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博士論文要旨

論文題目:近世中後期の百姓の土地所持意識と村落共同体の変容
著者:菅原 一 (SUGAHARA,Hajime)
博士号取得年月日:2020年3月19日

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【章立】
 序章
本論文の目的と構成
 第一章
無年季的質地請戻し慣行と直上納制‐信州上田藩領房山村丸山家を事
例に‐(上)
 第二章
無年季的質地請戻し慣行と直上納制‐信州上田藩領房山村丸山家を事
例に‐(下)
 第三章
近世後期における直上納制と地主的土地所持‐信州松代藩を事例とし
て‐
 第四章
近世中期の直上納制と土地所持秩序の変容‐信州松代藩を事例として
 第五章
近世中・後期信州における無年季的請戻し慣行の実態と展開‐信州水
内郡栗田村の高戻りを事例にして‐
 第六章
近世後期村方騒動における村落共同体の変容主体と無年季的請戻し慣
行‐信州水内郡栗田村を事例に‐
 第七章
近世後期小作出入における先規と新法‐これからの展開のために‐
 終章
本論文の総括と今後の課題

【各章要約】
 
 序章 本論文の目的と構成本論文の目的と構成
 序章では、序章では、まず、未だにまず、未だに近世の近世の地域社会研究に影響を与え続けている佐々木潤地域社会研究に影響を与え続けている佐々木潤之介氏の「世直し状況論」とその批判という図式の之介氏の「世直し状況論」とその批判という図式の中で、現在までの中で、現在までの近世史にお近世史におけるける地域社会研究が展開されていると研究状況を整理した地域社会研究が展開されていると研究状況を整理した。その上で、本論文で。その上で、本論文では「世直し状況論」の批判のは「世直し状況論」の批判の内、内、村落共同体研究に焦点を合わせ村落共同体研究に焦点を合わせる立場を明らかる立場を明らかにし、にし、それを村落共同体論それを村落共同体論に関するに関する研究、無年季的な請戻し慣行研究の研究、無年季的な請戻し慣行研究の二つに整二つに整理し、理し、主な主な論者と評価を取り上げた論者と評価を取り上げた。そして、そのような従来の先行研究と各論。そして、そのような従来の先行研究と各論者の評価を踏まえた上で、者の評価を踏まえた上で、本論文の本論文の目的として以下の目的として以下の三三点を設定した点を設定した。すなわち、。すなわち、(一)地域社会論の成果を踏まえた上で、豪農・小前層の土地所持意識の変容を(一)地域社会論の成果を踏まえた上で、豪農・小前層の土地所持意識の変容を明らかにして、近世中後期の村落共同体の変容過程を考察すること、(二)村落明らかにして、近世中後期の村落共同体の変容過程を考察すること、(二)村落共同体論に関する研究の中に本論文を位置づけること、(三)近共同体論に関する研究の中に本論文を位置づけること、(三)近世中期以降の無世中期以降の無年季的な請戻し慣行の実態を明らかにすること、の三点である。年季的な請戻し慣行の実態を明らかにすること、の三点である。そして、上記のそして、上記の三点三点の目的を果たすために、本論文の目的を果たすために、本論文では無年季的な請戻し・直上納制・村方騒動では無年季的な請戻し・直上納制・村方騒動における「村政民主化」的動向の三つの事項を基軸として考察を深めるにおける「村政民主化」的動向の三つの事項を基軸として考察を深めると指針をと指針を示し、このことによって、近世後期の地域社会の百姓の土地所持意識の変容の様示し、このことによって、近世後期の地域社会の百姓の土地所持意識の変容の様態を跡づけ、態を跡づけ、最終的には幕末期の地域社会への展望を示すことを目標として設最終的には幕末期の地域社会への展望を示すことを目標として設定した定した。。
 第一章
 第一章 無年季的質地請戻し慣行と直上納制‐信州上田藩領房山村丸山家を事無年季的質地請戻し慣行と直上納制‐信州上田藩領房山村丸山家を事例に‐(上)例に‐(上)
 第一章では、第一章では、第二章での考察を行う前提として第二章での考察を行う前提として、、信州上田藩領房山村の丸山家信州上田藩領房山村の丸山家の概要と土地集積過程をの概要と土地集積過程を考察した考察した。。上田藩領房山村の豪農丸山家は近世期には上田藩領房山村の豪農丸山家は近世期には上田藩領内における最大の豪農として知られる家であった。同家の土地集積傾上田藩領内における最大の豪農として知られる家であった。同家の土地集積傾向は、近世前期から一八世紀前後の田畑を主な対象とした急激な拡大期、一八世向は、近世前期から一八世紀前後の田畑を主な対象とした急激な拡大期、一八世紀前半期の一時的な集積の停滞期、屋敷地などにその集積対象を切り替えた宝紀前半期の一時的な集積の停滞期、屋敷地などにその集積対象を切り替えた宝暦期以降の再度の拡大期といった時期に区分される。本章では、これらの土地集暦期以降の再度の拡大期といった時期に区分される。本章では、これらの土地集積過程を区分ごとに考察し、積過程を区分ごとに考察し、丸山家が一八世紀前半期に居村における本貫地集丸山家が一八世紀前半期に居村における本貫地集積を完了するとともに、居村においては居屋敷地積を完了するとともに、居村においては居屋敷地などの本貫地以外での土地集などの本貫地以外での土地集積を志向していたこと、しかしその積を志向していたこと、しかしその一方一方でで、他村におい、他村においては居村とは異なり、継ては居村とは異なり、継続して本貫地の集積を行っており、居村か他村かによって土地集積動向にも違続して本貫地の集積を行っており、居村か他村かによって土地集積動向にも違いがあったいがあったことを明らかにしたことを明らかにした。。そして、この相異点についてそして、この相異点について、、本章では丸山家本章では丸山家のの村方地主として村方地主としての性格の性格およびおよび村役人として村役人としての性格が重なりあいの性格が重なりあい、居村房山村、居村房山村での本貫地の集積を意図的に抑制していたものであり、房山村の本貫地の集積での本貫地の集積を意図的に抑制していたものであり、房山村の本貫地の集積がしにくい状況になると、がしにくい状況になると、他の村々の本貫地の集積を志向したものであると考他の村々の本貫地の集積を志向したものであると考察察したした。。

