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博士論文要旨

論文題目:解放後の法的地位をめぐる在日朝鮮人運動
著者:金 誠明 (KIM, Songmyong)
博士号取得年月日:2021年3月19日

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序論
第1節 問題の所在
第2節 先行研究の検討
(1)在日朝鮮人の法的地位・政策史研究
(2)在日朝鮮人運動史研究
(3)研究課題と視角
第3節 資料と構成
(1)研究方法と資料
(2)本稿の構成

第1章 朝鮮の内戦と在日朝鮮人運動の再編・展開
はじめに
第1節 解放直後の在日朝鮮人の運動路線と建国運動
(1)民族団体の結成
(2)解放直後の運動路線の確立
(3)北朝鮮における社会改革の支持
(4)民主臨時政府樹立促成のための活動
(5)南朝鮮の人民抗争への呼応と人民委員会への政権委譲要求
(6)分断反対闘争と人民共和国樹立のための活動
第2節 朝鮮の内戦下における在日朝鮮人運動の展開
(1)人民虐殺反対運動の提起
(2)李承晩政権への軍事援助反対とパルチザン支援運動
(3)日本の再武装化反対と共和国人民としての運動方針の確立
(4)祖国戦線の結成と朝連の祖国戦線支持
(5)民団・建青協商派の祖国戦線支持と朝連系団体との提携
第3節 朝連・民青強制解散後の在日朝鮮人運動の再編
(1)朝鮮人団体協議会、朝鮮人会の結成
(2)青年組織、行動隊の結成と活動家養成の再編
(3)民戦の結成
(4)祖防委・祖防隊、祖防青年戦線の結成
(5)民戦、祖防委・祖防隊の諸活動
(6)民愛青の結成過程と民戦運動の再編
おわりに

第2章 解放後の日本国籍保持論への反対運動と法的地位要求
はじめに
第1節 在日朝鮮人の法的地位と国籍
(1)解放直後の在日朝鮮人の法的地位
(2)在日朝鮮人の国籍と国籍表示
第2節 日本国籍保持論に対する反対運動
(1)解放国民・独立国民としての地位と待遇の追求
(2)日本国籍保持論への反対の提起
(3)財産税適用への反対
(4)11月GHQ発表への反対
第3節 法的地位要求の展開と日本国籍
(1)法的地位要求の変遷とその実践
(2)外国人登録令制定への対応と日本国籍
おわりに

第3章 朝連強制解散、財産接収に対する在日朝鮮人の取消・反対運動
はじめに
第1節 朝連の運動路線と強制解散命令
(1)強制解散時の朝連の運動路線
(2)朝連・民青に対する解散命令・財産接収
第2節 各地の強制解散、財産接収反対運動
(1)朝連中総の対応
(2)財産接収阻止闘争
(3)強制解散反対、財産接収の取消・返還要請
(4)宣伝・署名活動
(5)反対運動の論理
第3節 司法闘争の展開
(1)訴訟の提起
(2)解散取消要求の否定と運動の再編
第4節 占領解除後の朝連財産奪還運動
(1)朝連財産奪還運動の展開
(2)裁判所の判決
おわりに

第4章 民団・駐日代表部の活動と国籍問題
はじめに
第1節 大韓民国樹立前後の民団活動の展開と再編
(1)民団の単独選挙・大韓民国の支持
(2)駐日代表部設置以前の民団の動向
(3)駐日代表部設置に対する民団の対応
(4)大韓民国支持派の組織再編
第2節 民団・駐日代表部による韓国国民登録の準備過程
(1)駐日代表部による民団への委任事務
(2)地方自治体、GHQ・日本政府への協力要請
(3)登録事務の準備と待遇の協議
(4)韓国国籍、韓国国民登録の宣伝活動とその論理
第3節 民団・駐日代表部による韓国国民登録の実施過程
(1)韓国国民登録の推進と衝突事件
(2)韓国国民登録の実施状況
第4節 外国人登録体制の再編と日韓会談進行下における国籍をめぐる活動
(1)登録切替交渉における「国籍」をめぐる活動
(2)「韓国」表示導入後の国籍問題への協力要請と1951年1月12日付通達
(3)日韓会談の進行と民団の活動
(4)第二次一斉登録切替における「国籍」をめぐる交渉
おわりに

