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博士論文要旨

論文題目:年齢体系と儀礼:南部エチオピアのオロモ語系ボラナ人のガダ体系を巡る考察
著者:田川 玄 (TAGAWA, Gen)
博士号取得年月日:2000年7月31日

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1.本論文の意義と目的

 本論文の目的は、のべ三年弱の現地調査によって得られた資料に基づき、南部エチオピアから北部ケニアにかけて居住するオロモ語系ボラナ人のもつ年齢体系をめぐる、民族誌的な記述と分析を行なうことにある。ボラナの年齢体系には「ガダ」と呼ばれる世代組と年齢階梯の複合した体系と、「ハリヤ」と呼ばれる年齢組体系がある。本論文は主にガダ体系に焦点を当てた。

 年齢体系研究では、一般に次のような用語が使用されている。「年齢階梯」とは、幼年、少年、青年、壮年、老年というように年齢の段階に分割される人生の範疇であり、通過儀礼によって区分される。年齢階梯にはそれぞれ役割や特権、責任などが与えられる。階梯間の移行は、階梯に所属する全成員が同時に集合的に行なうことが多い。「年齢組」とは、出生、成年式、割礼などのイニシエーションによって、一定の年齢幅の成員が構成する集団である。ひとつの集団に加入すると一生同じ集団に所属する。集団には名前がつけられる。年齢組は複数で存在し、発足した順番によって秩序付けられる。「世代組」とは、系譜的世代によって所属が決まる集団であり、父親と息子は異なる組に所属しなくてはならない。世代組を構成する成員の年齢は、年齢組と比べると幅広いことが多い。

 ガダ体系の規則から生じる構造的な問題が、先行研究において長年にわたり指摘されてきた。ガダ体系には、名称と通過儀礼によって区切られる八つの年齢階梯があり、1988年までの状況においてすべての階梯の年数を合計すると八十八年になる。具体的には、ダッバレ階梯(8年)、ガッメ階梯(16年)、クーサ階梯(8年)、ラーバ階梯(8年)、ドーリ階梯(5年)、ガダ階梯(8年)、ユーバ階梯(32年)、ガダモッジ階梯(3年)である。年齢階梯には、命名儀礼、世代組の発足、結婚、子供の養育、割礼などの可否が規定されている。これらの階梯を八年毎に発足する世代組が移行していく。世代組には父親からの系譜的な関係によって成員のリクルートが行われる。息子は父親の世代組から五つ下の世代組の成員となる。兄弟は全員、同じ世代組に所属する。世代組発足後も、継続的に成員が世代組に加入する。この結果、世代組の成員の年齢幅が拡大する。後半の年齢階梯もしくは年齢階梯外においてもなお、世代組には成員が加入しつづけることになる。

 こうしたガダ体系の状況が、先行研究によってしばしば取り上げられてきた構造的問題である。つまり、ガダ体系は、自らを支える規則によって、年齢階梯において想定されている役割や儀礼を果たすことのできない人々を生み出し、その結果、機能不全に陥っているとみなされてきた。レゲッセ(Legesse 1973)は「エスノグラフィック・パズル(ethnographic puzzle)」、バクスター(Baxter 1978)は「迷路」とそれぞれ表現している。同様なことは、他の世代組を含む年齢体系においても、多くの研究者によって「矛盾」あるいは「人口統計学的な矛盾」、「変則状況」として捉えられている(e.g. Hallpike 1976, Stewart 1977, Spencer 1978, Muller 1989)。

 しかしながら、世代組のリクルートのあり方はガダ体系の根底的な規則である。後半の年齢階梯や年齢階梯外に世代組があるときに生まれた人々もまた、その規則にそって生まれてきたのである。先行研究がそのような人々を「変則的」であるとみなすことは、すでに論理的な矛盾があると思われる。むしろ、ガダ体系はそうした人々も併せて成立していると考えるべきであり、彼らを「変則者」とみなすことは妥当ではない。

