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博士論文要旨

論文題目:障害者と健常者の関係形成に関する社会学的考察 ―東京都多摩地域における障害をめぐる教育、福祉、地域社会の再編成―
著者:加藤 旭人 (KATO, Akihito)
博士号取得年月日:2021年3月19日

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1.章立て

序章 現代における障害をめぐる教育、福祉、地域社会の再編成
1 研究の目的
2 研究の対象
3 研究の方法
4 論文の構成

第1章 障害者と健常者の関係形成をめぐる理論的視座
1 本章の目的
2 研究の背景
3 障害の社会学的研究
3−1 障害者運動研究の批判的継承
3−2 ライフストーリー研究による障害者運動研究への批判
3−3 障害の社会学的研究の理論的課題
4 分析の視点-ミクロとマクロをつなぐために
4−1 障害の社会モデルの批判的検討と関係論的視座-障害の政治的/関係的モデル
4−2 社会政策と社会運動の相互連関の「中範囲の理論」-社会制御システムという視点
5 本論文の分析課題

第2章 東京都多摩地域における学校週五日制の導入と地域活動の展開-1990年代における東京都立立川養護学校の実践
1 本章の目的
2 対象と方法
3 学校週五日制の導入の背景
3−1 学校週五日制の導入をめぐる教育政策の展開
3—2 学校週五日制の導入以前における障害児の置かれた教育状況
4 学校週五日制に対する保護者および教員の反応
4−1 保護者の反応-PTAによる学校週五日制に対する強い反対
4−2 教員の反応-学校週五日制の容認と保護者への共感のはざまで
4−3 地域活動の形成
5 学校五日制の導入に対する社会教育行政による対応
5−1 地域活動と社会教育との結びつき
5−2 東京都教育庁による事業化
5−3 X会の形成
6 小活

第3章 市民活動の形成と福祉事業化の社会的過程-地域社会への定着と制度化のジレンマ
1 本章の目的
2 対象と方法
3 出発点としての余暇活動
3−1 東京都教育庁による社会教育事業の制度化
3−2 X会の活動の展開 (1992-1997)
4 地域活動から市民活動へ
4−1 団体Yの形成過程
4−2 団体Yの活動内容
4−3 団体Yの組織内部における葛藤
5 市民活動から福祉事業所へ
5−1 障害者福祉政策の展開
5−2 団体Yの福祉事業化のプロセス
5−3 教育と福祉のジレンマの生成
6 小括

第4章 障害者の地域活動をめぐる共同性の創発的基盤の形成-多様な参加者による意味づけのゆるやかな結びつき
1 本章の目的
2 対象と方法
3 分析の視点
4 「単純化されたイデオロギー」としてのX会の理念
5 アクターによる意味づけ
5−1 障害者による意味づけ-仲間と出会うことのできる場
5−2 家族による意味づけ-密着した家族関係を一時的に解除する場
5−3 指導員による意味づけ-音楽活動を通した共感を与えてくれる仕事の場
5−4 支援者による意味づけ-普段自らが感じている支援の見方を相対化してくれる場
5−5 ボランティアによる意味づけ-障害者と出会い社会へとつながる場
6 小括

第5章 障害者の音楽活動における参加者の即興的相互作用-できる/できないをめぐる非対称性を流動化する音楽実践のしくみ
1 本章の目的
2 対象と方法
3 X会の音楽活動
4 「自己紹介」という実践
5 「セッション」という実践
6 小括

終章 障害をめぐるせめぎあいの帰結
1 本論の要約
2 分析結果はどう解釈されるか
2−1 分析課題①:社会政策と社会運動の間に存在する偶発的連関
2−2 分析課題②:構造化の力学を押しとどめる社会空間の創出
3 残された課題
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2.論文要旨

