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博士論文要旨

論文題目:生涯学習と民衆の参加:内発的地域づくりにおける人間形成をめぐって
著者:マイリーサ (Malisa)
博士号取得年月日:2000年11月28日

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問題意識

 現代日本の「内発的村づくり」は、1960年代後半から過疎の農山村を舞台に展開されてきたが、住民自らがかつての外来開発型開発方式への反省を踏まえ、創意と努力によって村興しをしてきたことにその特徴が見られる。今世紀に入ってから、特に、1960年代以後、地球規模の環境問題、公害問題、資源・エネルギー問題や発展途上中国・地域における経済的自立の行き悩み、南北問題などの問題群が生じてきたことは周知の通りである。日本の内発的村づくりはこれらのグローバルな問題を解く一つの手がかりとして重要な意味をもっている。 内発的な地域づくりは地元の資源、地元の技術、産業、文化を生かすという発想をもって地域の活性化を目指すものであり、環境保全の枠の中で地元の産業の持続的発展を目指すものでもある。したがって、内発的な発展は社会教育活動と深くかかわっている。そのために、例えば、住民が身近に抱える家庭生活の問題自体が地域社会の直面する問題であることも多い。日本では、農業再生の問題、地域政治、環境問題、教育問題、地域産業起こしなどをめぐる活動の中で活発な生涯学習の場面が数多く見られる。本論文は、日本の「内発的村づくり」とそれを支える社会教育の活動との関係を解明しようとするものである。

研究課題と枠組み

 序章では、まず、先行研究を整理し、その上、批判的な検討を行った。ここでは、宮原誠一の農村青年学習論と農民大学運動研究、藤岡貞彦の学習内容・学習課題研究、北海道大学の研究グループのネットワーク学習論などの先行研究を取り上げた。そこから、従来の研究では、学習集団、あるいは接近集団のリーダーに焦点を絞るという共通の問題点があったことを浮かび上がらせた。すなわち、従来の研究は、農村の人々の主体的動きを論じる際に、普通の人々の経験によるのではなく、リーダーたちの経験に片寄り、それに重要な意味をもたせ、無意識にそれを前提にして研究を進めていたという弱点を指摘するものである。

 上記のような欠点を克服するために、本論文では、学習集団における人間関係の質の問題に着目し、集団のメンバーの一人一人がどのように変わりうるかということに焦点を絞っている。それによって、地域における普通の人々の人間形成の実態とその中身に迫った。すなわち、「内発的村づくり」とそれを支える社会教育の活動との関係を解明するには、地域を支える人間形成と住民参加の質を問う分析を行なうことが必要であると考える。ここでは以下のような分析作業を行い、その分析作業は次の三段階からなるものである。

1、地域づくりの過程における一般の人々の人間形成の実態と中身を解明する

 ここでの難点は、どうすれば、学習集団における個々の人間形成の状況を立体的に浮き上がらせることができるかということであるが、ここでは、「組織構造」の分析の視点、とりわけ、「インフォーマルの構造」の分析によって、この難点の突破を試みた。「組織構造」の視点を導入すれば、従来の社会教育研究では明らかにされなかった学習集団における個人の発達状況を解明することができるばかりでなく、集団における人間関係の質の変化を予測することもできると考える。学習集団の内の人間関係をリアルに直視することによって、人々の人間形成の状況を立体的に浮かび上がらせるという試みは、現在までの日本の社会教育研究においてはあまり見られない。

2、人間形成に影響する問題点の深部を解明する

 第二段階の作業は、第一段階において明らかにされた住民参加の内的構造、すなわち、住民自治の現実の深層に隠れている問題をさらに理解するものである。ここでは、歴史的、文化的諸要因の分析によってこの問題を解明した。それにより、現在の住民参加のあり方を制約する問題の原点を明らかにしたのである。

