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博士論文要旨

論文題目:植民地期朝鮮における土地改良事業と農村
著者:洪 昌極 (HONG, Changguek)
博士号取得年月日:2020年3月19日

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 序章
第1節 問題意識
第2節 先行研究の整理
第3節 課題と構成
第4節 史料

 第1章 植民地支配と水利潅漑事業
第1節 朝鮮王朝期の水利問題
第2節 日本人の入植と水利組合事業
第3節 1910年代の水利政策
第4節 「産米増殖計画」期の土地改良事業
おわりに

 第2章 植民地化過程における水利施設の国有化と水利権
はじめに
第1節 植民地化以前の南大池問題
第2節 植民地化過程における南大池問題と紛争の主導勢力
第3節 南大池紛争の展開過程と農民たちの主張
おわりに

 第3章 植民地朝鮮における水利秩序と植民地権力―「水戦」事例をてがかりに
はじめに
第1節 水戦の概観
第2節 水戦と植民地権力
おわりに

 第4章 朝鮮北部における水利組合事業と朝鮮人
はじめに
第1節 事例の類型と前提
第2節 日本人・巨大地主主導型組合
第3節 行政主導型組合
第4節 朝鮮人中小地主主導型組合
第5節 検討事例の類型別整理
おわりに

 第5章 「更新計画」期の土地改良事業の特質①―融資機関と代行機関
はじめに
第1節 「更新計画」期の土地改良事業
第2節 江西事業の成立過程と特徴
おわりに

 第6章 「更新計画」期の土地改良事業の特質②―土地改良事業地移民政策
はじめに
第1節 「過剰人口問題」と土地改良事業
第2節 江西事業と「移住奨励」政策
第3節 移住先の農場経営の実態
おわりに

 第7章 水利組合事業と植民地地主制
はじめに
第1節 民族別所有構造の変動
第2節 水利組合事業と農家経済
おわりに

 終章
第1節 結論
第2節 今後の課題と展望

 主要参考文献

1. 研究課題
 本研究の目的は、植民地期朝鮮においておこなわれた土地改良事業が、いかなる形で農村社会を再編し、どのように遂行されていったのかについて明らかにすることである。主に扱う時期は、日本帝国主義による事実上の統治が始まる1900年代から1930年代までとする。1930年代までを対象とする理由は、「産米増殖計画」期(1920~1934年)に開始された事業を検討するためである。
 植民地期朝鮮における「開発」政策の主軸は、少なくとも朝鮮工業化政策が始動する1930年代までは第一次産品である米穀の増産政策であった。この政策を本格化させる契機となったのは、日本本国の食料問題の解決を主目的とした「産米増殖計画」である。「産米増殖計画」は「第1期計画」(1920~1925年)と「更新計画」(1926~1934年)に区分されるが、「更新計画」期はより多くの資金が各事業に投与されると共により広範に朝鮮農村社会を巻き込んでいくものであった。米穀増産政策は、米穀生産に適合した土地をつくるための土地改良事業と、品種改良などに代表される農事改良事業として実現されていった。とりわけ朝鮮総督府が力点を置いたのは前者であり、その主な担い手となったのは、水利組合であった。そのため、水利組合事業に関する研究は、朝鮮農業史研究の中心的位置を占めてきた。
 序章において、先行研究整理を通じて論点を抽出した上で、次のような課題をかかげた。(1)日本は土地改良事業の前提として、在来水利権をいかに規定していったのか、(2)土地改良事業が本格化される中で、朝鮮人はいかなる形で事業に参与していったのか、(3)土地改良事業が最も本格化した「更新計画」期における事業の特質はいかなるものであったのか、(4)水利組合事業区域において植民地地主制はいかなる様相を呈したのか。以下ではこれらの課題に沿って各章のまとめをおこなっていく。

