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博士論文要旨

論文題目:悲しみを伴った感動が強まるとき―有限の顕現化と社会的価値の見出しが及ぼす影響―
著者:加藤 樹里 (KATO, Juri)
博士号取得年月日:2017年3月21日

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1. 本論文の構成
本論文は,悲しみを伴った感動の強さを規定する要因,及び感動がもたらす影響を心理学実験により検証することを目的とした。感動とは,深くものに感じて心を動かす感情である。感動には種類があるが,本論文では,感動本来に近いと想定される悲しみを伴った感動に着目した。悲しみを伴った感動とは,内容的に悲しいが,感動したといえるストーリーに対する感動である。
本論文では,感動経験の調査研究や,感動の類似概念に関する知見,本来は感動の意味をもつ言葉であった「かなしみ」の哲学的知見などを概観した。それらの示唆を得て,悲しみを伴った感動を規定する要因として,有限が顕現化すること,その上で他者を愛する価値である,社会的価値を見出すことという要因を取り上げた。これらの規定要因の理論モデルを提示し,感動の規定要因及び影響に関して,以下の3つの仮説を導き出した。第一に,有限が顕現化した状態で社会的価値を描いた物語に接すると,よりその価値を見出しやすくなり,感動が強くなるという仮説である。第二に,社会的価値を重視する状態でその価値を描いた物語に接すると,感動が強くなるという仮説である。第三に,感動の影響として,見出した社会的価値を体現するような事象への態度が,感動した後にポジティブに変化することを予測した。これらの仮説を,複数の実験を通して検証したところ,支持する結果を得た。考察では,一連の実証研究の結果を整理し,本研究の意義及び示唆,今後の展望を論じている。
本論文の章立ては以下の通りである。

第Ⅰ部 問題
第0章 序章
0-1 はじめに
0-2 本論文の構成
第1章 感動とは
1-1 感動とは
1-2 感動の類型
1-3 感動の類似概念
1-4 かなしみと感動
第2章 悲しみを伴った感動の規定要因
2-1 感動の規定要因
2-2 悲しみを伴った感動の規定要因
2-3 価値とは
2-4 有限とは
2-5 有限の顕現化と価値の見出し
2-6 悲しみを伴った感動の規定要因の理論モデル

第3章 悲しみを伴った感動がもたらす影響
3-1 感動の影響
3-2 悲しみを伴った感動がもたらす影響
第4章 実証研究の目的と概要
4-1 実証研究の目的
4-2  本研究で用いた感動喚起の素材
4-3  感動の測定方法
4-4 実証研究の概要

第Ⅱ部 実証的検討
第5章 有限の顕現化が感動に及ぼす影響
5-1  研究1 計算課題による有限の顕現化
5-2  研究2 乱文構成課題による有限の顕現化
5-3  研究3 物語小説による有限の顕現化
5-4  第5章のまとめ示唆
第6章 社会的価値の見出しが感動に及ぼす影響
6-1  お金概念のプライミングとは 
6-2  研究4 お金プライミングによる社会的価値の重要度操作と映像『象の背中』
6-3  研究5 お金プライミングによる社会的価値の重要度操作と映像『お父さんのチャーハン』
6-4  第6章のまとめと示唆
第7章 社会的価値を描いた映像に対する感動が及ぼす影響
7-1  研究6 価値に関連する対象への態度に及ぼす影響
7-2  研究7 企業の印象評価に及ぼす影響
7-3  第7章のまとめと示唆

