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博士論文要旨

論文題目:婦選獲得同盟による地域の婦選運動 ―支部運動の変遷と誌友会の形成をめぐって―
著者:井上 直子 (INOUE, Naoko)
博士号取得年月日:2020年11月30日

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序章
第 1 章 婦選獲得同盟金沢支部の婦選運動
第 2 章 婦選獲得同盟地方支部による婦選運動の深化
第 3 章 婦選獲得同盟東京支部にみる婦選運動の転換点
第 4 章 婦選獲得同盟誌友会の組織化とその役割
終章

 本論文は、婦選獲得同盟の支部、誌友会を拠点に、地域において立ち上がる婦選運動のあ
りようを検討するものである。
 各章の概要は以下の通りである。
 序章では、先行研究の整理を行い、本論文での課題を設定した。まず先行研究として、①
本論文が取り上げる婦選獲得同盟の各支部、②婦選獲得同盟の本部、そして本部の幹部で婦
選運動をリードした市川房枝、③①と同じく地域における婦選運動に関わった全関西婦人
連合会と、婦選獲得同盟と異なる婦選運動を担った婦人同志会に関する研究を取り上げた。
これらの研究の成果と残された課題を整理したうえで、本論文では以下の課題を設定した。
1 点目は、運動の継続が困難となっていく満洲事変以降の変化も含め、さらに支部運動の解
明を進めること。2 点目は、支部間の婦選運動を比較検討し、婦選をめぐる支部の捉え方の
異同とその変遷を示すこと。3 点目は、本部が支部の諸運動をいかに捉え、支部による運動
のあり方を構想したか、その変遷を明らかにすること。これらの課題に取り組むため、本論
文では金沢支部、東京支部を中心に、各支部、本部の運動を再検討した。支部のみならず、
先行研究で取り上げられてこなかった誌友会も取り上げることで、支部運動が後退するな
かでいかに婦選獲得同盟の活動が継続したかを跡づけた。
 以下、各章の概要を示す。
 第 1 章では、支部のなかでも満洲事変以降を含め独自の支部運動が確認できる金沢支部
を取り上げた。金沢支部は新潟支部に続き 2 番目に結成された地方支部である。1929 年に
「婦人のみの手によつて」結成された金沢支部は、「金沢のお嫁さん」を「めざめさす」こ
とに主眼を置いて活動した。すなわち、家族制度や日本の神話と婦選の関係に言及するなど、
金沢支部独自の婦選運動を展開した。男女平等のための婦選運動を主張しづらい地域状況
は、こうした金沢支部の婦選運動のあり方、そして支部員・駒井静子のスクラップ帳に残さ
れた新聞記事や『北國新聞』の報道からも窺い知ることができる。それでも金沢支部の婦選
運動は、他の地域の婦選運動を鼓舞することともなった。1930 年に金沢支部が本部と主催
した北陸婦選大会をひとつの契機に、支部結成に至らなかったが、福井市、富山市でも婦選
運動の動きが見られ、また秋田支部の結成を促した。満洲事変以降は、各地で支部活動の継
続が困難となっていくなか、第一次上海事変時に褌を送る銃後支援、市内女性団体とともに
婦選デー、小松大火に対する救済事業などを行った。この時期も、「完全なる国民的信念を
持つ上にも婦選を認むべきではないかと思ふ」と、視点を変えながら婦選の獲得を訴え続け
た。
 しかし、北陸婦選大会と比較して、満洲事変以降、婦選獲得同盟刊行雑誌『婦選』『女性
展望』(1936 年 1 月より『女性展望』へ誌名変更)誌上で金沢支部の諸運動が前面に押し出されることはなかった。こうした変化も念頭に、金沢支部を含む各支部の運動の異同につい
て、第 2 章で検討した。すなわち、各支部および本部の運動は、①婦人公民権・参政権獲得
を希求する政治運動優位のあり方、②地方政治、地方行政の課題を発見し向き合う地域運動
優位のあり方に大別できることを指摘した。議会運動を通して婦選の獲得がまだ期待でき
