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博士論文要旨

論文題目:フランスの保育サービスと女性の就業―家族政策と親・ケア労働者の相互行為の視座から―
著者:牧 陽子 (MAKI, Yoko)
博士号取得年月日:2017年6月30日

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<目次>
序章  本研究の問題意識と問い

<第一部> フランス家庭保育の現在と歴史
第1章 先行研究の課題と本研究が用いる分析枠組み
1-1. 先行研究の検討
 1-1-1. 福祉国家の比較研究
 1-1-2. フランスの家族政策研究
 1-1-3. ケアの相互作用研究
 1-1-4. ケアのグローバル化に関する研究
1-2. 本研究の独自性
1-3. 本研究で用いる方法
 1-3-1. 「ケア」概念と理論の整理
 1-3-2. 分析枠組み
――需要・供給の生成プロセスと、ケアにおける「愛」「お金」「時間」
 
第2章  現代フランスにおける女性の就業と家族政策、保育分布
 2-1. 家族政策の両立・保育支援制度
  2-1-1. 乳幼児受け入れ給付(Paje)
  2-1-2. ヌリス雇用への特別な支援制度
 2-2. 女子就業率と出生率
  2-2-1. 女子就業率の国際比較
  2-2-2. 出生率の推移
  2-2-3. 数値にみるケアと就労の分配
 2-3. 保育の種類と利用
  2-3-1. フランスの保育形態
  2-3-2. 保育の利用分布
  2-3-3. 保育の選択と社会階層

第3章  家族政策と保育、女性の就労の歴史
 3-1. 家族政策前史:第二次世界大戦まで
 3-2. 社会保障制度の確立と1970年代の転換
 3-3. 乳母の歴史と変遷
 3-4. 20世紀の女性労働
 3-5. 1980年代以降の家族政策:政権交代と経済情勢
 3-6. 小括

<第二部> 需要・供給の生成
第4章  家庭保育と需要・供給の生成プロセス
4-1. フランス家庭保育への接近
4-1-1. 調査方法
4-1-2. ケアとジェンダー
4-2. 需要が生成されるプロセス
  4-2-1. 利用者の属性:高学歴白人ホワイトカラー
  4-2-2. 家庭保育を選択するまでのプロセス
  4-2-3. なぜ保育所を希望するのか
4-3. 供給が生成されるプロセス
  4-3-1. フランスの移民政策史
4-3-2. ケア労働者の属性:エスニシティと学歴
  4-3-3. ケア労働者のライフコースと人生戦略
4-3-4. 移住女性たちの将来
4-3-5. ケア労働者間のヒエラルキー
4-4. 家庭保育のパラドクス 
4-4-1. パラドクス1:利用者もケア労働者も集団保育を志向
4-4-2. パラドクス2:税控除が生み出す矛盾
4-4-3. パラドクス3:高所得層が質の保障のない保育を利用
4-5. 小括

<第3部> ケアの担い手と利用者の相互行為
第5章  感情をめぐる相互行為
 5-1. ケアと「感情」
5-2. 需要と供給の遭遇
  5-2-1. 保育ママと親――母子保護センターが媒介
  5-2-2. ヌリスと親――口コミ、ネットサイト、仲介アソシアシオン
 5-3. 愛情・信頼・フィーリング
  5-3-1. 保育ママに求める母性
  5-3-2. ヌリスに求める信用
  5-3-3. ケア労働者が親・子どもから得るもの
 5-4. 相互行為の機能不全――交渉と、契約の解消
 5-5. 小括

第6章  ケアの値段
6-1. ケアの対価をめぐる理論枠組み
6-2. ケアの値段と市場の法則
6-3. 保育ママの最低賃金と保育料上限
6-4. 需要・供給測定の難しさ――統計データと当事者たちの認識
6-4-1. 統計データにみる需要・供給と報酬
6-4-2. フィールド調査にみる需要・供給と報酬
6-4-3. フィールド調査で得られた報酬額と当事者の認識
6-5. ヌリスによる保育の報酬
6-6. 小括