 第二章
 第二章 無年季的質地請戻し慣行と直上納制‐信州上田藩領房山村丸山家を事無年季的質地請戻し慣行と直上納制‐信州上田藩領房山村丸山家を事例に‐(下)例に‐(下)
 第二章では、第一章を前提として、天明年間以第二章では、第一章を前提として、天明年間以降に上田藩領房山村で起こった降に上田藩領房山村で起こった無年季的請戻し要求無年季的請戻し要求とその請戻し要求に対抗する意図をもってとその請戻し要求に対抗する意図をもって領主に領主に申請・認申請・認可された可された直上納制の関係性を考察直上納制の関係性を考察したした。。房山村の丸山家は天明年間に無年季的房山村の丸山家は天明年間に無年季的な土地請戻し要求に直面しており、そのような土地請戻し要求に対抗する意図な土地請戻し要求に直面しており、そのような土地請戻し要求に対抗する意図から、村を通して年貢を納める旧来の村請制の枠組みを越えて、直接領主に年貢から、村を通して年貢を納める旧来の村請制の枠組みを越えて、直接領主に年貢を上納する直上納制を申請・認可されるにいたる。しかし、を上納する直上納制を申請・認可されるにいたる。しかし、その後、その後、そのようなそのような意図をもった直上納制に対して、先祖伝来の屋敷地を質流れで所持権を奪われ意図をもった直上納制に対して、先祖伝来の屋敷地を質流れで所持権を奪われていた兵九郎という百姓に屋敷地の請戻しを求める訴訟をおこされていた兵九郎という百姓に屋敷地の請戻しを求める訴訟をおこされてしまう。てしまう。丸山家丸山家側の立場からすれば、側の立場からすれば、一度そのような請戻しを認めてしまえば一度そのような請戻しを認めてしまえば、他の所持、他の所持地でも同様の事態が起こりかねないとする地でも同様の事態が起こりかねないとする恐れ恐れがあることから、そのような兵があることから、そのような兵九郎の要求を直上納制を楯にして拒否する姿勢を鮮明に表していく。九郎の要求を直上納制を楯にして拒否する姿勢を鮮明に表していく。結果的に結果的に、、丸山家は兵九郎の生活扶助のために、い丸山家は兵九郎の生活扶助のために、いくらかの助成金の拠出を承諾するといくらかの助成金の拠出を承諾するという妥協点を示しながらも、兵九郎の要求を退けることに成功する。そして、これう妥協点を示しながらも、兵九郎の要求を退けることに成功する。そして、これらの経過らの経過から、先行研究で指摘されてきたような、請戻し慣行に対抗する明確なから、先行研究で指摘されてきたような、請戻し慣行に対抗する明確な論理を持たず、地主的土地所持を確固たるものとすることができなかった地主論理を持たず、地主的土地所持を確固たるものとすることができなかった地主といという従来のイメージとは異なる地主の存在を提示う従来のイメージとは異なる地主の存在を提示した。した。
 
