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博士論文要旨

論文題目:貧困の社会構造分析 なぜフィリピンは貧困を克服できないのか
著者:太田 和宏 (OTA, Kazuhiro)
博士号取得年月日:2018年2月14日

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 フィリピンではなぜ長らく貧困問題が克服し得ないのか。この単純な課題を検討することが本論文の目的である。経済成長が貧困解消の条件であると前提すれば、経済成長が順調でなかったフィリピンで貧困が解消されないことは当然の帰結だといえる。実際、フィリピンは戦後1960 年代まで経済的に順調であったものの、1970 年代以降は低迷が続いた。1990 年代以降フィリピンの経済状況は好転したにも拘らずそれが貧困の削減にはつながっていない。2010 年代に入るとかつて「アセアンのお荷物」「アセアンの病人」と呼ばれことがまるで嘘であるかのように、他のアジア諸国に比しても高い経済成長率を示すようになる。こうした好調な経済状況にも拘らず貧困率の低下は非常に緩慢であった。1991 年に39.9%であったフィリピンの貧困率は2009 年に26.3%に低下したが(FoP 2012; PSA 2015)、ほぼ似たような経済水準にあるインドネシアでは1990 年にフィリピンよりも高かった貧困率54.3%(一人当たり年間1.25ドル基準)が2009 年には18.7%にまで減じている。フィリピンよりも後発で経済水準の低いとされるベトナムでは1990 年に63.7%であった貧困率が2009 年には13.1%にまで低下した(WDI 2017)。フィリピンは他国に比べても貧困率の低下が明らかに緩慢である。こうしてみると、経済成長や経済水準のみが貧困率を決定するのではなくむしろその他の要因が大きく作用してことが推測される。さらにフィリピンでは1980 年代の政治的民主化以来、貧困対策は国家政策の重要な一領域を占め、さまざまな制度やプログラムが整備され実態改善への取り組みがあった。世界銀行やアジア開発銀行など国際機関から資金やアプローチ等諸方面にわたる多大な支援も得てきた。つまり貧困問題に対する政策的関与は不足しているどころか意識的継続的に追求されてきたのである。加えて、フィリピンではNGOなど非政府団体、市民社会組織が諸分野において活発に活動を展開し貢献をしている。貧困改善、貧困住民の組織化はその中でも重要な活動分野をなしている。このようにフィリピン社会は貧困問題を放置して来たわけではなく、むしろ他国に比しても積極的な官民による関与があり続けている。しかし、貧困状態の改善は非常に緩慢である。貧困の克服を阻んでいる要因は何か。それを追究することが本論文の課題である。
 フィリピンの貧困に関しては実態分析、貧困政策、プログラム評価など多岐にわたる多くの研究蓄積がある。そしてE.de Dios、A. Balisacan、K. Schelezig らの実績に見られるようにその多くが貧困の解消しない原因を、政策の不備やプログラム実施の不徹底など個別の課題や領域に求めてきた。それらに共通するのは個別政策がより整備されたものであり、政策がより徹底して実施されれば貧困が解消するという視点である。しかしこうした政策の課題や実施の不徹底はこれまでも再三わたって指摘されてきたにも拘らず、是正されてこなかった。であれば、なぜ政策や課題が不徹底に終わってしまうのかという問題こそが問われなければならないだろう。こうした問題は個別政策や、特定領域に焦点化した分析だけでは解明が難しい。むしろ貧困問題の背景にある複雑な諸要素を構造的に捉え、それらの相互作用と関連主体の関わりがいかなる結果を生んでいるのかにといった関係性に着目して巨視的な観点から分析していく必要がある。本論文ではフィリピンの貧困問題を、グローバル経済に対応した資本主義体制展開のあり方を分析しようとする「福祉レジーム論」の枠組、および社会諸要素の相互関係と融合を構造的に捉えようとする「接合理論」の視点とを結びつけた「グローバル接合レジーム」として検討しようとするものである。

 本論文ではエスピン‐アンダーセンらが欧米諸国を対象に論じた「資本主義福祉レジーム」を、深刻な貧困の存在と先進国以上に複雑な要素を抱える途上国であるフィリピンの文脈に適用しながら検討していく。福祉レジーム分析のポイントは貧困問題の原因を、国家や市場活動などの個別領域に求めるのではなく、それら領域の機能の相互関係から成る全体構造=レジームに見出そうという点にある。フィリピンの貧困問題は土地所有制度や富の分配、行政機能、社会運動を含む社会制度、国家機構、市民関与など多岐にわたる要素の集積として生じている。それら諸要素の展開する国家、市場、コミュニティ、家族の各領域内での機能と、相互領域の関係が生み出す全体構造について考察することで貧困を照射する。さらにフィリピンでは先進国やグローバル社会から持ち込まれた多くの要素が意図通りの機能を果たしているとは限らず、国内要因や伝統的要素と融合して新しい実態を構成することが多い。こうした状況をアルチュセールやラクラウ、ムフらが展開してきた「接合理論」、つまり複雑化した資本主義社会を生産関係のみには還元されない諸要素の接合による一体性として捉える視点に依拠しながら分析をする。ここでは第一に近代制度と伝統的慣行の接合、第二にグローバル要素と国内条件の接合、第三に国家、市場、市民社会、家族の各領域の接合として整理をし、相互が影響しつつ又融合し一つの構造を成している状況を考察する。本論文は「福祉レジーム論」に「接合理論」の視点を加味した枠組を「グローバル接合レジーム」と概念化し、フィリピン貧困の構造的実態の分析を試みた点において意義があると思われる。
 本論文は以下のように構成されている。まず序章「フィリピン貧困の現状と問題」において、フィリピンの貧困がなかなか改善されない実態につき、国際機関、フィリピン政府の諸統計を用いながら、東南アジア諸国と比較をする形で提示した。