 地域社会、あるいは集団の内的構造はそれほど簡単に変化が起こるものではない。その内部構造に変化を起こすためには、まずその構造がどのようなものであるか、その原点を探り当てなければならない。伝統的な住民自治の特徴と問題指摘については、社会学と農村社会学研究が大きな蓄積を持っている。ここでは社会学と農村社会学研究が明らかにした伝統的な住民自治の特徴と問題点を参考にしながら、その伝統的な住民自治の構造が現在の地域づくりの中にどのように再現されているかを記述した。それによって、歴史的な場面としての現実を読み取るようにした。

3、自己実現を促進する要因と条件の解明

 最後に、人間関係の質の変革をもたらす要因を分析した。ここでは両地域の村づくり過程において一見同じく見える、学習活動の中での相対的な独自の軌跡である学びの空間の質の差異に着目した。ここに見られる学びの空間における質の差異は、人々の体験と意味の違いということである。本論文は独自の経験も人間関係の質に根本的な変革をもたらすものであると考える。ここでは、各集団、各個人の経験に基づく「独自行為と関連性」を浮かび上がらせる。それによって、従来の学習形態を問いたい。それと同時に、「社会と個人」をつなぐ新しい概念であるネットワーク概念を用いて、従来の社会教育学習論である「共同学習、系統的学習、交流集会」を問いながら、新たな学習形態を探るようにした。

 本論は、四つの章から構成され、以上にような枠組みに沿う形で展開される。

 第一章と第二章は、内発的地域づくりの歴史を持つ二つの地域を研究素材として、その展開過程における住民参加のありようと人間形成の場面を考察するものである。まず、第一章では、従来の参加形態である「協同型」地域づくりの事例を取り上げて分析を行った。

 第二章では、新たなに形成された「協働型」と従来からの「協同型」が交錯する地域づくりの事例を考察した。

 第三章と第四章は、前の章で明らかにした住民参加の質の差異をもたらす要因について分析を行なうものである。ここでは、第一章と第二章から引き出した住民参加の質と人間関係の質に影響を及ぼす問題点を根底から掘り起こして検討した。

 第四章では、人間関係の質に変革をもたらす要因を分析した。ここでは両地域の村づくり過程において一見同じく見える学習活動の中での相対的な独自の軌跡――学びの空間の質の差異に着目した。

 以上の作業を完成することにより、本論文は次の結論に到達した。

 第一段の作業では、住民自治の二つの形態である「協同型」と「協働型」を取り上げたが、「協同型」の参加形態は、地域の日常的な「協力関係」の蓄積によって成り立ったという特徴をもっている。この形態の組織化は住民の各活動に高い参加率をもたらす効果がある。美山の場合は、集落を基盤とした地域振興の展開から、町の内発的発展の組織間の協力活動や地域の文化運動まで、このようなスタイルで組織されていた。高畠の場合も、有機農業運動の参加の呼び掛けなどには、社会的要素が重要な役割を果たしてきた。

 一方、住民自治の内的構造を問えば、各活動に取り組む姿勢において、地域、あるいは集団のリーダーと組合員の間にギャップがあるということを指摘できる。例えば、ある組合では、組合長が町の議員、農協理事など、何役も一人で兼任している。また、このリーダーは対外的には組合の「顔」として、「地域問題を住民自身で考える精鋭な学習サークル」の学習活動に参加したり、全国の交流会に参加したりして、町内外の集団と幅広いネットワークをもっている。これでは組合の経営管理や対外交渉などの重要な役割が特定の一人という個人に集中しすぎるとういうことが指摘できる。以上のような集団におけるこのような個と集団の人間関係のパターンは地域レベルや府レベルの交流活動における民衆参加の問題にも影響を及ぼしている。この町の行政は、地域の問題群と地域の課題解決をより効果的に進める手立てとして、集団間のつながりを重視してきた。本来、越境して展開される諸活動の出会いは、人々の人間形成に大きな意味をもつものであるが、集落や小集団の内部におけるリーダーの役割はたいへん大きい。いうまでもなく、外部との交流と交渉はある特定の個人によって行なわれている。そのために、町全体、さらに府全体の運動の広がりとその様式は、集団間・場所間が特定の媒介者の存在により連結されるというメカニズムをもつようになっている。そのため、せっかく行われた共同学習、交流学習がタテ関係の連帯によって成り立っているとも言えよう。

