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博士論文要旨

論文題目:ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージはどのようにして精緻化されるのか-感情改善の役割とその克服-
著者:田中 知恵 (TANAKA, Tomoe)
博士号取得年月日:2018年2月14日

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1.本論文の構成はじめに
第1部 問題
第1章 本論文の目的
1.1.論文の概要
1.2.論文の構成
第2章 説得的メッセージの精緻化
2.1.説得的メッセージ
2.2.説得的メッセージの精緻化と説得効果
2.3.説得研究におけるメッセージの精緻化の検討
2.4.本研究で扱う説得的メッセージ
第3章 ネガティブ感情と感情改善
3.1.ネガティブ感情
3.2.感情制御とネガティブ感情改善
3.3.ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化に対して何がいえるか
第4章 感情が情報の処理過程に及ぼす影響
4.1. 感情と情報処理
4.2.無関連感情と情報の精緻化
4.3.無関連感情と情報の精緻化に関する理論
4.4.無関連感情と関連感情
4.5.関連感情に関する研究の意義
4.6.ネガティブな関連感情の影響に関する研究
第5章 本論文の検討課題
5.1.ネガティブ関連感情と感情改善過程
5.2.本論文の仮説
5.3.ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化が低いとなぜ問題なのか
5.4.ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化を高める方法
第6章 研究の目的と概要
6.1.ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化
6.2.ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化を高める方法

第Ⅱ部 実証的検討
第7章 ネガティブ感情のもとで説得的メッセージが精緻化されないとき
7.1. 研究 1 ネガティブな関連感情と説得的メッセージの精緻化(1)
   -支援要請広告を用いた検討-
7.2. 研究 2 ネガティブな関連感情と説得的メッセージの精緻化(2)
   -関連感情と無関連感情の比較-
7.3.研究 3 ネガティブな関連感情と説得的メッセージの精緻化(3)
   -映像広告を用いた検討-
7.4.研究 4 ネガティブな関連感情と説得的メッセージの精緻化(4)
   -メッセージ論拠の操作による態度変化-
7.5.全体考察
第8章 ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージが精緻化されるとき
8.1.研究 5 周辺的要素の利用可能性を低めることによる精緻化
8.2.研究 6 感情改善の予期を高めることによる精緻化(1)
   -映像広告を用いた検討-
8.3.研究 7 感情改善の予期を高めることによる精緻化(2)
   -印刷媒体広告を用いた検討-
8.4.全体考察

第Ⅲ部 総合考察
第9章 研究知見のまとめ
9.1.ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージが精緻化されないという問題
9.2.問題解決の方法に対する検討
第10章 本研究の意義
10.1.感情と情報の処理過程の研究における意義
10.2.感情制御研究における意義
10.3.研究の社会的意義
第11章 本研究の限界と今後の研究課題
11.1.本研究の限界や問題点
11.2.今後の研究課題
11.3.結論おわりに

2. 本論文の概要
「第Ⅰ部:問題」では,本論文の目的を論じた。
 第1章では,本論文で扱う問題について述べた。説得的メッセージの中にはネガティブな要素を含んだものがある。例えば,災害や紛争,貧困の状況を伝え支援を求める広告では,受け手の感情をネガティブにさせるような表現がしばしば用いられる。それはネガティブな要素により受け手の注目を引きつけ,支援の内容や方法など重要な情報を読ませて支援を引き出すためである。それでは,このようなネガティブ感情を生起させる説得的メッセージはどの程度の説得効果を持つのであろうか。もし送り手が意図するような効果がないとしたら,どのようにそれを解決したらよいだろうか。本論文はこれらの点について実証的に検討する。
