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博士論文要旨

論文題目:1945年マニラ戦スペイン総領事館襲撃事件を生きのびて―6歳スペイン少女のライフストーリー
著者:荒沢 千賀子 (ARASAWA, Chikako)
博士号取得年月日:2020年3月19日

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 問題意識の概要と論文の課題
 近年、他者排撃の傾向が強まり、日本では過去の植民地支配や戦争の歴史に対するとらえ方が内外の緊張を高める問題でありつづけ、戦争を近い将来の選択肢とする議論が、過去の歴史やそこでの自他の経験との対話とは切り離されたまま、政治の上で勢いを増しているようにみえる。このような社会状況にたいして、本論文では、戦争を体験し破壊的な作用を被った人がその後をどのように生きることができるのか、また、そのような個人の歴史経験にたいして人として意味のある向きあい方はどのように可能であるのかをさぐることを課題として、戦争被害者のライフストーリーを提示し、読み手との深い「対話」をこころみながら、暴力的状況に対する人間のしなやかな可能性をとらえていく。

 論文のテーマと対象者
 本論文はアナ=マリア・アギレリャ=リョンクAna María Aguilella Llonchさんを対象者とするライフストーリーである。対象者は6歳のとき、アジア太平洋戦争マニラ戦のさなか1945年2月に起こった日本兵数名による在マニラ・スペイン総領事館襲撃事件で唯一の生存者となり、翌1946年スペインに帰国しバルセロナに住んでいる。
 事件は二ヶ月後に中立国スペインが日本との国交を断絶する主因となり、事件の衝撃で記憶をうしなった対象者の人生は、再出発の当初から歴史、政治に強く枠づけられるものとなった。そして、日本の男性にたいして平静ではいられないという心の傷つきをもち日本にたいする特別な関係を生きる対象者が、日本の女性研究者である「わたし」との間に友情を育んだ。この行為に、対象者の現在の生き方が焦点化されているとみられる。

 章立て
 はじめに
  1)「わたしは、領事館のたったひとりの生き残り」:日本の戦争被害者のライフストーリー
  2)問題意識の概要と論文の課題
  3)当該テーマのための方法論と論文の構成
  4)先行研究における当該テーマの位置と独自性
  5)論文に使用する資史料または調査の概要と特徴
 第一章「わたしはたった一人の生き残り」:スペイン総領事館襲撃事件まで  
  挿話①:ライフストーリーを紡ぐ現場-半開きの扉の内奥
  1)アナさん①:はじめての聞きとり
  2)国交回復交渉と「対日請求問題」①:マニラ戦とスペイン総領事館襲撃事件
   その1. 在比スペイン国籍者とマニラ戦
   その2.「アメリカのプロパガンダ」:対日断交へ
  3)バルセロナで生きる①:フィリピン総合タバコ会社と戦争被害を受けた従業員
 第二章「わたしには記憶がないから」:困難と生存戦略
  挿話②:人間への問い
  1)アナさん②:「いい子にしてなさい」「記憶がない」こと―「生」そのもの
  2)国交回復交渉と「対日請求問題」②:「遺憾の意の表明」をめぐって
   その1.「一々遺憾の意を表さなければならない」のは「極めて辛い」:国交回復交渉の開始
   その2.「肯定あるいは否定する資料を全く欠いている」:総領事館襲撃事件の浮上と日本側調査
   その3.スペイン総領事館襲撃事件への「深甚なる遺憾の意」:覚書の交換
  3)バルセロナで生きる②:「バリオだから」-爆撃と「防空壕」、「疎開」
 第三章「でも、母とは呼べなかった」:内戦後のバルセロナで
  挿話③:人として疼く
  1)アナさん③: 「でも、母とは呼べなかった」「12歳の私にはとてもつらかった」
  2)国交回復交渉と「対日請求問題」③:「三人の事務員が抱える程」の資料650件を八十数回精査して
   その1.「「モラル」の問題」、「差別待遇」:スペイン総領事館「外交官」被害の先決提案
   その2.「100%日本側の責任」「50%日本側の責任」:日西合同委員会
  3)バルセロナで生きる③:宗教のふところ、多様性、相対化と自己選択
 第四章「四倍の愛情があふれた」:夫との生活
  挿話④:プロ級写真機と手しぼりのオレンジジュース
  1)アナさん④:「行き場のなかった四倍の愛情があふれた」-夫との生活
  2)国交回復交渉と「対日請求問題」④:「マニラ戦の被害をいかに算定するかにかかっている」
   その1.「供述を警戒する念」「讒言」「絶望的な、かつ異常な心理状態」:「わが方の調査」
   その2.「人的被害大部分事実であったと認定」:物的損害補償の大幅圧縮方針
   その3.「責任をわが国が負うべきであるとの考え」の国内適用は不可能:政治的解決へ
  3)バルセロナで生きる④:「よく人のことを観察している、頭のいい人」-見まもられて
 第五章「わたしには記憶がないから」:日本の研究者と出会う
  1)アナさん⑤:工夫にあふれたお茶目な人-はじめての聞きとり、そのあとで
  2)「写真を撮りたがった…それがうれしかった」:関係への意
  3)「パーソナリティへの興味に感謝」:手紙へ
  4)「日本で今起こっていることを心配しながら」:日本に思いをひろげる
  5)「ちがった体験」を伝える:過去に向きあう実践者
 第六章「そう、それがわたしである」:生存の力に根を張って
  1)アナさん⑥:「これを読んで」―シリュルニックの記事
  2)「わたしは生きたいと思ってきた」―レジリエンス
  3)「自分自身の(培った)生きるシステムに沿う」―心の「傷つき」と日本社会をめぐって
 おわりに
  1)アナさん⑦:「(主語としての)わたし、それはすべてのうえに(”Yo, encima de todo”)」
  2)人間の生命の力をもとに「尊厳ある生を生きる」

