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博士論文要旨

論文題目:ピーター・L・バーガーの宗教論—聖なる天蓋としての宗教のゆくえ—
著者:渡邉 頼陽 (WATANABE, Raihi)
博士号取得年月日:2019年11月30日

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序論
1. 本論の目的と進め方
2. 先行研究の紹介
3. バーガーの経歴の概観
3.1 バーガーの経歴年表
3.2 バーガーの経歴についての補足
3.2.1 バーガーの誕生: さまよえる〈オーストリア人〉としてのバーガー
3.2.2 〈政治活動家〉としてのバーガー
3.3.3 〈小説家〉としてのバーガー

I. 「聖なる洞窟」としての宗教
I.1 はじめに
I.2 最初期の三つの著作について
I.3 〈監獄〉〈フィクション〉〈洞窟〉としての社会
I.3.1 〈監獄〉としての社会
i. 〈監獄〉としての社会を構成する〈壁〉について
ii. 〈監獄〉としての社会の〈虜囚〉になること
I.3.2 〈フィクション〉としての社会
i. 「翻身」が示す社会の不安定さ
ii. 「翻身」と社会学
I.3.3 社会学と人間の自由: 〈洞窟〉からの〈脱出〉
i. 社会学が示す社会的〈自由〉
ii. 社会学的洞察に基づく哲学的〈自由〉の提案
I.4 「聖なる」〈洞窟〉を構成する宗教
I.4.1 「聖なる」性格が意味するもの: 宗教の社会的機能
I.4.2 「聖なる洞窟」と〈脱出〉:「エクスタシー」と「世俗化」
I.4.3 ある「聖なる洞窟」の姿: アメリカの「世俗化」または「宗教復興」
i. 西欧の世俗化とアメリカ
ii. アメリカの「宗教復興」が実は世俗化である理由
I.5 「聖なる洞窟」を破壊する「キリスト教信仰」
I.5.1 「キリスト教信仰」と「エクスタシー」
I.5.2 「キリスト教信仰」と「世俗化」
i. 世俗化とは世界の〈成人化〉である
ii. 世俗化とは神の無化である
I.6 おわりに
I.6.1 社会学界および神学界の評価
I.6.2 まとめ: ラディカルな「神学」、ラディカルな「社会学」が示したもの

II. 「聖なる天蓋」としての宗教
II.1 はじめに
II.2 『現実の社会的構成』と『聖なる天蓋』が著されるまで
II.2.1 知識社会学への注目
II.2.2 「現象学」的視点の導入
II.2.3 人間と社会の弁証法的関係の主張
i. 生み出される社会的世界とその自明化
ii. 社会的なものによる人間の形成
iii. 人間と社会をめぐる「弁証法」の起点
II.2.4 世俗化現象への視点の変化
i. 世俗化の新たな相貌の発見
ii. 現代社会におけるキリスト教信仰者の位置についての見直し
II.3 〈天蓋〉としての社会、「聖なる」〈天蓋〉としての宗教
II.3.1 『現実の社会的構成』について
i. 『現実の社会的構成』の構成
ii. 『現実の社会的構成』とは〈誰〉が論じる書物であるのか
iii. 『現実の社会的構成』における方法論とその対象
II.3.2 『現実の社会的構成』における人間存在
i. 「現象学的社会学」と哲学的人間学の出会い
ii. SCOR における人間の身体・意識のモデル
II.3.3 『現実の社会的構成』における社会と人間の弁証法的関係
i. 人間的世界の〈創出〉――外化
ii. 人間的世界の〈自立〉――客体化
iii. 社会的世界による人間の〈創出〉―― 内化
iv. まとめ
II.3.4 「聖なる」〈天蓋〉を構成する宗教――『聖なる天蓋』の宗教論
i. 『聖なる天蓋』について
ii. 『聖なる天蓋』における宗教の定義――聖なるものとは何か
iii. 『聖なる天蓋』における宗教の社会的機能
II.4 おわりに――『現実の社会的構成』『聖なる天蓋』の理論的位置について
II.4.1 バーガーの社会学理論と諸理論
i. その理論はどのような〈折衷〉であったのか
ii. 「現象学的社会学」という呼称は不適切なのか
II.4.2 バーガーの「現象学的社会学」とシュッツの「現象学的社会学」
i. フッサール現象学とバーガーの理論
ii. シュッツによる社会科学についての哲学的考察とバーガーの社会学理論
iii. 「現象学的」社会学の可能性
II.4.3 「宗教現象学」諸理論とバーガーの宗教社会学理論
i. オットーとバーガー: 宗教的感情に対する見解の相違
ii. エリアーデとバーガー: 「宗教的人間」を巡る相違
iii. エリアーデにおける「宗教的人間」と「世俗化」
II.4.4 新しい知識社会学による宗教論: バーガーとルックマンの宗教観の差異
i. 『見えない宗教』における人間と宗教の関係
ii. バーガーとルックマンの違い: 二つの超越に対する態度
II.4.5 まとめ
 