2. 各章の内容
 課題に取り組む上での前提
 第1章においては、これらの課題を論じる上での前提として、植民地期朝鮮の土地改良事業の全体像を概観した。本章で主に論じたのは、先行研究の成果に依拠して朝鮮王朝期の水利問題の文脈を確認した上で、植民地期における土地改良事業の制度的変遷や、事業の時期別・地域別差異、水利組合事業に参与した民族別構成比などについて、統計的レベルで明らかにした。内容は次の通りである。
 第1に朝鮮総督府は、強力な地主制を前提に土地所有者のみを土地改良事業の主体に据え、耕作者階級を土地改良事業の主体から排除する規程を設けた。そして土地改良事業における最も重要な対象物となる水利施設に対しては、朝鮮王朝期まで共同利用地として把握されていた水利施設に対し、堤堰は国有、洑は民有という基本方針の元で整理していった。第2に、土地改良事業の中心的な担い手となった水利組合の事業地は、1909~1934年の間に、全羅北道を中心すると朝鮮南部から黄海道を中心とする朝鮮北部へと徐々に移行していった。事業地の地域的変動に伴い朝鮮人所有地の編入率も時間的推移に伴い増大した。第3に「産米増殖計画」では米穀生産量が増大したが、輸移出量はそれ以上に増大しており、朝鮮人の食糧消費量の増大に繋がらなかった、ということを論じた。
 課題(1) 水利権と植民地権力
 第2章では、在来水利権の再編過程を明らかにすることを目的として、朝鮮植民地化の中で堤堰(溜池・貯水池)が国有化されていく過程について論じた。朝鮮総督府は、土地調査事業を通じて多くの堤堰を国有化していくこととなったが、史料的制約もあってこれらの堤堰国有化過程については具体的なことが何ら明らかになってこなかった。この点について第2章においては、黄海道における南大池という大堤堰の存続と、水利権及び所有権をめぐって繰り広げられた、1907~1909年の間の紛争(以下、南大池紛争)事例を通じて接近した。南大池紛争を朝鮮王朝期から水利組合事業に編入されるまでの長期的時間軸中に位置付けることで、水利受益農民たちにとっての堤堰国有化や水利組合事業地編入の意味について考察した。
 堤堰国有化にあたって、日本が所有権整理の尺度としたのは、地方官吏による堤堰への管理・取締り・修築の歴史的沿革であった。このことは、日本本国において水利施設への修築事業を市町村の「公共事業」と看做した上で、水利施設を市町村の「公有財産」として認めていったことと対照的である。いずれにせよ、地方官吏による管理・取締り・修築の歴史的沿革という尺度から見ると、南大池は典型的な国有堤堰であった。それにもかかわらず、南大池紛争において、水利受益農民たちが南大池を「一郡民有」(郡民の所有・郡の財産)であると主張した点は重要である。ただし「一郡民有」主張は、南大池の国有化と、国有化を前提とした南大池に対する不当な開墾事業への対抗措置として、戦略的意味合いを色濃く持っていたことも確認された。すなわち、根底において問題となっていたのは、所有権の侵害ではなく、水利権の侵害であったのである。
 日本は植民地化過程において日本民法の朝鮮への移植により、在来の灌漑慣行を慣行水利権として承認するという形式を取っていった。しかし南大池の場合、植民地支配後に黄海水利組合に「国有地」として貸与された後に、大規模な水利体系の変更に伴って結局は開墾されることで消滅するという顛末を辿る。こうして見ると堤堰国有化は、朝鮮総督府にとっては土地改良事業を円滑に推し進める前提条件となり、水利受益農民たちにとっては水利権の侵害を招来する前提条件となったことがわかる。その意味で、水利受益農民たちが自らの水利権を所有権として再定義したことは、所有権の整理過程における水利受益農民たちの主体的対応として歴史的意義を持っていた。
 第3章では、植民地朝鮮における水利秩序の在り方について、引水権や用水の先取使用の序列などを規定する水利分配の問題に焦点を当てて、それらの問題における植民地権力の規定性と、水利秩序の担い手はどのような者たちであったかについて考察した。従来の研究では、水利組合事業がおこなわれた際、その反対勢力として浮上するのが、在来水利組織や在来水利権益であると看做してきた。しかし、在来水利権そのものの実態や、在来水利権そのものを植民地権力がいかに規定していったのかについては関心を払ってこなかった。資料的制約を克服する方途として本章において着目したのは、水利分配の在り方をめぐって、農村において苛烈に繰り広げられた用水争議の存在である。
