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博士論文要旨

論文題目:発達障害の社会学 -特別な配慮実践からみる学級内部の秩序と能力-
著者:松浦 加奈子 (MATSUURA, Kanako)
博士号取得年月日:2019年11月30日

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1.章立て

序章 学校教育における秩序と能力をいかに捉えるか 
   -発達障害児の社会的障壁と個別的ニーズに着目して-
第1節 はじめに
第2節 秩序研究と発達障害 
   -発達障害児との相互行為による学級の秩序の解明-
第3節 障害カテゴリーの着目の意義 
   -教育社会学と障害学の接合可能性-
第4節 本論文の構成

第1章 先行研究と分析視角
第1節 通常学級における個別的ニーズへの応答と学級の秩序の成立はいかに可能となるか
第1項 発達障害の定義と特別支援教育
第2項 教師ストラテジー研究における授業秩序 
   -発達障害児という視点-
第3項 社会モデルの実践への適用可能性とその限界
第4項 教師の資源の配分のストラテジーへ 
   -教師ストラテジー研究の展開可能性-
第2節 研究方法 -調査対象校の選定とその特性-
第1項 本研究の課題と方法
第2項 調査方法
(1)新聞記事における言説分析
(2)保護者インタビュー
(3)参与観察と教師や支援員へのインタビュー

Ⅰ部 学級の秩序・能力と発達障害

第2章 新聞報道における「発達障害」の概念分析 
   -教師・保護者・発達障害児の振る舞いに関する概念の使用の変化に着目して-
第1節 はじめに
第2節 発達障害カテゴリーと人々の振る舞いの変化をいかに記述するか
第1項 法律における分類の変更と実践の関係
第2項 障害モデルの転換と能力
第3節 研究の方法と対象
第1項 発達障害者支援法と発達障害児の処遇
第2項 発達障害児への支援をめぐる概念の使用の変化
第4節 分析
第1項 「障害」をめぐる責任帰属の変化 
   -学校や教師は何に対して責任を負うのか-
第2項 発達障害児へ向き合う「家族」の存在
第3項 教師に対する発達障害の「理解」の要請と実践の帰結
第4項 親や児童生徒の働きかけと教師の学習面の配慮による「能力の発揮」
第5節 おわりに

第3章 発達障害児の母親役割とは何か 
   -「努力する母親」としての振る舞い方に着目して-
第1節 はじめに
第2節 障害児の母親役割 -発達障害児をめぐる情報管理/操作-
第3節 研究の方法と対象
第4節
第1項 養育責任の所在 -ひとりで闘う母親-
(1)家族以外から非難を受ける母親
(2)家族から非難を受ける母親
第2項 発達障害児の母親としての振る舞い
(1)「努力する母親」
(2)「完全放置」の親に対する批判のまなざし
第5節 おわりに

第4章 発達障害児の母親たちは学校や教師に何を期待するのか 
   -「“プロ意識を持って”教育する」教師としての振る舞い方に着目して-
第1節 はじめに
第2節 母親の役割と教師への期待
第3節 研究の方法と対象
第4節 分析
第1項 母親たちの通常学級という場の認識 
   -授業を受けることができるための条件-
第2項 通常学級で学ぶという選択 
   -学習面での期待と配慮-
第3項 母親たちにとっての「いい先生」とは誰か 
   -「相性の良い/悪い」という語り-
第4項 発達障害児の母親による学校期待 
   -「“プロ意識を持って”教育をする」教師という役割-
第5項 発達障害児の母親による学校期待 
   -教師の役割とは何か-
(1)「発達検査につなげる教師」
(2)「個別的ニーズを理解することを通して“プロ意識を持って”教育をする教師」
(3)「連携する教師」
第5節 おわりに

