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博士論文要旨

論文題目:20世紀アメリカ合衆国の戦争と自立概念の変容
著者:小滝 陽 (KOTAKI, Yo)
博士号取得年月日:2017年1月18日

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博士論文要旨
20 世紀アメリカ合衆国の戦争と自立概念の変容
小滝陽
章立て
序章
第1 部 総力戦と冷戦の中のリハビリ政策
第1 章 戦時動員解除と男性稼ぎ手モデルのリハビリ政策
第2 章 総力戦と冷戦の中の障碍者リハビリテーション
第3 章 退役軍人病院におけるリハビリと赤十字女性ボランティア
第2 部 ベトナム戦争とリハビリ政策
第4 章 戦時下南ベトナムの社会開発とリハビリ政策
第5 章 戦時下南ベトナムのリハビリにおける「自立」概念の多様化
終章
参考文献一覧
1. 問題の背景、分析視角、主張
本博士論文は、第二次世界大戦(以下、二次大戦)後のアメリカ合衆国(以下、アメリ
カ)政府と民間団体が、個人に求めた自立の意味と、その変化を考察する。
20 世紀後半のアメリカ政府は、軍・民双方の領域で国民に「自立」を求めた。二次大戦
を経て、大規模な軍隊が恒常的に維持されるようになった冷戦期には、兵力と産業労働力
の有効活用が国家的課題となったからである。大規模な戦争が連続する時代に、兵士でも
労働者でもあり得る男性にとって、軍隊と市民社会という二つの領域に速やかに適応する
ことが自立の意味とされた。彼らを有用な「人的資源」とするために政府が実施した、医
療と教育を柱とする各種の政策は、「リハビリテーション」と呼ばれ、国家安全保障の一部
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をなした。
アメリカの福祉政策に関する先行研究は、狭義の福祉政策に関心を限定するあまり、こ
うした安全保障政策としてのリハビリと、20 世紀後半の福祉政策との関係を問うことがで
きていない。これに対して本論文は、1950 年代までにアメリカ国内で広まったリハビリと、
南ベトナムにおける「平定作戦」に転用された同種のプログラムを通して、福祉政策を基
礎づけるイデオロギーが変容したことを主張する。より具体的には、女性が家計に対して
果たす貢献に注目することで、それまで福祉政策の主流にあった、男性が就労して家族を
扶養することを自立と見なすイデオロギー(「男性稼ぎ手モデル」)が修正されたことを論
じる。同時に、こうしたジェンダー面での自立概念の変容が、西洋由来のリハビリに含ま
れる、個人の就労を「自立」と見なす考え方の変化とも関連していたことも指摘する。こ
れにより、福祉史の議論を冷戦やベトナム戦争と接合することが、本論文の目的である。
冷戦期のアメリカで実施されたリハビリ政策において、その目標とされる自立の意味は、
もとより一定ではなかった。二次大戦帰還兵の社会復帰事業では、男性稼ぎ手モデルが基
本的な自立のイメージとされていたが、1950 年代末に行われた傷痍軍人の社会復帰プログ
ラムでは、高齢の入院患者が病院を出て、家族や地域の中で生活することが自立とされた。
また、同じころ実施された難民の再定住事業や都市の貧困対策事業では、女性の就労が福
祉政策の目指す自立の定義に加えられていく。こうした変化を経たうえで、1960 年代後半
に南ベトナムで実施された戦争被害者支援が、自立概念の多様化を一気に推し進める。そ
こでは、男性の稼ぎ手が減少する戦時下の農村の実情を鑑みて女性の就労が奨励されたり、
個人の就労を最終目標とするリハビリの妥当性が問われたりしたほか、ベトナム社会から
アメリカの影響を排除することがリハビリにおける「自立」の意味と結びつけて論じられ
る。
このように、二次大戦からベトナム戦争へと至る時期に新しい自立のモデルが相次いで