 高畠の場合も同様、実践の揺藍期において、ある個人リーダーの影響力と指導力に依存する傾向が強かった。それは、リーダーの努力次第で運動の浮沈が大きく左右されるいったほどである。したがって、有機農業の可能性が見えるようになったという実践の発展の時期においても、都市の消費者との人間関係(顔が見える関係)を前提とする提携の展開や販路の拡大にリーダーたちは大きな役割を果たしてきた。また、女性の住民自治の参加の場面では、「協同型」の参加形態の場合、女性は女性同士の連帯活動にしか参加しない傾向が強い。美山の場合は、女たちが取り組んでいた課題自体が60年代からの日本社会に生じてきた「命と暮らし」の問題群である。この「命と暮らし」の問題群は男女共通の課題であったにもかかわらず、これらの課題に関しての「男女空間共有」の活動は地域にはまったく見られなかった。一方、地域づくりの知的な担い手の中で、例えば、地域、あるいは集落を基盤とした地域振興の方針決定、計画設定の参画に携わる女性は存在しなかった。その意味では、住民自治における女性参加は徹底されていないとも言えよう。

 一方、「協同型」参加形態に比べて、「協働型」参加形態には集団内、あるいは都市と農村の人々の共生活動における人間関係の変革の側面が見られる。

 まず、本論文は集団における人間関係の質、すなわち、学習集団のメンバーの一人一人がどのように変わりつつあるかを明らかにした。例えば、高畠の場合は、実践の展開過程において、実践認識の相違により、「有機農業研究会」の内部に、軋みが出始めた。しかし、こうした表面的なマイナスの状況は、「研究会」のメンバー(三つのブロックの中の一つのブロック)たちが、従来の「有機農業研究会」とは異なる組織の仕方によって交流、生産、販売活動を行うようになった。現在、このブロックは、提携の方法を従来の「窓口方式」から、生産者それぞれが個々に特定の消費者グループと提携するというような形式に変えた。そして、ブロックのメンバ-たちが毎年交替でブロックの事務局長を担当するようにしてきた。このようにして、ブロックは、消費者との間の「一対一の関係」を少しずつ形成させてきたが、それによりブロックの一人一人(女性を含めて)の外部的交渉力や対応力が徐々に発達してきた。さらに、このブロックの女性たちは、「協同型」の参加形態に見られる女性同士の連帯活動をするだけではなく、「男女空間共有」の活動にも参加している。すなはち、女性は組織(地域振興)の方針を決定し、計画設定の参画に携わるようになりつつある。このようにして、集団におけるシェンダー関係の変容の胎動は、女性の主体性と発達を促進させていると言えよう。

 「協働型」の参加形態の構造の中に、都市と農村における人間関係の変革が最も明瞭に現れている。例えば、高畠の場合、住民主体地域づくりの内容からみる限り、今日、地域の人々は農村の問題だけではなく、都会が直面している問題や地球規模の問題を鋭く「読み取る」能力と「それを活かして自らからの生活を向上させる」能力を備えている。消費者との長年の交流と交渉の中で、地域の人々は次第に今日の都会では、住宅問題、土地問題、大気問題、騒音問題、公害問題、さらに、コミュニティの崩壊、老人問題、青少年問題などの社会問題があることに注目するようになってきた。それによって地域の人々は、農村はただの農業生産空間ではなく、こうした問題を解決できる可能性をもっている空間であるということに気づいている。美山の場合と比べて、ここは地域と都市の人々の人間関係が地域づくりの展開過程において変容しつつあると言えよう。今までの都市と農村の共生活動は、都市主体の方が多かった。たとえ協力側が被協力側と共生しようとしても、啓蒙と被啓蒙の関係はなかなか変わりにくい。高畠の事例は、以上のような再生産の関係を乗り越えることを示している。それにより、地域づくりは、住民のためのものから、住民によるものになりつつある。

