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博士論文要旨

論文題目:近世後期旗本家の領主支配と家臣団の研究
著者:野本 禎司 (NOMOTO, Teiji)
博士号取得年月日:2018年3月14日

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 本研究は、近世旗本固有の領主的性格に着目して、近世後期における旗本家の領主支配と家臣団の実態を明らかにするとともに、その解明を通して、近世旗本領主制がもたらした江戸周辺地域の社会像の提示を試みるものである。
 江戸時代は、徳川将軍家を頂点とする江戸幕府によって約260年にわたり平和な時代が持続された。その江戸幕府の軍事・行政実務を担っていた個別武家領主が、本研究が対象とする旗本家である。これまで旗本家については、統一政権の頂点に位置する徳川将軍家の直臣で、将軍直轄軍=幕府常備軍として将軍権力の支柱であり、個別武家領主でもあることから、大名・藩研究同様に幕藩体制を理解する上で不可欠の研究対象とされた。しかし、1970年代の幕藩制国家論、集権的封建制論の提起とともに展開した旗本知行論以降、近年においては旗本研究が進展したとは決していえない状況である。大名研究では、深谷克己が「国家性」を保持し「名君」に象徴される大名領主像を提出し、集権分権論の次の研究段階に進んでいるが、従来の旗本知行論段階で立ち止まってしまった旗本研究では、旗本家の領主的性格の研究史上の立ち位置が捉えられなくなってしまっている。他方で、近世国家における旗本家の役割として幕府官僚制が藤井讓治によって提示され、幕府官僚としての旗本の全体像が明らかにされてきている。また、日本近世をヨーロッパの領主制(封建制)国家との比較ではなく、東アジアの官僚制国家との比較の視点に立つ近年の研究では、武士官僚を考える上で、江戸幕府の役人として旗本は重要な存在となっている。
 では、あらためて日本近世国家・社会において旗本家とはいかなる存在であったのか。旗本家の歴史的位置がわからなくなっている現状だからこそ、旗本研究の研究史的意義の重要性が今、問われていると考える。日本近世史における旗本研究の方法論的知見をいささかなりとも加えることも本研究の目的の一つとした。

1.本論文の構成
 序章
  一 旗本知行研究の成果と課題 
  二 本研究の分析視角
  三 分析対象の概観
  四 本研究の課題と構成
第一部 近世国家における旗本知行
 第一章 旗本拝借金制度の構造と展開―幕府官僚制と旗本知行保障―
  はじめに
  一 旗本拝借金の展開
  二 旗本拝借金の性格
  三 幕府官僚職遂行と旗本家の特権
  四 旗本拝借金の返納
  おわりに
 第二章 天保期旗本家の知行所支配の変質と「在役」―一五〇〇石牧野家を事例に―
  はじめに
  一 天保五年における越訴と「在役」
  二 天保一二年の頼母子講と「在役」
  おわりに
 第三章 旗本家の知行所支配行政の実現と「在役」―一五〇〇石牧野家を事例に―
  はじめに
  一 旗本牧野家における「在役」
  二 「在方御役所」と文書行政の展開
  三 幕末期の「在役」制の意義
  おわりに
 第四章 幕末期の旗本家の「役」と知行所支配―一五〇〇石牧野家を事例に―
  はじめに
  一 旗本牧野家の系譜と知行所
  二 旗本の「役」と知行所
  三 安政五年の家政改革
  おわりに
 第五章 安政期における旗本家の家政改革――一五〇〇石藤沢家を事例に―
  はじめに
  一 旗本藤沢家の系譜と知行所
  二 ペリー再来航にともなう浜御庭警衛
  三 安政期の藤沢家の家政改革
  おわりに
第二部 旗本家家臣団の再生産構造
 第六章 近世後期旗本家家臣団の編成原理―一三〇〇石三嶋家を事例に―
  はじめに
  一 旗本三嶋家と家臣団構成
  二 三嶋家における家臣団編成原理
  三 三嶋家家臣団の再生産構造
  おわりに
 第七章 近世後期旗本家用人の就任過程―江戸―周辺地域論の視座から―
  はじめに
  一 旗本家政における知行所惣代勤番の成立
  二 松原権右衛門の用人就任とその役割
  三 松原権右衛門の家政改革
  おわりに
 第八章 大坂目付役遂行時の旗本家臣団編成と勝手元締役
  はじめに
  一 大坂目付役遂行時の家臣団編成
  二 勝手元締役の職務
  三 江戸帰府後の平川家の動向と武士意識
  おわりに
 第九章 近世後期旗本家家臣の存在形態―一〇〇〇石台旗本家を中心に―
  はじめに
  一 旗本家家臣団の再編成と官僚制原理
  二 近世後期旗本家家臣の存在形態
  おわりに
 終章
  一 近世旗本領主の性格―安政期の家政改革―
  二 「近世領主」旗本家家臣団の再生産構造
  三 旗本領主支配の実現メカニズム―江戸周辺地域像へのアプローチ―
  四 本研究の総括と展望