第5章 韓国国籍強要反対運動
はじめに
第1節 民団・駐日代表部の活動に対する朝連の対応
(1)駐日代表部設置に対する朝連の対応
(2)学同事件と駐日代表部
(3)駐日代表部追放方針の確立
(4)韓国旅券発給、帰国事務に対する朝連の対応
第2節 韓国国民登録、韓国国籍強要反対運動の提起
(1)韓国国民登録に対する反対運動の開始
(2)韓国国籍強要反対の提起
(3)韓国国民登録に対する反対運動の展開
(4)日本国籍保持論への反対から韓国国籍強要への反対へ
第3節 「韓国」表示導入前後の国籍をめぐる運動の展開
(1)「韓国」表示導入反対運動
(2)国籍をめぐる運動と日韓交渉・強制送還反対運動
(3)国籍表示再書換、韓国国民登録の取消要求
第4節 朝鮮戦争、日韓会談進行下における韓国国籍強要反対運動
(1)反対運動の提起(1951年9-10 月)
(2)宣伝・署名運動と共和国からの声明(1951年11—12月)
(3)抗議運動と3.7国会闘争(1952年1—3月)
(4)講和条約発効前後の反対運動の展開(1952年4—12月)
(5)日韓交渉再開後の運動の展開(1953年1月—)
(6)「朝鮮」表示書換運動の展開
(7)統一同志会・建青協商派による国籍強要反対運動
おわりに

第6章 外国人登録令改定に対する対応と強制送還反対運動
はじめに
第1節 外国人登録令改定と第一次一斉登録切替
(1)外国人登録令制定後の在日朝鮮人管理体制の再編
(2)外国人登録令改定、一斉登録切替に対する日本政府の方針・対応
(3)登録切替の推進
第2節 外国人登録令改定に対する民族団体の対応
(1)外国人登録令改定時の民族団体の共同闘争と統一戦線
(2)外国人登録令改定に対する民団の対応
(3)外国人登録令改定に対する朝連系団体の対応
(4)登録切替における朝連系団体の交渉と闘争
第3節 強制送還反対運動の展開
(1)外登令改定までの強制送還反対運動
(2)外登令改定後の取締強化と強制送還
(3)外登令改定後の強制送還反対運動
おわりに

第7章 外国人登録法の施行・第二次一斉登録切替と在日朝鮮人
はじめに
第1節 外国人登録法の施行と日本政府の方針・対応
(1)講和条約発効と在日朝鮮人の法的地位
(2)外国人登録法の施行と登録切替の方針
第2節 地方自治体による登録切替の実施過程—京都府の事例を中心に—
(1)登録切替の準備過程
(2)登録切替の実施状況
(3)拒否運動への対応と切替の強行
第3節 登録切替をめぐる民族団体の対応
(1)外国人登録弾圧に対する在日朝鮮人の反対運動
(2)登録切替に対する民団の対応
(3)切替反対運動の展開
(4)切替反対運動の論理
(5)中央における登録切替交渉の展開
(6)地方における登録切替交渉の展開
(7)登録切替後の取締強化と反対運動
おわりに