生じたことを踏まえるならば、1970 年代以降に突如としてアメリカ福祉制度の方向転換が
生じたかのような先行研究の理解は、見直されなければならない。1960 年代末以降に強ま
った人種的・性的偏見に基づく福祉への攻撃と、これにともない導入された「ワークフェ
ア」が男性稼ぎ手モデルを実質的に形骸化させた、との考えは福祉史において一般化して
いる。しかし、リハビリ政策の分析からは、福祉制度を支えるイデオロギーが二次大戦か
ら1960 年代にかけて徐々に変化していたことが読み取れる。また、この変化は、男性稼ぎ
手モデルから女性の就労強制へ、という単線的なものではなく、自立概念の再定義が繰り
返される複雑な過程であったこともわかる。男性稼ぎ手モデルの相対化というジェンダー
面での自立概念の変容は、他の様々な変化とともに生じていたのである。
本論文は、この複雑な変遷に戦争と冷戦が与えた影響を問う。従来、二次大戦後のアメ
リカにおける福祉政策と、軍事・外交との関係を問う研究はほとんどなかった。そこで、
本論文は、退役軍人に対する国家からの福利や難民・戦争被害者に対する支援など、軍事
や外交と密接なかかわりを持つ民生政策に焦点を当て、福祉制度を基礎づけるイデオロギ
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ーの変容過程を再検討する。
軍事や安全保障に注目して福祉のイデオロギーを分析する主たるメリットは、20 世紀後
半の福祉政策から社会・経済の構造問題に対する関心が失われた背景を検証できる点にあ
る。二次大戦の退役軍人や傷痍軍人、民間の男性障碍者、南ベトナムにおける戦争被害者
など、国内外の多様な人々を対象としたリハビリ政策は、いずれも人種の違いや性差、障
碍の有無に起因する差別・格差を所与の前提とし、個人がこれに適応することを促した。こ
こには、個人の労働力を資源と見なす「人的資源政策」の一貫した発想が影響を与えてい
る。総力戦時の動員体制の下であれ、冷戦期の「部分的動員体制」の下であれ、リハビリ
政策の主たる目的は労働力全体をもれなく活用することであった。また、公的扶助の受給
者を就労という「自立」に導くことで連邦政府や州政府、地方自治体の財源を節約するこ
とも、こうした政策の目的とされた。他方で、労働市場で弱い立場に置かれる個人の地位
や生活水準を向上させることは、二次的な目的以上のものとしては扱われなかった。二次
大戦終結当初、こうしたリハビリ政策の対象は退役軍人などの男性に限定されていたが、
ベトナム戦争の末期までには女性にも適用されるようになっていく。このとき、社会・経
済の構造に対する無関心も、男性稼ぎ手モデルのリハビリ政策から、女性を主たる対象と
するプログラムに引き継がれていく。以上のような経緯を跡づけることで本論文は、人種
主義や母子家庭への偏見など、先行研究で指摘される要因だけでなく、軍事・安全保障政
策が内包するイデオロギーが、20 世紀末のアメリカ福祉改革に与えた影響を明らかにする。
2. 各章の概略
本論部分は5 つの章から成り、二次大戦後のアメリカ国内におけるリハビリ政策を扱う
第1 章から第3 章を第1 部、南ベトナムにおけるリハビリ政策を扱う第4 章と第5 章を第
2 部とする。
第1 章では、二次大戦後のリハビリ政策の出発点となった「復員兵援護法(通称、GI ビ
ル)」と、1952 年に制定されたその後継立法「朝鮮戦争復員兵援護法」(通称、朝鮮戦争
GI ビル)の制定過程を分析し、両者の性格の違いを生み出した冷戦の影響について考察し
た。二次大戦からの動員解除を混乱なく進めるために制定されたGI ビルは、退役軍人限定
の福利制度でありながら、従軍世代の多くに経済的な恩恵をもたらし、地域間の教育資源
の再分配も実現した。しかし、朝鮮戦争の勃発にともなって再度制定された朝鮮戦争GI ビ
