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博士論文要旨

論文題目:戦後日本における「混血」、「ハーフ」をめぐる人種構成―<日本人化/外国人化>人種プロジェクトの歴史的な展開―
著者:田口 ローレンス 吉孝 (TAGUCHI, Lawrence Yoshitaka)
博士号取得年月日:2017年11月30日

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1.本論文の目的
 本論文は、「日本人」/「外国人」という社会的・人種的カテゴリーに還元されえない「混
血児」「ハーフ」に着目し、かれらをめぐる人種編成の歴史過程と日常生活における人種化
の影響を分析する。かれらが社会的に位置付けられる際、常にそこでは「日本人」と「外国人」の境界線が問われている。すなわち、「混血児」「ハーフ」の位置付けは、「日本人」「外国人」が人種的に構築されることによって、形作られるのである。そのため、「混血児」「ハーフ」がいかに人種化されていくのかという人種編成の過程を綿密に探ることで、この概念と並行して構築される「日本人」「外国人」の境界策定のありようとその社会的効果 を逆照射させることができる。
 本研究の目的は、戦後日本社会において①「日本人」「外国人」という人種カテゴリーの構築と定着の際、「混血」「ハーフ」の社会的位置付けがいかに人種的に編成されていったのかという点を史資料分析によって明らかにする。その上で、②日本社会に浸透している人種化されたカテゴリーが、当事者をめぐる日常生活の場面でいかに作用し、具体的な効果をもたらしているのかについてインタビューデータ分析から詳細に論じることである。

2.先行研究
 本研究に関連する日本の先行研究は大きく分けて、①マイノリティ・移民研究、②人種研究、③日本人論研究、④ハーフ研究である。社会学におけるマイノリティ・移民研究のなかで「国際児」「ハーフ」に関する言及は事例の一部分に見られる場合があるが、エスニシティを主な分析概念とするこれらの研究では適応過程や社会の受け入れ、教育問題などに着目するため、「国際児」や「ハーフ」に対する分析は「外国籍児童」に対する分析の後景へと退けられてしまい、人種にかんする分析が不十分であった。また、なによりもマイノリティ・移民研究の大きな陥穽は、研究対象を「日本人」/「外国籍者」「エスニック・グループ」「マイノリティ」という二分法を自明の前提としてしまう点である。一方の人種研究では、歴史表象に関わる研究が蓄積される一方で、社会学的な視点からの人種研究は欠落しており、表象や言説構築が当事者にどのような具体的な影響をもたらすのかについての分析は立ち遅れている。一方、「日本人」が人種的に構築された過程に自覚的な研究分野は「日本人論」研究である。ここでは戦後から現代までの幅広い日本人論に着目し、「日本人」カテゴリーがいかに人種化されてきたのかを詳細に論じる研究が蓄積されている。しかし、この「日本人」の人種化の背景で並行して構築される「ハーフ」「混血」への分析は見られない。これに対し近年、「ハーフ」そのものを研究対象として設定する「ハーフ研究」の分野の萌芽が見られる。しかし、ハーフ研究も人種研究と同様に表象・歴史研究に偏っており、社会学の視座からハーフをめぐる人種編成の全体像をとらえる研究は手付かずとなっている。

3.本論文の理論的枠組み
 本研究では上記の課題を克服するため、社会における人種的カテゴリーの概念化の歴史的過程を分析することに適した M.オミと H.ウィナント(1986,1994,2015)の「人種編成」論を用いた。人種編成とは、「人種的なアイデンティティが生み出され、引き継がれ、変化し、破壊されることによる社会歴史的なプロセス」(Omi and Winant 2015:109)であり、政治領域と日常生活における人種言説の構築/再構築が社会・経済的な資源の再分配にどのように関連しているのかを歴史社会学的に分析する方法論である。かれらによると社会における「人種」の意味付けや言説は、偶発的に生じるのではなく、政治的なアクターの戦略の中で意図的に構築され、社会構造の編成に大きな効力をもたらしてきたという。日本社会の「混血」「ハーフ」の事例に着目した場合も、かれらを名指すカテゴリーは歴史的・社会的文脈によってその論じられ方が異なり、人種化された各カテゴリーは当事者をめぐる社会構造にも異なる帰結や効力をもたらしている。そのため、人種編成論の理論枠組みを日本社会における「混血児」「ハーフ」の事例に用いることで、かれらをめぐる人種化とその社会的帰結を明らかにし、「日本人」「外国人」を策定する人種・イデオロギー・法的な境界線がいかに形作られていったのかを浮き彫りにすることができる。
 さらに本研究では、人種編成の全体像を分析するため、社会構造の水準をマクロ・メゾ・ミクロの三層構造に整理する。そして、各水準における分析をより精緻化するために、「時期区分と位相」、「人種プロジェクト」、「節合」、「制度」、ライフコースにおける当事者のエージェンシーなどといった分析枠組みを用いることで、人種編成論の理論的発展を目指す。

