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博士論文要旨

論文題目:HIVとともに生きる—傷つきとレジリエンスのライフヒストリー—
著者:大島 岳 (OSHIMA, Gaku)
博士号取得年月日:2020年3月19日

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1.章立て
序章 病い/障がいのフィールドに入る、経験を聴く
 第1節 はじめに——HIV/エイズについて
 第2節 社会学的想像力——なぜ「わたし」はHIV陽性者のライフに焦点を当てるのか
 第3節 HIV陽性者になるということ——フィールドに入る
 第4節 診断前の「わたし」とHIVとのかかわり——フィールドワーク前
 第5節 フィールドワークとしての日常生活
 第6節 問い——HIVとともに生きるとはどのようなことか
第1章 HIV陽性者研究の方法論的視座
 第1節 スティグマの40年——社会的病いとしてのHIV/エイズの歴史
  第1項 排除すべき「危険な共同体」としての同性愛者
  第2項 抵抗、回復と再生——薬害エイズ訴訟・和解と社会調査実践
 第2節 HIV陽性者をめぐる研究の系譜
  第1項 薬害HIV感染被害当事者参加型調査研究とライフストーリー研究
  第2項 言説分析研究と人類学
  第3項 ポストモダニズム——ポピュラーカルチャー、現代思想におけるHIV/エイズ
  第4項 クィア理論
  第5項 不可視の性感染HIV陽性者のライフ
  第6項 性感染HIV陽性者の当事者参加型調査研究の萌芽
 第3節 本研究の位置づけ——理論横断・領域交差としてのHIV/エイズの社会学
 第4節 洞察を紡ぎだす協働実践
 第5節 研究方法と調査の概要
 第6節 本論文の構成
第2章 HIV陽性者のスティグマをめぐる議論
 第1節 HIVに関するスティグマの概念化
  第1項 スティグマの概念化と次元
  第2項 HIV陽性者のスティグマの現状
 第2節 重層的スティグマと社会的排除
 第3節 レジリエンスへの着目
 第4節 社会的排除への対抗戦略—ライフ・ポリティクスとリヴィング・ポリティクス
  第1項 ライフ・ポリティクス
  第2項 リヴィング・ポリティクス
第3章 フィールドとしての個人——HIV陽性者のライフヒストリー
 第1節 ライフヒストリー
 第2節 病いの語り・病いの軌跡・傷ついた物語の語り手
 第3節 素人専門家(LAY EXPERT)から当事者のより積極的な参画(GIPA PRINCIPLE)へ
 第4節 HIV陽性者の傷つきとレジリエンス
  第1項 HIV/エイズ=「死に至る病い」の時代を生きる
  第2項 「死に至る病い」時代以降の重層的なスティグマを生きる
 第3節 小括——HIV陽性者の生存とレジリエンス
第4章 HIV陽性者の主体的実践
 第1節 ゲイ雑誌『G-MEN』にみるグラスルーツ・アクティヴィズム
  第1項 本節における追加調査の対象と分析の方法
  第2項 エイズ・アクティヴィズムとしてのゲイ雑誌『Badi』・『G-men』創刊
  第3項 ゲイ・ファンタジーのなかの都市空間・都市空間のなかのゲイ・ファンタジー
  第4項 紙面をつうじたアクティヴィズム——楽しさとファンタジーを基盤としたアプローチ
  第5項 小括
 第2節 SHIP NEWSLETTER手記にみるヘルスリテラシー向上実践
  第1項 本節における追加調査の対象と分析の方法
  第2項 調査・分析の結果
  第3項 小括
 第3節 HIV陽性者ピアサポートの変遷と現在的意義・課題
  第1項 背景と目的
  第2項 調査・分析の結果
  第3項 小括
 第4節 地域におけるケアの担い手
  第1項 背景と目的
  第2項 調査・分析の結果
  第3項 小括
第5章 混沌を受容することのできる関係性——多声性・異種混交性と共同性・親密性
 第1節 混沌をライフヒストリーの一部として受容する力
  第1項 HIVをめぐる「混沌の語り」
  第2項 複数の苦悩を生きる技法としての親密性
  第3項 小括
 第2節 親密性と共同性を紡ぐ「愛の技法」
  第1項 背景と目的
  第2項 調査・分析の結果
  第3項 小括
終章 生きるための理論としてのライフヒストリー
 第1節 生きるための理論に向けて
