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博士論文要旨

論文題目:都市下位文化集団の相互行為に関する社会学的研究 -スケートボーダーの都市エスノグラフィー-
著者:田中 研之輔 (TANAKA,Kennosuke)
博士号取得年月日:2016年3月9日

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序論 暗がりの律動、没入する身体
1.仮設フェンス越しのたまり場
2.舞台と編成
1章 都市下位文化集団の理論と方法
1.相互行為の生成論理
2.相互行為の象徴闘争
3.相互行為の理論射程
4.相互行為の分析視座
2 章 湧出するたまり場のポリティクス
1.湧出の過程
2.行為の禁止
3.集団の形態
4.行為の境界
3 章 身体に刻まれるストリートの快楽
1.滑走の体感
2.技芸の修練
3.路上の記憶
4.身体の痕跡
4 章 集団内の役割と規範
1.集団の序列
2.広場の統制
3.占有の創造
4.役割の演技
5 章 獲得した場所に囲い込まれる行為
1.偏見と排除
2.署名と獲得
3.開設の経緯
4.組織と地域
6 章 身体化された行為の帰結
1.行為の経路
2.集団の特性
3.職業の移動
4.滞留の構造
結論 行為の集積と集団の軌道
1.集団生成の論理
2.相互行為が導く集団の軌道 参考文献