 本論文の目的は、1990年代以降における教育政策、福祉政策、地域社会の再編成のなかで障害者と健常者の間にどのような関係のあり方が作られてきたのかを、東京都多摩地域を事例として、社会政策と社会運動の相互交渉の過程に注目しながら明らかにすることである。
 1990年代以降、障害をめぐる教育政策と福祉政策が大きな転換点を迎える一方で、障害をめぐる社会運動もまたこうした社会政策による対応を要求したり、批判したり、また利用しながら展開してきた。したがって、障害者と健常者の関係形成を理解するためには、多様なアクターによる個別具体的な実践とそうした実践を取り巻く社会政策の展開とが相互に対立したり、連携したり、また妥協したりする動態的な過程として捉えていくことが必要である。
 序章では、本論文の目的を示した上で、研究対象と調査方法について述べた。
 第一章では、障害の社会学的研究の系譜を踏まえた上で、本論文の課題としてミクロ領域の分析をメゾ領域の分析に埋め戻すことの重要性を提起し、その理論的な基盤を探求した。障害の社会学的研究は、障害者運動研究とそれに対する批判のふたつに大別することができ、これらはそれぞれに分析上の長所と短所を含んでいる。障害者運動研究は、おもに自立生活運動を対象としながら、障害者運動の対抗による障害(disability)の解消戦略を明らかにした。ただし、障害者運動研究は、障害者を差別に対抗する主体として描くあまり、障害者の多様性を看過した点に限界があった。他方で、障害者運動研究に対する批判はおもにライフストーリー研究に依拠しながら行われ、おもに障害者運動から排除される「軽度」障害者に視点を当てながら、障害者のもつ経験の多様性を明らかにした。しかしながら、障害者運動研究への批判は、障害者の個人の経験に着目するあまり、そうした個人の経験を社会構造から切り離して理解する点に限界を抱えていた。
 こうした点を踏まえ、本論文では、アクターの複数性が表出されるミクロな場面をしっかりと視野に納めながらも、同時に、そうした複数のアクターによるミクロな実践が社会制度と多様な関わりを示すことを分析することを課題として掲げ、そのための理論的な視座を探究した。本論文では、近年の障害の社会モデル批判を検討するアリソン・ケイファーの提起する関係論的な視座の有効性を確認し、さらにフーコー権力論と接続させることで、ある特定の状況において働く複雑な権力作用の諸相を、社会制度や社会構造に還元することなく捉える視座を彫琢した。さらに、こうした原理論的な探究を踏まえて、本論文に即した課題設定のための中範囲の理論を探究し、舩橋晴俊の提起する社会運動と社会政策の相互交渉を捉えていく「社会制御システム」を批判的に検討した。その上で、本論文では舩橋のような機能主義による演繹的な理論としてではなく、関係主義的な視座を引き継ぎながら帰納的に援用することを分析の方針とした。
 以上の理論的な探究のもと、本論文では以下の二つの分析課題を設定した。

 分析課題①:1990年代以降における新自由主義的な行財政改革を背景にもつ教育政策・福祉政策およびそれとの共変動としての社会運動の対立、連携、妥協といった相互交渉の展開は、障害者と健常者の関係形成にかかわるどのような構造的な制約と可能性をもたらしたのか。

 分析課題②:こうした社会政策と社会運動の展開の帰結としてもたらされた構造的な制約と可能性は、障害者と健常者の関係のあり方をどのように再編成したのか。とりわけ、関係性のあり方を枠づけようとする構造的な力学と、個々の社会的な文脈における関係のありようのせめぎあいのなかで、どのような障害者と健常者の関係性が創出されているのか。

