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博士論文要旨

論文題目:上海プロテスタントの宗教空間
著者:村上 志保 (MURAKAMI, Shiho)
博士号取得年月日:2017年5月24日

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 本論文は、上海のプロテスタントを対象とし、国家によって宗教が定義・組織化されている中華人民共和国において、プロテスタント教会およびその信者の日常的な宗教生活はいかに営まれているのかという問いの下に、政府による宗教管理の基盤であると同時に、信者たちの宗教生活の基盤でもある「宗教空間」について議論したものである。本論文において、宗教空間として記述しているのが、集団的かつ定期的な宗教活動の場所である「教会堂」および「集会所」といった宗教活動場所であり、さらにはそれら宗教活動場所めぐる諸実践-活動場所をめぐって展開される権力、人々の実践、そしてそれらを通して生み出される意味やイメージなど―である。共産党政権下における中国において、教会堂や集会所は、国家による政策や計画の結果として形成された空間であると同時に、一般の信者たちが日常において彼らの宗教活動を行っている空間でもある。つまり本論文が注目する「宗教空間」とは、権力と日常的実践が交差するフィールドであり、宗教政策、社会状況、日常の実践を媒介する機能を果たすものである。さらに教会堂などの宗教空間は、物理的な空間であると同時に象徴的意味をもつ空間でもある。
 現在の中国においては、宗教は政治的に非常に敏感な項目の一つであり、政府によって厳密に管理される対象の一つでもある。無神論を奉ずる中国共産党政府は、宗教は共産主義イデオロギーに代わる求心力を持ちうるものであり、かつ集団を形成し、社会の安定を、さらには政権の安定をおびやかす可能性があるとみなしている。そのため共産党政府は、反体制運動につながりうるあらゆる集団形成や活動に対するのと同様に、宗教に対しても、その勢力および影響力の拡大を抑制するための管理を行っている。その管理の基盤となっているのが、宗教活動場所に対する管理である。
 中国では宗教信仰の自由は憲法で保障されているが、実際には様々な制限がある。その最たるものが宗教活動場所をめぐる制限である。宗教関連法規においては、宗教活動が合法となる要件として、宗教事務を行う行政機関である宗教事務局に活動場所を登録せねばならないと定められている。登録は必ずしも無制限に認められるわけではなく、宗教事務局による審査と認可が必要であり、それを通じて活動場所の数や、合法として保護される教会の内容や形態が制限されている。さらにこれら登録された場所で活動する宗教団体は行政の指導および管理を受けねばならない。
 これら活動場所の登録制に基づく宗教政策の直接的な結果として、中国のプロテスタントおよびカトリックには政府が合法と認める教会とそうでない教会がある。本論文では中華人民共和国において、宗教事務局に宗教活動場所を登録し、かつ共産党の指導下にある愛国的宗教組織(プロテスタントは中国基督教三自愛国運動委員会、カトリックは中国天主教愛国委員会)に属することで、政府からの公認を得ている教会を「公認教会」と呼ぶ。一方で宗教活動場所を登録せずかつ愛国的宗教組織に属していない諸グループおよび教会を「非公認教会」と呼んでいる。前者は政府に登録し公認を受けた教会堂や公認の集会所などを活動場所とし、合法な宗教活動としてオープンな活動を行っている。他方非公認教会は、政府からの認可を受けておらず個人の家や大学の一室などで活動している非合法の教会およびグループである。その内実は海外からの伝道者のもとに集まるグループや、中国国内で中国人によって創設された教会など様々である。このようなグループ、教会は中国では「家庭集会」、その活動場所は「集会所」と呼ばれている。海外では「家の教会」、「地下教会」と呼ばれることも多い。これら家庭集会の存在も共産党政府による宗教政策によって生じている状況の一つであり、政府公認の宗教活動場所と共に中国プロテスタントの宗教空間を形成している。