III. 「聖なる天蓋」の〈崩壊〉と〈その後〉
III.1 はじめに
III.2 バーガー世俗化論と、その〈見直し〉
III.2.1 バーガーの世俗化論
i. 世俗化の歴史
ii. 世俗化の機制
iii. 世俗化と宗教の未来
iv. まとめ: バーガー世俗化論の特徴
III.2.2 世俗化論の〈見直し〉
i. 〈見直し〉の開始
ii. 〈見直し〉の表明
iii. 世俗化の何が見直されてゆくのか
iv. 〈見直し〉の理論および分析への影響
v. まとめ: 世俗化論の〈見直し〉と宗教社会学理論上の変化
III.2.3 バーガーの世俗化論とその〈見直し〉の位置づけ
i. アメリカは〈例外〉であるのか
ii. 西欧世界が〈例外〉であるのか
iii. 欧米以外の社会的世界は世俗化と無関係なのか
iv. 世界は多元化したのか
v. まとめ: バーガー世俗化論の評価
III.3  バーガー神学の変遷: 世俗化論の変化を軸として
III.3.1 世俗化に耐える神学の構想
i. 〈 燃える小川 〉を渡る方法
ii. 何が信仰の〈出発点〉となるか――人間学的神学の試み
iii. 「超越のシグナル」を示す「原型的しぐさ」についてのバーガーによる試案
iv. どのようなキリスト教神学に可能性があるか
III.3.2 世俗化・世俗主義を問う神学へ
i. 「ハートフォード・アピール」について
ii. アピールの性格とバーガーの位置
iii. アピールへの反響とバーガーによる応答
III.3.3 多元的状況における神学
i. 多元的状況における神学的可能性の類型
ii. キリスト教を〈選択〉すること: 宗教的経験の分類・比較
iii. キリスト教を信ずること: 〈原理主義〉と〈相対主義〉のあいだ
III.3.4 まとめ: 世俗化論の変化とバーガー神学のモチーフ
III.4  おわりに: 不信に抗う神学、狂信に抗う神学はどのような社会的可能性を持つか