Ⅱ部 学級内部で何が起きているのか

第5章 発達障害児に対する特別な配慮実践 
   -授業場面の相互行為を中心に-
第1節 はじめに
第2節 特別な配慮実践における能力の捉え方
第3節 研究の方法と対象
第4節 分析
第1項 木下先生の教育観と「能力」の承認 
   -「社会の縮図」のような学級における支え合い-
第2項 教師の教育観へとつなげる実践へ 
   -「お互いを支えていく」ための戦略-
第3項 「特別な配慮」が「必要」であり、「可能」となる児童は誰か
第5節 おわりに

第6章 発達障害児をめぐる{支援者-被支援者}の関係 
   -通常学級における支援の担い手としての児童に着目して-
第1節 はじめに
第2節 {支援者-被支援者}関係という視点 
   -児童間の対称性と支援関係における非対称性の併存-
第3節 研究方法
第4節 分析
第1項 教師による「お兄さんお姉さん」カテゴリーの使用
   -診断名を公表しないこと-
第2項 「大目に見る」実践の担い手 
   -「慣れ」/「大丈夫」という語り-
第3項 「大目に見る」実践はいかに成立するのか 
   -児童による「病気」カテゴリーの適用-
第4項 児童が支援すること 
   -差異の確認作業を通して生じる包摂と排除の輻輳性-
第5項 学級における{支援者-被支援者} 
   -支援から逃れられない構造-
第5節 おわりに
第7章 通常学級では誰に対する支援が優先されるのか 
   -学級内の資源配分をめぐる調整-
第1節 はじめに
第2節 教師は誰を支援が必要な者として捉えるのか
第1項 合理的配慮の範囲 
   -法律と運用場面における対象者は一致するのか-
第2項 発達障害概念そのものの曖昧さ・不確実性から処遇をめぐる不確定性という視点へ
第3項 教師生徒関係における“見えづらい存在”である子どもたち     -教師の認識枠研究の再考-
第3節 分析
第1項 学級の配慮のバランスの変化に伴う教師の再解釈 
   -日本語の問題からADHDへ-
第2項 学校/保護者の異なる資源配分の論理 
   -学級の秩序維持と資源の有限性-
第3項 ダイキの「怒りっぽい性格」 
   -「障害」ではなく「性格」として-
第4項 「難聴」と診断されているケイタ 
   -確定診断と「性格」をめぐる処遇の揺らぎ-
第4節 おわりに

終章 本研究の要約とインプリケーション
第1節 本研究の要約
第2節 考察
第3節 本研究のインプリケーションと残された課題

補論 教師以外の人々が通常学級に入るということ
   ―当該児童のニーズの発見をいかに可能にするか
第1節 インタビュー調査において親の会の親を選定した理由
第1項 小学生を対象とした当事者研究の限界 
   -語りを引き出すことの難しさ-
第2項 親の会の母親たちからの受け入れと木下先生との出会い
第2節 参与観察において通常学級を対象とした理由
第1項 通常学級を対象とすることの意義
第2項 通常学級で子どもたちと関わりあう大人たち
第3項 私は“何者”として学級に参与していたのか
第3節 子どもたちとの関わり方をスクールコーディネーターから「学ぶ」
   -X小での筆者の場合-
第1項 豊田さんの経歴と出会い
第2項 発達障害児に対する支援の考え方 
   -母親の振る舞い方の重要性-
第3項 ユウマとの関わり方と支援の姿勢に何を求めるか
第4節 おわりに

