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博士論文要旨

論文題目:琉球沖永良部島国頭方言の文法
著者:横山(徳永) 晶子 (YOKOYAMA, (TOKUNAGA) Akiko)
博士号取得年月日:2017年11月8日

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 本論文は、琉球沖永良部島国頭方言の言語体系を、音韻・形態・統語・言語機能にわたり、包括的に記述した文法書である。
 琉球諸島の言語と上代日本語は、奈良時代以前に分岐したとされており、琉球諸語は、その歴史的背景や地理的隔絶性から、独自の言語革新を遂げてきた。琉球諸語には未だに解明されていない事象が多く、一般言語学や言語類型論の理論を修正する上で貴重なデータを提供し得る。また、中央語で失われた日本語の古い文法現象を残すなど、日琉諸語の歴史を探る上でも貴重な言語群である。しかし、急速な社会の変化や、かつての標準語教育などによって、現在、琉球諸島全域の方言が消滅の危機にある。このような状況で、琉球諸方言の包括的な言語の記述・記録を残すことは、今後の言語研究の発展の為にも、伝統的な言語を次世代に継承していく上でも、喫緊の課題である。
 本論文で対象とする沖永良部語は、琉球諸方言の中でも、特に先行研究が少ない。また、多くの先行研究は、音素体系や、活用、助詞の記述など、言語の一部分だけを取り上げたものが中心であった。本論文は、先行研究と比較して、(a) 音韻・形態・統語・語用に渡る包括的な記述であること、(b) 質問票に加えて、話者の自然な談話(自然談話資料)をデータとして用いていること、(c) データベースを構築し、大規模なデータを分析対象としたこと、を特色としている。
 本論文は、7つの章と資料から成る。1章は序論、7章は結論であり、本論は2章~6章である。以下、各章の概略を述べる。
 1章「序論」では、本論文の位置づけ、データの種類、表記のルールなどを述べる。
 2章「言語の概要」では、国頭方言の基礎的な情報をまとめる。2.1 節では、国頭方言が話されている地域の地理、文化的背景を述べた上で、方言分類に関する先行研究の整理を行う。先行研究の「方言分類」には、歴史言語学的手法に基づく系統分類と、共時的な言語の類似性に基づく分類が混在しており、両者を峻別する必要がある。本稿では、論拠に一部問題があるものの、「系統」の分析としては、沖永良部語を「奄美語(方言)」の下位分類と考える説を支持する。2.2節では、沖永良部語の「消滅危機度」について、UNESCOの「言語の体力測定 (Language Vitality and Endangerment) 」を用いて評価する。沖永良部語の評点は5点中2.1と低く、深刻な消滅の危機にあるといえる。特に点数が低いのは「新しい言語使用場面の創出」であり、今後、伝統言語を次世代に継承していく為には、言語を使用できる場面を増やしていくことが必要である。
 3章「音韻論」では、国頭方言の音韻体系を明らかにする。3.1 節では音素の認定を行い、母音5つ/a/ /i/ /u/ /e/ /o/、半母音2つ/j/ /w/、子音17つ/p/ /b/ / /t/ /d/ /n/ /k/ /g/ /ʔ/ /m/ /M/ /N/ /r/ /f/ /s/ /z/ /c/ /h/ を音素として認める。特に、先行研究において独立音素とされていた中舌母音音素/ɨ/は、弁別的観点からも、音響的観点からも、認める必要がないことを指摘する。3.2節では音節構造、3.3節ではアクセントの記述を行う。アクセントについて、国頭方言は、琉球諸方言では珍しく、3モーラ以上に4以上のアクセント型の区別がある。琉球諸方言では2型ないし3型のアクセントを持つ方言が多いなか、国頭方言に確認される「4つ目のアクセント型」の通時解釈は、琉球諸語のアクセント史を考察する上で重要である。本稿では、国頭方言の「4つ目のアクセント型」は、琉球祖語に再建される3つのアクセント型から派生した可能性が高く、祖語が3つのアクセント型を区別していたとする先行研究の仮説が保持されることを述べる。3.4節では、イントネーションの初期報告として「疑問文のイントネーション」を記述する。国頭方言の疑問文は、通言語的に珍しい下降イントネーションを取る。しかし、述語のアクセント型や疑問助詞の有無によって、弁別性を担保するために上昇調も取り得る。このことは、日本諸方言の疑問イントネーションの類型化理論を修正するものである。