第7章  時間をめぐる交渉
7-1. ケア役割と労働
7-2. 子どもの利益と時間管理
7-3. 保育・親役割・就業時間をめぐる折衝
 7-3-1. パリの保育ママと利用者
 7-3-2. シャルトルの保育ママと利用者
 7-3-3. パリの高所得層とヌリス
7-4. 小括

結論――フランス式保育の解決方法が意味するもの



<要 旨>

 本論文は、フランスの家庭保育サービスを事例に、ケアと女性の就業の間にはどのような関係があるのかを論ずるものである。
 ケアは今日、多くの女性の人生にとって大きな問題である。幼子を世話するため、老親を介護するため、働き方を変えざるを得ない女性は、国や地域により程度を変えつつも、各地に存在する。フランスは、1960年代から女性が大量に雇用労働に進出し、女性が育児と就労の両立を果たしてきた国である。親の保育所志向は強いものの、1980年代からの福祉国家縮減の中、家庭内雇用を増やしつつ保育の供給を増やすべく、家庭保育サービスの道が政治的に選択された。そのためフランスにおける保育の多くは保育所のような施設ではなく、自宅で子どもを受け入れる保育ママや子ども宅で保育するヌリスなど、家庭という私的空間で行われている。そしてこうした家庭保育を担っているのは、多くは自ら家庭でケア役割を負う、低学歴・低資格の母親であり、パリでは主に移民女性である。
では、このような家庭を中心とした保育市場はどのように成り立ち、保育を利用する親、そして保育を担う女性、双方の就業はいかにあるのか。彼女たちはなぜ、どのように就業継続しえているのか。
第一部「フランス家庭保育の現在と歴史」では、本研究の問いを提示し、家庭保育の現状とその歴史を検証した。
序章では、保育所が不足しているにも関わらず、フランスではなぜ女性が就労継続しえているのかを解き明かすこととする、上記の問題意識と課題を示した。
第1章では、先行研究を検討した上で、本論文の分析枠組みを提示した。フランスの保育と女性の就業に関連する研究潮流には、1)福祉国家の比較研究、2)フランスの家族政策研究、3)フランスの家庭保育を対象とするエスノグラフィー、4)ケアのグローバル化に関する研究、の四つが挙げられる。1)と2)は、統計データを用いたマクロ視点での計量分析という手法にその特徴があり、3)は、これとは対照的なミクロな相互行為を描くものである。4)は上記いずれかの手法が採用されているが、フランスでは特有の共和国理念もあり、エスニシティがかかわるケアのグローバル化の研究は非常に少ないことを指摘した。
また、「ケア」について本論文ではM.デイリーの定義を一部修正し、「ケアとは、依存的な成人や子どもの身体的・情緒的な欲求に応えるため、政治的・経済的・社会的枠組みにおいて行われる活動及び関係」ととらえることを示した。
ケアは優れて政治的な問題である。女性が家庭で担うのか、公的なサービスを供給するのか、ケアの分配の在り方を決めるのは政治だからである。ケアはまた政策・制度に、当事者、とりわけ女性の人生戦略や選択、実践が交差する問題でもある。家庭保育は、政治的・経済的・社会的文脈から生み出される需要と供給のもと、家庭という親密圏で行われ、当事者間の日常的な人間関係と感情を伴う活動である。また私人間の直接契約により行われる保育市場の性質上、親にとっての保育料や保育時間、すなわちケア労働者にとっての賃金と労働時間は、私人間の交渉により決定され、両者は対峙する関係にある。家庭保育は当事者間のいかなる相互行為を通じて成り立ち、その結果、家族政策は母親・ケア労働者双方の女性の就業――とりわけ有償労働と、自らの家庭でのケア役割の両立――にどのように影響しているのか。
このような課題に接近するため、本論文では政策と実践を別個のものとしてとらえるのではなく、マクロ、ミクロ、二つの視点の接合を試みる。マクロな視点から「政治的・経済的・社会的」文脈とフランスの家族政策を、ミクロな視点から家庭保育の需要と供給が生成されるプロセスとケアにおける相互行為を考察することを提示した。