 本論文では「変則的状況」の現われとして捉えられている人々、つまり発足後も世代組に加入する人々を捉え直すために、「世代組のレイトカマー」と名づける。レイトカマーという言葉には、「遅参者」と「新参者」という二つの意味がある。「世代組のレイトカマー」とは、まさに世代組の発足から遅れて加入した人々であり、また同時に世代組に新しく加入した人々である。

 本論文の主要な部分は、こうした視点に立ち、それまで「変則」や「矛盾」として先行研究の記述と考察から除外されてきた、世代組のレイトカマーの存在に焦点を当て、彼らの存在がガダ体系の前提となっていることを明らかにすることに費やされる。それは、ガダ体系を現実としてボラナの人々がどのように生きているのかを記述する作業である。

2.構成とその要約

 本論文は六つの章にによって構成されている。

 序章 ボラナ社会
  第一節 主題
  第二節 社会概要
  第三節 社会構造
 第一章 ガダ体系の構造と問題
  第一節 ガダ体系の構造
  第二節 暦
  第三節 ボラナの歴史とその概念
  第四節 構造的問題と本論文の視点
 第二章 ガダ体系とライフヒストリー
  第一節 第一階梯からの人生
  第二節 途中の階梯からの人生
  第三節 年齢階梯における人生の傾向
 第三章 世代組の論理と年齢組の論理
  第一節 「種ウシの息子」と「老人の息子」
  第二節 ハリヤ体系(年齢組)
  第三節 「老人の息子」の領域としてのハリヤ体系
  第四節 二つの年齢体系の原理
  第五節 レイトカマーと世代組
 第四章 年齢階梯の儀礼
  第一節 命名儀礼
  第二節 役職者集団と儀礼の過程
  第三節 ガダモッジ階梯の儀礼
  第四節 総括
 第五章 国家におけるガダ体系
  第一節 オロモ・ナショナリズムの言説とその背景
  第二節 グミ・ガーヨ
 結び

 序章では、本論文における基本的な知識を提示するという目的に基づいて、社会人類学における年齢体系の研究動向を示す一方で、対象であるボラナ社会の素描を行う。ボラナ社会の素描においては、二つのセクションに分け、第一のセクションでは十四の基本事項(居住地域、人口、言語、宗教、地理、気候、居住形態と世帯、結婚形態、性交渉、牧畜、商業、農業、周辺民族の分布、町との関係)について簡単に記述する。第二のセクションでは、出自体系などの社会組織を示す。

 第一章では、ガダ体系の構造と規則を示する。また、ガダ体系を運営する基盤となるボラナの暦を記述する。さらに暦に支えられたガダ体系の構造が、ボラナの歴史概念の枠組みとなっていることを明示し、その枠組みに沿ってボラナの歴史を概観する。以上のようにガダ体系の構造を明らかにした上で、先行研究が扱ってきたボラナのガダ体系の構造上の問題を取り上げ、そのなかで本論文の視点を示す。

 第二章では、先行研究が問題としているガダ体系の状況とは具体的に何であるのかを示す。 それは、それまで理念的にのみ扱われる傾向にあった年齢階梯におけるボラナの人生のあり方を、五人の老人のライフヒストリーのなかで捉え直す作業である。ボラナの男性は、自分の父親の世代組によって、自分の加入すべき世代組が決まるため、出生時に、ダッバレ階梯からはじまる人生もあれば、年齢階梯の中途であったり、さらにすべての階梯を終えてしまっているという状況がありうる。一方、ガダ体系は、世代組の成員の誕生、結婚、子供の誕生、養育、命名儀礼、割礼などの開始時期を規定している。ここでは五人のボラナの老人のインタビューから、彼らがどの年齢階梯にあるときに、人生において必要な儀礼を行ったのか、さらに彼らの人生のあり方が次の世代において、どのように変化するのかを示す。

 第三章では、人類学者の眼には矛盾や変則的状況として映る年齢体系のあり方を、当の人々はどのように表現しているのかに焦点を当て、世代組と年齢組というボラナの二つの年齢体系が、概念的に相反する関係にあり、それによって両者が互いの存在を際立たせていることを指摘した。