 4章「形態論」では、国頭方言の語の形態を明らかにする。4.1 節では、語の記述に用いる単位の導入と、語の形態に関する類型的な特徴、品詞分類、形態法の記述を行う。品詞には、分布的・構造的・意味的特徴に基づき「名詞」「動詞」「形容詞」「連体詞」「副詞」「感動詞」「助詞」を認める。また、品詞とは別に、機能による語の分類として「指示語」と「疑問詞」を立てる。4.2節 名詞形態論では、名詞を「普通名詞」「代名詞」「数詞」に分類し、その構造を述べる。4.2.1節 普通名詞においては、特に、複数性を表す接辞の選択が「有生性の階層」によって説明できることを述べる。4.2.2節 代名詞においては、(a) 一人称、二人称、三人称形式の一部に「双数(2つ)」を専門に表す形式があること、(b) 二人称に尊称と非尊称の区別があること、(c) 指示代名詞の形式が三人称として用いられること、を述べる。4.2.3節 数詞においては、数詞が、拘束形態素である語幹と、類別詞となる屈折接辞によって構成されることを述べ、具体的な類別接辞を紹介する。4.3節 動詞形態論では、動詞を「動作動詞」「存在動詞」「コピュラ動詞」に分類し、その構造を記述する。国頭方言の動詞活用は非常に複雑であるが、先行研究で用いられる「語幹」の他に、「語基」という概念を導入し、語基の交替規則と形態音韻規則を組み合わせることによって、様々な活用を予測できることを述べる。4.4節 形容詞形態論では、まず、形容詞という品詞を認める妥当性を論じる。国頭方言の形容詞は、(a) 一項文の述語となるか、コピュラの補語となる、(b) 名詞修飾部を埋める、(c) 派生せずに動詞を修飾する、という特徴において、他の品詞から区別することが出来る。4.4.2 節では、国頭方言の形容詞が、形容詞とコピュラ動詞の融合の過程にあり、(a) 単独形式(cjura-sa「きれい」など)と(b) 融合形式(cjura-sa-N「きれい」)の2形式が併存することを述べる。4.4.3 節、4.4.4節では、形容詞に接辞-saを含む形容詞と、-sjaを含む形容詞があり、その形態法や派生のプロセスが異なることを述べる。4.5節 その他の品詞では、連体詞、感動詞、助詞、副詞の記述を行う。4.6節では、「指示語」と「疑問詞」という、品詞をまたがる語類の体系を記述する。
 5章「統語論」では、国頭方言の文の構造を明らかにする。5.1節では、統語論の記述を行う上で、必要な単位や概念の導入を行う。5.2節では、構成素の語順を検証し、国頭方言が語順に関して「典型的なSOV言語」であることを示す。5.3節では、名詞句の構造を明らかにする。名詞句の構造は[修飾部[主要部]]=格助詞、のように表され、修飾部には、形容詞、連体詞、名詞句、連体節が入る。格助詞には、=ga/nu(主格)、=ga/nu(属格)、=ni(与格)、=tu(共格)、=cji(向格)、=sji(具格)、=ni(場所格1)、=niti(場所格2)、=kara(奪格)、=Ntani/=Ntabe/=madi(終局格)、=jooka(比較格)があり、このうち、主格と属格の=ga/=nu交替は、有生性の階層によって説明できる。5.4節では述部構造を記述する。述部には「名詞述部」「動詞述部」「形容詞述部」を認める。コピュラ動詞を含む述部に関しては、主語との呼応を担うことから、コピュラ動詞を主要部と考え「コピュラ動詞述部」を認める。