博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:日本の19世紀における「好古家」の蒐集活動と歴史意識 ―武蔵国の在村医小室元長を中心に―
著者:古畑 侑亮 (FURUHATA, Yusuke)
博士号取得年月日:2021年3月19日

→審査要旨へ

1. 本論文の構成
 本稿では、古いものに強い関心を抱き、書籍や書画骨董、考古資料の蒐集に明け暮れた「好古家」のコレクションに注目し、編纂物を主軸に据えて分析することによって、彼らの蒐集活動と歴史意識に迫ることを試みた。

序章   
 はじめに
 一 歴史意識をめぐる研究と史料
 二 「好古家」をめぐる用語と研究
 三 使用資料
 四 本稿の構成

第一部 「好古家」の蒐集活動と近代メディア受容

第一章 随筆による知識・情報の蒐集
 はじめに
 一 抜書される随筆―幕末~明治ゼロ年代
 二 スクラップブックの中の随筆―明治十年代
 三 活用される随筆の知識
 おわりに

第二章 新聞・雑誌の購読と読者共同体
 はじめに
 一 新聞の購読と情報の入手
 二 新聞の貸借・謄写
 三 雑誌の購読と投書
 おわりに

第三章 新聞・雑誌の抜書にみる歴史意識
 はじめに
 一 新聞を抜書する―『南木廼家随筆』の基礎的研究
 二 抜書と書き込みにみる歴史意識
 おわりに

第四章 新井白石著作の蒐集と活字出版
 はじめに
 一 白石の著作を蒐める
 二 白石社との交流
 三 白石墓の探索と国への献本
 四 白石社の終焉とその継承
 おわりに

第二部 遺跡・遺物へのまなざしと「好古家」の歴史研究

第五章 考古学的知識の受容と遺跡・遺物観
 はじめに
 一 「百穴」の調査とふたつの『穴居考』
 二 新井白石説への批判と『考古説略』
 三 『撥雲余興』と遺物への欲求
 おわりに

第六章 熱海への旅と歴史意識
 はじめに
 一 紀行文の典拠と旅先での借写
 二 旅先で見たもの
 三 南朝への敬意と「譜代意識」
 四 石造物と古器物へのまなざし
 おわりに

第七章 小田原衆所領役帳をめぐる交友と歴史研究
 はじめに
 一 箱根への旅―明治ゼロ年代の出会い
 二 旅の後で―明治十年代の文通
 三 引き継がれる役帳研究の成果
 おわりに

終章 本稿の成果と課題
 一 本稿の成果
 二 残された課題と展望

2.先行研究の成果と課題
 戦後の史学史研究においては、対象が近代アカデミズムにおける歴史学の「学史」に限定され、前近代における歴史叙述や歴史意識が分析の俎上に上げられることは少なかった。しかし、1990年代に入ると、国民国家論の台頭によって歴史学は国民統合のイデオロギー装置として批判的に対象化されることとなる。近代史研究においては、広く「歴史が語られる場所」を視野に収め、アカデミズムにおける学知が近代化や国民国家形成、植民地統治において果たした機能が追究された。近代史研究からの刺激を受けつつ、近世史研究においてもイエや村の正当性を歴史的に語る由緒書や偽文書の研究と結びつく形で歴史意識の研究が行われてきた。
 その後、19世紀論として近世から近代をまたいで史蹟と地域の人々との関係を追究した研究が出てくる。さらに、公的な歴史意識の枠組を越えた「私」「個」に近いレベルでの歴史意識を、紀行文に求める研究もなされている。だが、歴史意識の研究をさらに進展させていくために、より広範な人々の日常的な歴史意識に迫ることのできる資料を開拓することが求められている。
 本稿が分析対象とした「好古家」の活動は、戦前から人文・社会的科学の諸分野において学史の前史として取り上げられてきた。1990年代以降、近世・近代における「好古家」の活動の連続面が注目されるようになる。2000年前後から、幕府や新政府の各省庁・教育機関において活躍した国学者たちに焦点が当たるようになり、国家や社会との関わりの中での彼らの学問の「実用性」への着目がひとつの研究潮流となった。同時に、近世後期から明治初期にかけての文化(財)行政と「好古家」たちの蒐集活動の関わりが明らかにされた。ただし従来の研究では、様々な「好古家」の活動を参照し、類型化を行うに留まっており、個々の蒐集活動の背後にある意識・関心について分析を深める作業は十分に行われていない。また、「好古家」個々人の学問的背景に基づく差異にも改めて目を向けていく段階にあるといえる。

