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博士論文要旨

論文題目:民営化する教育協力の公正性 ―日本の民間企業・団体による教育輸出の正当化と知の統治体制の形成―
著者:朝倉 隆道 (ASAKURA, Takamichi)
博士号取得年月日:2020年11月30日

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1. 章構成

序章 問題設定                         
1. 問題の所在                     
2. 先行研究レビューおよび課題設定             
3. 分析枠組み                     
4. 調査方法                     
5. 本論の構成
                    
第1章 教育協力を特徴づける制度の形成             
1. 教育主権とは                     
2. 日本政府による教育主権への配慮             
3. 国際社会における双方向という教育主権への配慮     
4. 被援助国側における変容                 
5. 小括  
                       
第2章 日本の民間教育団体の海外展開史             
1. 民間教育団体(民間企業・団体)とは何か         
2. 分析期間と三つの時期区分             
3. 小括
                        
第3章 日本を起点とした知の統治体制の形成         
1. 日本の学習塾が用いる物語             
2. 日本の音楽教室が用いる物語            
3. 知に正当性を与えるシンボル             
4. 小括
                        
第4章 アメリカを起点とした知の統治体制の形成         
1. アメリカから日本に輸入された「EDTECH」         
2. EDTECH企業・団体を取り巻く物語             
3. 知に正当性を与えるシンボル             
4. EDTECHを取り巻く物語の背景             
5. 小括
                        
第5章 教育協力における民営化がもたらす変容         
1. 知を正当化する統治体制の形成             
2. 日本政府による教育協力の変容             
3. 小括
                        
終章 結論                         
1. 各章のまとめ                     
2. 本研究を通して明らかにしたこと         
3. 本研究の貢献と今後の課題             


2. 内容要約
1)問題設定
 本研究は、民営化の進む教育協力において、いかに公正性に関わる言説が生成されているのかを日本の民間企業・団体に焦点を当てて分析することで、教育協力で生じている変容を解明するものである。本来、効率性を重視する民営化は、慈善活動的な色彩が強く、平等や公正さを重視してきた教育協力に馴染まない手法のはずであった。けれども、公正な教育協力として機会均等の実現にこそ民営化、特に民間企業の参加を促すべきとの主張が登場した。この立場の論拠となってきたのはBOP論やCSV論と言った経営学の議論であり、これら主張に対して教育社会学は批判的な立場をとりつつも、いずれも経済的側面から議論を進めてきた。これに対して本研究は、民間企業が合理的判断だけでなく制度環境に依存すること、また教育協力は提供国の文化的資源を用いたソフト・パワーとしての一面もあることを踏まえ、ポリティカルな側面から教育協力の民営化を捉える。
 教育協力における公正性とは、途上国の教育事象への介入の実施判断のあり方であり、他国の教育事象への介入を正当化する理屈とも言える。本研究では、教育協力の提供側が用いる理屈には提供国の優位性を示すソフト・パワーが用いられ、教育協力の実施者は、受容国やそこで生活する人々の学びをめぐる文化(学習文化)に変容を迫る知の統治体制を展開しているのではないか、との仮説を検証していく。具体的には、欧米とは異なる教育協力の民営化を模索する日本の教育協力政策や民間企業・団体を対象に、(1)民間企業・団体は、どのように先行する政府の教育協力を模倣したのか、(2)教育事象への介入を知にまつわるいかなる魅力を用いて正当化したのか、そして、(3)日本の民間企業・団体や政府は、知のあり方が機能する統治体制をいかに形成してきたのかを分析した。
 これらの課題に対して、本研究では、新制度学派の社会学に依拠した分析枠組みを用いた。新制度学派は、世界的な流行が各国の政策形成や政策決定に影響すること、それは、組織研究として民間企業にも影響を与えてきたことを示してきた。そのため、教育協力をめぐる政策と民間企業・団体の海外展開を一体的に分析する視角を提供する。先行してきた教育協力政策が、民間企業・団体の海外展開に対して、制度的同型化、特に模倣的同型性を迫っているのか。また、「制度固有のロジック」という概念や「企業のストーリーテリング」といった手法により、教育協力という場を通してある組織によって制度が生成または強化されることを分析する。
 調査方法においては、教育協力の民営化を多面的に理解するため、異なる技法を組み合わせ、データの収集を行った。主な調査技法は、(1)教育協力政策、および民間企業・団体(主に学習塾)に関する「資料調査」、(2)民間企業等に対する「インタビュー」、(3) カンファレンス等の「フィールドワーク」である。一次資料だけではなく、二次資料を多く利用することにより、調査対象に干渉することによって発生するバイアスの問題を回避しようとした。