・「時期区分」と「位相」
 本研究では、マクロレベルの人種編成の経年的推移の横軸を「時期区分」、層をなす歴史的背景の縦軸を「位相」として設定する。戦後の日本社会における「ハーフ」「混血児」の事例を対象とした場合も、社会問題化した「混血児問題」から近年のダブル・アメラジアンの社会運動、SNS における当事者団体の近年の増加傾向に至るまで、社会編成の歴史的プロセスが段階的な傾向を持って展開・変化していることがわかる。特に時期ごとに主流化した「混血児」や「ハーフ」などのカテゴリー編成とそれらをめぐる社会動態に歴史的変化に焦点を当てた場合、メディアや雑誌などで用いられたヘゲモニーックな語句は「混血児」(1945年〜60年代:第1期)、「ハーフ」(70〜80年代:第2期)、「ダブル」(90〜2000年代前半:第3期)、「ハーフ」(2000年代後半〜:第4期)に大別することができる。本研究ではこれらの期間を四段階の「時期区分」とする。
 また、戦後以降の四つの時期区分において、かれらが生まれた経緯やその歴史的背景は三つの「位相」(Ⅰ〜Ⅲ)に大別することができる。第Ⅰの位相は軍事基地の存在によってもたらされたものであり、敗戦後の日本社会で「混血児問題」として盛んに取り上げられ調査や支援活動の対象となった。第Ⅱの位相はコロニアリズムの背景、すなわち朝鮮や台湾などの旧植民地出身者と日本人との間に生まれた人々である。位相Ⅲは、80年代後半から次第に増えてきた「ニューカマー」を親に持つケースで、その子どもたちは第 3 期以降増加しており、その移動の背景によって様々なケースに細分化される。このように時期区分と位相という分析軸によって複層的で歴史的に推移する「混血」「ハーフ」をめぐる人種編成の全体像を捉えることができる。

・人種プロジェクト
 オミとウィナントは、人種編成論における鍵概念として「人種プロジェクト racial project」
という概念を定式化している。人種プロジェクトとは、社会構造が人種的に意味づけられる方法と、人種的な意味づけが社会構造の中に埋め込まれる方法の両方を形作る「企て」として説明されている。すなわち、社会構造も人種的な言説もそれらが独立して作用するのではなく、両者のつながりが相互作用し合うはたらきによって、個々人の社会編成における配置を決定づけ、具体的な社会的現実への効果(資源の再分配など)をもたらすのである。このような人種プロジェクトは大・小のスケール、すなわち人種的な政策決定や国家活動、集合的運動というマクロレベルだけでなく、日常経験や人々の相互行為というミクロレベルでも形作られる。本研究の研究対象である「混血」「ハーフ」の場合も、日本の社会システムに深く埋め込まれた「日本人」と「外国人」とを区別する強力な人種プロジェクトが日常生活において作用し、具体的な効力を発揮している。