3.本論文の課題と方法
 本稿では編纂物を分析の主軸に据え、集められたモノ・コトの総体を可視化することに注力した。さらに、それらを足がかりとして、「好古家」の歴史意識と歴史研究の内実に踏み込むことを試みた。「好古家」たちは、近世の〈考証家〉の仕事を引き継ぎつつ、近代メディアや新たな学知を受容する一方で、資料・情報の提供者、発信者、中継者としての役割を果たした。そのような彼らの視角から、19世紀における歴史意識の内実に迫ることを目指したのである。
 主要な分析対象としたのは、武蔵国比企郡番匠村の在村医・5代小室元長(1822―1885)である。小室家文書は、豊富な蔵書・書簡史料から「好古家のアーカイブズ」としても注目され、明治10年代における五代元長周辺の「好古家」たちのネットワークの分析が進められてきている。元長は多くの編纂物を遺しており、本稿にとって好個の素材である。

4.本論文の概要
 序章では、歴史意識と「好古家」をめぐる研究動向を整理した上で、随筆を含む編纂物が歴史意識に迫る有効な史料となり得ることを示した。
 第1部では、編纂物の分析により、元長の蒐集活動の実態と歴史意識を明らかにした。
 第1章では、幕末から明治十年代にかけての随筆の抜書のされ方、利用のされ方を追跡した。元長ら「好古家」たちは、刊行された抄出随筆から抜書を行うことによって効率的に情報蒐集を行うことができた。彼らは抜書にあたって情報の取捨選択を行い、抄録後も何度も読み返し、そこに新しい情報や考察を加えていくことで理解を深めていった。ここからは、〈思索する読書〉を見出すことができるだろう。随筆から抜書するということは、いわば前時代の〈考証家〉たちによる資料博捜の成果を引き継ぐ知的作業だったのである。
 第2章では、「好古家」における近代メディアの受容実態に迫った。明治10年代は、新聞を読まなければ世の中の変化についていけない時代になっていた一方で、意図的に読まないという選択をする「好古家」も多かったと考えられる。しかし、新聞から得られる知識・情報の有用性を認識していた元長は、晩年まで新聞を読むのをやめることはなかった。「好古家」たちが新聞に求めたのは、好古に関わる情報や往時を思い出させる随筆や記録であった。彼らは、新聞や雑誌への投書によって古いものについての質問を「江湖」へ投げかけていたが、実際の読者共同体は比較的小さなものであり、地方在住の投書者同士が結びつくことは稀であった。それでも「好古家」たちにとっては、自身が書いた文章が全国レベルの刊行物に掲載され、何らかの反応を期待できるということが、自己承認欲求を満たすものだったのである。
 第3章においては、元長が遺した随筆を読書ノートとして分析し、その作成目的と構成を明らかにした上で、抜書された記事や書き込みから元長の読みに迫った。元長は、明治14年(1881)以後、家職や村政に関わる新聞記事をほとんど写さなくなる。これは「俗事」から離れるために新聞とも距離を置いたものと考えられる。新聞・雑誌の抜書から見えてくるのは、事物の起源・沿革をたどりながら、その流れの中に各時代を生きた人物や自身の見聞を位置づけていくという歴史意識であった。元長にとって新聞・雑誌は同時代のニュースや新しい情報を伝えるだけでなく、歴史的な知識をも提供してくれる重要な媒体であった。
 第4章では、元長による新井白石著作の蒐集と、明治14年(1881)結成の結社・白石社の予約出版との関係を追跡した。元長は天保期から白石著作の蒐集・校正を続けており、白石の墓の探索も行っていた。白石社の活動の前提には、幕末期から続いていた「好古家」による蒐集活動があったのである。白石社の発起人と元長らは、「有用ノ学」を目指した白石を「欽慕」し、その著作を「保存」するという点で「志」を共有していた。彼らの活動は白石著作の近代への継承に大きく貢献することとなったのである。
 第2部では、第一部において明らかになった蒐集活動の実態と歴史意識を踏まえ、元長らの遺跡・遺物観と歴史研究の内実に迫った。
 第5章では、明治10年代における考古学的知識の受容と「好古家」たちの遺跡・遺物観とを追究した。彼らが読んでいた西洋考古学書の知識は、部分的にではあれ受容され、「好古家」たちの遺跡観に影響を与えていた。一方で、元長らにとって遺物は、自身らのような「好古家」によって発掘されて「賞玩」「玩摩」されるべき対象であった。そうした遺物観は、彼らの所有欲や自己顕示欲、あるいは競争心に規定されていたと考えられる。
 第6章では、明治ゼロ年代における熱海・箱根への湯治旅行に注目し、旅先における元長の体験と歴史意識に迫った。元長は旅先においても書籍や新聞によって積極的に新しい知識・情報を得ようとしており、その知識は紀行文の叙述にも活用された。紀行文の中では、石造物についての記述が多く、金石文からわかる文字情報が重視されていた。その一方で、博覧会に展示されていた古代中国の古器物については、「古」そのものを手にとるように知ることができる点が評価されていた。さらに、温泉街や寺社へ向けられたまなざしについても検討し、神仏分離、廃藩置県等を経た明治ゼロ年代後半における旅は、自らが思い描く「名所」の消滅をより痛切に突きつけるものであったと考察した。
 第7章では、元長のライフワークである小田原衆所領役帳の校訂の軌跡を追った。元長の役帳蒐集は幕末期に始まったが、幕末維新期の動乱の中で頓挫してしまった。しかし、明治7年(1874)の湯治旅行において福住正兄と出会い、役帳と再会したことを機に研究を再開することとなった。元長は、正兄というパイプ役を得たことで、より広範囲の歴史地理情報を汲み上げることが可能となった。元長と正兄の共同研究の底流には、ふたりが打ち込んだ詩歌を通じた交流があったことも見逃せない。彼らの研究成果は、半世紀を経て、昭和初期の東京市史の編纂事業の中で『集註小田原衆所領役帳』の校訂に使用され、日の目を見ることになった。
 終章では、本稿の成果を章ごとにまとめた上で、今後の課題と展望を示した。

