博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:ソビエト・エトノス科学論:その動機と展開
著者:田中 克彦 (TANAKA, Katsuhiko)
博士号取得年月日:2000年10月11日

→審査要旨へ


 第一章 カール・カウツキーと国家語
 第二章 ソ連邦における民族理論の展開一一脱スターリン体制下の国家と言語一一
 第三章 国家語イデオロギーと言語の規範
 第四章 ソビエト・エトノス科学の挑戦と挫折
 第五章  「ソビエト連邦」の文明論一一社会主義と「民族」論のゆくえ一一
   一 ソビエト連邦とは何であったか
   二 ヨーロッパ文明の担い手、マルクス主義
   三 「歴史」と「発展」のイデオロギー
   四 逸脱としてのソビエト連邦の貢献
 第六章 「宗主国家語」をこえて一一日本語の「国際化」をめぐるイデオロギー状況
   「日本(人)の国際化」から「日本語の国際化」へ
   母語べシミズムの伝統
   言語改革と保守化
   「簡約日本語」の二つの面
   外国語を学ぶとは
 第七章 「スターリン言語学」精読



 ロシアのマルクス主義者が革命の舞台として立たされていたのは、二〇〇に近い多様な、さまざまな発展段階にある民族を擁する状況であったから、被抑圧階級の解放のみならず、被抑圧民族の解放という課題とも対決しなければならなかった。

 その課題は西欧のマルクス主義にとっては中心的な問題ではなかった。民族の解放は、階級の解放の中に含まれるか、それに従属するものであって、民族それじたいが、固有の価値をもたない、やがて消滅すべきネガティブな存在であった。

 したがって、西欧マルクス主義に求めても得られない、民族問題、民族政策の土台となるべき民族理論は、ロシアという状況の中から、自前で作り出さなければならなかった。その政治的解答が、西欧マルクス主義が排した連邦制(その拡大としての「ソユーズ=同盟」制)原理にもとづく「ソビエト同盟」という国家形態であった。

 そのための理論と政策の構築にたずさわつたのがしーニンととりわけスターリンであった。

 レーニンの期待をうけて著わされた一九一三年の「マルクス主義と民族問題」は、非西欧の「後進地帯」においては、頼ることのできる、マルクス主義にもとづく民族理論として、いわば古典的地位を占めるに至り、とりわけ日本では一九五六年、フルシチョフが暴露的スターリン批判を行うまでは、疑問が生ずると、そこへさかの'まって議論をたてなおすための原基としての性格を帯びるに至った。奇妙なことは、それが政治のレベルにとどまらず、学界的レベルにまで及んだことである。

 スターリンの民族理論なるものが、どのような理論史の文脈の中で、どのような先行理論を材料として編みあげられたかを検討する試みはほとんどなかった。つまり、それは「教条」としてのみ扱われたために、ソビエト民族理論の特質そのものも明らかにされなかった。本書に収録された一連の論文は、この間題に挑んだものである。

 第一章「カール・カウツキーと国家語」は、スターリンの民族理論、したがってソ連邦の民族理論なるものは、オットー・バウアーに代表されるオーストロ・マルクス主義の民族理論に対するカール・カウツキーの批判をモデルとして生まれたものであることを示す。そこでは、カウツキーにならって民族の特徴づけとしての「民族的性格」を排して「言語」が強調され、文化的自治原理(Personalitatsprinzip)に対して、地域原理(Territorialprinzip)の優位が強調される。

 その一方では、オーストリア社会民主党のブリュン綱領が大いに参照され、それがレーニンによる「国家語(Staatssprache)制定の排除」という原則となって残る。この原則は、ソビエト崩壊の時点にまで至る、全ソビエト期を通じて、言語・民族政策をしばることになる。

 第二章「ソ連邦における民族理論の展開一一脱スターリン体制下の国家と言語」は、フルシチョフ、ブレジネフ期に入っての、ソ連邦諸民族の脱エトノスと一体化の時代にあわせて、それにふさわしい理論を作るために、「ソビエト人」概念の構築のために民族学が動員されて、脱スターリン理論が形成されて行く過程を示す。

 第三章「国家語イデオロギーと言語の規範」は、ソ連を舞台とする「言語と国家」の問題を、フランス革命にさかのぼり、また、レーニンが言語的民主主義の典型例として引いたスイスの問題をとりあげながら、より普遍的視野のもとに考察した。

 ソ連邦における言語・民族の問題が、政策のレベルにとどまらなかったことは言うまでもない。そこでは民族形成の中心概念をなす「エトノス」についてのアカデミックな議論が積み重ねられた。そして、このエトノス形成と不可分に結びついているのが「言語」であるという観点から、ソビエト独自のマルクス主義的言語学の構築が求められたのである。

 言語の機嫌と形成、言語の親縁関係などの基本概念を作ったのが十九世紀における「印欧語比較源語学」であったから、ソビエト言語学の課題は、印欧語比較言語学における言語の系譜観を破壊することだった。その役割を引きうけたのがN.Ya.マルであった。

 ところが、マルとその仲間が心血を注いで構築した「ソビエト言語学」を全否定したのが、スターリンの「マルクス主義と言語学の諸問題」(一九五○)であった。本書の第7章「『スターリン言語学』精読」は、言語・民族に関するソビエト・イデオロギーの全史と核心をおさえながら、その本質を明らかにしようとしたものである。

 このスターリンの論文は、言語については階級性の観点をとることが誤りであり、民族語の復権を主張したものであるが、それをはさむ前後の時代に行われたソビエト学界における論戦を、単にマルクス主義の枠内にとどめず、ひろく人類史の理解のための意義という点から論じようと試みたのが、第五章「『ソビエト連邦』の文明論」と、第四章「ソビエト・エトノス科学の挑戦と挫折」である。

 従来、ソビエトで行われてきた、言語・民族を人類の未来への展望のもとに考察する「ソビエト・エトノス科学」を、単にソビエト・マルクス主義の枠内でしかとりあげなかったし、甚だしい場合には、単に権力闘争の構図としてしかみなかった。ましてや正統の言語学は、そこにはいかなる学問的な価値もないものとして無視してきた。本筆のなかで著者はこのようなソビエト・エトノス科学をアカデミックな研究史のコンテキストをも参照しつつ、人類史を展望におさめたその営みと政治的・学問的な意義を明らかにしようと試みた。

このページの一番上へ