た満洲事変以前は、多くの支部、そして本部は①に注力していた。そのなかで②に分類でき
るのが熊本、兵庫の各支部だった。①に分類できるものの、刈羽、秋田の各支部も②と同様
に地方行政との連携を進めていた。満洲事変以降、婦選運動が困難となるなかで、本部、そ
してその経緯は支部によって異なるものの、金沢や京都の各支部も①から②へシフトした。
本部は、婦人公民権に消極的、否定的な議論を念頭に、各地で婦選運動が立ち上がり広がっ
ていることを強調し、各支部の運動を評価した。そして、地方遊説や支部施策にも積極的に
取り組んだ。この傾向は満洲事変以降もすぐには変わらず、婦選を求める声は「一部中央婦
人」のみならず「地方婦人」からも挙がっていることを強調した。しかし、満洲事変を受け
て各支部の運動が困難を余儀なくされていくと、本部も「地方婦人」のあり方を更新した。
1934 年の第 5 回全日本婦選大会では、「地方色を濃く染め出」す秋田支部を評価した。以
後、従来のような運動の広がりよりも、各地運動の特異性に力点を置くようになった。青森
県在住の会員など、支部以外の枠組みでさまざまな運動を担う女性にも注目するようにな
った。
 第 3 章では、本部の想定する地域運動を体現する京都、兵庫両支部の運動も示しつつ、先
行研究で検討されてこなかった東京支部の趨勢を明らかにした。満洲事変以降、本部は「一
票はなくとも婦人の力を自治政に」をスローガンに、婦選以外の問題にも取り組むことを決
めた。東京支部は、このスローガンを体現し、第 2 章で分類した②の地域運動を実践する支
部として機能した。同支部は、支部運動の軸を都市問題への取り組みに据え、市政講座と見
学、研究会を実施し続けた。これらの運動の様相は『女性展望』、また東京支部報『女性市
民』を通して伝えられ、各支部にも共有された。本部と東京支部が提示した「一票はなくと
も婦人の力を自治政に」を意識した運動は、各支部の運動を活性化させる目的もあったもの
の、実際は都市運動として兵庫支部、京都支部の成功が目立つに留まった。京都支部におい
ては、ごみ運動は成功したものの、地方政治への批判や婦選運動そのものに関しては圧力を
加えられた。また、広島市では広島支部の運動を活性化させることができなかっただけでな
く、男性は国防、女性はごみ運動とジェンダー規範を正当化し強化する動きとして捉える人
も現れた。
 他方、東京支部を通して婦選獲得同盟の運動にも新たな動きが見られた。ひとつは、『女
性市民』を通して、「一票はなくとも婦人の力を自治政に」のスローガンに呼応出来る支部
以外の女性団体との連携が展望されたことである。もうひとつは、東京支部のもより会を通
して、支部以上に小さな地区レベルでつどい、話し合う場を築くことが意識されるようにな
ったことである。特に後者を具体化したのが誌友会だった。
 第 4 章では、支部にかわり婦選獲得同盟の構成員として前面に押し出されるようになっ
た誌友(『女性展望』購読者)と、誌友がつどう場として機能した誌友会の活動を検討した。
誌友会は購読者を想定して『婦選』『女性展望』の感想を話し合う会として始動した。1936
年に婦選獲得同盟刊行雑誌を『婦選』から『女性展望』へ誌名変更すると、購読者は「誌友」
と名指され、東京市で開催された東京市誌友会を中心に、支部に代わりその活動が誌面で報
じられ続けた。本部は地方での誌友会の発足も期待し、また各地で誌友となる者も少なから
ず見られたものの、実際に誌友会が立ち上がり長く活動を続けられたのは東京市誌友会だ
った。
 東京市誌友会は、会を重ねるなかで、1 回ごとに 1 テーマを学ぶ研究会へ変化した。この
時期になると、運動のあり方も変化する。運動に対する圧力をかわすためにも、ひとつのテ
ーマを研究し議論するあり方が重視された。支部が取り上げてきた地方政治、地方行政をめ
ぐる問題については、たとえばごみ問題そのものをテーマに挙げるのではなく、戦時下に応
じて国策を地方行政レベルでいかに扱うかに関心が移行していった。