2.先行研究の成果と課題
 旗本知行研究は、1960年代、幕藩制構造論のなかで徳川政権の二面性(統一政権的側面と大名政権的側面)のうち一大名家としての側面が重視され、徳川将軍家の直臣団としての検討が進んだ。その体系的理論が「旗本知行形骸論」であり、旗本家は「単なる年貢収得者」「封建官僚」として位置付けられた。他方で地域史料の発掘によって進展した個別実証研究では、地頭法や勝手賄、相給村落論などの研究分野の展開がみられ、旗本知行権の強固さが量的に証明された。しかし、こうした旗本知行の強固さを主張する実証研究の理論的背景については、1970年代に提起された「集権的封建制論」以上に深められたとは言えない。1980年代以降、主に給人(大名家臣)領主研究の進展によって近世領主論が展開したが、旗本知行研究は近世領主論に積極的にアプローチできていないのが現状である。現在、旗本知行研究に求められているのは、近世領主論をふまえた研究方法ではないかと考える。

3.本論文の課題設定と方法
 本研究では、近世領主論の展開をうけて、旗本家を「近世領主」として検討した。日本近世の国家・社会においては、江戸幕府という統一政権下のもと重層的に領主制が展開しており、また領主支配は一方的な支配ではなく、各領主は領民との「合意」のもと領主支配を行う必要があった。また、「近世領主」は、近世国家に対する「公務」と領主支配という「私用」、あるいは「藩輔」と「藩国」に象徴されるような二面性をもっている。
 したがって、旗本家であれば、(α)近世国家の構成員として幕府官僚制にもとづく「役」を遂行する側面と(β)知行所を支配するという側面、この両面をいかに両立し、旗本家が「近世領主」たりえていたかを軸に検討する必要がある。幕府官僚職を遂行する旗本家の領主支配を検討するにあたっては、従来の旗本知行研究のように旗本領主の石高(経済的規模)と知行権の強弱に注目するのではなく、幕府官僚制というシステムのもとで、いかなる家筋に所属する旗本家で、いかなる役職を勤めていたか、そしてその役職遂行が旗本知行所をいかに規定しているかが重要な視点となる。また、旗本家の家臣団を検討するにあたっても旗本固有の領主的性格、すなわち幕府官僚職を遂行する、そして江戸周辺地域に知行所の基盤をもつという特徴に即しておこなうことが重要である。
 以上のような「近世領主」としての旗本研究を進めるにあたり、本研究では、1000石台の旗本家を分析対象とした。1000石台旗本家は、その9割が幕藩官僚制において両番筋に属し、旗本中のエリート層であるがゆえに、他の階層よりも昇進する機会が多いため本研究の分析対象として好個の素材であり、かつ本論第一章にて述べるように近世後期以降、旗本拝借金などの幕府による旗本知行保障政策の対象から外れていく最小規模の旗本家として位置づけられた。つまり、幕府の知行保障機能が低下していくことで、幕府官僚職遂行と知行所との関係を克明にできる階層である。
 本研究の具体的課題として、次の三点を掲げた。第一の課題は、旗本家が、(α)(β)を両立して、いかに「近世領主」として存立しているか、その構造を動態的に明らかにすることである。第二の課題は、旗本家の領主支配の実現メカニズムの実態を、家臣団及び中間支配機構に着目して明らかにすることである。領主支配の核となるべき旗本家臣団の総合的分析はこれまで明らかにされていない。幕府官僚制遂行にともなう旗本家臣団編成の実態をふまえ、旗本家の領主支配の実現メカニズムを追究する。第三の課題は、関東の旗本知行所における「身分的中間層」の存在形態を追究し、近世旗本領主制がもたらした江戸周辺地域像を検討することである。