 本章の主眼点は、ひとつに人類学者の眼には「矛盾」や「変則的状況」として映るガダ体系のあり方を、当のボラナの人々はどのように表現しているのかに焦点を当てることにあった。これは、ガダ体系の「変則的状況」や「構造的矛盾」を「理念と現実」との齟齬として捉える先行研究に対する問いでもある。つまり、ガダ体系の「現実」がレイトカマーの増加であれば、一方のガダ体系の「理念」とは何であるのかという問いである。このために、ボラナ自身の語るガダ体系の理念を明らかにする必要があった。

 ガダ体系の理念は、ボラナの人々の「世代組は生まれる」、「世代組は巡る」というふたつの表現に集約される。「世代組は生まれる」とは、ガダ体系において世代組が閉じることなく、新たな成員がレイトカマーとして生まれつづけ、世代組の年齢幅が広がっていくことを意味する。また、「世代組は巡る」とは一定の周期において、父親の世代組と息子の世代組が年齢階梯上を移行していくことを意味する。

 こうした表現は、レイトカマーの存在が、外部の観察者が指摘するように「変則」でも、「矛盾」でもないことを示している。なぜならば、「世代組が生まれる」とは、レイトカマーが生まれるとも言い換えうるのであり、世代組はレイトカマーの存在を前提としているからだ。それはボラナの慣習・やり方である「アーダー(aadaa)」に沿ったもので、これこそが、ガダ体系の原則である。

 しかし、先行研究において、レイトカマーの存在はボラナ自身の示した概念とは反対にガダ体系の「構造上の矛盾」「変則的状況」を生じさせ、その体系の維持を脅かすものとして扱われ、解決されなくてはならない問題とされてきた。ところが、ボラナの論理においては、世代組はレイトカマーの存在が不可欠であり、レイトカマーを逸脱として排除すれば世代組の概念自体もまた、解体されることになる。

 結局のところ、研究者によって名づけられたガダ体系の「パズル」や「難問」とは、ガダ体系の構造にあるのではなく、研究者の設定した問題の枠組み自体にあると思われる。つまり、「矛盾」や「変則」とは、人類学者によって構築された整合的なモデルと世代組の本来の論理との間の齟齬であった。

 一方、研究者が求めていた整合的な年齢体系のモデルは、ハリヤ体系の構造に見出される。八年間隔で閉じられるリクルートとそれに基づく年齢幅の一定の成員は、それまで先行研究によって指摘されてきたようなガダ体系の「人口統計学的な矛盾」を生じさせず、構造的な不変性を期待されるものである。一方、年齢組のあり方は、ボラナの論理では「生まれず」「消え去る」ものとして言い表される。年齢組は、「老人の息子」の範疇にあるレイトカマーが活動主体である。

 ボラナの概念のレベルにおいて世代組と年齢組は、相反する関係にあり、互いが互いを相反する原理によって映し出し、際立つ。個々には不連続であり、最終的には消え去る年齢組によって、世代組はボラナの永続的な社会体系として明確に示されるのである。

 第四章では、ガダ体系の通過儀礼の記述と分析を行なった。この章には二つの目的がある。ひとつには、先行研究において不十分であったガダ体系の通過儀礼に関する民族誌資料を提示することである。もうひとつの目的は、先行研究によってライフサイクルとして捉えられてきた年齢階梯のあり方を再検討することである。 本章における通過儀礼の記述は三つの節に分けて行なった。第一番に命名儀礼を、第二に役職者集団の儀礼を、第三に最終階梯であるガダモッジ階梯の儀礼を取り上げた。

 命名儀礼においては、長男の命名儀礼とそれ以外の子供の命名儀礼の相違と、長男の命名儀礼の三つのタイプの相違を示した。それによって、それまで個人的な儀礼として捉えられてきた長男の命名儀礼が、ガダ体系の枠組みにそって行われていること、命名儀礼が斉一的に世代組の成員を扱っていないことを示した。

 役職者集団は世代組の代表として儀礼を行なう。当初は正当な世代組の成員のみで構成されている役職者集団が、もっとも中心的な年齢階梯であるガダ階梯において、レイトカマーに対しても開かれた集団になることを示す。

