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博士論文要旨

論文題目:日本の社会教育・生涯学習と異文化・異民族間<共同交流学習>:政令指定都市・川崎市における実践と地域創造に関する研究
著者:文 孝淑 (MOON, Hyo Sook)
博士号取得年月日:2000年11月27日

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 本論文では、戦後日本の社会教育の中枢施設である公民館・市民館における住民の学習活動や実践活動の参与観察を礎にしながら、今日求められている「おとなの学び」とその実践活動のあり方を提起しようと試みた。すなわち、<社会教育・生涯学習社会>と、<異なる文化・民族間「共同交流学習」><地域創造>をキーワードにし、前者における「異なる」者同士の学習の広がりが地域創造を促している社会教育実践を「異文化・異民族間<共同交流学習>」と設定し、実践分析を試みたものである。

 以下、本論文の構成とその概要をまとめていく。

 序論においては、3つの研究動機と研究課題・視座、研究方法、論文構成、先行研究とその限界について述べている。

 研究の動機を、公民館研究の動機・被差別部落や在日朝鮮人の実状を知ったこと、地域社会・公民館活動の参加の3つにわけて述べている。研究視座は、異なる者同士による学びあいのなか、発見した地域課題を共有しあい、解決していく学習・実践が地域創造をもたらす「異文化・異民族間<共同交流学習>」である。

 研究方法は、参与観察や実践記録、学習者と共同学習者(日本人)の文集やインタビューなど一次資料を分析する。

 社会教育研究における多くの業績に、「外国人住民の学習」の内実と、日常生活者として外国人住民をとらえる視点が欠如している。その欠如を埋めるため、「民族共生社会」と社会教育に関わる理論上の問題提起をしたもの(堀尾輝久・小川利夫)と、外国人の生活・学習をキーワードにし、「アジア太平洋学習圏共同体」を提起したもの(笹川孝一)を選定し、批判的検討を行った。

 前者においては、「国民の学習権」と「住民の学習権」の論議はあったものの、「国民」の範疇ととらえ方が曖昧さを残している。後者においては、外国人住民の生活と文化、日本語教育などの実状把握と、自治体が外国人「住民の学習権」を保障すべきであるとしながら、グロバールな論が展開されている。そのため、学習の主体や学習権を保障する担い手が見えにくく、論調が薄れてしまった。

 先行研究を踏まえて、[I]では日本の社会教育と生涯学習をめぐる動向を3つの軸(「法制化」・「学習内容」「交流学習」)にわけ、通察する。一つが、社会教育と生涯学習をめぐる法制度の変遷、すなわち1949年の社会教育法制定による公民館の法制化、国の教育改革の推進の下で行われる「生涯学習体系への移行」、1990年7月施行される「生涯学習整備振興法」などの一連の施策をめぐる動きである。二つが、公民館における地域住民の学習と実践に関わる内容・方法を時間的な流れに沿って検討する。公民館の学習と実践が共同学習、系統学習、共同学習の再評価に至る体系的な学習内容の流れがあった。3つが、公民館の学習活動・方法において先駆的な試みを行ってきた東京都国立市公民館の事例を取り上げ、<交流学習>の意義と限界を考察する。さらに、外国人住民における生涯学習のあり方を、学習によって身につけた力が社会的自立と、対等な立場にたてることにあると考え、三段階を設定した。

 第一段階に、日本語学習の機会提供と保障(施策面)

 第二段階に、異文化・異民族間同士の接触や摩擦、理解などをくりかえながら、お互いの生活習慣や文化を習得・理解することである。

 第三段階に、第一、第二段階を踏んでいくなかで行われる学習・実践活動を通して外国人住民は社会的自立をみにつけ、地域社会で対等な立場に立つことができる。一方の日本人住民にとっては、異文化・異民族の接触によって、文化変容と地域創造をはかることができる。ともにいきる地域創造をめざすこととなる。つまり、<おとなの学び>の到達点、学習成果がみられる。