・節合

 「節合 articulation」は、ある語句に対し、政治的な意図をもって特定の意味づけを結ビ
つける作用を分析する際に用いられる概念である。オミとウィナントはこの概念をイデオロギーの結びつきの水準で捉えるのではなく、アメリカ社会の政党や社会運動における言説戦略の社会学的分析に援用した。かれらは政治的な言説の組み替えがいかに実際の資源の再分配や社会運動の正当性などに影響を与えているのかという社会学的な議論に踏み込んでいる。本研究ではこの概念を用い、四つ時期区分において「混血」や「ハーフ」といった人種的な語句に対しいかなる意味づけが節合されていったのか、それによっていかなる社会的帰結がもたらされたのかを分析する。

・メゾレベルの分析——「制度」における人種レジーム
 人種編成論では、マクロレベルとして人種ポリティクスの歴史過程を、ミクロレベルとして日常生活における人種化の作用を視野に入れている。しかし、本研究のインタビュー協力者の語りをみていくと、人種化の作用は「学校」や「職場」といったある種の具体的な社会的制度の中で経験されていることがわかる。そこで、人種編成論の分析枠組みをより深化させるため R.コンネルがメゾレベルの社会構造に着目した「制度」という概念を参照したい。コンネルは既存のジェンダー理論において研究の焦点が「全体社会のレベル」か「個人間関係」に焦点が当たる傾向が強かったことを指摘し、これまで省略されがちだった「個人と社会を媒介する社会組織のレベル」への分析の重要性について述べている。コンネルは、このように社会構造を維持するさまざまな「制度」、すなわち学校や職場、スポーツクラブ、工場、軍隊、警察などのようなさまざまな組織において、それぞれ独自のジェンダー関係が構築されそれらが相互に関連していると指摘しており、それをある制度のジェンダー・レジーム(体制)と呼んでいる。本研究のように「混血」や「ハーフ」の場合も、制度内部ではたらく人種化の作用や、制度間の相互関係、そして各制度における当事者のエージェンシーが十分に議論されてきたわけではない。マクロレベルの人種編成の作用や、ミクロレベルの個人の生活史の分析だけではなく、個別具体的な各種の「制度」における人種レジームに着目しこれらの相互作用の分析を行う。

・日常生活の相互行為における人種編成
 本研究ではミクロレベルの水準にも着目し、個々人の日常生活における人種化の影響も詳細に論じる。人種編成論を日常レベルの分析に置き換えた場合、「日本人」/「外国人」が「人種化された社会構造」において、人々はその人種化の「ルール」を意識・無意識にかかわらず学んでいくこととなり、この二分法の力学が強力に作用する対象が「混血」「ハーフ」である。さらにより詳細で具体的な事例分析では、ロチャや、アスピナールとソンらの分析カテゴリーを用いてライフストーリーを分析する。
 これらの理論枠組みや概念は相互に補完関係を持ちながら有機的に結びつき、「混血」「ハ ーフ」をめぐる人種編成を精緻に明らかにする上で効果的である。

4.分析データ ——史資料とインタビューデータの連関
 本研究の目的を達成するため、史資料や先行研究のデータによってマクロ・メゾレベルの人種編成を詳細に分析し、その上で、当事者がどのようなエージェンシーを発揮してきたのかについてインタビューデータ(41名)を用いることで明らかにしてく。このように マクロ・メゾの社会構造分析とミクロレベルの経験的データを相互に連関させることで、「日本人」と「外国人」をめぐる人種化のポリティクスが「混血」や「ハーフ」に及ぼす制度的・イデオロギー的な作用から、当事者を中心とした社会活動や個別的なエージェンシーの交渉過程にいたるまでの重層的な人種化の様態を明らかにすることができる。このような分析方法によって、これまで表象や歴史事実のみが記述的に論じられるにとどまってきた「混血」「ハーフ」について、その社会編成全体の内実に迫ることができる。