3.本論文の概要
 序章では、旗本知行研究の成果と課題を示し、旗本家を「近世領主」として捉えて検討する際の分析視角を論じた。あわせて、本研究の分析対象として1000石台旗本家を検討する意義を論じ、最後に本研究の課題と構成を示した。
 本論文は二部構成をとっている。第一部(第一~五章)では、幕府官僚職を遂行する近世旗本領主にとって、知行所がその基盤として機能していたことを明らかにし、その構造的特質を近世後期以降において動態的に検討した。第二部(第六~九章)では、これまで明らかにされてこなかった1000石台旗本家家臣団の再生産構造を検討した。
 第一章では、幕府が旗本家に対しておこなった拝借金制度の構造と展開の解明を通じて、旗本拝借金の性格を検討した。旗本拝借金は、大名拝借金とは異なり、幕府政策によって実施されるもので、享保改革期に確立し、宝暦期以降には対象者が幕府官僚職就任者及び1000石以下に限定されていくことを明らかにした。旗本拝借金の本質は、幕府官僚職に就任する旗本家を保護する特権であったと指摘した。
 第二章は、旗本家の知行所支配が貫徹するその構造的特質について、天保期における知行所支配の変質と中間支配機構に注目して検討した。具体的には、1500石牧野家の「在役」という中間支配機構を取り上げ、天保5年の越訴、天保12年の知行所騒動を通じて、知行所支配上において「在役」が、公儀による権威の支配体系ではなく、知行所との合意を重視する支配に位置づけられていくことを論じた。
 第三章では、近世後期における旗本家の知行所支配が中間支配機構の役宅所を中心に実現していることを、1500石牧野家の「在役」を事例に、旗本江戸屋敷(地頭所)―地方役所(在方御役所)―知行所各村との間でやりとりされる文書の授受関係に着目して明らかにした。知行所支配における「在役」制は、知行所側が旗本家に対して家臣の削減要求をできるまでに機能していたことを指摘した。
 第四章では、第二、三章と同じ1500石牧野家を事例に、幕末期における旗本家の「役」が知行所に与える影響を明らかにし、その対応としての安政期の家政改革について検討した。旗本家は幕府官僚職就任及び「役」遂行にともない高100石につき金3両を「定法」として知行所に賦課できたが、幕末期の旗本家の「役」増大は「定法」を超える知行所の負担となり、知行所支配の危機を招いた。その対応として牧野家が「仁政的支配」にもとづき献策募集や鶏卵積金仕法による家政改革を実施したことを明らかにした。
 第五章では、前章の提起をうけて、1500石藤沢家を例に、ペリー来航にともなう両番筋旗本家の海防役の実態を明らかにし、その上で藤沢家の安政期の家政改革の意義について考察した。前者では中間支配機構である「代官割元」が機能することで浜御庭警衛役が実現していたこと、後者では名君にみられる政治思想である「預治論」を知行民に表明して実施する安政期の家政改革について、旗本研究におけるその画期性を論じた。
 第六章では、1300石三嶋家に残された当主の書付や「日記」を用いて、旗本家臣団の編成原理を明らかにした。三嶋家の家臣団は、18世紀後半より各階層において1年・半年単位で入れ替わる流動化が進んでいたが、能力主義を第一としつつ、「譜代」を尊重した三嶋家の家臣団編成原理があり、この編成原理を機能させるために採用家臣を保証する請人・証判状や日常交際する旗本家とのやりとり(推挙・譲請)があったことを指摘した。
 第七章では、都市論(江戸)と旗本知行論(村)とで別々に論じられていた旗本家用人について、知行所村名主が用人に就任する過程を、江戸-周辺地域の視座から検討した。具体的には第六章と同じ1300石三嶋家を取り上げ、知行所村名主が知行所惣代→御用交代勤番→用人となる過程は、江戸定府である旗本領主支配に編成される過程であるが、他方で旗本家の支出を「公用」部分のみに限定してく政治的進出の過程であったと評価した。
 第八章では、両番筋旗本家の多くが勤める大坂目付役遂行時の家臣団編成について、勝手元締役を勤めた知行所名主の家に残された史料を用いて明らかにした。大坂目付役遂行の家臣団は、勝手元締役以外は役遂行のためだけに雇われた一時的な家臣団であり、その編成における公用人と用達、勝手元締役の役割を検討した。また、勝手元締役を勤めた知行所名主が、武士意識の高揚により子息の教育や武家屋敷風の門構えなどに固執することと地域社会の変容についてあわせて考察した。
 第九章では、「近世領主」旗本家の家臣の存在形態を考察した。1000石台旗本家の家臣の存在形態は、(ⅰ)幕府官僚制を担当する用人(公用向)、(ⅱ)家政・知行所支配を担当する用人(家政向)、(ⅲ)当主の身辺を世話する中小姓層と、大きく職務分化していた。(ⅰ)には専門性をもって同一職を「渡り歩く」用人が江戸に滞留し、(ⅱ)には知行所村役人層が「身分的中間層」として居村と江戸屋敷を往復する存在がみられ、1000石台以下の旗本家の関東の旗本知行所にはこうした存在が相当数いたことをその役割をふまえて検討、彼らを「通勤する武士」の出現と位置付けた。
 終章では、「近世領主」旗本家という分析視角にもとづき明らかとなった本論文の内容を総括し、旗本研究の方法論及び旗本領主制がもたらす江戸周辺地域の社会像についての展望を示した。