ルの福利は、二次大戦時のGI ビルに比べて大きく削減された。リハビリ政策としての朝鮮
戦争GI ビルは、冷戦下の「長期にわたる部分的動員体制」に組み込まれることで経済資源
の再分配への関心を失い、個人の「自己責任」による人的資本投資を原則として経済的な
自立を補助する法律になったからである。以上の過程を追うことにより、本章では、二次
大戦後のリハビリ政策が冷戦の出発点において軍事政策としての性格を強め、福祉政策と
しての機能を弱めたことを論じた。分析には、アメリカ連邦議会の公刊史料と、退役軍人
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に職業訓練を施した私立学校の史料を主に用いた。
第2 章では、二次大戦中から戦後にかけて実施された障碍者リハビリテーションのプロ
グラムに焦点を当て、「人的資源政策」が男性の就労を促すことに関心を集中させ、社会・
経済の構造問題に対する関心を失っていく経緯を考察した。二次大戦中の軍隊で始まり、
戦後になって退役軍人病院へと受け継がれた傷病兵のリハビリ・プログラムは、戦後のリ
ハビリ政策のモデルとなった。傷痍軍人リハビリテーションの責任者は、障碍の有無にか
かわらず能力を発揮できる有用で自立した男性労働力を作り出すため、「全人的」アプロー
チを提唱した。それは、個別の障碍の有無にかかわらず、個人の能力の全体的な発揮によ
って自立を成し遂げようとする、リハビリの「哲学」であった。その究極の目的は、「長期
にわたる部分的動員」に耐えうる兵士と産業労働者、すなわち人的資源を確保することで
あった。リハビリ政策の唱道者は、この全人的理念が冷戦期アメリカの「民主主義」の理
念に通底するものであると主張し、対外的なプロパガンダとしても活用できると述べた。
こうした議論を受け、政策として具体化された全人的リハビリは、あくまで障碍者に自助
努力を促すことを基調とした。退役軍人庁は、地域コミュニティにリハビリへの協力を求
める一方、企業に対する障碍者雇用の義務づけなど労働市場の構造改革に踏み込む必要は
認めなかった。人的資源政策として生まれたリハビリの理念は、冷戦のイデオロギーと結
びついて「男性稼ぎ手モデル」の正統性を強化するとともに、障碍者差別や社会・経済の
構造的問題に対する関心を封印したのである。以上の分析には、アメリカ国立公文書館
(National Archives and Research Administration, 以下NARA)が所蔵する退役軍人庁
史料を主に用いた。
リハビリ政策が男性に及ぼした影響を論じる前2 章に対し、第3 章では、二次大戦後の
リハビリ・プログラムにおける自立の理念が女性に及ぼした影響に焦点を当てた。二次大
戦後の退役軍人病院で拡大したボランティアの活用は、安全保障政策としてのリハビリ・
プログラムに郊外の白人女性を数多く動員した。その活動は兵士に対する地域コミュニテ
ィの善意と奉仕として表象されたが、実態は、全国規模の民間団体のネットワークと自動
車を活用した、地域横断的な活動であった。また、病院でのボランティア業務の内容も、
両大戦間期以前とは一線を画す専門性と労働規範を求められるものとなった。「男性稼ぎ手
モデル」のリハビリ政策が、ミドルクラス女性の空間的な活動範囲と社会的役割を拡張し、
ボランタリズムの意味を変えたのである。背景には、専門化の傾向を強める戦後のリハビ
リ医療と、男性の自立を補助する役割を女性に期待する戦後のジェンダー規範の双方が影
響を与えていた。医師とボランティア女性の協働による男性の労働力化を目指した国家規
模のプロジェクトは、20 世紀半ばにおける社会的・文化的な変化を取り込みつつ展開した
のである。本章の分析には、NARA が所蔵するアメリカ赤十字史料を主に用いた。
第2 部冒頭にあたる第4 章では、ベトナム戦争中の南ベトナムで民生政策を策定したア