結論

文献目録

1.本研究の概要と課題

 本研究は、日本の敗戦/朝鮮の「解放」後、在日朝鮮人が自らの法的地位をめぐって何を訴え、どのような運動を繰り広げてきたのかを明らかにすることを目的とした。対象時期として主に、1945年の朝鮮解放から、講和条約発効・第二次一斉外国人登録切替を経て朝鮮戦争が停戦する1953年までを検討した。解放から分断、朝連の強制解散と運動の再編、朝鮮戦争、日韓会談、外国人登録法と出入国管理令の適用を経たその時期までが、今日に至るまでの在日朝鮮人の置かれた状況を歴史的に考察する上で重要な時期と考えたためである。
 本研究の課題は、解放後の法的地位をめぐる在日朝鮮人運動について、その性格と具体像を明らかにすることであった。これまでの研究では、解放と分断、朝鮮戦争を経る過程での法的地位をめぐる在日朝鮮人運動の展開過程について、その実態解明は十分に進められてこなかった。したがって本研究では国籍、外国人登録、強制送還・在留権、民族団体に対する法的規制など、在日朝鮮人の法的地位と運動の諸相の総体的な把握を試みた。本研究は、民族団体の法的地位をめぐる活動に焦点を当て、それらを歴史的に検証する過程で、在日朝鮮人がいかなる困難に直面し、何を求め、運動を展開せざるをえなかったのか、どのような社会的構造下を生きなければならなかったかを検討するものだった。
 本研究の視角として第一に、法的地位をめぐる問題が当事者たる在日朝鮮人にとっていかなる問題だったのか、何を訴え、どのように活動を展開してきたのかという在日朝鮮人運動の内在的論理と実践に関する事実の発掘と分析に注力した。さらに本研究は、解放後に結成された朝連―民戦・祖防委、建青、民団をはじめとする民族団体の活動の路線と再編過程について、史実の復元から始め、その再構成を試みた。その分析を通じてのみ、在日朝鮮人運動総体のなかに法的地位をめぐる運動を位置づけ、論じることが可能になると考えたためである。
 第二に、朝鮮本国の状況・運動と在日朝鮮人運動の連関、すなわち朝鮮現代史としての在日朝鮮人運動の側面の解明に力点を寄せて、その実態を検討した。法的地位をめぐる運動をはじめ在日朝鮮人運動は朝鮮の建国運動、解放運動の一環としても展開されており、それがどのような連関の下で繰り広げられたのか、その具体像を論じた。本研究は、民族団体の運動路線と建国課題、在日朝鮮人の法的地位と生存・生活権の問題を切り離して論じることなく、解放後の在日朝鮮人の置かれた歴史的、社会的諸条件を問うものであった。
 第三に、占領当局と日本政府、地方自治体、警察などによる在日朝鮮人運動に対する抑圧、弾圧の実態に対する分析を行った。史料批判に基づいて、在日朝鮮人運動の論理と展開を正しく評価し、論じるためには運動それ自体がいかなる制約、客観的条件の下で行われたかを問わなければならない。本研究は外国人登録管理体制の再編、一斉登録切替の実施、運動再編に対する取締の実態などへの検討を通じて、占領下の旧宗主国における朝鮮人運動を規定した諸条件の分析を試みた。