 第2章では,本論文がなぜ説得的メッセージの精緻化を検討するのか述べた。態度変容過程に関する精緻化見込みモデル(Petty & Cacioppo, 1986)によれば,説得的メッセージを処理する受け手の動機や能力が高い場合には,メッセージの本質的な論点について受け手がよく考える(精緻化する)ことによりメッセージ内容に対する認知的反応が生じ,その反応が受け手の認知構造を変化させて態度変容が生じる(中心的ルート)。このルートを通って生じた態度は持続し,反論に強く,行動を予測する。つまり,行動を予測するような強い態度を形成させるためには,受け手にメッセージの本質的な論点(中心的要素)を精緻化してもらう必要がある。こうした観点から,説得研究では受け手の態度変容や行動変容を測定しなくとも,説得的メッセージの中心的要素に対する精緻化の程度を測定し,メッセージの説得効果をおおよそとらえる方法もとられてきた。本論文で取り上げるネガティブな要素を含んだ説得的メッセージについても,その中心的要素がどのくらい精緻化されるか知ることで,説得効果について検討できると考える。
 第3章では,本研究で扱うネガティブ感情が,不快の感情価をもつが不快や喚起の程度はそれほど強くなく穏やかな内的状態であることを述べた上で,感情制御研究の知見を示し,ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化に対して何がいえるのか議論した。感情の生起に伴い感情制御の働きが自発的に生じることや,人が感情を制御するために感情を生じさせる対象への注意を回避することから,説得的メッセージの処理によりネガティブ感情が生じると,受け手は感情改善しようとし感情の源泉である説得的メッセージに対する注意を低めると考えられる。そのため説得的メッセージの中心的要素の精緻化の程度は,ポジティブ感情が生じる場合よりも低くなると考えられる。
 第4章では,受け手の感情が情報の処理過程に及ぼす影響を検討した研究について述べ,本研究がこれまであまり検討されてこなかった関連感情(処理対象から生じる感情)の影響を取り上げることや,その意義を論じた。説得的メッセージとは無関連な源泉から生じた感情(無関連感情)の影響について検討した研究では,受け手にネガティブ感情が生起している場合の方が, ポジティブ感情が生起している場合よりも,説得的メッセージの中心的要素が精緻化されることが主に示されている。ただし,現実場面における社会的情報にはそれ自体が感情を生起させるものが多いため,関連感情が情報の処理過程に及ぼす影響について検討する必要がある。
 第5章では,第4章までの議論をふまえ,本論文の検討課題として次の仮説を示した。
 説得的メッセージを処理することから受け手にネガティブ感情が生起する場合は,受け手の感情改善の働きにより,ポジティブ感情が生起する場合に比べて説得的メッセージの中心的要素の精緻化の程度が低いだろう。予測される感情と説得的メッセージの精緻化の関係は,無関連感情の場合とは逆であるが,この可能性に関してこれまで実証的に検討した研究はみあたらない。本研究では説得的メッセージとして感情的要素を含んだ支援要請広告を取り上げて仮説を検証する。
ネガティブ感情を生起させる広告のメッセージの精緻化が低くなってしまうと,受け手の態度や行動の変容は望めない。それでは,こうした広告のメッセージを受け手に精緻化してもらうためにはどのようにしたらよいだろうか。本論文では,その問題を論理的に解決することが可能であると論じて,具体的な方法についても検討する。第一の方法として,説得的メッセージの周辺的要素の利用可能性を低めることを提案する。感情制御に関する研究では,人が注意の配置を変えて感情制御をすることが示されている。広告の周辺的要素(広告写真)の利用可能性が高い状況では,受け手は広告メッセージ(中心的要素)に注目せず,その内容を十分に精緻化しない。しかし,周辺的要素の利用可能性が低い状況では,ネガティブな感情を生起させる広告のメッセージも精緻化されるだろう。第二の方法として,説得的メッセージの処理に対する感情改善の予期を高めることを提案する。感情制御に関する研究では,対象に対する認知的再評価によって,対象の処理が感情や認知内容に与える影響が変わることが示されている。広告の処理を続けることに対してネガティブ感情の持続が予期されると,受け手は感情改善しようとして広告メッセージの内容を十分に精緻化しない。しかし広告の処理を続けると感情改善が期待できるようにしておき,感情改善を予期させた場合には,広告メッセージが精緻化されるだろう。