 第三章
 第三章 近世後期における直上納制と地主的土地所持‐信州松代藩を事例とし近世後期における直上納制と地主的土地所持‐信州松代藩を事例として‐て‐
 第三章では、第一章・第二章でみられたような無年季的な請戻し出入りに対抗第三章では、第一章・第二章でみられたような無年季的な請戻し出入りに対抗する地主的土地所持を維持するために直上納制が志向されする地主的土地所持を維持するために直上納制が志向されていく過程が、他のていく過程が、他の地域においてもみられる事項であるのかを考察した地域においてもみられる事項であるのかを考察した。具体的には、信州松代藩。具体的には、信州松代藩領領地域を対象に藩政史料である『真田家文書』から、松代藩地域における直上納事地域を対象に藩政史料である『真田家文書』から、松代藩地域における直上納事例を多数抽出した上で、例を多数抽出した上で、ここでは特にここでは特に信州水内郡栗田村の地主倉石源左衛門信州水内郡栗田村の地主倉石源左衛門とと隣村市村南組における隣村市村南組における直上納制出入事例を考察した直上納制出入事例を考察した。そこでは、。そこでは、松代藩領と上田松代藩領と上田藩領の直上納制にみられた形態的な差異が、松代藩全体で見た場合には、その類藩領の直上納制にみられた形態的な差異が、松代藩全体で見た場合には、その類型の一つに過ぎず、両藩における直上納制は酷似した形態を持つ事例が存在し型の一つに過ぎず、両藩における直上納制は酷似した形態を持つ事例が存在したことが明らかとなった。その上で、直上納制の性格たことが明らかとなった。その上で、直上納制の性格自体に自体につついても、上田藩領いても、上田藩領の事例と同様にの事例と同様に村落共同体による土地の請戻し動向村落共同体による土地の請戻し動向が存在しが存在したことが明らかとたことが明らかとなりなり、上田藩領と同様に請戻し要求を拒否する意味合いも含みつつ、、上田藩領と同様に請戻し要求を拒否する意味合いも含みつつ、そこにそこに栗田栗田村村の長期にわたるの長期にわたる村方騒動なども絡み合いながら、直村方騒動なども絡み合いながら、直上納制が申請上納制が申請・認可されて・認可されていた実態を考察したいた実態を考察した。。