2.各章の概要

 第1章では、法的地位をめぐる在日朝鮮人運動を論じる前提として、解放後に結成された民族団体の運動路線と運動の再編過程について検討した。すなわち、朝鮮の解放と分断、内戦状況のなかで民族団体がいかなる運動路線を掲げ、運動を再編し、展開していったかについて朝連―朝連系団体―民戦・祖防委に焦点を当て分析した。朝連は朝鮮人民共和国、人民委員会に基づく「人民の人民のための人民政府」の樹立を訴え、南朝鮮の解放運動に呼応し、北朝鮮の社会改革と人民委員会の発展を支持した。そして完全自主独立のための闘争、解放後の新朝鮮建設運動の結実として朝鮮民主主義人民共和国の建国を追求し、その支持と「死守」を訴えた。こうした在日朝鮮人の動向、建国路線は日帝植民地支配によって形作られた朝鮮の社会経済構造、在日朝鮮人の歴史的形成過程と不可分のものであった。またそうした運動路線と活動実践は、独立した朝鮮人民、共和国国民としての地位と権利を求めた法的地位をめぐる運動に連なるものだった。朝鮮の建国・独立のための活動と課題意識は、国籍をめぐる在日朝鮮人運動の基礎をなすものだったのである。在日朝鮮人の諸権利を求めた生活権闘争、民族教育なども「民主朝鮮建設」のための活動との連関の下で展開された。
 朝連は南朝鮮の抗争、蜂起に呼応し、人民虐殺と李承晩政権への軍事援助、韓国駐日代表部の活動への反対、パルチザン支援を掲げ、1949年の祖国統一民主主義戦線結成を前後して民団・建青協商派との統一戦線を拡大していった。さらに日本における共和国人民としての運動として、日本の革新勢力と提携し、民主化に参与し、日本の再武装化への反対を訴える過程で「祖国防衛」・「救国闘争」を実践しようとした。こうした朝鮮の内戦状況に呼応した諸活動や反李承晩政権・祖国戦線支持という戦線での協商派との統一戦線の形成、日本の革新勢力との提携強化と活動の「非合法」化という1949年の運動の態様と実践は、全面戦争勃発(1950年6月25日)後の民戦・祖防委の運動の起点となった。朝鮮の戦時状況、南朝鮮と日本を米軍が占領・駐留するといった条件の下で反李承晩政権を掲げ、共和国を支持した在日朝鮮人運動が徹底的に否定されるなか、朝鮮戦争の拡大と継続、停戦会談の進行と日米安保条約・単独講和条約の締結という状況に即して、在日朝鮮人は運動を再編させ、連綿と展開していった。1945年の解放後、米軍占領下の旧宗主国における厳しい運動弾圧のなかで活動を繰り広げた朝鮮人は、かかる運動実践を通じて朝鮮の内戦を闘っていたのである。こうした運動の再編と展開のなかで、法的地位をめぐる在日朝鮮人運動は展開されていくこととなった。
 第2章では、解放直後の法的地位をめぐる在日朝鮮人運動として、独立した「解放国民」・外国人としての待遇要求と日本国籍保持論に対する反対運動の展開過程について検討した。在日朝鮮人は解放直後から一貫して、日本帝国主義から「独立」した「解放国民」、「外国人」としての待遇を求めた。日本政府による在日朝鮮人の法的地位に対する見解表明と取締の強化を在日朝鮮人の独立、諸権利を脅かすものと捉え、これに強く反発した。こうした法的地位をめぐる訴えは、日本における朝鮮人に対する迫害への抵抗、民族の独立を求めた朝鮮の建国運動、そして自らの生存・生活権の侵害に反対する活動と結びついたものだった。
 民族団体は、日本における迫害・抑圧、取締に抵抗し、自らの諸権利を守るために、日本国籍保持論に対する反対を喫緊の課題とした。在日朝鮮人にとって、日本国籍保持論が公言され、旧宗主国において自らに対する蔑視、偏見が流布され、取締が強められるなかで、日本国民として取り扱われ、朝鮮の独立が認められないことは法的地位や生活権に対する脅威となった。解放後の在日朝鮮人は、日本国籍を拒絶し、日本国籍保持論に抵抗することから始めなければならなかったのである。日本国籍保持論を前提とした在日朝鮮人に対する取締の強化、偏見・迫害の煽動、生活権・法的地位の危機への反対は、外国人登録への対応、朝鮮分断後の法的地位をめぐる運動へと延長していった。