結論: 「聖なる天蓋」はどうなったのか、どうなって行くのか

参考文献一覧

2.本論文の概要
 以下、本論文の各章(場所によっては各節)の要約を記して行く。
 先ず、序論である。ここでは最初に本論の目的と進め方を述べた後、先行研究を紹介し、本論で論じることが出来ないバーガーという研究者の生い立ちや、政治活動の経歴や、彼が著した二冊の小説についてごく簡単に紹介した。ここで筆者が意図したのは、バーガーという研究者の非常に多岐に渡る関心とその盛んな著述や活動について紹介すると共に、それらをある観点からまとめて論じるような先行研究がまだ非常に少ないということを示すことであった。
 続いて第一部について見て行く。まず第一章でこの部を特に設けた理由についての説明を行い、第二章でここで主に取り上げることとなる三つの著作(Precarious Vision(一九六一)、The Noise of Solemn Assemblies(一九六一)、 Invitation to Sociology(一九六三))について簡単な紹介を行っている。そして続く第三章で、バーガーがこの時期に説いた〈監獄〉〈フィクション〉〈洞窟〉としての社会のイメージについて論じた。これについて少し補足しよう。
 バーガーは社会学的・哲学的に人間と社会の関係を見た際に見えるイメージを〈監獄〉〈フィクション〉〈洞窟〉として説いた。まず〈監獄〉のイメージについてである。彼は実際に社会の中を生きる諸個人にとって、社会とは変更不可能な客観的事実として存在し、自身を様々な制度を通じてコントロールするものであるように感じられる性格を持つことを説いた。この場合、社会は人を寄せ付けぬ〈監獄〉であり、人々はそのうちに抑圧されて暮らす〈虜囚〉である。彼は社会学的に見た際にこのイメージが誤りではないことを説く。そしてゲーレンやミードの理論を用いて、この社会‐人間関係のイメージを論じたのであった。
 ただし、バーガーの考える人間と社会の関係についての社会学的考察はこの指摘に尽きるものではない。一方で、社会は〈フィクション〉でもある。彼は日常生活のなかで「翻身」「エクスタシー」を促す様々な経験に出会った際に、この洞察がもたらされることを説く。この経験は社会の自明性を揺るがし、現実が別様にもあり得るかも知れない可能性を示すのである。そして、この経験はバーガーの考える社会学の重要なモチーフ(暴露・価値自由・相対化)に大いに関わるものなのであった。
 バーガーは以上のように社会(制度)の〈監獄〉〈フィクション〉としてのイメージを説いた後に、真理を問う哲学的(神学的)立場に自身を置き、社会と人間のあるべき関係について説く。これが〈洞窟〉としての社会のイメージを説く意義である。この〈洞窟〉はプラトンの比喩におけるそれと重ねられるものである。つまり、この〈洞窟〉は人々にとって心地良い場所であるかも知れないが、不真実に満ちた場所である。彼は人間が社会のさらなる〈外〉を目指す自由に向かうべきことを説くのであった。ここで重要な意味を持つのが、宗教(制度)とキリスト教信仰の区別なのである。
 続く第一部第四章で見たのは、人間が社会という〈洞窟〉の中に安らいである際に、重要な役割を果たして来た宗教(制度)についてであった。キリスト教制度の伝統は様々な社会制度を「聖なる」性格に基づく世界観によって正当化することで、これを「オーケー・ワールド」として人々に示して来た。当時(一九五〇年代)のアメリカ社会もこの例に漏れない。ただし、これは「本来の」キリスト教の信仰のあり方とは異なるものであるし、現代社会において存続しがたい宗教‐社会制度の関係なのであった。なぜなら現代のアメリカ社会にも世俗化が到来する(している)からである。現代人は宗教制度が維持して来た「聖なる」〈洞窟〉から出て行かねばならないのである。
 続く第五章で見たのは、こうして「聖なる」〈洞窟〉から出た「現代人」が何をどのように信じるべきであるかを説くバーガーの神学的主張である。彼は自身の信じるキリスト教信仰が、伝統宗教制度による〈洞窟〉の神聖化を打破するものであることを説く。社会制度の〈内〉に聖なるものはない。神は〈外〉にいるのであるから、キリスト教を信ずるものはこの〈外〉を目指すべきなのである。そして世俗化は社会を偽って神聖化する宗教制度の存続を困難とする点で、そしてその淵源をプロテスタンティズムに持つ点で、実はこの信仰に親和的なものなのであった。彼はボンヘッファーやヴェイユを用いながらこれを説いたのであった。