 第2節 ライフヒストリーの挑戦を支えるGIPA原則
 第3節 声なき声としての「混沌の語り」
 第4節 「HIVとともに生きる」とはどのようなことか
 第5節 本論文のまとめ
 第6節 本論文の限界と今後の展望

2.論文要旨
 「HIVとともに生きること」とは、いったいどのようなことなのだろうか。本論文は、おもに男性同性間の性的接触によるHIV陽性者の個別具体的な生存・人生・生活の経験の語りに着目し、各人がどのような苦悩や問題を経験してきたかだけでなく、それらを誰と共有しどのように受け入れてきたか、いかに希望を育んできたか、つまるところいかなるライフを模索してきたか。こうした、陽性者それぞれが生きてゆく/死にゆくための、不器用なあるいは/同時に巧みな戦術と智慧、すなわちライフに向けた主体的なかかわりを調査分析し考察することを主題とする。そのことによって、医療だけでは対処できない社会的排除や孤立など傷つき・傷つきやすさ(vulnerability)をもたらすスティグマに対し、陽性者はどのように希望を模索してきたのかという点を解明してゆくことを本論文の目的としてきた。
 序章では、HIV陽性者のライフヒストリーを聴くことについて、調査者であり当事者でもある「わたし」の経験にひきつけて論じた。自分自身のライフヒストリーからHIVとのかかわりを示すことで、社会学が「わたし」というフィールドからはじまること、しかしそれだけでは狭い世界に閉じこもる危険性がつねにつきまとうため、冒険心そして「傷つきやすさ」に向きあい、社会調査を行なっていくことで「HIVとともに生きること」はどのようなことか理解することをめざす、という基本的方針をたてた。Kleinmanの有名な「病いは経験である」という定式に対し、本論文では社会調査をつうじて「病いは協働して同じような病いを生きる他の人たちと経験の意味を探り、協働で洞察を得る作業である」と再定式化した。
 第1章では、HIV陽性者研究およびHIVに関する社会学的な先行研究を整理したうえで、本論文における方法論的視座を明らかにした。これまで日本での陽性者のライフに関する研究は、当事者参加型研究とライフストーリー研究を柱として、「良い(お気の毒な)」エイズとされる薬害HIV感染被害者の被害実態と多様なライフを記述し後世に経験を継承する、画期的な研究群を構成してきた。だが、現在数のうえでは9割以上を占める性感染陽性者は「悪い(自業自得の)」エイズとされ、ライフに焦点を当てた研究はほとんどなく、近年性感染陽性者も含めた当事者参加型調査によって量的な把握が可能になった。陽性者はスティグマのためにサポートを得られず孤立しがちであり、心理的精神的にも傷つきを生じさせ、性感染症であることから性生活や結婚・恋愛・就労などに強い影響を受けていることが明らかとなった(矢島・井上編 2017)。だが、スティグマの実態が明らかになった一方で、陽性者はどのように苦難に立ち向かっていったかについては、依然として不明なままである。
 近年、欧米における性的少数者およびHIV陽性者研究では、従来のスティグマにともなう傷つきやすさ(vulnerability)あるいは欠損モデル(deficit model)から、レジリエンスに着目したライフヒストリー/ストーリー研究の萌芽が見られる(e.g. Halkitis 2013; Kaplan 2013) 。これらの潮流を踏まえ、本論文は性感染HIV陽性者、なかでもゲイ男性を中心としたライフに関する本格的な本邦初の実証的な質的研究である。なかでも「傷つき」と「レジリエンス」双方を切断せず、当事者が調査分析・考察をめざす研究であるという点は世界的にも稀であり、本論文の独自性である。なによりも、この研究自体GIPA原則に沿っているという意義がある。
 そのうえで、本論文が依拠したライフヒストリー研究について詳述した。最初にライフヒストリーとライフストーリーとの関係性を位置づけた。本論文では、ライフヒストリー研究を、「ある人びとを沈黙させ周縁化し、また他の人びとに特権を与えるような、人生にかかわる抑圧的な局面を変化させたいという欲望の挑戦」(Tierney 2000: 549=2006: 214)と定義した。同じ病いや境遇という「身近さ」を手がかりに、いかに人生の先達は苦悩のなかで希望を培ってきたのか、経験や教訓をふくめた実践知を聴き、豊饒な生を描くという立場・目的から調査を実施した。分析には、苦難のなかでも逆境的な状況をどう生きてきたかという多声性への着目(Halkitis 2013)と同時に、Frankが病いの語り研究で重視した「協働で患うことの説明から洞察力を引き出す」分析の観点を重視した (Holstein and Gubrium 2012: 4)。