 第3章では朝連強制解散、財産接収に対する在日朝鮮人の取消・反対運動の展開過程について検討した。解散命令・財産接収に直面した在日朝鮮人は必死の抵抗を繰り広げ、接収阻止、当局への抗議・要請、世論喚起・宣伝活動、司法闘争などの様々な形態で、生活権や団結権、解放民族としての権利を求め広範な運動を展開した。極めて制約された条件下で在日朝鮮人は運動体の破壊、暴力的な財産の収奪に抵抗し、朝鮮戦争下において運動を再編し、闘争を粘り強く繰り広げた。1952年の講和条約発効後も朝連財産奪還運動を展開し、総連結成後に至るまで朝連財産の返還を求める運動を続けていった。
 日米当局による朝連強制解散は朝鮮の内戦に呼応し、自らの正当な生活権や法的地位を求める運動の力量を抑圧するものだった。米軍が占領した南朝鮮と日本において、植民地支配の清算を求め、朝鮮人民の生活と権利のため闘った運動体は徹底的に破壊されたのであり、解散反対運動はかかる弾圧に対する在日朝鮮人の抵抗にほかならなかった。在日朝鮮人の法的地位をめぐる運動という点からこの問題を捉えるならば、GHQ・日本政府の朝連強制解散は、反李承晩政権を掲げ韓国国民登録に反対し、解放され独立した朝鮮民主主義人民共和国人民としての権利と地位を求める在日朝鮮人の動きを抑圧する結果をもたらしたといえる。
 第4章では、大韓民国を支持した民団と韓国駐日代表部が「国籍」をめぐってどのような活動を繰り広げたかについて1952年の第二次一斉外国人登録切替までの時期について検討した。民団は駐日代表部設置以前から本国の官設機関の補助機関になることを標榜して活動を続け、駐日代表部設置直後からすぐさま韓国国民登録について本格的に準備を始め、日本政府・地方自治体への協力要請を進め、登録実施のための体制を整備した。李承晩政権の樹立、駐日代表部の設置後に続けられた民団・駐日代表部のこうした一連の韓国国民登録の実施過程、「国籍」をめぐる活動は日本における大韓民国支持勢力の巻き返し、基盤拡大のための活動にほかならなかった。大韓民国を支持する勢力基盤が非常に脆弱であったなかで、民団は様々な宣伝、活動を行い、在日朝鮮人の財産権、生活権、教育権、帰国・旅行の権利に訴え、日本の当局・官憲との協調を通じて「韓国国籍」を在日朝鮮人に浸透させようとした。さらに外国人登録体制の再編と日韓会談の進行という状況下で、日本政府、地方自治体と交渉を重ねる一方、日韓会談を促進させるなかで民戦・祖防委を排除した「韓国国民」としての法的地位の保障を追求していった。
 民団は朝連の強制解散を支持し、むしろそれによる接収財産の引き渡しを日本政府に求め、「善良な韓国人」の権益のみを追求し、さらには在日朝鮮人を一律的に「韓国国民」として認定することを訴え、活動を繰り広げた。民団・駐日代表部のこうした法的地位をめぐる活動は、朝連強制解散に対する対応、義勇軍派兵による朝鮮戦争への参与、朝鮮戦争停戦や講和条約締結・日本の再軍備に対する態度決定などと重なり合い、朝連や朝連系団体―民戦・祖防委の活動と真っ向から対立した。かかる活動は朝鮮戦争、日韓会談の進行を背景とした日本の官憲との協力、結託の下で、朝連―民戦・祖防委の運動と対照をなす形で展開された。強制送還・在留権や国籍の問題、外国人登録に基づく運動弾圧、朝連とその再編団体に対する法的規制などの法的地位をめぐる問題は、民団・駐日代表部と朝連―朝連系団体―民戦・祖防委との対抗関係のなかで推移しており、これ自体が朝鮮の戦時状況の反映にほかならなかったのである。