 本章において明らかになったことは次の通りである。植民地朝鮮における潅漑慣行は、その存続を朝鮮総督府の判断に依存するという基本的性格を有していた。そのため、たとえ慣行水利権が認定されようとも、その権利は朝鮮総督府の許可を媒介とした農業「開発」事業などによって容易に抑圧されうる、著しく脆弱なものでしかなかった。そして農村の水利秩序をめぐる混乱が生じる時、郡・面の地方行政機関及び警察権力による調停が、水利秩序の再編を大きく規定することとなった。また、総督府は、河川行政や土地改良事業関連法令を通じて灌漑慣行を抑圧し、大地主が中心となった農業「開発」の推進を可能ならしめる条件を整備した。すなわち、慣行水利権の判定や水戦(用水争議)における警察・行政の調停、河川関係法令によって水利受益農民たちの灌漑慣行は統制を受けていったのである。
 なお、農村における水利分配をめぐる社会的葛藤は、「産米増殖計画」期以降、植民地農業「開発」事業の進展に伴って深化したであろうことが示唆された。そうした葛藤の表現である水戦は、しばしば流血事態にまで発展する決死のものであった。そしてその担い手となったのは、多くの場合小作農を中心とした耕作者階級であったことが確認された。
 課題(2) 水利組合事業と朝鮮人
 第4章では、「産米増殖計画」期に朝鮮北部において創設された水利組合の実態解明をおこなった。朝鮮北部の事例を扱った理由は次の通りである。朝鮮における水利組合事業は、朝鮮南部の全羅北道を中心とした肥沃な水田地帯において早発的に開始された。これらの地域では、日本人大地主の主導下で事業が開始されていったことが先行研究においてすでに明らかにされてきた。一方、時間的推移に伴い、水利組合事業への朝鮮人の参与の在り方に変化が生じていった。そのことを端的にあらわす指標となるのは、朝鮮人を組合長とする水利組合の増加と、朝鮮人組合員と朝鮮人所有地の増加現象である。また、この現象が顕著にあらわれるのは朝鮮北部の地域であった。この現象について1990年代以降の研究では、日本人大地主の影響力の弱化であるとか、朝鮮北部では地域的利害の調整が容易であったとか、あるいは朝鮮人の主導性が高まった、などの仮説が提示されてきたが、その具体的実態については扱われてこなかった。
 本章においては、このことを検討するにあたって、朝鮮北部の10組合の事例を検討した。選定した事例は、朝鮮人組合員・朝鮮人所有面積の合計が、1931年時点で朝鮮北部の全水利組合の内でそれぞれ約7割を占めるものであった。したがって、これらの組合事例の実態を解明すれば、少なくとも朝鮮北部における朝鮮人組合員・朝鮮人所有面積の約7割の事業参与の在り方を実証的に位置付けることができる。そして本章では、事例分析にあたって創設・運営過程における主導勢力は誰か、というところにとりわけ力点を置いた。その結果、事例の内で創設段階において暫定的に朝鮮人中小地主の主導性が認められたものはわずか約2割に過ぎなかった。残りの約8割は、日本人を中心とした大地主が主導した組合と、行政機関が主導した組合であった。その約8割の事例においては1つの事例(同仁水利組合)を除いては激しい水利組合反対運動が確認された。とりわけ選定事例中、組合員・所有面積において朝鮮人が圧倒的多数を占める咸興水利組合の事例は興味深かった。行政機関が主導して創設された咸興水利組合の場合、露骨な暴力行為によって水利組合の創設が断行されたことが明らかとなった。
 次に運営過程における主導権問題と関連して、朝鮮人組合長の問題についても分析を加えた。選定事例の内では、3つの事例(大正・中央・延海水利組合)を除く全ての組合で朝鮮人が組合長を務めていたが、組合長の経歴を見ると、少なくとも創設の段階で組合長を務めた朝鮮人は、1つの事例(江西水利組合)を除いては全て行政官吏の経歴を持つ朝鮮人であった。そしてさらにその内の半分は、明白な親日経歴を持っている人物であった。
 そして、組合の創設・運営過程において、組合長の排斥や不信任決議がおこなわれた組合はむしろ、暫定的に朝鮮人中小地主が主導したと認められる組合の事例であった。朝鮮総督府から派遣される理事の独断が問題視されたのも、同様にこれらの組合の事例であった。すなわち、朝鮮人中小地主の主導が認められた組合においても、一部の朝鮮人行政官吏の独断的行為によって組合が創設・運営されているケースが多かったのである。また、「更新計画」期以降に創設された約半分の組合で、土地改良事業の代行機関の存在が問題になっていたことも確認された。
 さらには、唯一組合員の利害を代表しうる評議員資格については、咸興水利組合の事例のみ確認することができたが、組合員の3%、所有面積の35%にしかその資格が与えられていなかった点が注目される。
結論的に言えば、時間的推移に伴う朝鮮人を組合長とする水利組合の増加と、朝鮮人組合員及び朝鮮人所有地の増加現象は、組合創設過程における強制性の高まりの産物として位置づけた方が適切である。さらに、運営実態については、「更新計画」期に事業への国家的介入の強化が確認された。
 課題(3)「更新計画」期の特質