 第1 章「貧困の構造的把握―グローバル接合レジーム」では、フィリピンの貧困問題を分析するにあたっての理論的枠組を「福祉レジーム論」を起点として導出する。エスピン‐アンダーセンの「福祉レジーム論」、先進国社会とは異なる途上国の状況を分析した「途上国レジーム論」、さらにアジア新興工業諸国の経済成長路線を補強する形で社会福祉政策を位置づけた「アジア・レジーム論」は、フィリピンの貧困状況を構造的に考察するに際して示唆的である。一方で形式的には近代諸制度が根づきながらも実際にはインフォーマル諸制度が大きな役割を果たしているフィリピンの実態を説明して切れているとは言えない。フィリピンの貧困をめぐる状況の固有性を解き明かす枠組として「接合理論」を援用しレジーム論と複合する形で「グローバル接合レジーム」として提示した。

 第2 章と第3 章では1986 年「民主化」以降2016 年までの約30 年間の貧困関連政策を、5 期にわたる政権ごとに整理をした。第2 章「民主化後の貧困政策―体系化と制度化」では民主化後の制度揺籃期に貧困関連政策の基盤がどのように形作られ、また制度化されていったのかを検討した。コラソン・アキノ大統領(1986-92)とフィデル・ラモス大統領(1992-98)の時期にあたる。1986 年政治的民主化後のコラソン・アキノ政権は新しい政治体制の下で社会変革の方向性を示した。具体的貧困政策は提示されなかったものの、フィリピンの貧困・格差の元凶とされてきた農地改革の制度化を進めたことに大きな特徴がある。ラモス政権期にはフィリピンの貧困政策の基本枠組が整備された。前政権の社会的動乱を経て、経済自由化戦略と並行しながら貧困対策の制度化に本格的に乗り出した時期である。後のフィリピン政府の貧困政策の枠組はこの時期に形成される。また貧困対策を単なる社会政策として行うだけではなく、市場活動と連動させながら展開していく姿勢もこの時期に打ち出された。

 第3 章「貧困政策の展開―自由化の中での変容」ではラモス期までに体系化された貧困政策と制度を実際に運用する1990 年代末から2016 年までのエストラーダ、アロヨ、ニノイ・アキノIII 世の各政権を整理した。貧困層の味方を叫んで大統領となったエストラーダ(1998-2001)は、実際には体系的貧困政策を持たず、伝統的なばらまき対応にほぼ終始した。また農業分野、住宅分野では貧困者への裨益よりも市場活性化を優先した。アロヨ政権(2001-2011)は、経済成長戦略をより重視し貧困対策は後景に退く。
 国際機関の推奨するコミュニティ主導型開発CDD に呼応する形で「貧困対策相互扶助」KALAHI-CIDSSが重点政策であった。国連ミレニアム開発目標MDGs に対処すべき時期にも当たっていた。ニノイ・アキノ政権(2011-16)では「条件付き現金給付プログラム」4Ps および、地域住民の意向をより汲み上げる地域インフラ整備のための「ボトムアップ予算プログラム」を実施している。この期間は大統領の政治スタンスと経済自由化への対応に貧困政策が左右された時期である。貧困対策の本格的実施が期待されながらも、その運営がフィリピン政治におけるネポティズム(縁故主義)等の文脈に取り込まれ形骸化していき、一方、経済在自由化政策が展開する中で貧困対策も経済活動活性化の一翼を担わされ、さらに利権構造に巻き込まれていく過程でもある。

 第4 章から第7 章までは、グローバル接合レジームを構成する国家、市民社会、市場、家族の各領域における貧困問題への関わりとその実態についてそれぞれ論じた。第4 章「国家と貧困政策―民主化とガヴァナンス」は第2、3章で整理した各政権の貧困政策が「国家」にとっていかなる意味を持つのか、さらには国家としてそれらの政策を通じて何を具体的に達成しようとしているのかについて考察をした。
 政権ごとに変わる貧困政策は、それぞれの大統領や政治家の恣意的な対応であるかのように見えつつ、実際には政権が交代しても貫かれる国家としての特徴を有している。貧困政策を国家運営の視点から分析する必要性がここにある。ここでは国家政策としての貧困対策の特徴を整理したうえで、それらを巡る政治力学と、より大きな政治権力構造との関わりについて論じた。さらに貧困政策を通じて国家が実現しようとしている資本主義的生産関係の創出と国民統合という歴史的課題についても検討した。