 第六章は第一部のまとめとなる。ここで筆者はこの社会学理論と神学が当時の社会学界や神学界でどのように評価されていたのかを確認した後、当時のバーガーの社会学的分析と神学の規範的主張が混交されていることを指摘し、これがその宗教社会学的分析ばかりでなく、それに基づいて主張される神学の有効性をも低下させるものであったことを説いた。
 第二部では、バーガーの宗教社会学理論を示す代表的な著作である『現実の社会的構成』『聖なる天蓋』について見て行くことで、彼の「聖なる」〈天蓋〉としての宗教を論じるその理論を確認した。第一章で第二部全体の構想について述べた後、第二章では第一部で論じた彼の〈初期〉の社会学と神学が示した混交がどのように反省され分離されていったのか、そして新たにどのような理論との出会いが新たな宗教社会学理論の構成を導いたのかを確認した。ここで挙げられるのは現象学や哲学的人間学や社会心理学であり、中には既に彼が注目していた人々も含まれるのであるが、重要なのはいずれも弁証法的な人間‐社会関係の理解に基づいて、その新たな捉え直しが行われている点なのである。
 第三章で論じたのは『現実の社会的構成』で示された社会と人間の関係についての社会学的理論と、『聖なる天蓋』で示された人間と社会と宗教の関係についての宗教社会学的理論である。この章は四つの節からなっている。第一節では『現実の社会的構成』に示される社会学理論が、〈誰〉が〈どうやって〉〈何を対象として〉論じることを目指しているものであるのかを確認した。ここに見えて来たのは、その理論の構成におけるアルフレッド・シュッツの影響の大きさである。彼らはシュッツの説く「社会学者」の立場から様々な経験を間接的に伝える社会的知識に注目し、これが人々の生活世界の現実認識とどのように関わっているのかについての類型的な理解を目指すことで、人間と社会との関係を論じることを目指したのであった。
 ただし彼らの社会学理論の構想の全てがシュッツの「現象学的社会学」と呼ばれた試みと同一という訳ではない。彼らはこの試みを、より歴史的で実在的な社会を論じるものとするべく、ゲーレンやプレスナーの哲学的人間学の議論を多く取り入れて人間と社会と知識の関係を基礎づけることで、客観的な性格も持つ社会学理論としてこれを自立させたのであった。これを論じたのが第三章第二節となる。
 こうして〈人間‐社会‐世界〉の関係を論じるための人間学的基礎付けを獲得した上で、彼らはその社会的知識を巡って生じる、個々人の〈現実〉における社会と個人の弁証法的関係性を、「外化」「客体化」「内化」という三つのプロセスによって示したのであった。第三節ではこれらのプロセスをそれぞれ論じている。ここに人間が生きる社会的世界に意味の〈天蓋〉が確認されて来た理路が明らかになるのである。また「客体化」プロセスについての議論では、これに関連するものとして正当化や限界状況といったアイデアを取り上げているが、これらは、宗教(制度)と社会の関係についての社会学理論においても非常に重要な意味を持つのであった。
 次の第四節は、いよいよ『現実の社会的構成』で論じられて来た〈人間‐社会‐世界〉理解に、宗教(制度)がどのように関わって来たのかを論じた箇所である。ここで取り上げているバーガーの著書は『聖なる天蓋』である。ここでは彼が宗教を定義する際に重視する「聖なるもの」の性格について論じると共に、社会的世界にいかにして宗教(制度)が「聖なる」〈天蓋〉を差し掛けて来たのか、そしてその「聖なる」〈天蓋〉の〈基礎〉が何であるのかについての議論を確認した。また、社会学者として彼が宗教(信仰)を人間の本質として見ない一方で、それを史的唯物主義にも心理主義にも還元しないことを確認した。
 第二部第四章は小括に当たる部分である。ここではその(宗教)社会学理論がどのような理論的位置を占めているのかについて考察した。特にここで注目したのは、その理論と「現象学」「宗教現象学」との関係であった。
 第三部では、バーガーの世俗化論とその〈見直し〉について、そしてその時期に彼の神学がどのように変化したのかについてを論じた。まず、その世俗化論については第二章第一節で論じた。ここで取り上げている著書は主に『聖なる天蓋』であり、バーガーの考える世俗化の歴史、世俗化の機制、世俗化の未来についてのその見解を確認し論じた。彼の世俗化論はその中に、多元化や私事化、商品化といったアイデアを含むもので、さらに現代人の主観的認識における世俗化の機制までを論じるものであった。ここに現代社会における「聖なる」〈天蓋〉の崩壊プロセスが示されたのである。
