出関』の関」という、魯迅をも一解釈者の一人に巻き込んだ形での、熾烈な争論の場と化していった。

 『起死』は戯曲構成の作品である。又荘子と髑髏とのかかわりというその物語内容は、『荘子』の外篇「至楽篇」を素材としたものである。ただし『起死』が物語行為の対象の焦点にしているのはむしろ、内篇「斉物論篇」の万物斉同という論理そのものである。しかもその場合『起死』は、万物斉同の論理を大手から攻めるというよりは、その論理の水準を幾段か落とした次元で、荘子自身に語らせるという、搦め手からの方法を取っている。このことは「起死」という題名そのものは、思想書としての『荘子』からは、出てこないものであることにも示唆されている。そしてこれらのことは、『起死』が現実の実演を想定した戯曲であることとも合わせて、「思想」と「現実」、「思想」の現実性の問題という、『起死』の物語行為の基底にかかわることであったと考えられる。

 【故事新編】については、物語論の立場からの断片的な発言はこれまでも幾つかあるが、以上のような、まとまった形での論述は、初めてであると言ってよい。

 

 以上の論考において到達しえたことを、再度まとめてみよう。魯迅の小説については、物語内容の特異性、卓越性ということから、ともするとそのことにのみ重心の置かれた研究、評論が多かった。しかしそこに物語論の視点を導入することにより、いくつかの重要な発見をなしえた。

 まず、一篇の小説内にも、語り手間の拮抗対立とも言うべき状況が見出されること。そして物語内容の特異性、卓越性が、実はそうした危うい均衡の上に成立し得たものであること(たとえば『狂人日記』)。さらに物語内容の特異性、卓越性が、おかしさ、滑稽感の方向に表現された場合でも、それを語る語り手には、物語内容としての登場人物の死に対する、やむにやまれぬ深い愛惜の念が、逆説的な形で、語りの根本的な動機とされていたということ(『阿Q正伝』)である。

 魯迅伝記の一頁として、評伝的な関心の方向から論じられることの多かった作品の場合でも、次のことが言える。つまり、それらも一篇の自立し、完結した作品である以上、虚構としての質を支えるための、高度な語りの技法、つまり叙法の網の目が張り巡らされていること(たとえば『故郷』)である。

 登場人物の社会的身分、立場の相違等、作品の表面的な違いから個別的に取り上げられてきた作品についても、物語論から見た時の語りの構造、語り手の語りの動機の点で、相互に本質的な相似性、通底性が認められる場合のあること(『祝福』『酒楼にて』『孤独者』)を見出しえた。

 なかには、小説としての物語内容の難解さ、内的矛盾、作者の執筆意図の不分明さという点で、立論が容易でなかった魯迅小説もある。しかしそれを語り論の俎上にのせた時、そこには語り手の語りの質そのものの内に、論の対象となるべき問題の中心が存在することが、やはり明らかになった(『傷逝』)。

 さて、魯迅が逝去を前にして、最終的に文学的な意志を注いだものは、中国の「故事」の「新編」であった。物語内容のみを論の対象としても、ほとんど徒労に帰してしまいそうなそれら作品群も、物語論の立場に立つ時、一定の姿を現わす。作品集内の語り手の語りの時間、時間性の処理に関して、明確な区画があること。中国で長く人口に膾炙してきた物語内容に対して、絶妙、ある意味では極めて巧妙老獪な語りの技法、即ち叙法の駆使が試みられていること(【故事新編】)を解明した。

 

 以上が論の核心をたどった形での、本論文の内実である。魯迅小説の個々に対する物語論の方法による、系統的な論述は未だに行なわれたことはなかった。その意味では本論文は、一つの方向性は出し得ているのではないかと思う。

 以上が本学位請求論文の論文要旨である。

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