 論文の構成
 本論文の主軸は、対象者のライフストーリー部分(「アナさん①~⑦」)であるが、過去の暴力的状況や心の傷つきにかかわる対象者の経験にたいして、読み手が人として意味のある形で深く対話することをめざす本論文は、つぎのような構成上のこころみをおこなう。
 まず、本論文全体を、対象者の語りをもとに特徴ある4つの段階に分けてえがく前半(第一章~第四章)と、対象者の生き方かたに的をしぼって意味を深める後半(第五章~おわりに)に分ける。
 前半では、現在の対象者の生き方の焦点が歴史に枠づけられた日本にたいする対象者の特別な関係にあることから、スペインと日本の外交交渉の政治プロセス部分(「国交回復交渉と「対日請求問題」①~④」)を対象者のライフストーリーと分けて記し、事件の公的な位置づけとその経緯を示すとともに、後半で対象者の生き方の意味を深めるための対比の視点を提示していく。また、読み手の自然な感情の動きに沿うことや、語りからは得られない視角を提示することを目的に、書き手である「わたし」の気づきと発見のプロセスを示すエピソード部分(「挿話①~④」)と、歴史社会的背景をイメージする部分(「バルセロナで生きる①~④」)を、それぞれライフストーリーと分けて加える。
 なお、本論文の前半では、これら各部分の視点のちがいをいっそう明らかにするため、それぞれにふさわしい異なった叙述スタイルを採用する。
 後半では、書き手である「わたし」との関係に焦点をしぼる。章を追って視点を深めながら対象者の生き方の意味を位置づけ、さいごに政治プロセスの流れと対比し、その意味を本論文の問題意識と課題につなげてまとめる。  