 第四章
 第四章 近世中期の直上納制と土地所持秩序の変容‐信州松代藩を事例として近世中期の直上納制と土地所持秩序の変容‐信州松代藩を事例として‐‐
 第四章では、松代藩領でみら第四章では、松代藩領でみられた直上納制について、その出現と年代ごとの変れた直上納制について、その出現と年代ごとの変化のあり方を考察した化のあり方を考察した。第三章では無年季的な請戻し慣行に対する直上納制の。第三章では無年季的な請戻し慣行に対する直上納制の検出に焦点を当てたことで、逆に松代藩の直上納制そのものを明らかにすると検出に焦点を当てたことで、逆に松代藩の直上納制そのものを明らかにするという点は後景に退いており、その点を補ういう点は後景に退いており、その点を補う意味で、意味で、本章は本章は松代藩の直上納制の全松代藩の直上納制の全体像を把握することを目的とした体像を把握することを目的とした。具体的には、。具体的には、『真田家文書』から松代藩の直『真田家文書』から松代藩の直上納制事例を抽出上納制事例を抽出しし、、その結果、その結果、松代藩の直上納事例には松代藩の直上納事例には宝暦宝暦から安永期と文から安永期と文政政期という二つのピークが存在していたことが明らかとなる。期という二つのピークが存在していたことが明らかとなる。さらにさらに本章では、そ本章では、その時代の偏りに注目し、当該期に松代藩領において一定の広がりをもって実施の時代の偏りに注目し、当該期に松代藩領において一定の広がりをもって実施されていた地押検地の実施状況されていた地押検地の実施状況がこれらの二つのピークと重なるものであるとがこれらの二つのピークと重なるものであると想定し、そのような傾向想定し、そのような傾向と直上納制とを結び付け、領主側・在地側と直上納制とを結び付け、領主側・在地側の双方が共に、の双方が共に、当該期に土地所持秩序の再編を志向していたと評価した当該期に土地所持秩序の再編を志向していたと評価した。結論として、宝暦期の。結論として、宝暦期の地押検地を直接的な契機として、様々な集団や地主、村落共同体のせめぎ合い地押検地を直接的な契機として、様々な集団や地主、村落共同体のせめぎ合いのの中で土地所持秩序が変容し、その一つの帰結が直上納制であると位置づけた中で土地所持秩序が変容し、その一つの帰結が直上納制であると位置づけた。
 
 第五章
 第五章 近世中近世中後期信州における無年季的請戻し慣行の実態と展開‐信州水後期信州における無年季的請戻し慣行の実態と展開‐信州水内内郡栗田村の高戻りを事例にして‐郡栗田村の高戻りを事例にして‐
 第五章では、信州水内郡栗田村の名寄帳から近世中後期第五章では、信州水内郡栗田村の名寄帳から近世中後期における無年季的請における無年季的請戻しの実態を戻しの実態を考察した考察した。本章では、信州水内郡。本章では、信州水内郡栗田村における約一二〇年間にわ栗田村における約一二〇年間にわたる名寄帳を考察対象として、栗田村における村内のたる名寄帳を考察対象として、栗田村における村内の土地所持の概要とそこか土地所持の概要とそこから抽出される高戻り現象に注目して、近世中後期の無年季的請戻しの実態を追ら抽出される高戻り現象に注目して、近世中後期の無年季的請戻しの実態を追っていったっていった。。その過程では、栗田村の約一二〇年分の土地移動状況から、栗田村その過程では、栗田村の約一二〇年分の土地移動状況から、栗田村の村内の土地所持階層が、近世中期までは比較的均一的な階層であったものが、の村内の土地所持階層が、近世中期までは比較的均一的な階層であったものが、徐々に土地所持高を拡大させていく百姓と土地徐々に土地所持高を拡大させていく百姓と土地所持高を減所持高を減少させていく百姓へ少させていく百姓へと分化し、貧富が極端に分化した土地所持状況へと変容していく過程を明らかと分化し、貧富が極端に分化した土地所持状況へと変容していく過程を明らかにしたにした。。そしてそして、、そのような土地所持状況と共に、そのような土地所持状況と共に、土地の請戻し状況を追ってい土地の請戻し状況を追っていく中で、く中で、栗田村の約一二〇年間の土地移動の内の高戻り事例からは、土地移動か栗田村の約一二〇年間の土地移動の内の高戻り事例からは、土地移動から二〇年を超えるような無年季的な請戻しは近世中期には見出ら二〇年を超えるような無年季的な請戻しは近世中期には見出せず、文政期末せず、文政期末以降にその存在が確認できるようになることを指摘した以降にその存在が確認できるようになることを指摘した。加えて、当該地域では。加えて、当該地域では無年季的請戻しが当初入作地主を主要な対象として展開したことを指摘し、そ無年季的請戻しが当初入作地主を主要な対象として展開したことを指摘し、それには村落共同体の村落内の地所が他村へ流出することを忌避する傾向が前れには村落共同体の村落内の地所が他村へ流出することを忌避する傾向が前提提にあり、そにあり、そのことが背景となって長年季・無年季的な請戻しが展開したと評価しのことが背景となって長年季・無年季的な請戻しが展開したと評価した。。