 第二段階の作業は、第一段階で明らかにされた住民参加の内的構造をさらに深く問うものである。現在、住民参加の形態の中には「協同型」と「協働型」があるとはいえ、実際、「協同型」の住民参加形態はいまだに根強く顕在している。それに対して、「協働型」の住民参加形態は、現在胎動し始めたばかりである。ここでは、歴史的、文化的要因の分析によって、「協同型」住民参加のあり方がなぜ根強く存在してきたか、それはなぜ住民参加の質である人間関係の質に影響するのか、その原点を探り当てた。それには次のような側面が見られる。

1、相互扶助の習慣

 内発的な地域づくりは人々の相互協力の上に成り立つものである。そういう協力関係があったからこそ住民の自主的な取り組みができたのである。昔から日本農村では共同事業を達成させるための相互扶助組織と「村仕事」があった。それは家々の生活が困難に直面した時、農繁期の相互援助及び道路水道などの共同施設の補修を無償提供していた。その相互扶助の精神にこそ内発的な地域づくりを可能にした要因があると考える。

2、個人への束縛性

 昔から集落の中に、若者組、中年組、老年組などの集団が作られている。集団の多くは村ぐるみで加入する性格が濃厚であった。これは形式的に任意加入でても、実際には、その資格や条件に合致する人々は、加入せざるをえないような性格を持っている。その集団に関心を持つかどうかを問わずに、村の住民であるかぎり、当然成員にならなければならない。このような組織と個人の統合(一丸の神話)という伝統的集合形態は、高畠と美山の両地域の地域づくりの中にも再現していた。たとえ地域づくりなどの活動に参加しているとはいえ、必ずしもみんながある信念をもって参加しているとはいえない。それにもかかわらず、そうした行動をとらざるをえない人たちが存在する。それはかつて高い参加率をもたらしていた。しかし、このような動員型のスタイルは、結果的に、活動の主体であったはずの人々を客体にしてしまっている。

3、権威構造と甘えの構造

 地域づくりの活動において最も問われるのは、リーダーと一般会員の意識と取り組む姿勢に大きなギャップが見られることである。この問題の根底にも伝統的な要素が流れていると思われる。かつて日本農民の社会的性格は、家父長的家族制度を特質とした「家」と身分階層性が支配した共同体的な「村」によってつくられた。周知のように、昔、日本農村では、個々の農家経営が零細で、自立的な基盤が弱かった。そのうえ、集落において人々が少しでも安定した生活を送ろうと望むなら、必ず家と家が何らかの形で結びつかれる必要があった。一つの世帯が単独で処理できない問題が日常的に多かったからである。田植え、収穫などの作業や用水と道路の維持・管理、葬式の手伝え、信教的な構の維持など生活上の多く場面にも農家相互に協力しあう必要が極めて大きかった。しかし、その相互協力関係は、本家は大きな経営を持ち、分家はその耕作のために、あるいは本家の生活の必要のために労力を提供するようなことであった。それに対して本家は分家の生活上足りないものを補ってやっていた。すなわち、分家が本家に奉仕し、そのかわりに本家に庇護してもらうというようなものであった。

 このような支配的関係は、今でも再生産されている。美山に見られる地域づくりの背後に高い指導性がある反面、住民自ら構想し計画する芽生えがなかなか見られないという権威構造と、高畠に見られるリーダーが対外的に会員が抱えている課題を庇うという甘えの構造がこの再生産関係を意味している。

 このような権威構造と甘え構造は、ある意味で、非常に効率のある組織方向である。この組織構成の長所は、リーダーから末端成員までの伝達が非常に迅速に行われるということ、そして、動員力に富んでいることである。しかし、この構造によって、人々が集団やリーダーに依存してしまうことがある。こうして、ほとんどの人が地域づくりの参画と管理から外れされてきたのである。