 各章の要約 
<はじめに> 
 本章では、テーマや問題意識、方法論、先行研究、資料などについて詳述する。
<第一章「わたしはたった一人の生き残り」:スペイン総領事館襲撃事件まで> 
 第一章では、事件にいたるまでの経緯と事件がもたらした衝撃をえがく。
 第一章冒頭の「挿話①」で、外に対しては用心深いけれども一歩内に入るとあたたかくゆたかな場が待ち受けているという、対象者のありかたを象徴するような聞きとり現場(対象者の自宅)に「わたし」が赴くシーンを紹介し、読み手が臨場感をもって現場に入りこめるよう誘う。
 ライフストーリー「アナさん①」では、スペイン・バルセロナに居を定めた祖母や父の来歴から、対象者の事件との遭遇とその直後までをえがく。「国交回復交渉と「対日請求問題」①」では、マニラ戦での日本軍による多数の「アトロシティー」発生当初、事件の報がどう伝わり日本側がどう反応したかを明らかにする。日本側が事実を正面から受けとめなかったようすがわかる。
 第一章最後の「バルセロナで生きる①」では、対象者の人生のあゆみを大きな歴史背景のなかにおく。植民地フィリピンのアメリカ割譲後も活動したスペイン系企業であるタバコ会社がバルセロナに本社を置いたことから、対象者の父は同社に職を得てフィリピンに移民した。対象者が戦争被害に遭ったもとには同社とのかかわりがあったのだが、同社の従業員遺族であったことから、対象者は同社による配慮に支えられていた。
<第二章「わたしには記憶がないから」:困難と生存戦略>
 第二章では、出来事がもたらしたその後の困難とその対応を記述する。 
 第二章の「挿話②」と第三章の「挿話③」では、調査の過程で「わたし」が被害側・加害側両方の資料を目にしたことによって、対象者をみつめる目が磨かれていくプロセスを読者と共有する。まず、第二章冒頭の「挿話②」では、被害側資料から考える。事件前にスペインとやり取りされた在マニラ・スペイン系市民の多数の電信文を見た「わたし」が感じたことや、遺族への聞きとりで投げかけられた問いを記す。「わたし」は被害者が「人間信頼」にも深い傷を負ったことに気づく。
 ライフストーリー「アナさん②」では、帰国した最初のころの対象者の困難や「生存戦略」を、対象者の特徴である「記憶」の語りを手がかりに読みといていく。「国交回復交渉と「対日請求問題」②」では、戦後に国交回復交渉が開始されても反応がにぶかった日本側に、調査さえも困難な状況がマニラにあった事実が浮かびあがりはじめ、最終的に「遺憾の意」が表明されるにいたった経緯をえがく。
 第二章最後の「バルセロナで生きる②」では、内戦中や戦後すぐの日常生活や「バリオ」の濃い人間関係について語る他の聞きとりや、写真集の資料などによってバルセロナのイメージを提供し、対象者の語りを補う。
<第三章「でも、母とは呼べなかった」:内戦後のバルセロナで>
 第三章では、対象者のライフストーリーと政治プロセスが、それぞれの転換点へと向かうまでをとらえる。
 第三章冒頭の「挿話③」では、加害側の資料から、追いつめられた生の現実と「人として疼く」ということに、「わたし」は思いをめぐらす。
 ライフストーリー「アナさん③」では、家族についての語りをもとに、対象者の子ども時代の家庭環境や、郷里で祖母の介護をまかされた最もつらかった体験を記す。「国交回復交渉と「対日請求問題」③」では、650件の被害について個別に検討した委員会の設置とその活動について記す。日本側とスペイン側の各委員がマドリードで八十数回の会合を開き、被害の現実に近づいて責任を認定するプロセスが存在していた。
 第三章最後の「バルセロナで生きる③」では、対象者が帰国し住みつづけたのはスペイン・バルセロナであったことにはどのような意味があったのか、いくつかの聞きとりによって当時のバルセロナ社会を点描し、イメージをひろげて考える。
<第四章「四倍の愛情があふれた」:夫との生活>
 第四章では、生命の力を充実させていく対象者のライフストーリーと、「政治解決」にしか方策が見いだせない状況におちいって政治的「決着」をはかった政治プロセスとの、たがいに対照的なようすをとらえる。
 第四章冒頭の「挿話④」では、視点をふたたび聞きとり現場にもどす。対象者がもてなしとしてオレンジジュースを用意してくれていたことにどこか重荷を感じた「わたし」は、帰宅後ジュースを絞るためにどれほど対象者が苦労したのか、追体験しようとする。その心中には、日本の過去がつくった「壁」が見え隠れしている。だが、聞きとりの際プロ級写真機をとり出した対象者に、活き活きと生きた日々の片鱗が見えたとき、日本の「被害者」とばかりとらえていた対象者のイメージが、「わたし」の中で変わりはじめる。