 第5章では、土地改良事業のための事業資金の融資、事業の代行機関によって、朝鮮総督府がいかなる形で土地改良事業に介入を図ったかについて論じた。土地改良事業が最も本格的に展開した「更新計画」期の特質について、従来の研究では、制度上の問題を除いては関心が払われてこなかった。「更新計画」期における事業の特質の一つは、事業資金の融資機関と事業の代行機関を、朝鮮総督府の監督権を有する国策会社に担わせたことである。本章では、融資機関にして代行機関である東洋拓殖株式会社(以下、東拓)の内部経営文書を通じて、平安南道における江西干拓事業の展開過程を具体的に検討した。日本資本である鉄道工業株式会社(以下、鉄工)が事業主となって始動した江西干拓事業は、「更新計画」期において最も大規模な干拓事業であった。江西干拓事業の展開過程を検討した結果、国策会社である東拓が、資金融資及び事業の代行を同時に担っていたこと自体が、事業の経営方式を規定し、朝鮮総督府の事業への介入を可能ならしめていたことが明らかとなった。東拓は、事業のための資金融資と引き換えに、自社に有利な代行契約を結ぶことで事業そのものの経営権を掌握していった。この契約によって東拓は、事業資金の増大を一切顧みることなく事業をおこなうことができた。一方で事業費を捻出する鉄工は、経営権の全てを東拓に委ねてしまったがゆえにそれを止めることが出来なかった。もちろん、代行機関であると同時に融資機関でもあった東拓は、融資額が増大するほどに貸付利息によって利益を享受した。こうした経営構造そのものが、事業を強力に推進する動力となったのである。また、事業への国家介入が、金融資本と結びついた国策会社の利益と合致していた点は、朝鮮における植民地「開発」を考える上で重要な点であると言えよう。
 第6章では、「更新計画」期のもう一つの特質として、朝鮮南部の農民を朝鮮北部における土地改良事業地に大量に移民させたという点に着目した。この政策は、土地改良事業地への農業労働力の供給を目的とした土地改良事業促進政策としての側面と、朝鮮南部における「過剰人口問題」の「解消」を目的とした移民政策としての側面の両方を兼ねて「更新計画」期に開始された。移民政策は移住先を必要とするが、1920年代後半の時点で想定される朝鮮人移民の移住先は土地改良事業地しかなかった。そのため、土地改良事業地への移民政策は、1930年代に実施される朝鮮人移民政策の先駆であった。その後、「更新計画」の終息・中止、「満洲事変」の勃発や朝鮮北部「工業化」政策などが新局面を迎えることで、朝鮮南部農民の北方移民政策としての色彩が強化されていった。
 具体的な実態把握のために、本章においても、第5章で扱った江西干拓事業地を事例とした。江西干拓事業地は、「更新計画」期に開始された事業の中で、最も多くの移民を「招致」した事業地である。事業地にとって朝鮮総督府の移民政策は、事業地の農業労働力不足を埋めながら、なおかつ事業地の収益が安定するまでの劣悪な状況に投じられる使い捨ての農業労働力の確保・利用を意味した。その点で、土地改良事業を強力に推し進める条件となった。事業下の農場経営を見てみると、小作農たちは耕作収入さえ得られない状況下で、貧窮移住農であるという条件によって家屋費・食糧費などの各種負債を必然的に負わされ、再生産の不可能な農家経営を強いられた。
 こうした、国策会社による低利資金の融資と代行事業による経営権の掌握及び経営の在り方と、土地改良事業地への移民政策を媒介とした土地改良事業地における移住農民たちへの搾取のあり方は、「更新計画」期に始まった土地改良事業の性格を考える上で特筆すべきものであった。
 課題(4) 水利組合事業と植民地地主制
 第7章では、水利組合事業区域における土地兼併の問題と、農家経済について分析をおこなった。従来、水利組合事業区域における土地所有構造の変化については、一部の地域の事例研究を除いては知ることができなかった。本研究では「更新計画」期にあたる1930~1934年の全水利組合における民族別所有の変化を確認することができた。この期間は、日本の農事会社の所有地の増加が顕著であった。対して、朝鮮人所有地の場合、水利組合区域への所有地編入と、日本人(農事会社を含む)の土地兼併による土地喪失が同時に起っていたことが確認された。「更新計画」期の中心的事業地であった黄海道に限り、その期間を1930~1938年に延長しても、同様の傾向が見いだされた。
 水利組合内の農家経済については、朝鮮北部の延海水利組合と咸興水利組合の事例を検討した。どちらも慢性的な赤字経営を強いられていたことが確認された。延海水利組合の場合、地主の赤字経営が顕著にあらわれた点、咸興水利組合の場合、田作経営から畓作経営に転換することで農家経済を悪化させた点は興味深かった。朝鮮北部の水利組合を代表するこれらの組合における赤字経営は、そのまま、この時期の土地兼併の原因にもなったであろうことが示唆される。