 第2章では、HIV陽性者に関連する議論の前提を整理し分析枠組みを提示した。HIV陽性者研究がとりうる方法論的視座について、これまで中心的に展開されてきたスティグマを詳細に検討した。第一に、HIV対策のなかで陽性者のスティグマをめぐる調査研究が発展し、複数の苦悩が相乗的・累積な負担をつくりだすシンデミック理論とスティグマ化の観点を構造的暴力論から検討した。これらの研究は、おもに医療アクセスを困難とする貧困や暴力に焦点を当てた社会構造に照準をあわせ、実践的にも著しい成果を上げてきた(e.g. Farmer 2003=2012)。しかし、すでに医療福祉制度が整備されている日本ではこの視角だけでは十分とはいえず、むしろ日常生活上のミクロなスティグマ、そして同時にレジリエンスに着目する必要が生じていることを論じ、そのうえでそれらがリヴィング・ポリティクス(Criff, Morris-Suzuki and Wei 2018)として現れていることを示した。
 第3章以降は、具体的な調査結果と分析・考察を展開した。
第3章では、ライフヒストリーを病いの語り、病いの軌跡、そして傷ついた物語の語り手の証言としてとらえた。 陽性者のライフヒストリーは、HIV陽性判明という傷つきやすい(vulnerable)「事実」に帰する(蘭2004: 41; Tierney 2000: 543=2006: 213 )。ゆえに、事実を意味づける支配的な言説とそれを産み出す/産み出される社会構造が傷つきやすい(vulnerable)主体の声/語りにいかなる影響を及ぼしているか、再帰的な関係性(構造化)と関連づけ検討した。健康と医療の社会学や障がい者研究において、これまでの「サービスの受け手」としての患者や障がい者から、診察場面から日常生活まで、より他者や社会に積極的に働きかけることができる「積極的な担い手」としてとらえる視角が登場し、1980年代以降「病いの語り」研究、とりわけ「傷ついた物語の語り手」(Frank 1995=2002)に焦点化した、語りの意味解釈を中心とする経験研究の発展が見られた(e.g. Kleinman 1988=1996; 蘭 2004)。この流れを踏まえ、本論文は、HIV陽性者が過酷な環境のなかで、自分たちのとりまく社会状況をどのようにとらえ、生きる方向性を定め、いかに生存を勝ち得えてきたか、すなわち傷つきとレジリエンスの観点から陽性者のライフに迫るという調査・分析の方針を定めた。
 第4章では、陽性者の主体的な諸実践を明らかにした。第一に、1990年代はじめからなかば以降、国家やメディアから危険とみなされ公的な支援が期待できないなかで、生存を賭けゲイ雑誌の創刊と編集をつうじ積極的にエイズ対策に参画し貢献してきたという歴史を明らかにした。調査協力者の一人長谷川博史氏は、ゲイ雑誌創刊をつうじ性ファンタジーと読者の日常生活との交渉を可能にする「界面」(前田1982: 82)に着目し、より積極的にHIVや他の健康や安全に関する権利へのまなざしを培い、性教育活動を実践することでパンデミックに対応しようとした。一連の実践は、公教育において性に関する健康教育を受ける機会がほとんどない、日本における「包括的性教育」としてのエイズ・アクティヴィズムであり、同時にエロティックアートを基盤とした「文化実践」としてのカルチュラル・アクティヴィズムであったことが明らかとなった。
第二に、治療法が未確立な1990年代前半からART登場後まもない1990年代後半までにかけての医療情報誌作成をつうじた、陽性者の生存に向けた個別具体的なヘルスリテラシー向上実践をGIPA原則から検討することを主題とした。いかに危機を乗り越え生存を勝ち得てきたか。従来取りあげられることが殆どなかった主体的な関わりについて語りと史資料から明らかにした。医療情報誌を作成し、ピアサポートや勉強会で活用することをつうじて、情報や知識の学習だけではなく、情報と関連する個々の現実の悩みや楽しさを互いに話し聞き共有することで、必要に応じて個人が引き出すことができるケイパビリティ(潜在能力)を向上させ、集団全体に知が蓄積される場や機会を増進していくことがめざされていた。また、陽性者による手記は、希望というもっとも基本的なヘルスリテラシーの資源となり、希望、そして怒りがリヴィング・ポリティクスの原動力であったことを明らかにした。