 第二章第二節では、バーガーがその世俗化論をいつ頃から、何を理由として、どの点で見直していったのかについて論じた。彼の世俗化論に対する部分的見直しは一九六九年に発表された『天使のうわさ』に早くも確認され、七一年にはその〈見直し〉が表明されたのであった。ただ、それはあくまでその理論の前提とされた包括性や不可逆性の想定についての〈見直し〉であって、完全なる放棄ではなかった。
 彼はその世俗化論で世俗化をもたらす一要素として語っていた多元化を、現代産業社会が不可避的にもたらす影響として論じるようになった。そして世俗化は多元化の影響によってもたらされ得る一つのケースとして考えられるようになったのである。さらに晩年になると、バーガーは世俗化を現代社会における一話法として説くようになった。この場合、「現代人」は宗教的に振舞うことが適切でない場面では世俗的に振舞うことが出来るし、その場面が変われば、そこでは宗教的に振舞うことも出来る存在となるのであった。また、この第二節では、こうした世俗化論の〈見直し〉が、その宗教社会学理論にどのような変化をもたらしたのかについても確認している。
 第二章三節では、バーガーの世俗化論とその〈見直し〉後の多元化論を、その他の社会学者の説く世俗化論と比較し、その位置づけを行った。スティーヴ・ブルース、ロドニー・スターク、ダニエル・エルビュー=レジェ、グレイス・デイヴィ―、デビッド・マーティン、ホセ・カサノヴァ、トーマス・ルックマン、ジェームズ・ベックフォードらの主張が、その比較対象となった。そしてこれを行った後に、筆者の考えるバーガー世俗化論の可能性を説いた。
 第三部第三章は全体としてバーガーの世俗化論を説いていた時期の神学と、世俗化論の〈見直し〉以降の神学の変遷を論じた箇所である。第一節では、世俗化して行く現代社会の想定の下でバーガーが構想した、人間学的洞察に結び付けられた神学の可能性について確認した。この時期、彼は世俗化論の見直しを開始していたものの、まだ世俗化の到来を予想していた。であるから、現代人が直接的に超自然的経験に価値を見出す可能性についてはこれを排し、現代人が日常的に繰り返している身振りの中に「超越のシグナル」が見出し得ることを最初に説いて、これをキリスト教自由主義神学の伝統に接合する可能性を説く方向を目指したのであった。ただしこの後、彼は世俗化論を見直すこととなる。現代人は聖なる世界観への欲求も、超自然的な経験への感受性も失っていないのであった。では彼の神学はどのようなものとなって行ったのであろうか。
 この世俗化論の〈見直し〉後の神学の方向性を象徴するものとして第二節で取り上げたのがバーガーとニューハウスが一九七五年に行った「ハートフォード・アピール」である。これは当時のアメリカで〈主流〉を占めていた神学が、無条件的に「現代人」や「現代性」を伝統に優越したものと見なし、その教義内容を世俗主義的に変形してしまっていることを十三項目にわたって批判したものである。このアピールからは、当時、既に彼にとって世俗化や世俗主義が積極的な意味でも消極的な意味でも神学の目的にとって決定的に重要なものではなくなっていることが確認されるのである。この先、その神学にとって最大の問題となるのは現代の多元性(多元化)なのであった。またこのアピールにおける彼の位置取りは、非世俗主義であると同時に非伝統主義でもあるその神学の行き先をも予示するものでもあったことが指摘出来る。
 三章三節で論じたのは、この多元的状況でバーガーがどのような神学を説いたのかについてである。彼は、現代の多元的状況の中で〈今ここ〉を生きる〈私〉がどのようにキリスト教を選択するのが望ましいか、またその選択を行った上で他の信仰を持つ人々とどのように付き合って行くのが望ましいか、そしてこれらを可能とするようなキリスト教義の解釈と信仰のあり方はどのようなものであるのかについて、リベラルなプロテスタント信仰者の立場から数々の提案を行ったのであった。この提案は現代の多元的状況で何らかの世界観を求め信じようとする人々全てに向けられている。この可能性と限界について考察したのが第四章である。
 そして結論では、これまで見て来たバーガーの宗教社会学理論の変遷と神学の変遷を簡単に振り返り、その上で、これからも宗教(制度)を「聖なる」〈天蓋〉として論じて行く意義があること、それを行って行く際にはバーガーの社会学的取り組みがいまだに有効であることを論じた。

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