 第5章では、朝鮮分断後の国籍をめぐる在日朝鮮人運動として、韓国国籍強要反対運動の展開過程について検討した。朝連は駐日代表部の設置後の活動や学同事件などの暴行・衝突事件を通じて民団・駐日代表部との対抗関係を深めていき、駐日代表部の活動を李承晩政権に対する軍事援助、軍事動員、人民虐殺への加担の問題と関連付け反対運動を繰り広げた。こうして深められた民団・駐日代表部との対抗関係、日本当局の朝連側の運動に対する厳しい態度と弾圧は、韓国国籍の強要に対する危機意識として引き継がれていくこととなった。韓国国民登録に反対した在日朝鮮人にとって、GHQ・日本政府が大韓民国に反対した運動体のみを集中的に破壊し、在日朝鮮人管理体制を再編するなかで抵抗運動それ自体を否定する一方、民団・駐日代表部が生活や帰国・祖国往来などの諸権利を楯に官憲との協調の下で韓国国民登録を強力に推進しようとすることは、「韓国国籍」の「強要」にほかならなかった。
 かくして朝連系団体は民団・駐日代表部による韓国国民登録への反対運動を展開し、韓国国籍の「強要」問題を提起し、「国籍選択の自由」を強く訴えるようになった。かかる韓国国民登録、国籍強要への反対は朝鮮の内戦状況に呼応し、自らの生存・生活を守る運動実践と深く結びついたものだった。こうした運動は全面戦争勃発後まで、民団・建青協商派と朝連系団体の統一戦線運動の具体的実践として展開された。
 民団・駐日代表部の国籍問題に関するGHQ・日本政府に対する要請活動に朝連系団体は反発し、1949年12月以後の第一次外国人登録切替交渉においても、各地方自治体に韓国国民登録との連結に反対し、「韓国」表示を導入しないことを条件として突き付け、切替に応じていった。さらに1949年12月の外登令改定によって、強制送還に対する反対運動が提起されるなか、強制送還と国籍強要への反対はともに訴えられていった。この過程で独立を求めた国籍をめぐる運動は、日本国籍保持論への反対から、韓国国籍強要に反対し、共和国人民としての法的地位を守り抜こうとする運動へと収斂した。その運動に通底していたものは自らの独立した朝鮮人民としての地位と権利を守ろうとする訴えだった。全面戦争勃発後の韓国国籍強要反対運動は、朝鮮戦争の継続、講和条約・日米安保条約の調印、出入国管理令の制定、日韓会談の進行などの諸条件のなか、一律な韓国国籍保持者として取り扱われること、大韓民国への強制送還、朝鮮戦争への動員に対する切実な危機意識が高まるなか、大規模に各地で展開されていった。この過程で朝鮮表示書換運動が展開され、禁じられていた「朝鮮」表示への再書換を各地方自治体に認めさせる実践が行われていった。
 第6章では、外登令改定・第一次一斉登録切替に対する在日朝鮮人の対応と活動、強制送還反対運動の展開過程について検討した。民族団体の外登令改定に対する対応は、国籍をめぐる活動の延長上に展開されたが、これは朝連強制解散という厳しい運動弾圧と朝鮮の内戦状況が色濃く反映されたものだった。とりわけ、独立国民・共和国人民としての地位と権利を求めた朝連系団体にとって外登令改定・第一次一斉登録切替は、初めて国籍表示が「朝鮮」から「韓国」表示へ一律に変更される可能性のあった、自らの国籍・法的地位に対する極めて重大な危機であった。朝連系団体は強制解散命令と財産接収という状況下で、外登令改定による罰則・取締強化に強く抗議する一方、「韓国」表示の導入反対を条件に掲げ自治体と闘争し、韓国国民登録・韓国国籍強要、駐日代表部や日本政府・官憲の介入に強く反対し、それを強制送還反対運動と結びつけ、運動を繰り広げていった。
 在日朝鮮人の国籍、在留権、処遇といった問題は後に1951年から始められた日韓会談で主題とされたものだった。在日朝鮮人の法的地位を一方的に論議し、規定する日韓交渉への反対運動は外登令改定を前後した1949年から始まっていたのである。むしろこの後に進行された日韓会談はかかる訴え、運動の否認の上に成り立っていたといえる。外登令改定を前後したこうした運動は、1951年の秋以後に強力に展開された国籍強要・強制送還反対運動の起点となるものだった。全面戦争勃発後に至るまでの官憲との激しい対立、在日朝鮮人運動の態様と方針、日本の管理体制の形は外登令改定・一斉登録切替に対する占領当局と日本政府、自治体、官憲側の方針・対応と在日朝鮮人の運動との対抗関係のなかで形作られたのである。