 各支部の運動が後退を余儀なくされるなか、婦選獲得同盟の新たな担い手として本部よ
り期待が寄せられた。誌友会が本格的に始動した 1936 年当初は、支部を介して誌友となる
人が少なからず見られ、支部と誌友の関係性を見出すことができた。日中戦争以降、支部運
動がたどれなくなるとともに、誌友が新たな誌友を紹介するケースが主流となり、支部のな
い地域でも誌友が多く見られた。
 誌友には、婦選運動ではなく母性保護運動や消費者運動など女性運動に携わる人びとも
名を連ね、婦選獲得同盟構成員の裾野を広げることともなった。誌面でも「職業婦人」、「若
い人」の参加が注目された。市川が中国旅行に赴いた後は、これを反映させるように、中国
在住日本人の誌友も増え、誌面を飾った。誌友会を検討することで、支部から誌友会へ婦選
獲得同盟の運動の担い手が広がっていくことを確認できた。東京市誌友会で意識された誌
友の職能への意識、地区別での会の実施といった点は、婦選獲得同盟の後継団体である婦人
時局研究会へと継承された。
 終章では、各章で検討してきたことをまとめ、本論文で明らかにしたことを 4 点に整理
した。
 1 点目は支部員と誌友による運動の特徴についてである。各支部と本部の運動を婦選獲得
のための運動と一律に捉えず、婦選獲得を最優先とする政治運動、地域の問題に取り組む地
域運動の 2 つの志向性があったことを整理し、その変遷を示した。この作業により、個別に
明らかにされてきた各支部の運動を、婦選獲得同盟の婦選運動のなかに位置づけ、地域にお
ける婦選運動の特徴を析出することができた。
 2 点目は、本部の視点から支部運動を捉え直した点である。支部運動を支部のみならず本
部の視点も介して捉えることで、支部の運動を受け止め意味づけをする本部の立場も相俟
って地域の婦選運動が形成されていくことを提起した。本部が支部運動をいかに捉えてい
たか、本部が各支部の運動を理念化する際に用いた「地方婦人」というキーワードの意味の
変遷とともに明らかにした。すなわち、完全公民権の獲得を目指して各地へ婦選運動を広め
る支部運動から、運動が後退を余儀なくされるなかで、その地域の固有性、「地方色」にフ
ォーカスを当てた支部運動を評価するようになった。同時に、所在地の政治行政に関わる問
題、特に都市問題に取り組む支部運動へと、本部の想定する支部運動の推移を見出すことが
できた。
 3 点目は、これも満洲事変以降の運動の変化に関わるが、広がりをもった地域運動からも
よりで集まる地域運動へ、婦選獲得同盟における運動の形態が変化したことを指摘した。具
体的には、支部を全国へ広げていく運動形態から、誌友会の組織を進めるという、婦選獲得
同盟への参画のハードルも下げながら地区ごとに集まり研究する運動形態へ変化した。支
部のみならず、誌友会も検討の俎上に載せることで、婦選獲得同盟の運動の場が支部以上に
ミクロなコミュニティへ移っていき、後継団体である婦人時局研究会に接続していくさま
を明らかにすることができた。
 4 点目は、同盟構成員と戦争の関係について検討を深めた点である。支部については、満
洲事変以降もその運動が確認できる支部においては、都市問題に特化した支部が目立った
ことを指摘したが、本部の想定する支部運動からいわばはずれた金沢支部では銃後支援も
見られた。他方で、1937 年まで活動が確認できる東京支部、あるいは東京市誌友会では具
体的な銃後支援を確認することはできなかった。しかし、市川ら本部幹部が精動運動に参画
していくと、東京市誌友会でも国策協力をめぐって議論し、あるいはテーマに選んでいくよ
うになる。日中戦争前後から誌友会の活動が支部に代わり目立つようになったが、支部と本
部が運動の中心に据えていた地方政治、地方行政に関わる問題は後景に退いた。運動の担い
手の裾野が広がるとともに、地域において進める運動のあり方や関心の所在も変化した。

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