メリカの政府機関「民生作戦地方開発支援計画(Civil Operations and Revolutionary
Development Support, 略称CORDS)」に焦点を当て、戦時下における男性稼ぎ手モデル
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の相対化を考察した。1967 年に設置されたCORDS は、農村部における解放勢力との戦い
を勝ち抜くために各種の社会政策を立案し、南ベトナム政府に実施を促した。当初、地域
コミュニティ単位での総合的な開発を重視したCORDS であったが、1968 年初頭の「テト
攻勢」以後、そのプログラムの重点を「最も困窮する人々」を対象とした個別的な福祉政
策に移していく。なかでも、職業訓練や就業支援を通して個人の経済的自立を促すリハビ
リ政策が、その中心に置かれた。この過程で、社会開発のプログラムに含まれた女性に対
する関心が、リハビリ政策に受け継がれる。徴兵や戦傷死によって男性の稼ぎ手が減少す
る戦時下の南ベトナムでは、女性が家計の維持に不可欠の役割を果たすようになっただけ
でなく、地域社会の秩序維持において女性が果たしてきた役割にも目が向けられたからで
ある。CORDS 内部の議論では、稼ぎ手としての女性を中心とした家族の紐帯を維持するこ
とで、社会秩序の安定を図る必要性も指摘されていた。しかし、こうした問題関心は、1970
年以降、アメリカ軍の撤退に向けた準備の中でなし崩し的に放棄され、リハビリ政策は男
性稼ぎ手モデルに回帰していく。その背景には、戦争の「ベトナム化」のために実施され
た南ベトナム陸軍の兵員増と、それにともなう社会の軍事化が影響を与えていた。本章の
分析には、NARA が所蔵する東南アジア派遣軍資料を主に用いた。
第5 章では、民間団体が中心となって実施した南ベトナムでのリハビリ・プログラムに
焦点を当て、「男性稼ぎ手モデル」を標準としてきた冷戦期のリハビリ政策が、より多様な
自立概念を含むものへと変化する過程を考察した。農村部の戦争被害者の中でも、特に南
ベトナム政府機関の手が届かない女性や重度障碍者のリハビリは、アメリカの冷戦政策に
批判的な反戦団体を含む、多種多様な民間団体によって担われた。そこでは、男性の働き
手を失った母子家庭や、就労の難しい重度障碍者など、「男性稼ぎ手モデル」の外に置かれ
た人々に「自立」が促された。この場合の自立が意味するものは、個人の就労による生計
の維持に限定されず、障碍者のみの共同農場の運営、家族と地域に支えられる生活、ある
いは、ベトナムの文化や伝統の保持といった幅広い内容が含まれていた。結果として、冷
戦期のリハビリ政策の中心にあった自立の概念は相対化され、西洋由来のリハビリが理念
のレベルで変化を迫られることになる。この背景には、ベトナム戦争の長期化によって生
じた同化主義的な開発援助への懐疑や、アメリカの帝国主義的なインドシナ政策を文化の
面から批判する言説の広がりなどが影響を与えていた。本章の分析には、南ベトナム国内
でリハビリ・プログラムを運営した民間団体の史料と、冷戦期のリハビリ政策に民間人の
立場から関与した医師の個人資料などを主に用いた。
終章では、まず、二次大戦後のリハビリ政策の展開とそこでの自立概念の変遷を分析す
ることで得られた、冷戦期のアメリカ福祉に関する新たな知見を整理した。そのうえで、
ベトナム戦争以前のリハビリ政策の経験のうちで、何が20 世紀末の福祉改革に受け継がれ、
何が受け継がれなかったのかを論じた。その際、南ベトナムでリハビリを実施した民間団
体の、戦後における活動を参照した。最後に、リハビリ政策と福祉政策を分析することで
見えてきたアメリカ現代国家の特徴を論じて、論文全体のまとめとした。

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