 ライフストーリー「アナさん④」では、結婚生活は対象者にどのような意味があったのか、みていく。対象者は、結婚によって、これまで欠けていた安心と信頼の源を得たと考えられた。「国交回復交渉と「対日請求問題」④」では、政治プロセスの最終局面での経緯をみる。交渉は行きづまり、「わが国が加害者であると信じる余地のない事件」であっても「責任をわが国が負うべきであるとの考えを国内に適用せしめることは不可能な事情にある」との日本の政治社会状況への文言を記して、「政治的解決」に向かった結果が、個人補償の実現であった。
 第四章最後の「バルセロナで生きる④」では、対象者の娘宅での聞きとりをえがく。このとき「わたし」は、聞きとりが対象者の子どもたちによって、いつも見まもられていたことに気づく。また、対象者の語りを相対化する観点を得て、「わたし」の視野は開けていく。これは、過去がつくった「わたし」の内なる「壁」の変化を暗示しており、つぎの第五章へとつながる。
<第五章「わたしには記憶がないから」:日本の研究者と出会う>
 第五章につづく後半の章では、対象者と「わたし」の関係に焦点をしぼり、章を追って視野を広げながら、対象者の生き方を重層的にとらえていく。第五章では、過去との関係から、対象者の生き方の意味をさぐる。
 ライフストーリー「アナさん⑤」では、対象者と出会った時点にもどり、はじめての聞きとりからその後への「わたし」との関係に焦点をおいて、対象者の生き方の意味を追っていく。「工夫にあふれたお茶目な人」との印象をもった「わたし」は、関係の進展のなかに対象者による「関係への意志」を発見し、「手紙」を通じた関係のなかに「日本に思いをひろげる」対象者の現在を感じる。対象者は、日本の「わたし」と出会った「偶然」をポジティブに引き受け、自分を傷つけた過去の日本の歴史と出会いなおす実践に踏み出す「過去に向きあう実践者」であると解釈し、第五章をまとめる。
<第六章「そう、それがわたしである」:生存の力に根を張って>
 第六章では、前章の視点をさらに深めて、「わたし」をふくむ日本社会の現状に視野をひろげ、対象者から手わたされた新聞記事を手がかりに、心の傷つきの観点から対象者の生き方の意味を深める。
 ライフストーリー「アナさん⑥」では、対象者から新聞記事が手わたされた際の聞きとり現場をえがく。記事がレジリエンス論で知られるフランスの精神科医のインタビューであったことの意味を、「わたし」は考えはじめる。対象者は、レジリエンス論との出会いに背中を押されて自ら名のり出たと考えられ、その土台には自らの「生存」の力への信頼があった。
 そこからは、過去の暴力的状況は人のありかたの根本を傷つけるものであること、それにもかかわらず、対象者は、人間の生命の力への信頼を土台に「自分らしいありかた」を自ら築き直して生きてきたことがうかがえ、それが前章の実践を可能にしていた。「レジリエンス」を体現するこのような対象者の生き方は、「こころが傷つくこと」にかかわる日本の現状にたいして、人間らしさの方向で意味ある影響をおよぼすことができるものでもあり、生涯をかけて個人が行う歴史の問い直しと再定義の実践といえる。
<おわりに>
 本章では、聞きとり現場での最新のエピソードを紹介し、人間的観点に立ちもどって対象者の生き方の意味をさらに深め、本論文の問題意識と課題につなげてまとめる。
 ライフストーリー「アナさん⑦」では、年齢を重ねたことによって、対象者には記憶にかかわる新たな問題が生まれていた。この状況は対象者と「わたし」の関係に変化をもたらしたのであるが、対象者の感性には揺らぎがなく、自らの生き方を凝縮したような、核心を突くことばが得られた。最後にあらためて、ライフストーリー(「アナさん①~⑦」)と政治プロセス(前章「国交回復交渉と「対日請求問題」①~④」)をならべて考えると、政治プロセスが行きついた「政治解決」は、「人として疼く」ことや「人間としての問い」をめぐって、「傷ついた信頼」が生の現実から発する声に耳をふさぐものであったといえる。過去の歴史やそこでの自他の経験にたいして、どのように向きあい、人としての意味を見いだすことができるのか。「生」への強い肯定を核として過去の歴史を問い直し、「自分らしいありかた」を見いだした対象者の生き方は、果たされないまま過ぎたこの課題にあらためて光をあてている。

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