4、閉鎖性と同質性

 伝統的な組織の中には対外への交渉における個人の関わりを余議なくされていたため、閉鎖的システムの中で、個人として外部社会と積極的に交渉するような認識があまり育たなかった。このパタンーが今でも残存している。例えば、美山の農協を媒介とした産直運動の展開と高畠の組織と組織の連帯(窓口を通して)の仕組みは、組織の外部環境の変化に対してそれなりに対応してきた。しかし、組織の中でのメンバーの扱いは依然として画一的であると言えよう。そして、組織と組織、個人と組織の連帯形態も単一性という歴史的な連続性を持っている。例えば、美山の地域づくりは、地域の組織間と地域間の連帯を重視してきた。しかし、その社会連帯は均一的強い価値感を共有するという特徴を持っている。日本の社会教育にも同じような場面が見られる。そして、集団と集団、地域と地域との交流活動(全国集会のようなもの)も特定の価値観を共有する仲間だけが集まるという形になっている。

 第三段階の作業は、「協働型」住民参加の内部構造の変化の胎動である学習集団における人間関係の質的変革をもたらした要因を解明するものであった。「協同型」住民参加形態である美山町は、地域づくりの展開過程において、「共同学習」、「系統的学習」、「交流集会型の学習」を行った。美山に反映されていた社会教育学習活動の方法と形態は、戦後の教育研究者たちによって模索され、開発され、そして日本社会教育の現場で実践化されていたものである。これは地域問題を解決するための有効な学習形態である。美山の場合は確かに、系統的学習と交流集会を通して、従来なら、狭い集落の場面では処理できなかった問題を集団間、そして、都市の集団との連帯によって解決できるようになった。しかし、このような学習は個人の発達よりも、むしろ運動の広いつながりのための機能を果たしていると言えよう。なぜなら、「学習活動の参加者の間は普段の生活から生じた権力関係が浸透している。その関係をそのままにして学習を進めてきた」ことが指摘できるからである。

 美山の講座と交流集会の内容も、農村社会教育の系統的学習のモデルである信濃生産大学、山形農民大学と同じように、身近な問題と社会問題を結ひづけるように工夫されていた。この地域のほとんどの人々が共同学習に参加したものの、系統的学習と交流活動と空間(対面的立場)を共有しなかったということを浮かび上がらせる。系統的学習と交流活動と時間と空間を共有したのは、町の職員、教師、関係団体の代表、地縁社会リーダーという「常連メンバー」であった。このような参加構造がむしろ一般の人々との境界を作ってしまっている。実際、日本の社会教育の場面における系統的学習と交流活動は、ほとんどこのような参加構造をもっている。この側面から見ると、現在のような系統的な学習と交流活動は少なくとも普通の人々をはみ出してしまうという限界があることが指摘できよう。

 一方、「協同型」から、「共働型」へと変わりつつある高畠は、地域づくりの展開過程において、「共同学習」「多文化間交流学習」「越境するネットワーク学習」を行っている。彼らは有機農業実践が展開されていた段階で都市の消費者と出会った。このできごとによって、地域の人々は従来の農村地域における社会教育と異なる学習活動に遭遇した。たまたま、ここは日本でももっとも早く集団化した有機農業運動の地域であったので、有吉佐和子が『朝日新聞』に掲載した「複合汚染」によって全国に知られるようになった。この記事の衝撃以来、ここはマスコミ、学者、文化人、運動家、消費者など様々な分野の人たちが頻繁に訪れるところとなった。その直後から農民と消費者の直接的な産消提携の取組が展開されてきた。これによって有機農業実践の一人一人が都会の人々と対面的な「多文化間交流学習」を行なう機会を得た。それまで都会の消費者と直接知り合う機会の少なかった農民たちは、消費者との出会いをきっかけに、自分たちの村の資源と有機農業が高い付加価値をもっている可能性に気付くようになった。その反面、都会の消費者との直接の付き合いの過程において、消費者との対他的な葛藤は避けられなかった。それにより、農民と消費者との間の「相互理解、共に生きる」という有機農業の理念も現実によって裏切られることがよくあり、それが両者を苦しめていた。消費者グループとの対応に尽してきた中で地域の人々は、都会の人々が何を求めているかを次第につかむようになった。それによって、自らの生活水準を向上させる地域の住民のセンスも芽生えつつある。例えば、彼らが計画し、実行してきた地域づくりは、都市が抱えているさまざまな課題を積極的に取り入れている特徴をもっている。このことは都市と農村との交流活動における人間関係の変容を示している。ここで注目すべきことは、こうした人間関係の変革をもたらしたのは、従来のような単なる同じ価値観をもつ人同士の集まりのような交流ではなく、「無数の力の間における交渉・葛藤・相互作用」そのものである。このように、もともと有機農業の実践は自分の価値観と相容れないものに対して排他的側面をもっている。しかし、いつの間にか、異質な他者の存在も認め、その多様な人々による相互学習から、新鮮な刺激を受け、新しい自分、新しいアイデンティティーを創造している。そして、その過程において、これまでになかった新たな学習形態である「一対一」のネットワーク型学習がそこから生まれたのである。これは従来型学習から構造的に排除された人々にさまざまな勉強のチャンスを与えてきたと考える。このようなネットワーク型学習は今までの社会教育学習論にはなかった営みをもっていると言えよう。