2)各章の概要と結論
 調査結果は、以下の通りである。まず第1章では、近年、注目されるようになった教育介入に対する「教育主権」という権利を軸に、教育協力の公正性について整理した。教育協力の公正性は、国際社会(国際援助コミュニティ)から介入の納得を得るだけではなく、知の創造や統制という面において、途上国(被援助国)に配慮することが求められる。日本政府は歴史的に国や地域の特殊性を尊重することにより、また近年の国際社会は双方向のコミュニケーションによって、相手国の教育主権を遵守していた。これについて、被援助国としてのインドネシア共和国では、自国の権利として教育主権を強く主張しながらも、近年、海外からのノンフォーマル教育機関の受入れに対して行政手続きのプロセスを明文化していることを確認した。つまり、受容国側において、どのように教育主権を守るのかは変化しており、海外からの民間教育団体が進出することを促進する方向で環境整備が進んでいることが伺える。
 第2章では、日本政府による教育協力が、日本の民間教育団体の海外展開に与える影響について分析を行った。学習塾を中心とした民間企業・団体の海外展開を、新聞記事数の推移から、大まかに3期に分け、第1期(1979-1992年)と第3期(2009-2019年)に海外展開が活性化したことを明らかにした。第1期の海外展開では、現地の教育制度や文化との摩擦の発生について、多くの記事で紹介されていた。日本で生成された知の優位性を示すのではなく、現地への配慮が示されてきたと言える。それに対して第3期では、受容国の許認可手続きを遵守しつつ進出し、積極的に「日本型」サービスの質の高さを強調する民間企業の姿が新聞記事によって紹介された。受入国側の教育機関や教育関係者が日本からの介入を評価しているとの言説も取り上げられる。この第1期と第3期の海外展開に見られる特徴は、前者が日本政府による従来の教育協力と、また後者は国際的な手法と重なり、どちらも進出企業において制度的模倣が生じていたということが報道の傾向から言える。
 続く第3章および第4章では、第1期に登場した日本の民間企業・団体や、第3期の海外展開に強く影響を与えたアメリカの民間企業・団体に焦点を当てた。個々の民間企業は、どのように他国の教育事象への介入を正当化しようとしたのか、民間教育団体が現地社会で生活する人々に対して用いた物語を分析することで、明らかにしていった。
 第3章では、公文教育研究会と才能教育研究会に焦点を当てたところ、提供する教科内容や対象者に違いがありながらも、両組織の用いる自組織や学習法に関する物語には多くの共通点があった。特に、両組織の用いる物語には、受容側の社会に対して教科内容を強要するのではなく、個人の可能性を伸ばす学習目的が掲げられ、親や教師等、子どもの周囲における愛情の重要性が主張されていた。また、現地の人々も物語の生成に動員し、対話によって物語の再生成を進めていた。その一方で、日本の学習「手法」の文化移転に加え、受容側の社会の人々が抱く、「技術大国」といった経済面での日本に対するイメージも人々に印象を与える。現地社会の特殊性を重視する一方で、受容国の人々の抱く日本に対するイメージをシンボルとして喚起させることは、特殊性を重んじるという思想を含めた「日本」の学習文化が広がり、受容側の社会に対して日本の知のあり方へと促しているとも言えるのではないか。
 第4章では、第3期に登場した教育(Education)とテクノロジー(Technology)を組み合わせて提供するビジネス「EdTech」を中心とする、新たな教育サービスに注目した。まず日本のEdTechはアメリカのEdTech企業・団体から影響を受けてきたことを明らかにした。その上で、EdTechという領域を形成してきたアメリカのKhan AcademyとCourseraに焦点を当てた。両組織の用いる物語には、自組織の用いる学習コンテンツの優位性と、教育の機会均等への貢献に関わる語りが、知名度の高い大学や民間企業、途上国で教育困難な状況に置かれている人々をシンボルとして用いることでリアリティを高め、海外からの教育事象への介入に正当性を与える。また、受容側社会の人々や組織が翻訳者やマーケティングに協力する「双方向」な関係が構築されていた。加えて、EdTech企業・団体の設立者自身が民族コミュニティのシンボルとなり、受容側からの自発的展開との感覚を与えることも双方向というイメージを支える。