 以下、本論文では、分析課題①として東京都多摩地域における社会政策と社会運動の展開過程のメゾレベル分析(2章・3章)、分析課題②として障害者をめぐる地域活動(X会)の実践のミクロ分析(4章・5章)に取り組んだ。
 第二章では、学校週五日制導入を契機とした障害者の地域活動の形成過程について、東京都立立川養護学校の取り組みに注目しながら、明らかにした。1980年代における臨時教育審議会を中心とした行財政改革に端を発する学校週五日制の導入に際して、全国で唯一の精神薄弱校における試験校となった東京都立立川養護学校では、PTAによる学校週五日制導入に反対する運動が展開した。PTAの反対に対して、教員は、障害児の教育権の削減を押し留めるという観点から母親たちに協力し、東京都立立川養護学校の通学5市において学校週五日制によって休業日となる土曜日に地域活動を行うことでのその対応を図り、さらに地域活動を社会教育制度に位置づけることで、障害児の教育権の確保とノーマライゼーションの実現をめざした。
 1992年9月12日土曜日に最初の土曜日休業が施行されると、東京都立立川養護学校で行っていた地域活動は、各市における自主活動となり、要望書を各市教育委員会に提出するなど、活動を展開していた。こうした取り組みを受けて、東京都教育庁は、1992年に「心身に障害のある児童・生徒の学校外活動事業」、1994年に「心身に障害のある児童・生徒の地域活動促進事業」を事業化するに至った。ただし、こうした地域活動の展開は、ボランティア不足という課題を抱えていたため必ずしも十分な広がりを見せることはなく、東京都による事業も2000年には新規受付を終了し、ボランティア養成事業へと展開していった。
 第三章では、以上で始まった地域活動が地域社会に定着していく過程を、X会および団体Yを中心として明らかにした。1992年9月12日の休業施行を契機として、A市においてX会が活動をはじめた。その後、X会は、要望書の提出によって行政の協力を部分的に獲得し活動を継続すると、A市内小学校のPTAへの働きかけ協力を得るとともに、組織的な動員によらない個人のボランティアの参加などを得て、活動を次第に拡大していった。
 1998年にX会は、東京都教育庁による地域活動促進事業による助成を受けることが決定すると、X会を支えるボランティア団体として新たに団体Yが形成され、団体YはX会に相互に協力しながら、市民活動として学校週五日制施行日以外の地域活動以外の宿泊事業やフリースペースの運営といった新たな活動をはじめる。団体Yは、障害児の生活の場所の獲得および担い手不足という課題を解消するために、事業運営の可能性および社会的信用の獲得のためNPO法人格を獲得する。さらに団体Yは、社会福祉基礎構造改革によって知的障害者生活寮の運営がNPOに広がることを契機として社会福祉制度と結びつき、2002年に重度生活寮を開設し福祉事業体となる。2003年度から支援費制度が開始され、2006年度から障害者自立支援法が施行されるなかで、団体Yは福祉事業体として事業を拡大していく。
 ただし、こうした福祉事業の展開は、次第にX会の活動とのジレンマを抱えることにもつながっていく。ボランティアを活動の原理として社会教育制度に位置づけられるX会と、支援を活動原理として社会福祉制度に位置づけられる団体Yは、その活動のあり方をめぐって原理的な対立を抱えるようになった。すなわち、X会が活動の場においてはボランティアとして無償で活動を行い多くの人が共に楽しむ関係を目指すのに対して、福祉事業である団体Yは有償で事業を行い、障害福祉サービスを利用する利用者とサービスを提供する介助者の一対一の関係を結ぶようになると、こうした違いは原理的には調停不可能になる。本論文ではこの原理の違いを教育と福祉のジレンマとして捉えた。こうして、X会と団体Yは、当初のX会から派生しその活動を広く支える団体Yという関係性から、活動の原理を異にするボランティア団体X会と、福祉事業体である団体Yへと関係のあり方を変化させた。