 第5 章「貧困と市民社会―参加と政治文化」では貧困問題に関わるNGO 等、市民社会組織の果たす役割を検討した。「NGO 大国」とも称されるフィリピンでは活発な住民組織活動や貧困対策プログラム実施がなされて
きた。個々のプログラムが実績を上げてきただけでなく国家制度や国家機構に市民社会組織が直接参加する機会も制度化されてきた。しかし、こうした先進的な実践と成果が皮肉にも市民社会組織の保守化や体制内化を生じ、結果として貧困克服を徹底しない体制を補強する役割を果たすこととなった。フィリピンの長年の政治文化は社会的威信を勝ち取ってきたNGO や市民社会組織をも取り込んでしまうほどに強く、NGO に変節をもたらしてもきた。このように直線的に進展してきたとはいえない貧困と市民社会の関係について論じた。

 第6 章「貧困と市場―グローバル化と国内条件」」では貧困者が生活資源を獲得する場としての市場と貧困との関係を論じた。フィリピンでは労働力「商品」を売り渡す場としての労働市場が複雑な構造と特徴を持つ。政府はグローバル自由経済に対応して競争的な投資環境を整備するために高資質の労働力をより安く提供することに努めてきた。「雇用の柔軟化」など各国と共通する新自由主義的な制度改編を行う一方、インフォーマル部門への規制は厳格化せず、実質的な温存をはかる。その周縁には海外出稼ぎ、児童労働などの不法労働が存在する。労働に関わるこうした諸要素が接合してグローバル競争に対応しうるフィリピンの労働市場が構造化されている。さらに貧困層の多くが関わる農業部門では農産生産・流通の歪みと貿易自由化の動きが接合することで、産業としての農業に停滞が生じ、農民に十分な報酬を保証する環境が提供できていない。このような条件下、市場を通じた貧困の解消が困難な状況が生じていることを論じた。

 第7 章「家族・親族の生存戦略―貧困者の主体性」は、国家や市民社会組織活動に頼らず自律的に生活を維持する貧困者の戦略を検討した。貧困者はいつも国家や諸団体の貧困政策や生活改善プログラムに依存して生活をするわけではない。むしろ自らの生産活動と社会関係の構築・維持を通じたリスク分散で生活を支える。こうした実態をフィリピンの家族・親族関係、相互扶助慣行や分かち合い文化、またそうした行動を支える価値体系について考察した。貧困層の間では国家や制度に包摂されない自律的な生活圏としての家族、親族、コミュニティ関係が極度の貧困に陥らない安全弁を提供していることを論じた。以上の検討を踏まえて「グローバル接合レジーム」の枠組みにそって、フィリピンにおいてなぜ貧困問題が長くに亘って解消しないのかという基本問題に立ち返って整理したのが終章である。フィリピンでは国家が貧困対策において効率的な役割を果たし得ていない中、貧困状況改善におけるNGO など市民社会組織の大きな貢献が、国家による貧困政策が十分に機能せず結果をもたらさない実態をはからずも免罪する。貧困層は市民社会組織の関与によって一定の生活改善の機会を与えられるため、国家に対する彼らの期待や不満は希釈されるからである。一方、市民社会組織の政治的積極主義と政治参加はそれ自体の保守化と体制内化を生み、貧困を再生産する政治構造の継続に一役買う。また市民社会組織による自律的活動は、客観的には貧困や格差を再生産し拡大するグローバル規模の新自由主義的市場化事業への貧困層の参入を促す役割を果たしてきた。経済自由化政策による競争力強化はインフォーマル活動や不法労働を前提として実現しており、そこでは貧困層が困難な条件を引き受ける。しかし、家族を単位とする貧困者自身の生存戦略の展開と社会的相互扶助慣行が、最悪の状況を避ける安全弁として機能するため、国家を含めた外部者の介入や支援に頼らずとも最低限の生存を維持することは可能である。
 総じてフィリピンでは社会を統治する能力において弱い国家を前提として競争的資本蓄積体制構築の試みがなされる中、市民社会と家族・親族による自律的な私的領域の活動が貧困層の生活基盤形成に大きな役割を果たしている。しかし市民社会も家族も、エリート層の支配する政治構造や新自由主義的グローバル経済の全体構造の根本的改変に成功しているわけではない。ここにこそフィリピンの貧困問題が長らく克服されない構造的実態があるといえる。
 以上、本論文ではフィリピン固有の社会構造、つまり弱い国家、強力な地方政治支配、民主化、経済自由化、活発な私的領域活動等の諸要素のグローバルなレベルでの接合が、貧困の解消を阻んできたことを論じた。貧困研究において個別対策評価、貧困政策別の実証的検討が研究の主流を占める中で、貧困問題およびその対策を社会構造、社会変動の文脈に位置づけ、その関係性から考察した点においてこれまでにない視点を提供しているといえるだろう。

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