 公認教会と非公認教会の両者の存在は、政府による宗教コントロールによって生じている状況として、報道や学術研究において取り上げられることが多い。さらにこの状況はしばしば、政府の支配を受ける教会とそれに適応する、あるいは抵抗する教会という二項対立的な位置づけで伝えられる傾向にある。しかしながら、それは完全に誤りではないにしても、中国キリスト教の全体像としてはいささか偏っており、必ずしも中国の信者たちが日常の宗教生活において経験しているリアリティに近いとは言えない。実際は、政策上は合法/非合法と分類されるそれぞれの教会の間を、信者たちは自らの信仰を求めて行き来するなかで、政策が設定するのとは異なる宗教空間を形成し、その中で自らの宗教生活を営んでいるのである。
 さらにこの状況は、1990年代以降の急速な経済発展とそれに伴う都市化や対外開放などの社会変化によってさらに促進されている。中国の宗教政策が特に宗教の流動性や拡大を抑制する努力をしてきた一方で、1990年代以降最優先とされてきた経済発展政策は対外開放を積極的に進め、社会の流動性を高めてきた。特に上海は、中国経済の中心地として、中国で最も大きな発展と社会の変貌を経験してきた。その勢いは2000年代以降も継続し、日常的な生活のレベルから社会全体の構造にいたるまで大規模かつ急速な変化をもたらしてきた。
 共産党政府は、経済発展を進めるために必要であれば、社会の自由化や流動化が進むことを容認する一方で、そのことが思想的自由や政治的自由の要求へと拡大することに対しては、強い警戒姿勢を維持している。そのため特に1990年代以降、中国においては変化する社会状況に合わせて、宗教管理は抑制と緩和との間を揺れ動いてきたのであり、そのはざまで人々は自らの宗教生活を形成し、営んできた。特に急速な経済発展を遂げた上海は、その揺れ幅が最も大きい地域であると言えよう。このような環境は、政教関係に少なからぬ影響を与え、プロテスタント教会のありかたを変えている。そのため、本論文では特に上海市を対象とし、その地域的文脈の中で、いかに政策と日常における宗教実践とが関わり合い、その相互関係の中でプロテスタント教会が変容しているかを考察した。それによって、政府による宗教政策以外に、プロテスタント教会に影響を与えそのあり方を変容させる多様な要因を明らかにすることを目的とした。
 上海という地域、そしてそこでのプロテスタント教会をめぐる政策と日常的実践の交差する状況を俯瞰するための戦略的方法として、本論文では「宗教空間」を議論におけるキータームとした。本論文で用いた宗教空間は、アンリ・ルフェーブルによって議論の端緒が開かれた空間論における、モダニティ、ポストモダニティの社会において空間は、権力の執行・保持の基盤として生産されてきたものであるという議論、そして同時に、そのような権力によって生産された空間であっても、権力を持たない人々の日常的実践によって空間の秩序や構造はずらされ、空間の意味は読み替えられることもあり、それによって人々は権力への一方的な従属から逃れるというミシェル・ド・セルトーによる議論を下地としている〔cf. Lefevbre, 1974=邦訳2000; de Certeau, 1980=邦訳 1987:197-265, etc.〕。 
 本論文では「空間」というタームを用いることによって、教会を取り囲む政治的、社会的、経済的文脈のなかで、宗教実践が空間的条件に制限されつつ、同時に個々の信者がその空間的特性によって生じる機会を利用したり、日常的な宗教生活における実践によって空間的制限を越えたりしている状況を論じた。それによって、宗教空間をめぐる権力関係、すなわち中国の宗教空間が政府によって秩序づけられているという側面を強調すると共に、まさにその同じ空間において人々が様々な実践を行うことで政府が意図するのとは異なる宗教空間が現れているという状況を明らかにした。さらに議論を進めてゆくにあたり、宗教空間と都市空間とを重ね合わせて、それらの相互作用に焦点を当てた。「都市空間」とは、現在進行する経済発展の中で進行する都市化や開発によって開かれてゆく空間である。本論文はそのような都市空間に埋め込まれていることによって、宗教空間および宗教活動そのものも急速に変容していることを指摘した。 