第Ⅲ部 総合考察
第8章 総合考察
8-1  実証研究の結果のまとめ
8-2  なぜ有限と価値が規定要因となるのか
8-3  本論文の意義と示唆
8-4  結論

2. 本論文の概要
本論文における各章の概要は以下の通りである。
第Ⅰ部,問題部分の序章は,感動は我々が日常的に感じる感情であるにも関わらず,これまであまり解明されていないことの問題提起から始まる。本研究の目的が,悲しみを伴った感動に焦点を当てた,規定要因と影響の実証にあることを述べ,本研究の位置づけを行っている。また,本論文の全体の構成について簡潔にまとめている。
第1章「感動とは」では,感動について,これまでに明らかになっている知見を整理する。感動に関する先行研究を概観し,感動体験の種類を整理する。そして,感動は付随する感情によって,感性的感動,喜びを伴った感動,悲しみを伴った感動の3つに類型化できることを述べる。また,感動に類似する他の概念として,至高経験,畏敬感情,混合感情を取り上げ,それらの知見を紹介している。そのうえで,それらの概念と感動の関係を整理し,共通点と相違点を議論する。さらに感動の語源という観点から,元は感動の意味合いがあった「かなしみ」について,哲学的な知見を紹介する。これらの知見から,悲しみを伴った感動が最も本来の感動に近いと考察し,本研究で悲しみを伴った感動を取り上げた根拠を論じている。
第2章「悲しみを伴った感動の規定要因」では,まず感動全体の規定要因を論じる。はじめに,感性的感動,喜びを伴った感動の規定要因を,先行研究を踏まえ考察する。感性的感動の代表例である自然に対する感動では,自分が小さな存在であるという感覚があり,それに対し自然は膨大で永遠性を持つ。この構造は畏敬感情の知見からも示唆される。喜びを伴った感動をもたらす,困難の果ての達成という事例では,過程にある困難が自己の能力の有限性を感じさせる。だからこそ,達成という価値が心を動かすと,先行研究を踏まえて議論した。次に,元々感動と同義であった「かなしみ」の構造に関する哲学的な知見からも,自己の有限性を感じとる悲哀があるからこそ,人生の深い意味や超越的存在などの無限性を発見できるという感動の規定要因が示唆される。これらの考察を踏まえ,感動全般の規定要因として,有限と無限の対照構造を提示する。そこから悲しみを伴った感動に焦点を絞り,その規定要因を論じる。ここでは,悲しみを伴った感動と類似点の多い混合感情が時間の有限性により強まるという先行研究や,悲しい物語を楽しむパラドクスを論じる,enjoymentに関する研究も参照する。それらの研究からも,悲しみを伴った感動が,有限が顕現化し,無限である価値を感動対象に見出すという過程で生じることが示唆される。次に「有限」と「価値」について,先行研究レビューを踏まえて説明する。以上の議論をもとにして,有限の顕現化と価値の見出しという要因が悲しみを伴った感動を強めるという理論モデルを提示し,仮説を導く。
第3章「悲しみを伴った感動のもたらす影響」では,まず感動全体の影響に関する先行研究を紹介し,その知見が,価値の見出しという観点から整理できることを示す。次に,社会的価値の見出しに伴いその価値を体現するような事柄への態度が肯定的になることを予測し,悲しみを伴った感動の影響に関する仮説を提示する。
第4章「実証研究の目的と概要」ではまず,悲しみを伴った感動の強さを規定する要因,及び感動がもたらす影響を実証するという目的で行った,7つの研究についての概要を報告している。加えて,感動の規定要因の検討において,感動の強さを検討するときの測定方法も明示する。また,感動の対象となる素材について説明する。
第Ⅱ部,実証的検討では,一連の実証研究について報告している。第5章「有限の顕現化が感動に及ぼす影響」では,有限が顕現化した状態で映像や小説に接すると感動が強くなるだろうという仮説を3つの実験で検証している。研究1は,人間の命の有限が顕現化することが,感動を強くするかを検討した。実験前に実験参加者は,社会的価値志向性を回答した。実験では,まず有限を顕現化する計算課題,もしくは単なる計算課題のどちらかを行った。有限を顕現化する条件の計算課題では,複数の人物の氏名と共に示された没年と誕生年を引き算することで,各人物の生年を計算した。統制条件では同じ計算課題を行ったが,その数字が生年とは示されていなかった。その後全参加者は,主人公と親友の別れと,愛情という社会的価値が描かれた映像を視聴し,感動の強さを評定した。その結果,有限が顕現化した条件で,社会的価値志向性が高い参加者は,志向性が低い参加者よりも強く感動していた。すなわち有限が顕現化すると,社会的価値を志向する人は映像にその価値を見出すことができ,感動が強くなることが示唆された。研究2では,有限の顕現化の操作を変更した。実験操作としては,文章を作成する課題を用いた。有限を顕現化する条件では,作成する文章に「出会いがあれば必ず別れがある」,「この世に存在するものはすべて有限である」といったものが含まれていた。課題を行った後参加者は,主人公の死と,家族愛が描かれた映像を視聴した。実験の結果,有限が顕現化した条件では家族を重視する価値観の参加者の方が,そうでない参加者よりも感動が強くなっており,研究1と同様の結果が得られた。研究3では,感動刺激となる小説自体のストーリーに主人公と友人の別れ描写があるかないかを操作した。その結果,別れ描写があることは,小説に描かれていた社会的価値を見出すことにつながり,結果として感動が強くなっていた。これら3つの研究から,有限の顕現化が感動を強めることが示された。