 第六章
 第六章 近世後期村方騒動における村落共同体の変容主体と無年季的請戻し慣近世後期村方騒動における村落共同体の変容主体と無年季的請戻し慣行‐信州水内郡栗田村を事例に‐行‐信州水内郡栗田村を事例に‐
 第六章では、第五章を前提にして、信州水内郡栗田村を事例に、文化六年(一第六章では、第五章を前提にして、信州水内郡栗田村を事例に、文化六年(一八〇九)におこった村方騒動を考察の中心と八〇九)におこった村方騒動を考察の中心として、村落共同体の変容主体と無年して、村落共同体の変容主体と無年季的請戻し慣行の関係性を考察した季的請戻し慣行の関係性を考察した。特に本章では、。特に本章では、村方村方騒動の長期化の中でお騒動の長期化の中でおこった「村政民主化」的動向に注目して、村落運営体制の変容過程を考察するとこった「村政民主化」的動向に注目して、村落運営体制の変容過程を考察するとともに、名寄帳を活用した長期的分析によって、その変容の動向に没落村役人層ともに、名寄帳を活用した長期的分析によって、その変容の動向に没落村役人層ともいうべき層が大きな規定性を与えていたことを論証ともいうべき層が大きな規定性を与えていたことを論証したした。。具体的には、文化具体的には、文化六年の村方騒動の勃発とその拡大過程を追い、騒動において主体的に関わった六年の村方騒動の勃発とその拡大過程を追い、騒動において主体的に関わった存在として没落村役人層を検出し、彼らの主体的な行動を媒介として存在として没落村役人層を検出し、彼らの主体的な行動を媒介として、比較的、比較的所所持高の持高の少ない少ない百姓も村役人に就任できる百姓も村役人に就任できるようになっていく動向、いわゆる「村政ようになっていく動向、いわゆる「村政民主化」的動向を考察していった民主化」的動向を考察していった。そして、そのような「村政民主化。そして、そのような「村政民主化」的動向と」的動向とともに、ともに、村方騒動が長期化するなかで、村内が二分化され相互扶助機能が低村方騒動が長期化するなかで、村内が二分化され相互扶助機能が低下し下した結果、栗田村の所持地が他村た結果、栗田村の所持地が他村へへ流出していく傾向を提示した。その上で流出していく傾向を提示した。その上で、村内、村内が内済によって再度合一した後、村内所持地の流出という危機的状況から他村が内済によって再度合一した後、村内所持地の流出という危機的状況から他村地主に地主に対する土地請戻し傾向が顕著にあらわれてくるあり方を論証した対する土地請戻し傾向が顕著にあらわれてくるあり方を論証した。。そのその際には、「村政民主化」的動向が副次的な効果にとどまりつつも、無年季的な請際には、「村政民主化」的動向が副次的な効果にとどまりつつも、無年季的な請戻し慣行戻し慣行をを頻発頻発させるさせる前提をなすものであったと位置づけた。前提をなすものであったと位置づけた。

 第七章
 第七章 近世後期小作出入における先規と新法‐これからの展開のために‐近世後期小作出入における先規と新法‐これからの展開のために‐
第七章では、信第七章では、信州高井郡東江部村の山田庄左衛門家を事例に、近世後期の小作州高井郡東江部村の山田庄左衛門家を事例に、近世後期の小作出入出入において主張された先規と新法が生み出されていく実態を明らかにしたにおいて主張された先規と新法が生み出されていく実態を明らかにした。。近世後期以降、信州最大の地主近世後期以降、信州最大の地主として知られている東江部村の山田庄左衛門家として知られている東江部村の山田庄左衛門家は、隣村の新保村に近世中期および近世後期に小作出入を引き起こされていた。は、隣村の新保村に近世中期および近世後期に小作出入を引き起こされていた。この内、この内、新保村の新保村の近世中期と後期の小作出入とでは、その経過に明確な差異が存近世中期と後期の小作出入とでは、その経過に明確な差異が存在した。従来の先行研究などでは、一般的には、近世の地主の土地所持権は時代在した。従来の先行研究などでは、一般的には、近世の地主の土地所持権は時代を経るごとに強くなっていき、そのような地主的土地所持の拡大によって村落を経るごとに強くなっていき、そのような地主的土地所持の拡大によって村落共同体自体が動揺していくことが共同体自体が動揺していくことが指摘されていた。しかし、新保村の小作争論で指摘されていた。しかし、新保村の小作争論では、近世中期の小作争論における地主の権限の強さと比較して、近世後期の地主は、近世中期の小作争論における地主の権限の強さと比較して、近世後期の地主の支配権はむしろおびやかされていると評価することができ、これまでの一般の支配権はむしろおびやかされていると評価することができ、これまでの一般的な地主像とは様相の異なる状況が現出していた。本論文では、すでに従来の研的な地主像とは様相の異なる状況が現出していた。本論文では、すでに従来の研究で指摘されていた評価を踏まえた上で、争論の過程で新保村村落共同体が新究で指摘されていた評価を踏まえた上で、争論の過程で新保村村落共同体が新たに村法を制定して、それたに村法を制定して、それを従来からの先規と主張することで、地主側と対峙すを従来からの先規と主張することで、地主側と対峙する様相を考察したる様相を考察した。そして、本事例における小作出入と第五章・第六章で取り扱。そして、本事例における小作出入と第五章・第六章で取り扱った無年季的った無年季的な請戻し動向がともに類似した構な請戻し動向がともに類似した構図・傾向をもっていることを指図・傾向をもっていることを指摘した摘した。このことによって、本論文全体の。このことによって、本論文全体の論点を集約化するとともに、今後の研論点を集約化するとともに、今後の研究の展望を示すものと位置づけた。。