5.論文の構成
 本論文の構成は、第一部が史資料分析を中心としたマクロ・メゾレベルの分析に比重を置いており、当事者の水準への具体的な帰結を示すため適宜ミクロレベルのデータを補って説明している。第一部の構成は、第1期から第 4 期までの時期区分に対応するかたちで第1章〜第4章を編成した。特に、戦後の旧植民地出身者の法的地位の再編、「混血児問題」の政府対策、日本人論と「ハーフ」言説の展開、入国管理法改定、多文化共生施策、SNSを通じた当事者のメディア・アクティビズムの展開などといったテーマに着目し、行政・メディア・経済界・社会運動などのアクターに着目し各時期区分における人種化の編成プロセスを詳細に論じた。
 二部では、マクロレベルの人種編成分析の土台の上で、現在のかれらのライフストーリーに着目し、メゾ・ミクロレベルの人種化の作用と、当事者からの交渉過程の内実に迫った分析を展開した。第5章ではまず、人種・ジェンダー・セクシュアリティ・エスニシティ・ネーションといった指標に基づいて抽出された当事者の経験から、人種化の内実に迫った。一方、第6 章は「位相」の差異によって異なる人種化の様相を、それぞれのケースの当事者の語りから論じた。第7章ではメゾレベルのいくつかの「制度」における特徴的な人種編成に着目し、人種プロジェクトの概念から制度ごとに異なる人種化の作用とその具体的な帰結を論じ、制度における人種レジームの特徴を捉えた。このように「制度」ごとに人種編成が異なることを論証した上で、第8章では当事者のライフコースにおいて各制度がいかなる関係性(葛藤・強化・並列)を持っているのか、そして当事者はそれぞれの制度における人種化の作用に対していかにエージェンシーを発揮していくのか(交渉・受容・変化)を明らかにし、人種編成の変化の可能性を示した。

