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博士論文要旨

論文題目:現代ドイツの労働協約
著者:岩佐 卓也 (IWASA, Takuya)
博士号取得年月日:2016年5月18日

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○ 本論文の目的
 ドイツにおいて、労働協約は、労働条件決定の最も重要な仕組みである。労働協約は、産業部門ごとに企業を横断して組織される労働組合と使用者団体との合意によって成立し、そこには賃金、労働時間などの労働条件が詳細に規定されている。労働条件規制における労働協約の役割の大きさとその安定性がこれまでのドイツの特徴であった。しかし今日、ドイツの労働協約システムは様々な面で変容を被っている。本論文「現代ドイツの労働協約」はその特徴的な動向を分析したものである。

○ 本論文の構成
本論文の構成は以下の通りである。

序章 本研究の研究史上の位置

第1章 協約拘束範囲の縮小 ―変化の起点
1 はじめに
2 労働協約システムの概要
3 協約拘束範囲の縮小とそれをめぐる紛争
4 労働協約システムの構造変化
5 小括および本書の構想

第2章 協約規制の個別事業所化 ―2004年プフォルツハイム協定とIGメタル
1 はじめに
2 プフォルツハイム協定の成立
3 プフォルツハイム協定からジーメンス社補完協約まで
4 「コントロールされた分権化」の困難
5 転轍の可能性
6 小括

第3章 協約交渉の対立先鋭化 ―2007/2008年小売業争譲
1 はじめに
2 小売業の変容
3 2007/2008年小売業争議の開始
4 小売業争議の展開と妥協
5 小括

第4章 協約賃金の低水準化―NGGと法定最低賃金
1 はじめに
2 旅館・飲食業における低賃金と協約政策
3 食肉産業における低賃金と協約政策
4 NGGの法定最低賃金導入論 ―「協約自治」の壁
5 運動の展開と政治の変化
6 小括

補論 派遣労働と労働協約

〇 各章の概要

序章 本研究の研究史上の位置

 序章では、ドイツ労使関係を対象とした従来の研究 (1990 年代後半以降のもの)について検討し、その上で本研究の特徴と独自性について述べた。
まず、日本におけるドイツ労使関係研究については、そのほとんどが、具体的な労働協約や協約交渉の分析に及んでおらず、その結果、労働協約システムに対する表面的な理解が散見されること、 ドイツ本国におけるドイツ労使関係研究については、その分析がスタティックなものになる傾向があり、また、労働協約システムの変容を構造的・統一的に説明する論理が示されていないこと、を確認した。
 以上を踏まえて、本研究の特徴と独自性について三点を挙げた。すなわち、第一に、本研究は、従来の研究が踏みこんで対象としてこなかった、労働協約の具体的な規制内容、協約交渉や協約紛争における諸アクター(労働組合とその構成員、使用者団体とその構成員、政府など)の認識や判断について、文献だけなく、新聞記事、インタビューを用いて、 詳細に情報を収集した。そして、それに基づき、労使関係のスタティックではないダイナミックな分析を行った。第二に、これらの具体的な分析を基礎に、本研究は、ドイツの労働協約システムの変容過程を規定する論理を体系的に明らかにした。すなわちその骨格を簡潔に表現すれば、「労働協約による企業横断的な労働条件規制は、圧倒的な企業・事業所 が労働協約の拘束下にあるという条件のもとであれば、安定的な継続と再生産が可能となる。しかしこの条件は1990年代後半以降、労働協約の拘束範囲の縮小によって大きく崩れている。それは、協約規制の個別事業所化、協約交渉の対立先鋭化、協約賃金の低水準化という具体的な変化として現象する」という論理である。第三に、本研究はドイツの労働協約システムの分析を通じて、より広く、現代ドイツの政治、経済に対するステレオタイプの理解を改め、理解を深化させる、いくつかの貢献を行った。