2.各章要約
 本研究の目的は、通常学級における診断名が開示されていない発達障害児を中心に、学級の秩序がいかに達成されるのかということを明らかにすることである。
 上記の目的に応えるために、学級内の相互行為を分析する際、次の2つの方法を用いていく。1つ目は、新聞記事における言説分析をもとに、教師や保護者、児童がどのような意識を持ちながら、学級の活動に参加しているのかをハッキングの「ループ効果」に着目して分析すること、そして、保護者と教師が発達障害という診断名を認識することによって、振る舞いをどのように変えていくのか、インタビュー調査から明らかにすること、2つ目は、ハッキングの立場では十分に分析できないと考えられる点を分析対象とする。つまり、発達障害児が在籍する通常学級において、ある児童に障害カテゴリーが適用されるやり方をエスノメソドロジーの視点から検討することである。これらから、学級の教師や児童が振る舞いを協調させながら相互行為を行うことで秩序が達成される過程を明らかにする。
 序章では、通常学級における発達障害児支援について、支援者と被支援者の1対1の関係が前提とされてきた障害者支援の枠組みでは捉えきれない学級の相互行為をめぐる複層性に着目する必要性を指摘した。近年は少子化傾向にあるにも関わらず、特別支援学校に在籍する児童生徒数が増加しており、特別支援教育に関する個別的ニーズが高まっている。また、特別支援学校だけではなく、通常学級においても個別的ニーズを有する児童生徒は在籍しているため、個別的ニーズへの応答が学校や教師に期待されている。それにも関わらず、通常学級における個別的ニーズに対して、いかに教師は応答しているのかという研究はなされてこなかった。教師のストラテジー研究では教師が学級全体とのやりとりを通して、授業場面における自分の目的を実現させていくという1対多のディメンジョンの相互行為に着目されてきたが、教師は1対1と1対多のディメンジョンを切り替えながら授業を成立させているはずである。
そこで、本研究において学級の相互行為を分析する際は、個別的ニーズを有する児童生徒のうち、発達障害児に焦点を当て、彼らの個別的ニーズへの応答と学級の秩序維持との関係を捉える必要性を示した。しかし、通常学級では、発達障害という診断を受けたからといって、周囲の児童にその診断名が開示されることはほとんどないため、即座に他の児童から支援の対象とはならない。そこで、本研究の問いとして、「通常学級における教師と児童の支援実践(特別な配慮実践)はどのような実践の中で示されるのか。そして、それらはいかなる規範によって支えられているのか」ということを解明するという問題設定を行った。
 第1章では、通常学級における発達障害児をめぐる相互行為を分析していくための先行研究と方法について議論し、本研究の立場を示した。上述した教師ストラテジー研究はP.Woods(1980)の議論を始めとして、学級における教師の振る舞い方に着目して展開されてきた(清水1998、吉田2007、伊佐2009、松浦2015)。本研究は松浦(2015)の教師のストラテジー論を前提としながら、1対1と1対多のディメンジョンの併存の場として通常学級を分析していく。松浦(2015)と異なる点は、本研究では通常学級に発達障害児と診断された児童が複数名在籍しているということである。また、発達障害だけではなく、支援員から「ボーダー」とみなされている男児や片耳難聴の男児もいる。彼らは全て診断名を学級で開示することはなかったため、診断名を知っているのは学級担任だけである。しかし、学級担任が1人で、通常学級に在籍する発達障害児やその疑いのある児童すべてに対して配慮を行うことは困難である。その中で、特別な配慮を要する存在として優先的に配慮の対象とされるのは誰なのか、また、特別な配慮を要する存在として可視化される過程では、教師と児童がどのような規範に従って振る舞おうとしているのかという研究は未だにないため、教師ストラテジー研究のさらなる展開可能性を指摘した。
 分析は第2章から始まる。第2章・第3章・第4章を本論文の第Ⅰ部とし、新聞記事の報道では何か語られたか、また発達障害児を育てる母親へのインタビューと母親たちから「いい教師」として評価された教師2名の語りを中心に分析した。