5.本論文の成果と課題
 本稿の成果としては大きく4点が挙げられる。まず、編纂物の中でもとくに随筆を取り上げ、その読まれ方・活用のされ方を明らかにしたことである。未刊の抄出随筆を周辺史料と共に分析することで、より「普通の人」の意識・関心に迫る有用な史料を開拓することにつながったと言えるだろう。また、そこからは新たなメディア受容の実態も明らかとなり、明治後期以降に研究が集中しているメディア史における読者研究に対してそれ以前の新聞・雑誌の読者の姿を具体的な事例として提供した。
 2点目は、歴史意識に迫るための史料として編纂物の分析方法を開拓したことである。作成者の意識・関心に迫る上でその抜書や書き込みが大きな手がかりとなることを明らかにした。さらに、編纂物の分析を踏まえて紀行文を分析することで、旅先での歴史意識と日常の歴史意識との共通性や連続性を示すことができた。
 3点目は、個々の「好古家」の遺跡・遺物観と、考古学的知識の受容の具体例を示したことである。近年の考古学史研究においては、近代以降の考古学や人類学の「前史」として扱われてきた前近代の人々の遺跡・遺物の取り扱いを分析し、各時代の人々の考え方や社会的背景、階層等による認識の違いに迫る「遺跡・遺物の社会史」が提起されている。本稿では、「好古家」個人に視座を置くことによって、その方法では抜け落ちてしまう思想的背景を含めて、遺跡・遺物観を明らかにすることができた。
 4点目は、「好古家」を通してアカデミズム確立以前の19世紀の史学史を描こうと試みたことである。同時代史を越えて、歴史学をはじめとする近代以降の人文学研究に与えた影響までを見通すことで、「好古家」の蒐集活動を史学史上に位置づけることを目指した。
 今後の課題として、近代の学問への影響、20世紀の郷土史家の活動、比較研究の可能性を挙げたい。本稿の成果は、考古学や人類学等、新しい学問を切り開いていった人々の学問や世界観の基盤が、近世に編まれた随筆や稗史を読み、抜書するという書記行為や文献考証の方法によって規定されていた可能性を示唆している。また、「好古家」の遺産の相続人には、在野で活躍した郷土史家も考えられるだろう。「好古家」の蒐集活動の史学史的意義を見定めるためには、20世紀の郷土史家の活動まで射程に入れる必要がある。
 本稿の分析対象であった随筆を含む編纂物は、列島の各地で様々な身分の人々によって作られた。それらに共通するものからは時代の好尚を、異なる点からは地域差・身分差を探ることができるだろう。また欧米諸国における「好古家」(antiquarian)については、その蒐集活動や遺物への好奇心、近代アカデミズムへの貢献等が明らかにされてきている。国内外の「好古家」の蒐集活動を比較していくことで、人類における古いものへの関心のあり方や蒐集行為の意味について考える手がかりを得られるだろう。

このページの一番上へ