3. 結論
 本研究全体を通じて、朝鮮総督府によって推進された土地改良事業が、非常に周到な段階を踏んでおこなわれたということが明らかとなった。第1に、土地調査事業によって強力な地主制を確立することと並行して、共同利用地として把握されていた水利施設において所有権を整理し、堤堰を国有化した。一旦国有化された堤堰を総督府の権限の下に水利組合などに貸与することを通じて、在来水利権にゆかりのない日本資本や所有地を拡大する大地主が、水利体系の再編に参与することを可能ならしめた。他方で在来水利権に対しては、「慣習」認定や河川の統制、水戦の調停を通じて、植民地権力による介入の余地を多分に確保していった。その上で、土地改良事業の主体を土地所有権者のみに限定することを通じて、水利権者を初めとする土地利用権者の権利を抑圧し、強力に事業を推し進める条件を確保した。
 第2に、朝鮮総督府は、土地所有者のみを土地改良事業の主体に据え、耕作者階級を土地改良事業の主体から排除する一方で、次の段階においては、土地所有権者を抑圧する各種の装置を準備した。朝鮮水利組合令などの諸規定を通じて大土地所有者優位の事業計画をおこなうとともに、事業の創設にあたっては、郡守や面長といった行政官吏や警察権力を総動員して水利組合を組織化した。そうすることで朝鮮人小規模土地所有者たちを事業に巻き込んでいったのである。加えて、道長官による組合長任命規定や、総督府からの理事の派遣、低利資金の融資機関・事業代行機関などを通じて、土地改良事業の運営過程における国家介入の道を準備した。そうした条件の整備は、単に国家介入を通じた国策事業の円滑な遂行という目的を達するためだけではなく、国策会社や日本資本の利益に合致する事業を遂行するためにも大きな意味を持っていたのである。

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