 周知のように、日本社会の教育の形態は小集団学習である。その原型は1950年代、社会教育の世界に生まれた「共同学習」の実践と理論であった。これは青年、婦人の学習の場であり、彼らが直面していた生活課題・現実課題を話しあい、調査しあう学習方法であった。しかし、現実の課題の捉えかたの浅さから共同学習はたちまち行き詰まった。従来の社会教育研究は、この小集団の限界の要因が系統的知識の欠如にあると認識し、教育の内容の開発と民衆大学の組織化の方法で模索していた。濃生産大学、山形農民大学(学習サークル・郡・市段階におけるゼミナー・県段階における実践の交流)における系統講座と交流集会は共同学習の反省に立ち、学習の系統性、指導性を練り上げてきているものである。このような集団から系統的、交流型への学習は日本の社会教育のあり方に大きく影響を与えてきた。とくに地域の現場における課題学習は上記の形態のものがきわめて多い。しかし、前に指摘したように、この系統的、交流型の学習は一般の人々にとって空間を共有しにくい弱点がある。すなわち、系統的、交流型の学習はむしろ普通の人々をはみ出しているという限界があることを指摘できよう。それに対して、個人を基盤としてのネットワーク学習は次のような可能性をもっている。

 従来の学習は、成員の集団の所属が単一的であるため、組織メンバーは限られた価値感を共有する。それによって集団は外部に対して閉鎖的な側面をもっている。それに対して、ネットワーク型学習は学習の展開過程に複数性、多義性、複雑性を内在しているため、そこから建設的な意見が得られる。

 従来型学習は発信者と受信者の関係が固定的で、学習の内容も一つの方向からタテの線で伝達される。それに対して、ネットワーク型学習は相互交流と交渉の過程において、お互いに影響しあい、反省しあい、そして意味を出し合う。その中で将来へのヒントを生み出している可能性をもっている。 ネットワーク型学習の過程において、知と知の新しい結び付きが現れ、そこから生き生きとした意味と価値が生まれる。それにより、人々の交流の仕方が本質的に変わる。

 従来の組織的動員と対照的に、ネットワーク型学習は、一人一人を尊重している。これは複雑で手間のかかるやりかたであるが、だから一人一人が交渉力をもつ存在に変わりつつある。それにより、構成員がそこにいるだけではなく、そこでどのような役割を果たしているかが問われる。

 前にも述べた通り、協同型の活動の背後には権威的で、集団頼りの「甘え」構造がある。したがって、運動を広げる連結の様式は、それぞれの場を連結する特定の媒介者を有するというメカニズムをもっている。その組織化は個人の発達に反作用を及ぼしている。

 しかし、これに対し、従来の社会教育学習論は無力であった。ネットワーク型学習の出現は、従来型学習の弱点を補う役割を果たしている。ここで、注目したいのは、この重層的なネットワーク型の学習は、共同学習と交流学習をつなぐ「架橋性」を持っている。高畠の場合は、ネットワーク型学習と従来型学習の交錯の中にこれらの根深い問題を克服する胎動が見られる。

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