 本論文は、上海プロテスタントにおける宗教空間について論じるにあたり、空間形成における歴史的背景についての議論と、2000年代以降の状況についての議論の二部で構成されている。第一部は上海プロテスタントの宗教空間をめぐる歴史的背景の分析を内容とした第1章、第2章からなり、上海でのプロテスタンティズム伝道の始まる19世紀半ばから1980年にかけての上海プロテスタントの宗教空間の変遷を概観している。そのうえで、上海プロテスタントの宗教空間はいかなるものとして創出されたのか、またその宗教空間がどのような社会構造、関係、意味を生み出し、あるいは生み出し続けているのかを議論した。第3章以降は2000年代以降の宗教空間の特徴と変化について、2002年から2004年を中心に、1998年から2016年まで筆者が断続的に行ってきたフィールド調査に基づいて議論を展開する第二部となる。各章の具体的な内容は以下の通りである。
 第1章「19世紀半ばから1949年までにおける上海プロテスタントの宗教空間の形成」では、上海の宗教空間を特徴づける歴史的背景として、19世紀前半から始まる欧米列強諸国による租界形成と、租界を中心とした都市空間の中での伝道団による教会堂建設、1920年代以降の宗教空間の多様化について論じた。
 第2章「共産党政権下における宗教空間の再編成」では、共産党政権成立から現代にいたるまでの宗教政策の下での宗教空間の形成と変遷を論じた。特に焦点としたのは、激しい政治運動が繰り広げられる中での宗教空間の変遷であり、合同礼拝による宗教空間の縮小、文化大革命による閉鎖を経ての教会の復活が、いかに現在の上海プロテスタントにおける宗教空間の原型となり、さらにはそれらをめぐる人々の経験や認識を形成してきたかを論じた。さらに現代に直接的につながる背景として、鄧小平によって始まる改革・開放路線と経済発展政策の下での新たな宗教管理体制の構築と法の整備について論じた。
 第3章以降は第二部として、筆者自身のフィールド調査に基づき、2000年代以降の状況を中心に議論した。第3章「2000年代以降の宗教空間と活動1-公認教会」では、政策によって規定づけられる上海プロテスタントの宗教空間の特徴とその中での活動の状況について整理を行った。
 第4章「2000年代以降の宗教空間と活動2-非公認教会、外国人教会」では、非公開の私的空間で行われる非公認教会や、上海で拡大しつつある外国人による宗教活動空間の状況を取り上げた。それを通して、多様な空間の利用や、非公式な空間での様々な信者の交流の存在があること、そしてそのことが政府のコントロールをすり抜けながら、どのような特質を上海のプロテスタントに与えているのかを論じた。
 第5章、第6章は、第4章までの議論を経済発展や都市開発といったより広い社会的文脈の中に位置付けて考察を進めた。第5章「上海プロテスタントの宗教空間をめぐる人々の実践」では、上海の経済発展、対外開放と都市化の中で、プロテスタントの宗教活動空間がどのように変容しているのかについて分析を行った。具体的には信者・非信者によるそれぞれの目的に基づく実践、たとえば信仰、聖なる空間、そして消費の対象を求めての諸実践が宗教空間に与えている影響を取り上げた。これら宗教政策とは異なる側面からの宗教活動空間への影響についての議論を通じ、本章では中国キリスト教の変容に関わる多様な様相の存在、そしてそこでの実践によって開かれている新たな宗教空間の特徴を明らかにした。
 第6章「都市政策と宗教空間の変化」では、都市開発の推進に伴って政府自らが主導・容認する形で出現している、これまでの宗教空間をめぐる政策的制限を越えた新たな教会堂を取り上げた。前半では政府による都市計画に関わる教会堂の復活の事例を考察した。ここで取り上げるのはかつて植民地支配の象徴として文革時代は破壊の対象となり、文革後は政府によって接収されたままであった聖三一堂の2004年における返還と復活、そして商業開発の一環としての新天安堂の修繕・利用について考察した。後半では浦東新区の経済開発特区で創業した一企業と深い関係を持つ公認の教会堂について考察し、その教会堂が公認でありながらも様々な面で従来の合法な宗教空間の範囲を超えた性質を備えていることを示した。