 第6章では,上記で論じられた問題に関する仮説と,提案された問題解決方法の効果について実証的に検討するため実施した実験研究の概要を述べた。
「第Ⅱ部 実証的検討」では,仮説を検証するために行った実験研究を具体的に説明した。
 第7章では,本論文の仮説を検討した4 つの実験研究について述べた。
 研究1 では印刷媒体の連続広告を用いて,ポジティブもしくはネガティブな関連感情を広告写真により実験参加者に導出し,広告メッセージを呈示した。記憶の測度により広告メッセージの精緻化を検討すると,ネガティブ感情が生起する広告のメッセージは,ポジティブ感情が生起する広告のメッセージよりも精緻化の程度が低かった。
 研究2 では関連感情と無関連感情の影響について検討するため,感情と広告メッセージとの関連性を操作した。感情が広告から生起する場合(関連性あり条件)では,人権に関する連続広告の写真によりポジティブもしくはネガティブな感情を実験参加者に導出し,人権に関する広告メッセージを呈示した。関連性なし条件では,生命保険の広告として上記の条件と同じ写真を用いて実験参加者の感情を導出し,別の広告として人権に関する広告メッセージを呈示した。いずれの条件も,広告メッセージ(中心的要素)の横にニュートラル写真(周辺的要素)を配置した。広告メッセージやニュートラル写真の精緻化を記憶の測度により検討したところ,関連性あり条件では,ネガティブ感情が生起する場合の方が,ポジティブ感情が生起する場合よりも,広告メッセージの精緻化の程度が低く,ニュートラル写真の精緻化の程度が高かった。このことは,ネガティブ感情が広告から生起すると,受け手が感情を改善しようとして,広告の中心的要素であるメッセージについて十分に精緻化せず,周辺的要素であるニュートラル写真に注意を向けた可能性を示唆した。関連性なし条件では,メッセージの精緻化の程度に感情による差はなかった。
 研究3 と研究4 では広告の媒体を映像に変更し,研究知見の応用可能性についても検討した。研究3 でも感情と広告の関連性を操作した。関連性あり条件では,支援要請広告の背景音楽によりポジティブもしくはネガティブな感情を実験参加者に導出した。関連性なし条件では,別の広告の背景音楽により感情を参加者に導出した後,支援要請広告を呈示した。
 広告内容に対する記憶の測度により精緻化を検討したところ,関連性あり条件では,広告からネガティブ感情が生起する場合の方が,ポジティブ感情が生起する場合よりも,広告内容の精緻化の程度が低かった。関連性なし条件では,精緻化の程度に感情による差はなかった。
 研究4 では,精緻化の測度を記憶から態度変化に変更して仮説を検証した。広告の背景音楽と画像によりポジティブもしくはネガティブな感情を実験参加者に導出した。また広告メッセージの論拠の強弱を操作し,態度変化を測定して広告メッセージの精緻化を検討した。その結果,広告からポジティブ感情が生起する場合には,論拠が弱い場合に強い場合よりも否定的態度が示されたが,ネガティブ感情が生起する場合には,論拠の強弱によって態度に相違は見られなかった。ネガティブ感情が生起する広告のメッセージは,ポジティブ感情が生起する広告のメッセージよりも受け手の精緻化の程度が低いことが推察された。
 研究1 から研究4 において,広告の形態や広告内容,また感情導出の方法や精緻化の測度を変えて検討した場合でも,ネガティブ感情が生起する広告のメッセージは,ポジティブ感情が生起する広告のメッセージよりも精緻化の程度が低く,仮説が支持された。
 第8章では,ネガティブ感情を生起させる説得的メッセージの精緻化を高める方法について検討した3 つの実験研究について述べた。