 第3章では、国立市公民館の実践を<交流学習>と位置づけ考察した。実践では、異質な学習者同士が日常生活のなかで発見した問題を共有しあい、多様な文化の広がりがみえるものの、地域創造に到達してない限界をもっていることが明らかになった。

 [II]では、上述した<交流学習>の分析をふまえ、社会教育における新しい学習のあり方、つまり異文化・異民族間<共同交流学習>を見出すため、政令指定都市・川崎市の全7区(川崎・幸・中原・宮前・高津・多摩・麻生区)の市民館における「日本語教室」と、ふれあい館における識字学級の取り組みを通察した。しかし、本論では「中原市民館」と「ふれあい館」の取り組みを例証としてあげ、考察していく。

 第1章では、川崎市が異文化・異民族社会を形成した背景と、歴史的背景の異なる外国人住民(オールドカマーとニューカマー)の特徴をおさえたうえ、川崎市の社会教育活動の変遷を、市民館における住民の学習と実践活動の蓄積を継承しながらも、生涯学習推進体制をかみあわせていることが読みとれた。

 とくに、1995年以降の外国人施策への進展、すなわち、「川崎市外国人住民代表者会議」による外国住民による発議・提案が推進されていく「市政参加づくり」の具現化の兆しが見えている。第2章では、市民館における日本語教室の取り組みの考察を通して、異文化・異民族間<共同交流学習>のあり方とともに、地域創造の具体的実践・成果を提示した。市民館における学習主体が日本在住歴が浅く、労働者や乳幼児を抱えている母親が多い。後述する「ふれあい館」の取り組みに比べれば、実践の色合いや蓄積の浅さがみえる。両者とも定住の背景や期間、実践活動上に相違があるにしても、両者がめざすのは、社会的自立と自己確立を通した<地域創造>であることは確かである。

 第2章では、地域住民の生活や生きる力を切り拓く基盤となっている社会教育実践における学び合いを異文化・異民族間<共同交流学習>の視点から考察してみた。すなわち、従来の分析に欠けている<自分と他者の「学習の必要」>を認め合い、共有し合うことによって、生成される実践に教育的価値を見出そうとした。そのため、川崎市7つの市民館における日本語教室の動向や学習の内容・形態・方法・成果などの検討を行い、全体像をおさえた。その過程で、中原市民館の「社会人学級」の取り組みに川崎市の日本語教室の源流があることに辿り着いた。

 日本語教室では、従来の同質の集団による学習ではなく、異質な者同士が日常生活における課題を共有し合うなかで生まれる<地域における対等な人間関係の形成>があり、外国人住民の自己確立と社会的自立の力を身につけ、地域創造を生み出す「異文化・異民族間<共同交流学習>」が存在している。

 要するに、第2章では異文化・異民族間<共同交流学習>による地域創造のみとおしがえられた。それを踏まえて、[III]では、川崎区にある「ふれあい館」を拠点とした在日韓国・朝鮮人の自己確立と自立をめざした実践活動の積み重ねが地域創造への力になっていくことを明らかにしていく。

 [III]では、在日韓国・朝鮮人によるさまざまな取り組みを中心に、地域社会をつくりかえるための学習・実践活動を考察していく。在日1世たちの学習・実践活動の根幹には、自己意思決定による生き方・教育を受ける権利を妨げている法制度や、日本社会・日本人に根深く残っている「朝鮮人への差別意識」への抗議があるものの、「共生への模索」をはかり、自己との葛藤を克服していく道のりがあったと思われる。

 本論を通して、地域生活における異文化・異民族間<共同交流学習>が促す地域創造は、指導者・りーだー的存在の力によるものではなく、生活の場における者同士の施行錯誤、実践の繰り返しにより生まれるものであり、成人の学習がめざすものであると結論づけることができよう。

 筆者は、本論文が外国人住民を軸において研究してくるなかで、社会教育における新たな課題に気づいた。それは、序章で述べた筆者の問題意識をより発展させ、同質間における異文化・異民族間における異文化などを包摂できる社会教育実践研究を行うことである。

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