 第三に、ピアサポートに関わる営みについて歴史的変遷と社会的意義を明らかにした。有効な薬のない1990年代半ばまででは、患者会の系譜とCBOs(コミュニティを基盤とした組織)の系譜ともに、ピアサポートはきわめて強いスティグマから陽性者を庇護する生活の場としての意義を有していた。ART登場後の1990年代後半以降、ピアサポートの形態は、包括的な「カフェ」もしくはニーズの多様性に応じ細分化した、居場所としての性格を有するようになった。Kさんが「ゲットーからサンクチュアリへ」と表現したように、陽性者をとり巻くスティグマに対し、陽性者のピアサポートは、生きづらさを抱える者同士の出会いや居場所を創出することで対処していった。しかし、ピアにも階層性が色濃く反映するため、つねに不平等や排除と隣りあわせであることが、ピアサポートの重大な課題であり続けることを示した。
 第四に、いかに陽性者がケアの受け手としてだけでなく、「地域におけるケアの担い手」として、周囲と積極的な関わりをもってきたかを分析・考察した。とりわけ「支配的な文化的概念が、受動的なもの——病む人々を病気の『犠牲者』、ケアの受け手としてとらえる見方——から、能動的なものへと移行すること」(Frank[1995]2013: xix=2002: 3)の具体的な様相をとらえた。Nさん、Oさん、Pさん、Qさんの事例から、関係性のなかでどのように生きる希望の条件を紡ぐことができるか、ケアの視点から迫った。何気ない日常生活上の話をしながら楽しい時間を共有できるケアの場をつくること、たがいにこれまでの自分の苦しみや弱さを開示し、そのうえで個々の違いと共通点に気づき、アートや仕事などの協働作業の過程で、協調性や一体感を育み自分の個性を伸ばすケアの実践をおこなったこと。ここにみずからの人生を変容させる希望や勇気、そして限界や可能性に関する学びの出発点があり、それぞれ異なる世界で生きる者が分断されず、傷つきや苦しみという点で共通点を見出せる者に対し、共感的ケアを行っていた。こうした親密性と共同性を育むことが、地域におけるインフォーマルなケアの担い手が編み出した、生きるための基本的スキルにほかならないことを明らかにした。
 第5章では、重層的なスティグマを生きる陽性者のライフヒストリーから、「混沌をライフストーリーの一部分として受容する力」(Frank 1995=2002: 156)がどのようなことか、を分析・考察することを目的とした。この目的を果たすために、HIV陽性者であり薬物依存症者でもあるRさんの語りに着目した。周囲で「あたりまえのように病気のことが話されている」のを目の当たりにした際に、自身の「混沌」に気づき、HIVを「まったく受容できていなかった」「反-物語」(Frank1995=2002: 141)として混沌の物語は立ち現れた。しかしこのことによって、自身を含む薬物依存症者のおかれた特徴について気づくことができたのだった。そしてRさんがHIVと薬物依存のことを話せるピアサポートにおいて、これまでの混沌さをライフヒストリーのなかで位置づけ直すことができるようになったのは、共同性と親密性の力のうち、とくに親密な関係性における恋愛という「掛け」を希望として抱く戦術を獲得したからであった。ここから、ライフヒストリーにおけるHIVをめぐる混沌の語りは、傷つきやすさを意味するのでなく、むしろ傷つきやすさゆえの生を営む上での「希望」や、「変革や連帯」(Tierney 2000: 549=2006: 551)の可能性をもたらす多声的な証言であることを明らかにした。
 しかし親密な関係性のなかでも、純粋な関係性としての合流する愛(コンフルエント・ラブ)は、それ自体不安定でありかつ構造的な矛盾を抱えている。この具体的な様相を薬物依存症者のパートナーをもつSさんとTさんの語りから考察し、「ゲイのエイジング」論(小倉[2001]2006)と接続して考察した。Sさんの語りから、自らの生存を探求し時代が課した限界に挑むことによって、のちに続く陽性者がより生きやすくなるための環境を整えていったことが明らかとなった。Sさんとパートナーふたりの「ゲイのエイジング」の軌跡で培った、愛する技術と智慧の成熟がもたらした「愛の技法」は、この生成継承性(generativity)としてのリヴィング・ポリティクスに他ならなかった。これらの事例をつうじ、本論文は「ゲイの老後は悲惨か?」という問いに対し、小倉同様に明確に「NO」と答えることができる地点にたどり着いた。しかし、それはHIVや依存症、貧困など重層的なスティグマやさまざまな不平等に私たちがどう対応することができるか、にかかっていることを示した。