 もっとも、X会と団体Yは、相互の活動のあり方をめぐるジレンマを抱えることになった一方で、そうしたジレンマによって全てが引き裂かれることはなかった。X会の活動を見てみると、教育と福祉をめぐるジレンマに捕捉された障害者、指導員、家族、支援者、ボランティアといった多様なアクターたちは、そうした立場の違いや利害の対立を抱えながらもなお結びついていた。この意味で、X会は、活動を介してアクターを結びつけ、それと同時に自律的な空間を立ち上げる実践によってジレンマを回避しながら、既存の制度のみでは実現することのできない障害者と健常者の関係を形成しようと活動を継続してきた。それでは、こうした実践はどのようなアクターの主体性と実践の仕組みに支えられているのだろうか。この点を、X会の活動のミクロ分析から明らかにしていくのが第四章と第五章である。
 第四章では、X会の担い手が活動に対して与える個人的な経験に即した意味づけに注目し、個別のアクターの経験とX会の活動がいかにして結びついているのか、また個別のアクター相互の意味づけがいかにしてX会の活動において共有されているのかを明らかにすることで、X会が組織内部に多様性なアクターによる参与を確保しながら共同の場を維持する仕組みを検討した。
 X会の活動の理念は、「地域」という概念によって、「しょうがいのある人たち」と「ともに育み合う仲間」を結びつけながら、「地域で楽しく過ごす」ための活動を行うことを可能にするという曖昧なものであった。こうした理念は、参加者による柔軟な解釈へと開かれていた。「地域」という抽象的でありつつも局所的には具体性をもつ概念によってつなぎ留められた理念は、参加者による柔軟な解釈へと道を開く可能性を結果的に用意した。
 参加者はそれぞれが、自らの有する個別的な経験とX会における他者との関わりの経験を、状況に応じて柔軟に照らし合わせていく実践を通じて、X会の活動に継続的にかかわる意義を構築していった。障害者は「仲間と出会える場」として、障害を持つ息子の母親は「密着した家族関係を一時的に解除する場」として、指導員は「音楽活動を通した共感を与えてくれる仕事の場」として、支援者は「普段自らが感じている支援の見方を相対化してくれる場」として、ボランティアは「障害者と出会い社会へとつながる場」として、X会を意味づけていた。  この点を踏まえるならば、X会に関わるアクターの意味づけは、必ずしも一枚岩な一致点を有していたわけではない。むしろそこには、ズレや対立の要素も伏在していた。しかし、個別のアクターによる多様な意味づけを強い同一性のもとに統合するのではなく、そうした意味づけのあり方を一定の幅とともに受け入れることで、障害者をめぐるアクター同士の直接的な利害の対立を回避しながら障害者をめぐる多様なアクターが結びつく可能性を確保していた。それを「共同性」と呼んでしまうと、表現が予定調和なニュアンスを持ち過ぎる。だが「ともに育み合う仲間として、多くの地域の人々と交流できる活動を行う」経験が緊張をはらみながらも共有されることを通じ、共同の体験へとつながるゆるやかな基盤が、一時ではあれ確かに形成されていた。
 第五章では、X会を介して結びついた多様なアクターがどのような関係の質を作り出しているのかを明らかにするために、X会の音楽活動に着目しながら、X会における障害者と健常者の関係の創出過程を検討した。障害者と健常者の関係においては、「『できる人ができない人に配慮する』というかたちの権力関係」(岡原1990=2012:218)を形作りやすく、こうしたできる/できないをめぐる非対称性は、ときに両者の間の支配関係を形成したり、あるいは両者の関係の解消といった帰結をしばしば招いてしまう。それでは、障害者と健常者が、できる/できないをめぐる非対称性を抱えながらも、なお両者が関係を結ぶためにはどのような方途があるのだろうか。
 障害のあるなしにかかわらず参加者全員が自身を他の参加者に対して紹介する「自己紹介」という実践において、指導員は、障害をもった参加者の一般には逸脱として捉えられがちなふるまいを一概に「できないこと」として認識し制止するのではなく、むしろそうした状況に対して「あえて何もしない」関わり方を通して即興的な対応をしながら参加者とともにコミュニケーションを続けていく。さらに笑いなどのユーモアの実践を介して、参加者全員とコミュニケーションを共有していく。