 第7章では、1952年の外国人登録法施行による第二次一斉登録切替に対する日本政府、地方自治体の方針と実施過程、民族団体の対応と活動について検討した。日本政府、地方自治体は在日朝鮮人による全面的な切替拒否運動が一部の煽動者によって起こされているかの如く主張した。そして、外国人登録に基づく弾圧があるからこそ切替拒否をするのだという在日朝鮮人側の訴えを真っ向から否定し、運動の抑圧と取締を図り、日本のメディアもそれを支えた。第一次一斉登録切替時に問題とされた争点は、第二次一斉登録切替では朝鮮戦争と日韓会談の継続、講和条約の発効、出入国管理令の適用という状況で、取締強化と南朝鮮への強制送還、軍事動員に対する反対、「国籍選択の自由」という訴えが一層の切迫感をもって提起されることとなった。さらに第二次一斉登録切替では日本メディアの歪曲報道への反対、指紋押捺への反対、「永住権」の認定要求が重大な問題として提起され、生活権、民族教育の保障など諸権利の要求が全面に押し出されていった。
 戦後日本において最も大規模となった全面的な登録切替反対運動は、日本における迫害と取締に対する在日朝鮮人の回答だった。民団が自らの立場を民戦・祖防委と峻別し、当局との協調関係を維持しつつ、交渉を繰り広げたのに対し、厳しい弾圧を受けていた民戦・祖防委はそうした民団の振る舞いを非難し、日韓会談と韓国国籍強要の反対を訴え、在日朝鮮人を管理・弾圧する外国人登録体制そのものに抗議する切替拒否運動を展開した。民戦・祖防委は切替反対運動を単なる「拒否」にのみ終始させることなく、朝鮮戦争下において祖国と自らの生存・生活を守る重要な活動の一環として捉え、その運動を通じて当局への抗議・要請を重ね、生活保護、民族教育の保障、国籍選択の自由、居住権の保障、朝連財産返還などを求め活動を繰り広げた。外国人登録や強制送還、韓国国籍、「韓国」表示に関する議論、方針決定の背景には常に、解放された民族、独立国民としての地位と権利を求めた在日朝鮮人運動が存在していた。日本政府は日韓会談において主題とされた国籍・在留権・処遇問題について韓国政府と交渉する一方、正当な法的地位と権利を求め、国籍強要・取締の反対と在留権・生活保障を訴えた在日朝鮮人運動と日本の地で対峙していたのである。日韓交渉が進められるなかで繰り広げられた、共和国を支持した朝連―民戦・祖防委による日本政府、自治体に対する要請行動と交渉は、朝鮮の支配と独立、朝鮮人民の地位と権利をどのように位置づけるかを問う「日朝交渉」としての歴史的意味を持っていたといえる。
 本稿の最後に、解放後の法的地位をめぐる在日朝鮮人運動は、(1)日本における在日朝鮮人に対する厳しい抑圧、取締との対抗関係のなかから提起され、展開されたこと、(2)朝鮮本国の状況と解放運動をめぐる課題と対抗関係が日本における朝鮮人運動に反映される形で展開されたこと、(3)在日朝鮮人の生存と生活、運動を守るための重要な中心課題として行われたこと、(4)占領当局や日本政府、地方自治体、警察の方針と対応に強い影響を及ぼし、規定づけたことを結論として示した。
 本研究の意義は、旧宗主国において朝鮮人がいかなる構造と制約の下で、どのように運動してきたかについて法的地位をめぐる運動に焦点を当て、その意義と具体像を明らかにしたことである。またその過程で外登令制定後の登録管理体制の再編と運動再建への抑圧の過程について仔細に分析した。
 さらに本研究では、法的地位をめぐる運動を検証する過程で、(1)朝鮮本国の状況・解放運動に呼応した解放後の民族団体の運動路線と活動、(2)朝鮮分断後の民族団体の運動の再編と実践について、史実の復元を進め、それらの展開過程を明らかにした。これらのことはこれまでの研究では実態解明が十分に進められておらず、仔細にその具体像を明らかにしたことが本研究の第二の意義である。

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