6.各章の分析

 まず第1章では、1945 年〜60 年代(第一期)における「混血児」をめぐる人種編成の歴史的プロセスに着目した。戦後直後に展開された旧植民地出身者をめぐる法的地位の変遷過程において、位相Ⅱの「混血」の人々がいかに親のジェンダーと民族的背景を元に、「日本人」化または「外国人」化されたのかについて法令や通達をもとに詳述した。また、位相Ⅰである「混血児問題」の諸相と政府の対策(人口調査や指導資料、海外養子縁組など)の実態を概観し、厚生省・文部省・外務省という各省庁の「対策」が連動するなかで、「混血児」が日本人化され、差別問題が無化されていく状況を明らかにした。このような「混血児」の存在自体を無化する「日本人」化の人種プロジェクトには、政府がもちいる「無差別平等」のロジックがその根拠として強く作用しており、これは文部省の方針に合致しただけではなく、学校という「制度」においても各教師の個人的な実践の中で展開され、 浸透していくこととなった。すなわち、戦後の日本政府が用いた「無差別平等」は普遍的なイデオロギーではなく、あくまでも「日本人」と等式で結ばれる意味での同化を正当化する根拠として機能していることが明らかとなった。そしてそのイデオロギーの最も深刻な効果とは、「無差別平等である」という論拠によって人種差別の問題を不可視化させることである。
 第2章では第二期(1970〜80年代)の人種編成に関して、とくに 1970 年代ごろから活況する「日本人論」によってより一層ヘゲモニー化していく「日本人」の人種化のプロセス、および同時期に登場する人種化・ジェンダー化された「ハーフ」言説に着目した。特にメディアと経済界において活性化した「ハーフ」言説の中でもしばしば「日本人論」がその背後で機能することで、ヘゲモニー化した「日本人」「外国人」という二分法を揺るがさない範囲内でその意味づけが節合された。また 1980 年代に政府によって進められる「国際化」の言説においても、「日本人」と「日本文化」が密接に結び付けられる「日本文化論」が展開され、政府主導による「日本人」化の人種プロジェクトが推し進められていく状況を捉えた。また一方で、父系血統主義にもとづく国籍法に抵抗する社会運動が国際結婚をした女性たちを中心として活性化する。しかし、この社会運動ではあくまでも国籍および子どもの問題として運動の目的が設定されたため、成人世代の「混血」「ハーフ」に対する人種差別の問題は後景化されていた。
 第3章の対象範囲である1990 年代に入ると、入管法改定をめぐって政府による「日本人の血」のロジックが用いられる。これよって「日本人」の範囲が「日系人」という概念によって拡張されたが、これが結果として南米系の位相Ⅲの人々を日本に移住させ、「ハーフ」 「クオーター」と呼ばれるカテゴリーの内実を多様化させる帰結をもたらした。また、1990 年代後半から展開される「ダブル」をもちいた社会運動はコミュニティ形成と教育の権利主張の文脈で一定の成果をもたらすが、当事者からは批判的な反応も示された。さらに、政府や社会運動によって推進される「多文化共生」施策でも「日本人」と「外国人」とを強力に区分する人種プロジェクトが展開された。この施策では、外国籍住民をめぐる問題を「公共サービス」や「不就学」といった国籍に基づく制度的な差別として設定する中で、人種差別は十分に取り扱われてこなかった。すなわち、第3期において国家レベルに展開された入管法改定と多文化共生施策では、国家の利益に即するように血のロジックが拡張されることで労働力不足の解消をめざしつつ、資源の再配分の文脈では「日本人」対「外国人」の二項対立を貫くことで問題設定の範囲を可能な限り狭め、差別への対応を個人化させることで支出を抑える二重の人種プロジェクトが展開された。
 第4期には多文化共生関連施策の流れを汲んで「日系定住外国人施策」が展開されるが、支援対策の範囲は限りなく縮小され、人種差別が一切問題化されない政府の対応を浮上させた。このように第1期から第4期にいたるまで「日本人」/「外国人」の人種編成はヘゲモニーとしてマクロ・メゾ・ミクロレベルに偏在し作用していく。そして、「混血」「ハーフ」を不可視化させる強力な「日本人」化の人種プロジェクトは、「無差別平等」のロジック、日本人論、国際化、多文化共生といった言説の中で綿々と展開され、二分法を揺がし得る存在は限りなく無化された。これらの人種化されたイディオムの効果によって、「日本人」/「外国人」の二分法はあたかもが矛盾しないかのように繰り返し展開されることで定着した。しかし、これらの強力な人種編成のさなかで、当事者は自らの経験をいかに発信していくのだろうか。第4章では、インターネット空間の進化とともに新たに展開されていく「ハーフ」当事者のアイデンティティ表象や人種差別の告発といったメディア・アクティビズムの諸相について論じ、これらの草の根的運動がヘゲモニックな「日本人」「外国人」の人種編成揺るがしうる可能性を示し、第2期において人種化・ジェンダー化され た「ハーフ」言説を当事者が可視化の戦略として用いる言説としてその意味づけをいかに 再節合していくのかについて明らかにした。
 当事者をめぐるメゾ・ミクロレベルに迫った第二部第5章では、人種・ジェンダー・セクシュアリティ・エスニシティ・ネーションなどといった切り口から当事者をめぐる日常生活の相互行為の場面に着目し、人種プロジェクトがこれらの指標の軸に沿っていかに当事者に影響を及ぼしているのかについて詳細に論じた。特にヘゲモニー化し、日常的に展開される日本人化/外国人化の人種プロジェクトは「何気なく」「悪気なく」展開されるが、当事者にとって頻繁に繰り返される人種化は強力に作用している。またこれらの人種プロジェクトはジェンダー化されており、セクシュアルな意味づけが男女それぞれに結びつけられている。さらに、人種化は言語や文化などのエスニックな要素、さらにネーションとの結びつきを強く関連付けられる。