4.本論文の成果と課題
 序章でかかげた三つの課題に即して本研究の成果の要点を述べ、本研究の総括と課題を示すと以下のようになる。
1)近世旗本領主の性格―安政期の家政改革―
 1000石台旗本家は、近世前期は幕府の知行保障、後期には公金貸付、中間支配機構に依存することで、幕府官僚職を遂行し、公儀体系にもとづく権威による支配によって「近世領主」として存立していた。しかし、安政期には当主自身が「仁政的支配」の意志を表明のうえ「預治論」を押し出して家政改革を実施した。つまり、1000石台旗本家が「幕藩領主」として自己変革を遂げたのが安政期の家政改革であったと意義づけた。したがって従来の「集権的封建制論」にもとづく旗本知行論を一度相対化する必要がある。本研究の成果として安政期における1000石台旗本家の家政改革の画期性をまずは強調したい。
2)「近世領主」旗本家家臣団の再生産構造
 これまで明らかにされていなかった旗本家家臣団の再生産構造を史料に即して明らかにした点は本研究の成果の一つと考える。18世紀半ば以降の旗本家臣の流動化によって、旗本家を取り巻く江戸の武家社会は不安定さを増したが、他方で幕府官僚制の機能という点では安定性を獲得したともいえる。「近世領主」旗本家の家臣団のあり方は、幕府官僚制によって規定される再生産構造であったのである。そうした旗本家臣団の再生産構造の特徴として、平時の家臣団(「狭義の家臣団」)とは別に、「役」遂行時だけの一時的な合理的な家臣団(「広義の旗本家臣団」)を編成する点があげられる。「広義の旗本家臣団」は主従制原理ではなく、官僚制原理によって編成される存在と位置づけられ、この「広義の旗本家臣団」が江戸に構造的に内包されていることではじめて「近世領主」旗本家の家臣団の再生産が可能となっていたことを指摘した。
3)旗本領主支配の実現メカニズム―江戸周辺地域像へのアプローチ
 本研究では、旗本領主支配の実質的部分を中間支配機構が担っていたことを明らかにした。1000石台旗本家の領主支配の実現は、中間支配機構の役割と、流動化する旗本家臣が地頭所用部屋において支配行政文書の引継ぎと書式を徹底化することで可能となっていた。ただし、関東における旗本領主支配の実現メカニズムを総体的に理解する上では、旗本家から苗字帯刀や武家の身分格式を与えられる「身分的中間層」の存在の把握が重要であり、彼らは旗本家政・知行所支配に深く関わるにつれて居村と江戸屋敷とを頻繁に往復していた。いわば居村から旗本江戸屋敷に「通勤する武士」=「身分的中間層」が出現し、武家社会にも関わることで武士意識が高揚させられ、武家屋敷風の門構えを備えた居宅を構えるようになっていた。こうした「通勤する武士」の出現と、居村に都市的(武士的)要素が生れ、農村でも都市でもない両義的地域へと変容していくことに注目し、江戸周辺地域社会の変容を捉える視座として「江戸郊外」と概念化し、旗本領主制がもたらした江戸周辺地域社会像を提示した。
 最後に、幕末維新期の動向をふまえ、本研究の総括をした。安政期に「幕藩領主」として自己変革がみられた1000石台旗本家であったが、その後、幕府は(α)(β)両面において「幕藩領主」としての展開の途を閉ざす政策を実施したため、1000石台旗本家の「幕藩領主」としての存在意義は否定されたことになる。つまり、1000石台旗本家とは、家臣団には官僚制原理が浸透し、領主支配では中間支配機構が実質部分を担うというように「幕府官僚」としての側面の強い「近世領主」として位置づけられるとした。
 「近世領主」を分析視角として旗本研究を進めるメリットは、旗本領主固有の性格である幕府官僚職を勤めるという側面に光をあて、その性格と領主支配との関係性を追究することにより、従来の旗本知行研究のように「官僚」か、「領主」かのどちらかに旗本を位置づけようとする議論、あるいは旗本すべての階層を一括して捉える「集権的封建制論」の議論を止揚し、旗本集団の内部構造をふまえて、官僚的側面と領主的側面のどちらが強く現れるか、その史的構造を具体的に明らかにできる点にあると考える。そうした意味で本研究は1000石台・両番筋・地方知行の旗本家の場合を検討したに過ぎず、他の階層・家筋の旗本家の検討が課題であることはいうまでもない。しかし、日本近世史において旗本研究を内在的に進展させるための方法として本研究の分析視角が意味をもつことを提起できたと考えるものである。

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