 終章では、本論文での分析と議論を総括し、上海という変化が著しい大都市において、互いに異なる方向性を持つ宗教政策と都市政策との間において展開される多様なアクターの動きが、いかに上海プロテスタントの宗教空間に変化を与えているかをまとめた。特にかつての国際都市としての、そして現在の経済的大都市としての環境こそが、人々の実践による空間の形成を可能にする様々な要因となっていることを明らかにした。それらの要因とは①多様な宗教空間の併存とそれらを行き来する人々の実践、②上海における宗教空間の歴史的水脈、③経済発展による宗教空間をとりまく環境の変化、そして④経済政策および都市政策の4点である。
 上海プロテスタントの宗教空間においては、活動場所について制限を設ける宗教政策だけでなく上記の4つの要因によって、多様な宗教空間の併存という状況が起きている。そして日常的な宗教生活の中で信者たちは、信仰的交わりや聖なる空間を求めて、これらの宗教空間を行き来している。その結果彼らは、セルトーの言う権力を持たない人々による権力や構造をすり抜けてゆくような日常的実践によって、政府が枠づける宗教空間の境界を越え、より広範囲の宗教空間を形成しているのである。この状況は公認教会/非公認教会という分類を固定化したものとしてではなく、柔軟で流動的なものとして、あるいは互いに連動したものとしてとらえる必要性を示唆している。
 また上海では、キリスト教イメージの消費という、信者以外の人々による行為が上海プロテスタントの宗教空間、特に上海の租界時代からの教会堂に、宗教政策の枠組みにおける宗教空間とは異なる意味と機能を与えている。このような事例は、政府は宗教空間に対して物理的には関与できても、人々が空間に付与する意味に対しては規制する方策を持たないということを示している。そして政府主導の経済発展によって拡大した消費活動やメディアによってその意味はますます影響力と拡散力を備えるようになっている。つまり、上海プロテスタントの宗教空間は、消費や経済活動という要因によって政府が意図する以上の意味と機能を備えるようになっているのである。
 さらに上海では、上海市主導の経済政策と都市政策によって、これまでの宗教政策の文脈においては規制されてきた宗教空間のあり方が、政府が主導・容認する形で変化するという状況も起きている。このような経済政策および都市政策を背景として起きている宗教空間の変化も、前節の消費によって引き起こされた変化と共に1990年代末以降、特に2000年代以降ますます顕著になっている状況である。
21世紀になった現在も、宗教空間は中国において最も厳しく管理・監視される空間の一つであることは変わらない。しかし宗教空間そのものが備える特徴と、それら宗教空間において、あるいは宗教空間に対して人々が日常的に行う諸実践は、政治的権力が強制的に定義する宗教空間の位置づけ、あり方を変容させていることを本論文では指摘してきた。このような状況の背景となっているのが経済発展に伴う社会の変化および流動化であり、そこで生じているのは、権力によって形成された空間の、新たな文脈の中での再解釈と空間としての作用の変化である。
 本論文において特に強調する点は、これらの状況が必ずしも政府の管理体制への抵抗としてではなく、個々の人々がそれぞれの目的や欲求にしたがって、政府が組織化・秩序化した空間において、あるいはそれに対して行動することで、結果として政府が維持しようとする宗教の枠組みを揺るがしているという点である。教会堂を主な活動場所とする公認教会は、政策によって空間を制限されながらも、その聖なる空間性を求めて訪れる非公認教会の信者がおり、また、コマーシャリズムで形成されるイメージを実際の教会堂に投影する人々の視線を集めている。一方非公認教会は、都市化に伴って空間的移動や空間の増殖の機会を得るようになり、法的制限の中でも交流やネットワークを生み出す機会を備えている。これら公認教会と非公認教会は、法的にも環境的にもそれぞれ異なる宗教空間として宗教生活を営んでいるが、両者は信仰的満足を求める信者たちの実践によって互いに交差している。結果として、上海のプロテスタントにおける宗教空間は、都市環境およびその中での人々の実践と互いに作用し合う中で様々な意味や機能が付与されており、それこそが政府にとってコントロールが難しい部分となっているのである。

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