第2章では、フランスにおける保育の種類、保育別の利用分布と、保育ママ、ヌリスに関わる家族政策の制度の詳細を検討した。本論文で採用する日本語の呼称、「保育ママ」はフランス語ではassistant maternelであり、行政の認定を受け、自宅で4人までの子どもを受け入れることができる保育制度である。ヌリス(nourrice)は子ども宅に来て保育を行う、英語圏でいういわゆるナニーであり、保育ママと異なり行政による視察や監督はない。いずれの保育も利用する場合、親は個人雇用主として保育の担い手を雇用することになるが、家族政策によりそれぞれ異なる補助制度が存在することを説明した。全国平均で最も利用が多いのは保育ママ、次が保育所であるが、パリでは保育所、ヌリス、保育ママの順であること、またフランスでは乳幼児を育てる女性の労働力率が高い事実を、統計データから論じた。
第3章では、フランスの家族政策、女性労働、母性史の観点から、フランスにおける保育と女性の就業の歴史を検証した。フランスでは20世紀初めより明示的な家族政策が行われ、人口増加のため専業主婦が奨励されたが、こうした言説にもかかわらず、女性はヨーロッパの他国に比べて就労していた。またヨーロッパの他国で類を見ないほど乳母が都市部で利用されており、「乳母産業」が19世紀にすでに見られた。貧しい地方の女性がパリに来て乳母となり、他の家内雇用人に比して良い報酬と待遇を得ていた歴史を確認した。また、1960年代からの女性の雇用労働への進出に伴い、家族政策は1970年代に両立も支援するよう変化したことを論じた。
以上、第一部で統計データと先行研究の知見から歴史と現状を考察し、続く第二部・第三部で、フィールド調査に基づく実証分析を行った。
第4章では、インタビュー調査の詳細について説明した上で、家庭保育市場における、需要と供給の生成プロセスを、政策的、経済的、社会的背景と親・ケア労働者の実践・人生戦略の視点から解き明かすことを試みた。調査対象のパリと地方都市シャルトルで、家庭保育を利用する親、保育ママ、ヌリス計38人への半構造化インタビューで得られた語りから、家族政策により生み出された保育所不足と家庭保育支援という状況の下、文化資本、エスニシティ、地域という三つの変数が家庭保育の需要と供給の生成に絡む要因であることを析出した。
需要については、親は高学歴の白人ホワイトカラーであり、多くが当初、「社会性が育める」「専門職員が複数いて安心」などの理由で保育所を希望していた。だが空きがないために入れず、パリではヌリスと保育ママを、シャルトルでは保育ママを選択していた。パリの管理職の親は、比較的遅くまで保育を外部化できるヌリスを選んでいたが、シャルトルではヌリス保育は高額でごく一部の人が利用するものだと考えられており、利用は極めてまれであった。
他方、供給については、担い手のほとんどはパリでは移民か外国にルーツを持つ人である。保育ママにはマグレブ諸国出身者が、ヌリスにはサハラ以南のアフリカ出身者が多く、エスニシティによる職業分離がみられた。他方、シャルトルの保育ママはほとんどがフランス出身であった。フランス出身者も含めてケア労働者の学歴は低く、外国出身者にはフランス語の読み書きができない人もいた。また、ヌリスは中学卒業や就学経験のない人など、保育ママよりさらに学歴が低い傾向がみられた。移住、早期の家族形成、文化資本の低さから選べる職業に制約があり、育児経験や子どもが好きという理由で、保育ママ、ヌリスという職業を選択していた。パリでは保育ママとヌリス間には職業ヒエラルキーが存在し、保育ママが待遇・報酬においてより高位にあった。
フランスの家庭保育はまた、親、ケア労働者とも集団保育を志向していること、保育費用への税控除制度の違いにより、高所得世帯が「ぜいたく」なヌリスを少ない負担で利用していること、だがその「ぜいたく」な保育は、最も質の保障が少ない保育であるという三つのパラドクスを内包していることを指摘した。