コピュラ動詞は、名詞を補語に取るもの(*ja, *a, *ai)と形容詞を補語に取るもの(*a, *na)があり、特に否定文において、補語に名詞を取る場合は*a、補語に形容詞を取る場合は*naが選択される。5.5 節では構文構造(節構造)として、アライメント、結合価操作、有対動詞、文のタイプを述べる。5.5.1節 アライメントについて、国頭方言は、自動詞の主語と他動詞の主語が同じ格標識を取り、他動詞の目的語の格標識と対立する「主格対格型言語」である。主格対格型言語は、通言語的に「主格と対格の両方を標示する」または「対格のみを標示する」言語が多いが、国頭方言は主格のみを標示する点で、類型的に珍しい特徴を持つ。5.5.2節 結合価では、結合価が1つ、2つ、3つとなる文をそれぞれ取り上げる。特に、2項動詞の格標示については「主格-対格」フレームが、他動性の高い動詞から、他動性の低い動詞まで、幅広く用いられていることを指摘する。5.5.3節 結合価操作では、結合価増加操作として「使役」を、結合価減少操作として「受動」を記述する。5.5.4節 有対動詞では、国頭方言が他動詞化(自動詞から、他動詞を派生する)が優勢な言語であることを述べる。5.5.5節 文のタイプでは、「平叙文」「疑問文」「命令文」「詠嘆文」の構造を述べる。5.6節では、節の種類として「主節」」「連体節」「副詞節」「補文節」「等位節」「並列節」を認め、複文の構造を記述する。
 6章では、語用論と機能面からの言語記述を行う。6.1節は情報構造を扱い、特に、焦点助詞=duがどのような環境において現れやすいかを検証する。(a) 焦点ドメイン、(b 焦点タイプ、(c) 述語句の意味、という3変数を検証し、焦点ドメインが「主語項/述部焦点」であり、かつ、焦点タイプが「対比焦点」であるか、述語句の意味が「動作」である場合に、焦点助詞=duが現れやすいことを述べる。6.2節はテンス・アスペクトの体系を明らかにする。国頭方言のテンスは、基本的に「非過去」と「過去」の2項対立であり、アスペクトは「完結相」と「非完結相の2項対立である。しかし、動詞屈折接辞の-jutaと、「継起形+状態動詞*a」という語連続は、テンス・アスペクトだけでなく、エビデンシャリティーに関わる意味を持つことを述べる。6.3 節「モダリティ」では、モダリティを「表現類型のモダリティ」「認識・評価のモダリティ」「説明のモダリティ」「伝達態度のモダリティ」に分けて、それぞれを表す形式について記述する。6.4 節は敬語に関して、尊敬語と丁寧語の体系を記述する。現代の国頭方言においては、尊敬語・丁寧語はともに「敬い語」として意識されており、それらを区別する意識は希薄である。また、聞き手が身内以外の人でも、身内に対する敬語を使うことが出来るという絶対敬語的な性質を持つ。尊敬語には、語根が尊敬を表す「自立形式」と、補助動詞が尊敬を表す「補助形式」がある。丁寧語には、語根自体が丁寧を表す「自立形式」と、接辞が丁寧を表す「接辞形式」がある。
 7章「結論」では、各章のまとめと、全体を通した沖永良部語の特徴を述べる。国頭方言が持つ、類型的に珍しい言語特徴として、(a) 疑問文のイントネーションが下降調を取ること(3章4節)、(b) 格が有標主格型であること(5章5節)が指摘できる。日本語との比較において際立つのは、(c) 代名詞に「双数」の体系を持つこと(4章2節)、(d)「主格-対格」フレームを他動性の低い動詞が用いること(5章5節)、(e) 焦点呼応(focus concord)があること(6章1節)、(f) テンス・アスペクト形式がエビデンシャリティーの意味を持つこと(6章2節)等が挙げられる。琉球諸語との比較において着目されるのは、国頭方言が、3モーラ以上に少なくとも4つ以上のアクセント型の区別を持つことである(3章3節)。

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