第6章「社会的価値の見出しが感動に及ぼす影響」では,社会的価値を重視する状態で社会的価値を描いた物語に接すると感動が強くなることを検討した,2つの実験について報告している。研究4と5では,お金概念を非意識下で活性化させることが孤独感をもたらすという知見から,お金概念の活性化を用いて社会的価値を重視する状態に操作した。お金概念が活性化する条件では,行った乱文構成課題にお金に関する内容が含まれており,統制条件には含まれていなかった。その課題を行った後参加者は,主人公の死と家族愛が描かれた映像(研究4),主人公である娘と父親の別れと家族愛が描かれた映像(研究5)を視聴し感動の程度を評定した。その結果,研究4,5ともに,お金概念が活性化した条件の方が統制条件よりも感動が強くなるという仮説を支持する結果が得られた。
第7章「社会的価値を描いた映像に対する感動が及ぼす影響」では,家族愛という社会的価値を描いた映像に感動すると,家族に対する態度がポジティブに変化する(研究6)ことを検討した。加えて応用的な観点から,感動映像が広告映像として用いられたとき,その広告の作成企業に対する印象をポジティブにするか(研究7)を検討した。研究6では調査前に,参加者の家族に関する潜在的な態度と顕在的な態度を測定した。調査当日は娘と父親の別れと家族愛が描かれた映像を視聴してもらい,直後に潜在・顕在態度を測定した。その結果,事前の家族に対する態度がネガティブであった参加者は,映像視聴後は顕在態度がポジティブな方向に変化していた。次の研究7では参加者に対し,研究6と同じ感動映像,もしくはその映像から別れの場面をカットした,感動が弱いと想定された映像のどちらかを視聴してもらった。その後に,映像の最後に表示されたロゴの企業に対する印象評価を求めた。その結果,感動映像を視聴した条件で企業の印象評価がポジティブになっており,その変化はとくに,元々家族に対する態度がネガティブであった参加者でみられた。すなわち,感動は企業の印象をポジティブに変化させるが,とくに映像に描かれていた価値をあまり重視していない人がその映像に感動すると,印象がさらに良くなることが示された。研究6,7の結果から,広告映像に関しては,感動によって価値を体現する事象への態度が変化することが,映像作成企業の印象変化につながることが示唆された。
第Ⅲ部,第8章の「総合考察」では,7つの実証研究の結果を総括した上で,規定要因の理論モデルを再考している。その後に,本論文の意義及び示唆,今後の展望について論じている。
第Ⅱ部の7つの研究から,有限の顕現化と社会的価値の見出しという要因が感動を強めること,及び感動すると見出した価値を体現する事象への態度が変化し,感動映像が広告である場合,広告作成企業の印象をより良くするということが示された。総合考察ではまず,有限の顕現化と社会的価値の見出しが規定要因となる理由として2つの視点から考察している。第一に,自らの有限性への対処として社会的価値の見出しがあり,結果として感動が生じる可能性を議論している。第二に,有限の顕現化は社会的価値の貴重さを強調するために規定要因となる可能性を論じている。
総合考察の最終節では,本研究の意義と示唆及び今後の展望を,感動研究,物語研究,消費者行動研究への示唆,理論モデルがもたらす意義という視点から議論している。感動研究としての本研究は,悲しみを伴った感動に焦点を絞り,感動を量的に測定した上で,状態的な変化が感動を強めることを明らかにした。その際には心理学的知見に加え,哲学,文学的な知見も参照し,学際的な視点で感動の規定要因を分析し,導き出した仮説を検証した。すなわち,本研究は感動の規定要因・影響を体系的に示したほとんど初めての研究といえる。加えて,本研究は物語研究としても意義深い。フィクションを求めるときは感動を求めていると,物語における感動の重要性が論じられることはあっても,感動が直接検討されることはなかった。また,小説を変更して実験操作をしている方法も,物語研究に示唆を与えうる。さらに,消費者行動研究としての意義も挙げられる。近年,感動的な物語を利用した広告が増えている。しかしその効果を実証する知見は得られていなかった。本研究はその効果を明らかにし,そのメカニズムに価値が関連していることを示した。最後に本研究から,何に感動するかはその人が何に価値を置くかに強く依存するといえる。その価値の重みづけは,有限が顕現化する状況でさらに顕著になる。そういった示唆を与える本研究は,感動のみでなく,広く人間の認知・行動を理解する視座をもたらす。以上のように多角的な視点から本研究の意義を提示し,本論文を締めくくっている。

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