 第2章では新聞報道における発達障害概念の使用の変化に着目することで、教師や保護者、当該児童にどのような役割が期待されていくのかをHacking(1996)の「接近不可能な類」という概念を用いて分析した。その中で、発達障害者支援法の成立と改正が人々の振る舞いのどのような影響を与えるのかについても検討した。その結果、発達障害という概念が当該児童生徒の振る舞いを免責する過程において、家族から教師、そして当該児童生徒の行動を変化させており、発達障害概念そのものの分類も変容してきている。その中で、学級において、発達障害児のどのような能力を免責するのかということも問われていた。法律の成立後は発達障害概念を参照する教師に発達障害の「理解」が求められ、集団生活を成立させるための学級の秩序維持に関する能力の伸長が評価され、改正後は当該児童の「能力の発揮」が可能になるような学習面の整備が求められていく。これらから、能力評価の基準が発達障害概念を参照する人々の振る舞いの変容とともに変化していることが示された。
教師は発達障害児の特性を理解し、ルールや協調性を学べるように配慮した実践を行うことが求められ、保護者は当該児童生徒に中心に関わっていた立場から子どもの特徴を学校側に伝えるという役割へ変化していた。また、当該児童生徒も発達障害概念を参照し、学校に対する配慮を訴えていくことが可能となっていることが示された。発達障害児と診断された児童生徒自身が概念を参照して、概念に関する解釈や振る舞いを変化させている点において、もはや発達障害は「接近不可能な類」とは言えないこと指摘した。
 第3章では、通級指導教室に通う児童を持つ母親の語りから、発達障害児をめぐる子育てや児童の学校経験について検討し、発達障害児の母親が自身の役割期待をどのように捉えているのかを明らかにすることを目的とした。母親たちに対するインタビュー調査は2013年から2014年に実施され、時期区分としては2章の発達障害者支援法の成立後から改正法が施行される前に該当しているが、子育て経験を回顧的に語ってもらったため、発達障害者支援法の成立前に乳幼児期の子育てを経験している母親が多い。
 語りから明らかにされたのは、発達障害児の母親が「しつけをしていない母親」とみなされないために「私という人間(=母親自身)を見ていただく」ことを通じて、子どもの障害を理解し、手助けしてもらうための環境整備を担う者としての役割に基づいて振る舞っているということである。発達障害という曖昧で不確実なカテゴリーにおいては、診断名の付与による免責のメカニズムが機能しない上、社会が障害の解決のための責任と負担を担うのではない。その責任と負担は母親に強いられていくのである。障害のある子どもの支援を行う上での学校と家庭との密接な連携の重要性が行政の方針にも示されていたように、支援を重視するロジックのもと、母親に障害の責任と負担を子どものトラブルが学級で問題とならないような環境を整える(先回りして挨拶をする)という形で別の養育責任を問う結果となっていることを指摘した。
 第4章では、3章で検討したインタビューと同時期の母親たちの語りと教師へのインタビューを用いて、学校の教師に対する期待と教師の役割を示した。母親たちは通常学級の場を、秩序を維持できる者が通う場であると捉えていることである。母親たちは自分の子どもに関して、「落ち着いて」着席することが可能になれば、通常学級で学ぶことができると考えていた。そして、その秩序維持能力は母親たちが役割として担っていこうとしていた。さらに、教師への期待について検討してみると、これまでに明らかにされてきた保護者の学校期待とは異なる期待の構造が示された。それは、学習指導や社会性の習得というよりも、我が子の特性に合った配慮を期待したり、学校において支援を受けていない「問題を起こしている子」に対して、検査を受けさせたりすることでその子の親の気持ちを切り替えさせていくということである。また、母親たちが「いい先生」として認識する教師は「“プロ意識を持って”教育する教師」であり、そのような教師になるためには、「発達検査につなげる教師」と「連携する教師」という2つの役割を担っていくことが必要であることを指摘した。
 続いて、第5章・第6章・第7章を第Ⅱ部とし、第Ⅰ部の第4章で取り上げた木下学級における教師と児童の相互行為を分析の中心とした。木下学級には広汎性発達障害と診断された男児(ユウマ)とADHDと診断された男児(ヒョンジョン)、支援員から「ボーダー」と捉えられていた男児(ダイキ)、片耳難聴の男児(ケイタ)が在籍している。彼らの「障害」をめぐる学級の実践を分析対象とした。