第1章 協約拘束範囲の縮小 ―変化の起点

 第1章は全体の総論として、ドイツの労働協約システムの概要を紹介するとともに、その今日の変化の起点にある「協約拘束範囲の縮小」問題について検討した。
ドイツの労働協約システムの概要では、基礎的な制度や諸概念を整理するとともに、横断的労働協約の締結単位である各部門の規模や各部門間の協約賃金格差など、重要ではあるが従来言及されてこなかった事項についても紹介した。
 その上で、90年代後半以降、労働協約が規制する範囲が縮小している問題を取り上げた。まず、具体的な企業の協約脱退、協約不加入のケースを分析し、その上で協約拘束範囲の 縮小が労働協約システム全体にもたらす変化について分析した。
そもそも労働協約を締結するかどうかは協約当事者の任意であり、協約当事者の結成とそれへの加入も個々の労働者、使用者の任意である。そのため、労働協約の規制する範囲は限定されており、かつその広さも変動する。今日、多くの使用者が労働協約から脱退し、または新規企業の使用者が労働協約に加入しないことによって、協約拘束範囲は縮小している。こうした現象が進行した結果、2012年時点で協約拘束率は従業員ベースで6割程度でしかない。そして、このことは、たんに労働協約の雇用社会全体に対する影響力の低下を意味するだけでなく、協約脱退をめぐる紛争の増大など労使紛争の個別事業所化を引き起している。さらに協約に拘束されない企業との競争が増大することによって、
働協約の内容そのものを労働者側に不利にさせる圧力を生み出している。これが第2章以下で具体的分析する労働協約システムの諸変化の根底にある構造である。

第2章 協約規制の個別事業所化 ―2004年プフォルツハイム協定とIGメタル

 第2章では、金属・電機部門における「協約規制の個別事業所化」の進行を分析し、ドイツの横断的労働協約の「横断」的性格の変容を明らかにした。
これまでであれば個別企業・事業所にとっては変更不可能な与件であった横断的労働協 約上の労働条件は、徐々にそうしたルールとしての「硬さ」を失い、一定の条件のもと個 別企業・事業所ごとの事情に応じた労働条件の引き下げを許容するような、融通可能なより「柔らかい」ものへと変わっている1990年代以降ドイツの労働協約がその「硬直性」を徐々に緩めてゆくなかで、2004年にIGメタル(金属産業労働組合)と金属電機部門の使用者団体の間で締結された「プフォルツハイム協定」はその流れを象徴する転換点として注目されてきた。この協定は、個別の事業所の事情に応じて横断的労働協約の適用除外を可能にするための新しい条件(開放条項)を定めている。それまでは当該事業所が経営 危機に陥った場合に限って協約の適用を除外し協約が定めた基準を下回ることが可能であったのに対し、このプフォルツハイム協定は、適用除外の条件を「雇用保障のための競争カの維持、改善」というより一般的・包括的なものへと拡大した。他方、プフォルツハイム協定の実施についてIGメタルは拒否権をもっており、適用除外を野放図に展開させないための「コントロール」が担保されていた。しかし、適用除外が認められなければ事業所を国外移転するとの使用者の「脅迫」が従業員の意見に影響を及ぼすことが多いため、実際に拒否権を行使することは容易ではなかった。2004年6月、ジーメンス社の携帯電話二工場について適用除外を認められたことは、その象徴的な事例であった。
この困難を克服するためにIGメタルは新たな組合運動の構築を試みている。IGメタルは、労働者側の譲歩をできるだけ縮小すべく、使用者側の適用除外の提案について、その必要性や相当性を検証し、さらに積極的な対案を提示する実践を積み上げている。これを「ベッサー・シュタット・ビリガー」(より安くではなくより良いものを)戦略という。こ の戦略を貫徹させるために、当該事業所レベルにおける組合員の拡大と組合員の組合活動への積極的参加が追求されている。

第3章 協約交渉の対立先鋭化 ―2007/2008年小売業争議

 第3章では、2007/2008 年小売業争議を素材として、使用者団体の要求の強硬化を背景とした協約交渉の対立先鋭化とストライキの新しい特徴について分析した。
国際比較上ドイツはストライキの発生頻度が少ない国に位置する。しかし伝統的な労働組合の基盤である製造業ではなく、サービス産業において新しいストライキの動向が現れており、注目されている。2007/2008年の小売業争議はその代表的な事例である。
 同争議の契機は、小売業の横断的労働協約が定める遅番手当、夜間手当について、使用者団体が開店時間延長の制約になることを理由としてその廃止を求めたのに対し、ver.di(統ーサービス産業労働組合)がその現状維持を求めたことにある。使用者団体側は2000年に横断的労働協約の一般的拘束力宣言が失効し、協約拘束外の企業との競争が激化し、労働協約を脱退する企業が増える中で、従来にまして強硬な姿勢をとることを余儀なくされていた。他方 ver.di にとって、手当廃止は、それ自身の不利益のみならず、労働条件が引き続き悪化する端緒となりかねないものであったため、容易に譲歩できない問題であった。それゆえに両者は激しく対立した。
 この争議は、その規模、対立の激しさ、担い手の新しさ、ストライキ戦術の新しさなど において、重要な意義を持つものであった。使用者はスト破りとして派遣労働者を投入した。それに対するver.di は、乏しい組織力のなかで、また使用者側の強硬姿勢のなかで、一年以上におよび断続的にストライキを組織した。その中では、たとえば、スト破りが投入されている店舗に対して、合法的に営業妨害を行うよう市民に呼びかける「フラッシュ モブ」や、使用者側に予知させずにストライキを開始する「フレキシプル・ストライキ」などが試みられた。長期の争議期間を経て妥結が成立し、使用者側の要求の大部分は阻止された。この争議は、ストライキの回避を特徴とするドイツの「社会的パートナーシップ」 の時代が過去のものとなったこと、または少なくともその妥当する範囲が限定的になったことを象徴的に示した。