 終章
 終章 本論文の総括と今後の課題本論文の総括と今後の課題
 終章では、第一章から第七章までの考察内容をまとめるとともに、そこで得ら終章では、第一章から第七章までの考察内容をまとめるとともに、そこで得られた成果から、(一)村落共同体論における本論文の意義、(二)無年季的請戻しれた成果から、(一)村落共同体論における本論文の意義、(二)無年季的請戻し慣行研究における意義、(三)地域社会研究と村落共同体研究の接合、といった慣行研究における意義、(三)地域社会研究と村落共同体研究の接合、といった序序章で挙げた三つの目的に沿った研究史上の本論文の意義を明らかにした章で挙げた三つの目的に沿った研究史上の本論文の意義を明らかにした。。具具体的には、①無年季的請戻し慣行・直上納制・「村政民主化」的動向の三つの事体的には、①無年季的請戻し慣行・直上納制・「村政民主化」的動向の三つの事項を、従来の共同体研究で想定されていた村落共同体の変容・分化の指標として項を、従来の共同体研究で想定されていた村落共同体の変容・分化の指標として位置付けたこと、②「村政民主化」的動向と無年季的な請戻し慣行を具体的に結位置付けたこと、②「村政民主化」的動向と無年季的な請戻し慣行を具体的に結び付けて考察し、それが小前層有利な村政再編動向である可能性を示したこと、び付けて考察し、それが小前層有利な村政再編動向である可能性を示したこと、③無年季的請戻しが近世後期以降に再度表れてくることを具体的に明らかにし③無年季的請戻しが近世後期以降に再度表れてくることを具体的に明らかにしたこと、④小前層に埋没していた没落村役人層を、村方騒動の主体として位置付たこと、④小前層に埋没していた没落村役人層を、村方騒動の主体として位置付けて、「村政民けて、「村政民主化」的動向から小前層の意見を汲み取る際の媒介項として評価主化」的動向から小前層の意見を汲み取る際の媒介項として評価したこと、したこと、⑤「村政民主化」的動向が単に近代的な地域像を形作るだけでなく、⑤「村政民主化」的動向が単に近代的な地域像を形作るだけでなく、小前層の再生産を助けるような近世的な動向をも呼び起こす要因となっていた小前層の再生産を助けるような近世的な動向をも呼び起こす要因となっていた可能性を示したこと、の五つの成果を得ることができたと整理する。そして、今可能性を示したこと、の五つの成果を得ることができたと整理する。そして、今後の課題として、(一)方法論としての課題、(二)地主制研究との接合、(三)後の課題として、(一)方法論としての課題、(二)地主制研究との接合、(三)近代農民騒擾事件研究との接合、の三点を取り挙げて、特に明治期以降の地域社近代農民騒擾事件研究との接合、の三点を取り挙げて、特に明治期以降の地域社会会研究との接続を展望して論を終えた研究との接続を展望して論を終えた。。

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