 研究5 では,説得的メッセージの周辺的要素の利用可能性を操作するため,印雑媒体の連続広告を用い,広告メッセージ(中心的要素)の横に,ニュートラル写真(周辺的要素)を配置する写真あり条件(周辺的要素の利用可能性高条件)と写真なし条件(低条件)を設けた。記憶の測度により広告メッセージの精緻化を検討したところ,写真あり条件では,ネガティブ感情が生起する場合の方が,ポジティブ感情が生起する場合よりも,広告メッセージの精緻化の程度が低く,写真内容の精緻化の程度が高かった。広告によってネガティブ感情を導出された受け手が,中心的要素である広告メッセージの内容についてよく考えようとせず,周辺的要素である写真に注意を向けた可能性が示唆された。写真なし条件では,ネガティブ感情が生起する場合でも,ポジティブ感情が生起する場合と同程度に広告メッセージの精緻化の程度が高かった。説得的メッセージからネガティブ感情が生起しても,周辺的要素の利用可能性が低い場合には,メッセージの中心的要素が精緻化されることが示された。
 研究6 では,説得的メッセージの処理に対する受け手の感情改善の予期を操作するため,参加者に,広告の処理によってネガティブ感情が改善する(感情改善の予期高条件),もしくはネガティブ感情が持続する(感情改善の予期低条件)という情報を示した。続けて映像広告を呈示した。広告の背景音楽を用いて参加者にポジティブもしくはネガティブな感情を導出し,記憶の測度により広告メッセージの精緻化を検討した。その結果,感情改善の予期低条件では,ネガティブ感情が生起する場合の方が,ポジティブ感情が生起する場合よりも広告メッセージの精緻化の程度が低かった。しかし感情改善の予期高条件では,ネガティブ感情が生起する場合の方が,ポジティブ感情が生起する場合よりも精緻化の程度が高かった。感情改善の予期を高めると説得的メッセージの中心的要素が精緻化されたことは,本研究が想定するプロセスの妥当性を示すものであった。
 研究7 では,ネガティブ感情が生起する印刷媒体広告を用いて感情改善の予期の効果を検討した。広告メッセージに対する記憶の測度により精緻化の程度を検討したところ,感情改善の予期が高い条件では,予期が低い条件よりも広告メッセージの精緻化の程度が高かった。
「第Ⅲ部 総合考察」では,実証的検討の結果をまとめ,本研究の意義と問題点,今後の研究課題について議論した。
 第9章では,実験研究の結果を要約し,ネガティブ感情が生起する説得的メッセージの精緻化の程度が低いという問題があること,この問題の解決方法として,説得的メッセージの周辺的要素の利用可能性を低める方法や,受け手の感情改善の予期を高めるという方法が有用であることを述べた。
 第10章では,関連する領域の研究を含めながら本研究の意義を総合的に議論した。感情と情報の処理過程の研究における本研究の意義は,本研究が情報の処理と受け手の感情の双方向的影響場面を取り上げて検討し,感情と処理対象である情報との関連性によって,情報の処理過程が異なることを明らかにしたことである。これまで多くの研究が無関連感情を扱ってきたのに対し,本論文では関連感情が生じる場合についても検討する必要性について論じ,無関連感情の場合とは対照的に,ネガティブな感情が生起した場合の方が,ポジティブ感情が生起した場合よりも情報の精緻化の程度が低いことを明らかにした。感情制御研究における本研究の意義は,感情改善が認知の方法に影響を与えることや,そうした働きが自発的に生じることを情報処理の文脈において示し,上記の関連感情の影響が受け手の感情改善の働きにより生じることを明らかにした点である。また,情報の処理過程において感情改善が働きにくい状況についても検討し,ネガティブ感情を生起させる情報の中心的要素が精緻化される条件を示した点である。本研究の社会的意義は,広告表現に対し応用可能な知見を提供したことであり,特にネガティブな感情を生起させる広告のメッセージをどのように受け手に示すことが効果的か明らかにした点である。
 第11章では,本研究の結果が限定的な状況で生じている可能性や統制条件を設けて検討する必要性など,本研究の限界や問題点について論じた。また,本研究の結果を調整すると考えられる変数や,感情が生起する広告の影響を現実的場面にそくして検討することなど,今後の研究課題について論じ,本論文の内容を総括して結論を述べた。

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