 また、打楽器を用いた参加者全員による即興演奏を行う「セッション」という実践においては、即興演奏という音楽形式によるコミュニケーションに基づいた時空間を編成する。こうした時空間において、障害者が一般的に排除されがちなコミュニケーション形式とは異なる原理に基づく時空間を一時的に形成する。さらに即興演奏という音楽形式において、通常の楽器演奏では、音楽演奏に関わるできる/できないをめぐる非対称性を無効化し、さらに参加者の一般には逸脱と捉えられがちなふるまいも音楽の表現として受容していく。「セッション」とは、こうした音楽の共同演奏を通して、「他者の意識の流れを生ける現在において、即時的に共有する」(Schutz1964=1991:239)実践である。
 X会のできる/できないをめぐる非対称性を伴う関係形成の実践では、あるふるまいができないことの要因を本人に帰属させ、本人を直接的な介入の対象とするのではない。そうではなく、X会の実践は、そうした個別のアクターのふるまいの置かれた文脈に働きかけながらできる/できないをめぐる非対称性のあり方をずらしたり、拒否したりしながら状況依存的に位置づけ直すことで、多様なアクター間の関係を作り変えていく。この意味で、X会の実践とは、絶えずできる/できないをめぐる非対称性を流動化させていく動態的な実践であるといえよう。
 こうした関係のあり方は、リジットな組織構造を持つわけではないという意味で安定的ではなく、またその活動の時空間に限定されているという一時性という意味では、限界も抱えている。ただし、障害(disability)の制度による解消および社会運動による解消のどちらもが一定の限界を抱えていることを踏まえれば、X会の活動が抱える不安定性や一時性は必ずしも否定されるべきものではなく、むしろ引き受けざるを得ないものである。この意味で、X会の実践は、障害者と健常者の関係のあり方に絶えず働きかけ続けることを背負った厳しい営みであると言える。しかしだからこそ、これまで明らかにしたような障害者と健常者の関係を形成するための技法やプログラムもまた生み出されてきた。
 終章では、各章を要約したあとで、本論文で提起した分析課題に立ち返りながら、本論文の知見を「社会政策と社会運動の相互交渉」の観点からまとめた。
第一に、社会政策と社会運動の関係は、それを実際に担う機関や組織といったエージェント間における相互的で偶発的な連関の過程としてあった。社会政策と社会運動は対立やずれや妥協を孕んだプロセスであり、この意味で、両者は必ずしも完全な一致を見たわけでもない。だがしかし、両者は必ずしも無関係なのでは決してなく、実際に両者の持っていた意図の全てが具体的な形として実現したわけではない。むしろ、社会政策と社会政策は、自らの意図を実現するために相互の存在を必要としていた。この意味で、両者の関係は、一定の制約のもとにありながらも、相互の偶発的な連関の過程としてあった。その両者の関係は、その時々において、「対立」(学校週五日制導入期:1992年まで)、「対立の相互回避と新しい課題領域への相補的対応」(地域活動の展開期:1992~97年まで)、「相対的自律」(市民活動の展開期:1998~2001年まで)、「構造的ジレンマの生成と社会運動への転移」(福祉事業化期:2000年代以降)といったそれぞれの段階を経ながら、障害をめぐる新たな構造を生成させた。
 第二に、本論文では、X会の活動を構造化の力学を押しとどめる社会空間を創出する実践として位置づけた。それは、1990年代以降の社会政策と社会運動の偶発的な連関から生じ、その構造化のプロセスに内在しつつも、教育と福祉のジレンマによって働く構造的な制約を押しとどめながら障害者と健常者の関係を形成する実践である。X会の実践は、既存の制度に内在しつつも、そうした制度に還元されない関係性を創出しようとする実践である。それぞれアクターは、構造的な力学を引き受けながらも、そうした力を一時的に弱める場を集合的に作り出すためにさまざまな主体的な働きかけを行っていた。いわば、X会の実践は、社会政策と社会運動の構造化のプロセスに巻き込まれながらも、システムによる機能分化を押しとどめようとする実践であると言える。

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