 ガダモッジ階梯は、最終階梯にも関わらず全てのボラナ男性が終えなくてはならない階梯である。それを終えないこと自体が不運であり、それは父から息子へと累積する不幸であることを示する。また、ガダモッジ階梯の終了儀礼は、開かれた儀礼として亡父のために儀礼に参加する息子から他の世代組のレイトカマーまで多様な参加者の形態を示すことによって明らかにする。

 最後に本章では、世代組のあり方と年齢階梯の儀礼のあり方との関係を示す。年齢階梯の最長期間は88年という長さである。ダッバレ階梯からガダモッジ階梯へ至る年齢階梯を、ライフサイクルとしてみなすと、すべての階梯で理念的な年齢が設定されてしまう。そのため先行研究は「理念と現実との齟齬」や「人口統計学的な変則状況」という問題を見出してきた。

 現実として、ダッバレ階梯からガダモッジ階梯を経験する人は、ボラナにおいてほとんど存在しない。規範的にもボラナの男性すべてがダッバレ階梯を経験することは期待されていない。一方、すべてのボラナが経験しなくてはならない年齢階梯は、ガダモッジ階梯である。このガダモッジ階梯の儀礼が、ガダ体系の中心であるガダ階梯の儀礼を保証する。ガダ体系の中心はガダ階梯であり、ボラナ全体の儀礼的な責務を負っている階梯である。

 ガダモッジ階梯の儀礼の担い手は、世代組のレイトカマーがほとんどを占めることになる。彼らは、世代組の「生まれる」という原理によって、継続的に世代組に加入しつづける。それによって、ガダモッジ階梯に至るまで、あるいはそれを越えて、世代組には常に一定数の成員が存在することが可能となり、ガダモッジ階梯の終了儀礼は安定的に行われる。ガダモッジ階梯の終了儀礼が行われ、父親の世代組が階梯外へ移行することにより、その息子の世代組は真正なガダ階梯の位置に移行する。このことは、「世代組は巡る」と表現される。「生まれる」という継続的な成員のリクルートの原理によって、レイトカマーが世代組に加入しつづけ、世代組が年齢階梯を「巡る」ことが可能となる。

 つまり、年齢階梯と世代組の複合したガダ体系は、レイトカマーを生み出すとされている継続的な世代組へのリクルートの規則によって、それまで先行研究において指摘されてきた「変則的な状況」に陥るのではない。それによって、まさに正常に体系が維持されているのである。

 第五章では、ボラナ社会の文脈からさらに大きな枠組みへと展開させ、エチオピアの政治状況との関係において、ガダ体系とボラナ社会がどのように扱われ、ボラナの人々はそれに対してどのように対処にしているのかを、ボラナで1996年に行われたガダ体系のグミ・ガーヨと呼ばれる会合における、エチオピア大統領の訪問という出来事とその場における演説の記述・分析を行なった。

 現在、エチオピアでオロモ・ナショナリズムが進展している。そこでは、ボラナはオロモの昔の姿を維持している社会として扱われ、ガダ体系はオロモが元来もっていた民主主義政治として、積極的に表象される。人類学者の言説自体もまた、オロモ・ナショナリズムによって取り込まれ、オロモの一体性と本質を示すための意味を付与されて流通することを示した。ガダ体系やボラナを調査すること自体を含め、人類学の言説には当の人類学者の意図を超えた解釈が行われる。わたしがガダ体系に関する民族誌を書くという行為と書かれた民族誌もまた、新たな解釈のなかで流通していく可能性もないとはいえない。学問的な領域は、決して閉じられた空間ではないのである。こうした状況は、今後さらにインターネットなど情報網の発達によって進行していく可能性がある。

 しかし、当のボラナ自身は、わたしの調査した時点では、オロモ・ナショナリズムによってオロモの本質として自分たちが表象されていることに意識的でないか、あるいは疑念的でしかなかった。ボラナの人々がいかに考えようとも、今後こうした状況はさらに広がっていくものと考えられる。そのなかで、ボラナの人々がどのように自らを表象しはじめるのか、そして、わたし自身がどのような立場においてそうした事柄と関わっていくのか、それは今後の課題である。

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