第4章 協約賃金の低水準化 ―NGGと法定最低賃金

 第4章では、旅館・飲食業部門や食肉産業における低賃金労働の拡大と法定最低賃金導入の運動について分析した。
ドイツには2015年まで法定最低賃金制度が存在しなかった。これは、ドイツにおいて労働協約が果たしてきた役割の大きさを反映している。つまり、法定最低賃金がなくとも、労働協約によって労働者の生存を維持する賃金水準は十分に保障されているとドイツでは考えられてきた。労働協約の賃金規制に対する強い信頼を共有する労働組合と使用者団体とって、法定最低賃金は不要であり、むしろそれは協約自治への国家介入として警戒されるべきものであった。しかし、90年代以降、労働協約が存在しない領域や存在しても低賃金である領域が拡大した。その結果、むしろ低賃金労働の増大が今日のドイツを特徴づけている。このような状況のもと、ドイツの労働組合は法定最低賃金の導入を要求するにいたった。これは、協約自治のみに依拠してはもはや低賃金問題に対抗できないという判断であり、協約自治に対する国家の介入はできるだけ排除すべであるという従来の立場の転換であった。
 その先頭に位置するのがNGG(食品・飲食・旅館業労働組合)であったNGGが法定最低賃金の導入要求を表明したのは 1999年であった。この時点では、他の労働組合も、すべての政党も法定最低賃金に否定的な姿勢を示していた。その状況を出発点に、NGGは徐々に支持者を拡大し、法定最低賃金を実現する運動を牽引してきた。またNGGは、法定最低賃金要求の内容においても最も徹底的な立場をとってきた。2000年代中盤から最低賃金規制の導入が政治的テーマとなった際、多くのアクター(政党、労働組合)が構想していたのは、労働協約システムとの整合性に配慮した「部門別最低賃金」であった。そのなかで NGGは一貫して、部門別ではなく全国一律法定最低賃金を導入すべきであると主張してきた。こうしたNGGの独自の位置は、他の労働組合と比べてNGGがそれだけ深刻な低賃金問題に直面してきたことの反映である。しかしこの法定最低賃金導入要求は、やがて他の労働組合、そして各政党に浸透し、2013年には全国一律法定最低賃金を定めた最低賃金法が成立した。

補論派遣労働と労働協約

 補論では、派遣労働の分野における労働協約の特殊な役割について分析した。
2002年の労働者派遣法の改正は、派遣労働者と派遣先の常用労働者との均等待遇を規定したが、他方で、派遣会社(およびその使用者団体)と労働組合が労働協約を締結することによって、均等待遇規定を適用除外できる規定も盛り込まれた。DGBと競合するキリスト教労働組合が派遣会社の使用者団体と低賃金の労働協約を締結したことにより、DGBも低賃金協約を締結されることを余儀なくされた。
 この事態に対して、DGBおよびDGB加盟組合は、さまざまな対抗措置を試みている。
 ①派遣先企業との交渉による派遣労働者の待遇改善、均等待遇、②派遣部門における最低賃金の導入、③キリスト教労働組合の協約能力を否認させる訴訟などである。②、③は成功し、①も多くの成功例かある。しかし他方で、クラウス・デュレらの研究が明らかにしたように、常用労働者が派遣労働者を「よそ者」とみる意識は、ドイツにおいても根強く存在する。このことが、キリスト教労働組合の協約能力が否認された後においても、派遣労働者の均等待遇を適用除外とする労働協約が再び締結されるといった、DGBの派遣労働者に対する複雑な対応を生み出している。

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