 しかし、これらの作用は当事者に一様に効果をもたらすわけではない。とくに「ハーフ」 と呼ばれる人々の歴史的背景やルーツは一様ではなく、位相(Ⅰ〜Ⅲ)の差異によって異なる人種化の作用を経験する。そのため、第6章ではそれぞれの位相において特徴的な人種プロジェクトの影響を当事者のライフストーリーから分析した。位相Ⅰでは戦後の「混血児問題」において十分に解決されなかった人種化のイメージは現代まで継続し、当人や親に対する人種化・ジェンダー化されたイメージは戦後から現在にいたるまで引き継がれている状況がわかった。位相Ⅱのケースでは、日本人と在日言説から不可視化されるのみならず、人種化されたハーフ言説からもとりこぼされることでアイデンティティ形成に大きな困難が語られた。位相Ⅲの特にフィリピンハーフの場合は、フィリピンに対する日本社会で構築されたイメージ(「発展途上」「汚い」「明るい」「気がきく」など)と、「事件」「グレる」といった犯罪化されたイメージ、そして「興行」の在留資格で渡航した「エンターティナー」に対するジェンダー・セクシュアリティと人種の交差する特殊な人種プロジェクトを経験していた。
 また当事者をめぐる人種編成は、眼前の「制度」において異なる作用と帰結をもたらす。第7章はライフストーリーから浮上する特徴的な経験として、家族・学校・労働市場・街頭という四つの「制度」についてデータを抽出した。家族という制度では、親密圏の内部にまで人種化の作用が浸透し、例えば行政手続きの書類が発行できないなど、親子関係や戸籍制度が人種カテゴリーによって構成されていることによって当事者が不利益を被る場面が語られた。また、「学校」制度における分析で明らかとなった点は、第1章で詳述した「日本人」化を基底とする「無差別平等」のロジックは戦後以降の「混血児」をめぐる教育方針の頃から一貫しており、戦後の歴史過程を通じて脈々と存在し続けている点である。この人種化の強力な作用は、現在の移民の子どもたちに対して働くのみならず、「ハーフ」と呼ばれる人びとの日常にも強く影響をもたらし、深刻化するいじめや差別の問題は個人の水準で対処しなければならない状況に置かれ未解決のまま継続しているのである。労働市場にかんする制度について、面接の場面では「ハーフ」であることや、外見・名前などから外国人と見なされていることでそもそも雇用機会が得られず、さらに職場の場面においても、当事者に対して人種差別的な作用が働くという職場レジームの編成が明らかとなった。オミとウィナントも説明するように、人種プロジェクトは単なるシンボリックなイメージの投影なのではない。この強力な「外国人」化の人種プロジェクトは雇用機会からの排除や顧客からのクレームといった具体的な効果をもたらしている状況が明らかとなった。また不特定多数の人々が行きかう「街頭」という制度においては、常に外国人化と日本人化の作用にさらされ過度な眼差しを経験するのみならず、特に深刻な事例として警察官によって半ば強制的に行使されるレイシャルプロファイリングの実態を詳述し、当事者への心理的影響を明らかにした。 第7章の意義は、コンネルの用いる「制度」の概念を用いることで、社会全体に浸透する人種秩序が一貫して作用するのではなく、実際には種々の制度において異なるメゾレベルの展開を見せていることを示した点のみならず、それらの制度の人種編成が相互にある種の関係性を形成している点を提示したことにある。
 人種編成は制度間で補完・葛藤・並列的な関係性をもっており、さらに様々なライフコースの軌跡において、当事者のエージェンシーも多様化する。そのため第8章では、特に 10 名のライフストーリーを土台として、かれらをめぐる様々な「制度」の作用とそれを再生産・抵抗する当事者のエージェンシーのあり方について詳細に論じた。また、本章でライフコースの軌跡をやや冗長であっても全体像として記述する意義は、これらの制度の関係性やエージェンシーを通時的・共時的な視点から分析するためである。例えば、学校の中で苛烈ないじめを経験した者が、その後自らの文化・社会関係資本を生かして就職や職場で成功を収めた場合であっても、ひとたび街頭という公共空間に繰り出せば瞬く間に再び差別用語の投げかけや過度な眼差しといった人種プロジェクトの影響にさらされていた。このように当事者の経験を分析する際には、下降・上昇移動といった単線的な図式として説明することはできず、通時的・共時的な社会構造の空間の中で当事者のエージェンシーを捉える必要がある。また、当事者のライフコースという中長期的な人生の軌跡の中で、各制度や領域での経験は異なり、これらに対する当事者の感情の発露や行為のあり方、対処の選択の仕方なども異なる。このような当事者のエージェンシーは一過性の対応なのではなく、その背景にこれまでのライフコースでの経験における過去からの様々な学び(もしくはトラウマ)が動員される。そのため、同様の経験であってもライフコースの地点によって感じ方や対処のあり方、そして自己の経験の再帰的な意味構成の仕方も異なるだろう。そのため、行為の背景にある動機や感情・過去の経験といった側面にまで議論を進めるに、場面ごとに区切った記述では十分に捉えることができない当事者のエージェンシーの諸相を描き出した。当事者のライフコースにおいて頻出する人種プロジェクトの影響は強力に作用していた一方、当事者はそれらの作用から距離をとる、最小化する、「代替空間」を築く、社会的上昇の手段として利用するといった様々な戦略が見られた。