 終章(第6章)では、本論文の問いである「HIVを生きること」の総括を行った。これまで確認してきたように、本論文における理論を「生きるための基本的スキル」(Lemart 1993: 1)もしくは「生きるための装備(survival kit)」(Frank 1995[2013]: xxi=2002: 6)と位置づけた。この理論の背景にある理論体系は、アリストテレスによる三つの知「エピステーメー(学問知)」「テクネー(技術知)」「フロネーシス(実践知)」の区別に基づき、「自分にとって何が善であり何が利益となるのか崇高に熟慮する」という実践知に着目した「実践知に基づく社会科学」(Flyvbjerg 2001; 2012)である。 Frankは、この理論体系に基づき病いの語りの分析をつうじ、一方で人びとが自分自身のより思慮深い(reflective)語り手になることを支援すること(Frank 2012: 48)と同時に、もう一方では臨床実践に「混沌の語り」へ敬意を払うことを求めるという社会的な次元に焦点化することによって、「なぜ医学的治療は、患者の苦しみをしばしば減少させるのではなく増大させるのだろうか、そしていかにそれを変えることができるのだろうか」(Frank 2012: 37)という問いを探求した。第4章で DさんがHIVの主治医から紹介されたピアサポートにつながったことを「生きるチャンス」と表現したように、いかなることや語りであれ、他者とつながりそれを身体のレベルで実感できること、つまり「心に響く」ことによって、物語とともに生きること、あるいはともに物語を紡ごうとする希望をもつことができるようになったのであった。このレジリエンスの顕現は、病む人が聴き語ることばのなかに物語とともに生きる身体を感受することで可能となった。つまり「傷つき(vulnerability)」があったからこそ、他者からみずからの人生を変容させる希望や勇気を学び、かつ他者に伝えることを可能にしたのである。この過程が「HIVとともに生きる」ことであり、本論文は共生についての理論と実践を解明してきたと言える。もちろん本論文で明らかにした実践は、数ある理論と知のうちの一部を明らかにしたに過ぎないが、これらの諸理論は「GIPA原則」の有効性を充分に説明するとともに、本来この原則が確立されていれば、もっと多くの諸実践と関わりのある理論が彫琢されていたであろうことが示唆された。「医者、患者、官僚のパワーポリティクスの構造が患者を虐げ」(蘭 2004: 343)てきたハンセン病者の隔離政策やエイズ予防法など社会防衛思想が支配的であった日本では、とくに「病いとともに生きるものの積極的な参画原則」として確立することが重要であると結論した。
 さいごに、本論文では、混沌の語りが「親密性」と「共同性」から紐帯されるつながりや連帯を可能にする、ひとつの重要な磁場となることを明らかにした。この磁場をもたらす力としての「語り得なさ」は、物語の創出や変化を生み出すケイパビリティであり、物語を紡ぎリヴィング・ポリティクスを展開してゆくための資源とある。つまり語り得ないものは、社会が隠蔽する産物であり社会に領有されているのだが、それゆえにつねに語り聴くことによって、その一部や輪郭を明らかにすることができるのである。「非合理な」混沌さは、それを混沌とみなす支配的な文化を撹乱しとらえ返す契機を創りだす「合理的な」戦術となる。この合理性に気づくためには語り手の雄弁さではなく、私たちの思いこみへの「違和感」(好井2014)に気づくことのできる聴く力や感受性である。そしてこの感受性はひとつの実践知として磨かれ、私たちの聴く力をたかめるとともに、それに応えていく力を培っていくことを可能にする。ゆえに慢性の病いや障がいを生きるものは、社会にひろくおよぼす力をもつ「ケアの担い手」でもありうるのだ。

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