 第5章では、木下学級において、発達障害児であるユウマが「特別な配慮を要する存在」として可視化されていく過程を分析した。木下学級では発達障害の診断を持つ児童が2名在籍している。1人がユウマであり、もう1人が外国籍のヒョンジョンである。教師と他の児童がユウマに対する能力をどのように解釈するのか-木下先生のようにユウマを一定の能力があるものとして捉えるか、他の児童のようにユウマを能力の無いものとして捉えるか-という点において異なっており、ユウマに対する能力をめぐって学級の秩序が成立したり、動揺したりしていた。木下先生がユウマに「一定の能力の記述」を行う理由としては、木下先生の理想の教育観である「お互いを支え合うこと」を実現させるためである。
 第6章では、4章の木下先生に対するインタビューで示されたように、学校体制で他の先生からのサポートを得られにくい場合に、学級内で保護者が「支援員みたい」に振る舞ったり、他の児童が当該児童を理解できるように説明をしたりしていた。その説明において、当該児童への理解を示す他の児童たちがどのような支援をしていくのかという観点から分析した。そして、学級ではユウマと他の児童の{支援者-被支援者}の非対称な関係が固定化され、木下学級の規範(「お互いを支え合う」という教師の理想に関する規範)に従って振る舞うことによって支援関係から逃れることが困難な状況を示した。
 第7章では、学級で誰に対する支援が優先されるのかということを学級担任である木下先生が保有する資源の配分に着目して分析した。学級内での「多対個」の関係を重視する木下先生は、他の児童と発達障害と診断された児童との対処において、1対1と1対多のディメンジョンを切り替えながら授業を行っている。学級全体との相互行為によって授業を進めていく一方、発達障害と診断された児童には支援員を配置したり、授業場面で個別的対応をしたりしていく。しかし、その資源(支援員の配置や個別的対応)は有限であり、授業場面において問題行動を示すすべての児童に対して個別的対応をすることが困難な状況がある。そして、診断面があるからと言って即座に支援の対象となるわけではないことや、支援員の配置に母親と学級とでは異なる論理が適用されること、確定診断であるケイタの片耳難聴であっても、学級内でのトラブルが友人トラブルに帰属されることから、児童が支援の対象となる過程にこそ学級内の資源配分に起因する不確定性が存在することを示した。
 終章では、本研究の問いに対する結論を示した。そして、1対1と1対多のディメンジョンの併存という通常学級の特徴が、診断名を開示するかどうかが学級における実践に影響を与え、その中で教師が個別的ニーズに応答しようとすることで、他の児童の振る舞いも規定されながら、秩序が成立していくことを指摘した。その中で、診断名を開示していない児童の振る舞いに対する支援が可能になっていた。一方で、特別支援教育に詳しく「ベテラン」な教師であっても、学級内に複数の配慮を要する児童が在籍している場合に、支援に関する資源を平等に配分することの困難さが生じていたり、他の児童が「支援者」として振る舞い続けることの限界があったりすることが明らかにされた。つまり、教師と児童との相互行為が安定して協調している状態-学級の秩序が成立している状況-では、社会的障壁を除去するための合理的配慮を行使することが可能となるが、学級のメンバーの中に安定し協調した相互行為を行うことが困難な存在が1名でも在籍することによって、合理的配慮がいくら義務化されていても、それを実現させることは困難になるのである。
 補論では、筆者自身の調査経験(学生ボランティアとしての「私」)を振り返り、通常学級に診断名を開示していない発達障害児が在籍することによって生じる困難さ-発達障害児のニーズと他の児童のニーズを同時に満たすということ-について検討した。子どもたちに関わる際に重要なのは、児童のニーズを「発見」することであり、それには学校内で連携して教職員間で「状況の定義権」を行使することであった。調査当時のX小学校は学校の連携体制が組織化されておらず、インフォーマルな形でボランティアが学校に参与していたが、そうするとそれぞれの教職員や学級に参入する人々がそれぞれの「やり方」で児童に関わることになり、子どもたちそれぞれのニーズを満たすことが困難になる。そこで、立場が異なる人材が学級に入る上で、誰のニーズをどのように発見するか、誰のニーズが優先されるのか、発達障害児のニーズと他の児童のニーズのバランスをどのように考えるかということを、教職員だけではなく支援に関わる人全員、保護者と当該児童も含めて、ニーズを発見できるような体制づくりが望まれるということを指摘した。

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