第三部では、親とケア労働者の家庭保育における相互行為を、ケア労働研究における主要な論点であり、本調査でも重要性が確認された「感情」「値段」「時間」の三つの分析軸に分けて論じ、その帰結としての両者の就業について考察した。
第5章では、当事者の相互行為を「感情」に照準して分析した。家庭保育は家庭という親密圏において、日々、継続的な関係性の中で営まれる活動であり、その契約成立のため、また日々の保育において親とケア労働者は感情に関わる相互行為を行っている。親は保育の担い手に「母性的」であることや「愛情」「信用」を求め、ケア労働者も子どもからの「愛着」や親からの「信用」を求めていた。親は時に、フランス語能力よりも母性的な優しさをケアの担い手に求めており、国籍を気にする人はサンプル中いなかった。相互行為が機能不全に陥ると、早期に契約が破棄されていた。
第6章は、ケア労働研究における焦点の一つである、ケアの「値段」を決定づけるメカニズムの解明を試みた。需給が逼迫していると認識されるパリでは、低学歴の保育ママが高学歴の雇用主である親に対して、親が負担に感じるほどの高い報酬を求め得ていた。供給が需要を上回ると認識されるシャルトルでは逆に、パリに比べて時間当たり報酬は約25%低く、保育ママは収入に不満を漏らす一方、親は保育料に比較的満足していた。入手可能な公式統計データから推測されるパリとシャルトルの子ども数当たりの保育供給はほぼ同じであり、当事者らの需給に対する認識と、親の支払い能力が報酬を決定づけていると考えられる。
第7章では、互いに家庭でケア役割を持つ親とケア労働者が、自らの育児と就業の両立をめぐって、激しい攻防を繰り広げる「時間」を軸に検討した。パリでは、保育ママは雇用主である親に対して自らの家庭生活に都合の良い保育時間を設定し、親に就業時間の調整など対応を迫っていた。シャルトルでは逆に、保育ママが非典型労働時間の人も含めて親の就業時間に合わせていた。パリのヌリスは、キャリア女性を19時前後までの保育と家事労働の一部も担うことで支えていた。そのためヌリスは自らの出産を経ての就業継続は困難だが、「住み込み」でなく「通い」であり、労働協約による規制もあるため、家庭生活を営むことはできていた。
このような、フランスの家庭保育と女性の就業をめぐる考察から導き出された本研究の結論は以下の通りである。
フランスの家庭保育は、当事者らの人生戦略に基づいた実践により需要・供給が生成され、市場が成立し維持されている。家族政策は様々な矛盾を抱え、当事者たちに対して不平等にではありながらも、出産というライフイベントとケア役割を越えて、女性たちが就業することを可能にしている。
ケア労働者の待遇・報酬は、親とケアの担い手間の交渉、家族政策による公的な規制や補助と、需要・供給に対する当事者らの認識により、不平等に規定されていた。公的介入と需給認識から相手との交渉を有利に運び、就業とケア役割のより良い両立を手にする機会を多く得ているのは、パリでは保育ママ>親>ヌリスの順であり、シャルトルでは 親>保育ママであった。親・ケア労働者の間で力関係の弱い方が強い相手の就労を支え、相手の就労を支える側は自身の就労でより厳しい立場に置かれていた。
だがこの家庭保育により、ケア労働者は属性に比して高い収入を得ており、とりわけパリの保育ママは高学歴な親が負担に思うほどの報酬と労働待遇を要求しえていた。「階層の低い女性が、高い階層の女性を、承認されない労働で支えている」というような、女性間格差論だけでは説明できない、より複雑な含意のある結果を生み出している。フランスの家族政策は矛盾をはらみつつも、低資本女性の就業継続を可能にし、そしてヌリス保育によりキャリア女性の就労継続も可能にすることで、管理職など高い職業階層への女性のアクセスへの道も拓いている。
だがフランス式保育の解決法は、既存のジェンダー規範を覆す契機はなく、ケアとジェンダーの視点からはむしろ、性別役割分業を強化するリスクもはらんでいることを最後に指摘した。

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