7.終章 ——本研究の意義と課題
 本論文の目的は、①戦後社会における「日本人」/「外国人」という強力な人種化の歴史的展開を史資料分析から明らかにした上で、②「ハーフ」当事者の日常生活における相互行為の場面でこれらの二分法の人種化と「混血」「ハーフ」する人種化の作用がいかなる具体的効果を及ぼしているのかという点を分析することであり、オミとウィナントが概念化した「人種編成論」の視座を日本社会の文脈に援用することでこれらの論点を明らかにしてきた。人種編成の構造化をマクロ・メゾ・ミクロの水準から包括的に捉えるために、人種編成論の視座を全体で一貫して提示しつつ、時期区分と位相、人種プロジェクト、節合、制度、ライフコースの分析枠組みなどを組み合わせることで、人種編成論の理論的展開を図った。また、オミとウィナントの分析において不十分であったミックスレイスに関する分析を日本の文脈で展開した。
 戦後の歴史過程を通じて展開されてきた「日本人」/「外国人」という二分法の人種編成は、国家やメディアの言説を通してマクロレベルに展開されるばかりではなく、学校や職場、公共空間といったメゾレベルの社会的な制度にも遍在しており、ミクロレベルである当事者の日常生活という相互行為の場面にも強力に作用している。あらゆる制度の中で毎日繰り返される人種プロジェクトの日常的な展開は、第二部におけるインタビュー協力者の語りから鮮明に浮かび上がってきた。
 このような分析から、「日本人」/「外国人」という二分法の人種編成は決して固定的なのではなく、歴史過程を通じて構築され続けており、その強力で具体的な効果を示すことができたと同時に、当事者のエージェンシーや社会運動によってこれらの人種編成が突き崩される契機も提示することができた。このような「混血児」「ハーフ」をめぐる人種編成の研究は、これまでのマイノリティ・移民研究、人種研究、日本人論研究、ハーフ研究における陥穽を克服し、各研究分野の展開に寄与することができる点で意義がある。
 本研究の限界点は、①インタビューデータや資料分析が関東圏に集中している、②インタビューデータを拡充する必要がある、③位相Ⅲのなかでとりわけ近年増加している「日系南米人」の「ハーフ」「クオーター」「ミックス」に関する事例分析が不十分である、④人種化の作用におけるジェンダー・セクシュアリティ・階級などに関する分析が不十分である、⑤特に位相Ⅰのケースに関する分析では米軍基地の占領期がとりわけ長期間続いた沖縄に関する人種編成の特殊性を分析する必要がある、⑥戦時期以前の人種編成のプロセスも詳細に分析する必要がある、⑦トランスナショナルな関係性に着目し、移民法などといった国家間の法制度の定立における人種化の作用や、国際機関(NGOや基地関係団体など)の動きに着目していく必要がある、⑧ライフコースの分析対象が若者に集中していたため再生産領域の分析(結婚・離婚、子育てなど)や向老期に関する分析が十分でないこと、⑨経済の再配分に関する分析を深化させる必要があることなどが指摘できる。
 また、これまで「混血」や「ハーフ」の事例を通じて詳細に論じてきた日本社会における「日本人」/「外国人」の二分法の人種編成の圧力は、本研究の対象者のような人々のみならず日本に移住してきた人々に対しても強く作用している。今後はこれらの論点についてさらに研究を深めていく。「外国人」の存在そのものを不可視化していく「日本人」イデオロギーの力学や、歴史過程を通じて沖縄やアイヌといった人々に作用してきた「非日本人」化といった力学についてもさらに詳細に分析し、日本の人種編成のありようをより精緻に捉えていく必要がある。

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