 そして、第5章では、第3章および第4章の議論を踏まえ、各民間企業・団体は、物語にまつわるシンボルの持つ権力を行使しつつ、いかに知の統治体制を形成しているのか、また民間企業・団体が教育協力に関与することで、政府機関の役割はどのように変化していったのかを分析した。まず、第3章で論じた日本の民間教育団体は、日本の学習文化という優位性を受容側社会の個人に浸透させることで、教育事象への介入の正当性を獲得しようとした。また、第4章で論じたアメリカのEdTech企業・団体は、現地の政府機関や教育機関等の組織に対して、アメリカの大学や民間企業といったシンボルを強調することで西欧的な教育への憧れを刺激し、浸透させながら、権力の影響を強めていった。このように、民間教育団体は、異なる海外展開の方法を用いつつも、それぞれがソフト・パワーを用いて現地社会に変容を迫る、知の統治体制を形成している可能性を指摘した。
 教育協力が民営化することは、実施主体が政府機関から民間企業に移行することであり、政府機関には民間教育団体の活動に更なる正当性を与えることが期待された。それは、教育協力に民間企業が参入して政策を変容させるというよりも、官と民の関係に構造的変化が生じているということである。そして、この転換は、政府機関のロジックを理解する開発コンサルティング企業が間に入ることでより円滑に機能し、政府機関は間接的な影響力をむしろ広めているとも考えられる。民間企業は提供国の文化的資源にまつわるシンボルを用いて、教育事象への介入の正当性を高める。そのため、その正当性は必ずしも現地のニーズや課題から生じたものであるとは言えないのである。
 以上の分析を通して、本研究は、民間企業が教育協力に関わる民営化を事例紹介的に提示する国際教育協力研究の潮流に対して、教育協力の民営化をソフト・パワーの機能する知の統治体制を形成するポリティカルな現象であることを提起する。本研究が明らかにしたことは、まず日本の教育協力政策において用いられてきた公正性のあり方が、民間企業・団体による海外展開において、他国の教育事象への介入を正当化するロジックとして採用されたことである。そして、そのロジックは、政策方針を理解する開発コンサルタントが民間連携の仲介役として機能することで、より一層ロジックの移転が強固に進められることが想定される。また、民間企業・団体は、自社の社史やサービスに関する物語において、経済成長を遂げた「技術大国」日本と言った受け手に提供国をイメージさせる魅力あるシンボルを用いることで、ソフト・パワーの行使と強化を行いながら自組織の教育サービスの海外展開を図っていた。そして、提供国側の政府機関は、民間企業・団体による教育介入の正当性を高めることで、知の統治体制を広めようとする。それは、日本の私的補習教育を中心とする教育輸出が政府との連携により、受容国の公教育にも影響を与えており、教育協力における民営化の議論に新たな視点をもたらしうる。
 今後の課題としては、まず教育輸出を活性化させる韓国などと日本との、国際比較の視点を充実させることである。また、本研究は提供側が用いる公正性の言説を分析してきたため、どのように現地社会の人々が海外からの教育サービスを現地化させているのかは、異なる研究課題であるが、本研究と関連する重要な問いとなる。

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