都市に生起する下位文化集団は学校や職場で形成される集団のように制度的・組織的な基盤を持 たない。集団の形成や維持が組織的に拘束されない為、集団の規範や行為の形態において自由度 が高い。だが、都市下位文化集団の自由度の高さはいかなる支えも持たない脆弱性の上で成立して いることをわれわれは忘れがちである。下位文化を媒介に形成される社会集団に帰属することの社会 的内実とは何か。下位文化への関わりを通じて集団成員はいかなる社会的帰結を迎えることになるの か。本論文ではスケートボードを媒介に形成される都市下位文化集団を対象に、集団と集団を取り巻く諸環境との相互行為の経験的分析を通じて、下位文化集団の生成過程と実践の内実を明らかにした。 長期間にわたる継続調査によって、集団成員の社会空間の移動についても分析をおこなった。本論 文の主な分析対象は、集団成員の一人として筆者も下位文化的実践に参与した、①茨城県土浦駅前西口広場を利用する若年男子 15 名と②新宿駅東南口の路地裏に集まるようになった若年男子 19名、によって生み出される文化的行為と集団の動態である。本調査は 2001 年から 2006 年までの5年間に わたりインテンシブなフィールドワークを実施し、その後、2016年まで定期的に追跡調査を実施してきた。本調査データの分析をもとに、本論文は6章から編成されている。
第1章では、都市下位文化集団の社会的世界に迫る理論と方法を検討した。都市下位文化論は、 1)初期シカゴ学派都市社会学の都市下位文化論、2)バーミンガム学派のユース・サブカルチャーズ論、3)ポストサブカルチャーズ論、の3つの系譜にまとめることができる。都市下位文化論は、一方で、 都市社会に湧出する下位文化集団の社会的世界を描く都市社会学として、他方で、下位文化の自律性に着目し、そこに支配文化に対する抵抗の契機を読み解いていく文化研究として蓄積されてきた。 都市下位文化研究は都市研究と文化研究とが交錯する地平で深化してきたのである。初期の下位文化研究を批判的に継承したポストサブカルチャーズ研究は社会的排除論と交差した。初期シカゴ学派 都市社会学からポストサブカルチャーズ論まで一貫して選択されてきたのが、集団にできるだけ迫り、集団の社会的世界を描き出す、インタビューやフィールドワークを軸とした質的調査法であった。そこで本論文でも質的調査法を踏襲した。
都市下位文化研究に求められるのは、下位文化の担い手の都市生活の在り様―家族、学校、職場、 地域社会等の諸制度と文化的行為との連関の様相―を解き明かすことである。都市下位文化は、都 市における個々の日常生活領域と何らかの関係性をもっている。具体的な事例をとおして、下位文化的行為と都市的日常生活領域との複雑な相互関係性を解きほぐしていく作業に、都市下位文化の現在を見抜く鍵がある。都市下位文化研究は、狭義の下位文化研究に収斂するものではなく、文化研究 の蓄積において豊穣な蓄積をもつ下位文化集団の社会的世界の意味分析を展開しつつも、集団の担い手の社会的立場、集団を取り巻く物理的空間、社会的空間、象徴的空間の社会学的分析に取り 組んでいかねばならないことを先行研究の整理・検討から導き出し本論文の射程を定めた。
第2章では、たまり場の湧出と消失を追跡し、都市空間のポリティクスとガバナンスとの交渉と折衝の 過程に迫った。たまり場の消失経緯をそれぞれに辿り、空間の管理が異質なアクターへのまなざしを含みこんだ微視的な権力作用と、広場を管理する警備員や所轄の警察官らによる個別的な施策としておこなわれていることが明らかになった。特設フェンスを設けることや監視カメラによる行動の監視が都市 の現場では自明のものとなっている。広場の消失は空間管理の諸施策によるスケートボーダーの文化的実践の制限であり、彼らを広場から排除した結果である。スケートボーダーは管理や排除のポリティ クスに直接的に衝突しようとはしない。都市空間の新たな隙間を求めてたまり場を移していく。スケートボードという行為が、①ストリートでの文化的活動、②スポーツ的な身体活動、③非行・逸脱的行動の3つの境界領域を揺れ動きながら生み出されている実践であることがわかった。行為の社会認知がこの 境界領域で揺れ動き、行為の当事者や接触する多様な関係者もそれぞれの局面で認識をかえる柔らかさをもっている点が、スケートボードという文化的行為の都市下位文化らしさである。
第3章では、スケートボードという下位文化的行為の奥深さを行為者の身体経験から明らかにした。ス ケートボードに乗ることで起きる空間と時間の変化を身体を通じて認識する。スケートボードは状況に 応じて臨機応変におこなわれ身体の上に書き込まれるパフォーマティブな行為である。滑走する行為 によって味わうことのできる身体的な快楽がスケートボーディングの文化的行為の醍醐味である。スケ ートボーディングは個人の行為ではない。集団でスタイルや言語を共有し、自身の身体を賭けて難易 度の高い技に挑戦したり、都市空間の建造物を自分たちの行為対象のモニュメントとして読み替える。 快楽と恐怖、怪我と隣り合わせの滑走スリルを集団で乗り越えるところに快楽が生まれる。
痛めた身体が日常を支配する。スケートボードで痛めた身体は彼らの日々あらゆる生活において支 障をきたす。スケートボーダースタイルから仕事着や制服に服装をかえることはできても、身体の痛みは取り除くことができない。スケートボーダーはスケートボードでの痛みを受け入れ、仕事での痛みを受け入れないでいる。痛みを伴う実践であることを身体で充分に理解したうえで、スケートボードを続けて いる。身体の痛みの共有はスケートボーダーの特有のスタイルといえる。スケートボーダーの身体にはストリートでの経験が無数の傷跡として刻まれている。
第4章では、行為を継続させている集団内での役割や規範を分析し、専用広場を「たまり場」とする 集団内での序列構造を明らかにした。集団成員は中学や高校の同窓生で集団の形成前からの友人関係を持続するなかで下位文化的実践を創出していく。集団内ではパフォーマンスの技術レベルによ る序列化、他の若年下位文化集団との折衝や交渉、広場の維持と管理の調整などが日常的におこなわれている。文化的実践を生み出す専用広場を維持し続けるには、これまで路上での行為を管理されてきた行為者達が、自分たちで「たまり場」を管理していくことになる。管理される側から管理する側へと 立場が入れ替わる。当番制を取り入れ広場を維持していく。行為によって損壊したセクションの修繕費の捻出をめぐり議論を交わしていく。行為の場を勝ち得ることの窮屈さを同時に経験していくのである。 さらに、女性スケーターと集団とのやりとりにみられる役割演技とジェンダーの構築経緯についても論じた。地方都市における下位文化的活動が地域社会の社会関係に根付いた文脈のなかに埋め込まれ ているところも空間の特性に関連する。
第5章では、路上で問題となったスケートボードに対して、当事者であるスケートボーダーたちが、専用広場の獲得を目指して署名活動を展開し専用広場を獲得していく過程を追尾した。「若者広場」設 置活動に至る経緯は、スケートボードをする若者が駅前や都市公園等の公共の広場にたむろするようになる 90 年代前半に遡ることで確認できる。広場設置を求める活動はスケートボードをする若者によっ て担われている。土浦市が「若者広場」として開放することになった場所は、都市基盤整備公団が中止を決めた土浦駅前北地区再開発事業用地の一角であった。土浦市は土浦市の土地開発公社が鉄建公団から購入した約 4600 平方メートルの約 2600 平方メートのスペースを駅前再開発事業の着工まで の暫定的利用として若者に開放することを選択したのである。
土浦市は専用広場の運営協議会を開設した。その理由は地元町内会関係者らに「若者広場」の設 置経緯を説明することと、広場設置の承認を得る為であった。運営協議会には「若者広場」設置活動を展開したスケートボーダーも参加した。運営協議会では広場運営や管理等に関する取り決めがおこ なわれた。広場の利用者と町内会の代表ならびに土浦市の関係者が一同に顔を合わせ運営協議会の場を共有したことは、広場設置後の運営・管理の面においても重要な意味をもつことになった。こうした地道な活動が実り、「若者広場」設置活動は開始から 4 年後の 2001年 5 月 27 日に土浦市によって 無料開放される若者向けの広場を獲得するに至った。広場設置活動は広場の獲得という当初の目的を達成した後も、その活動をきっかけに地域で活動するアクターたちと出会い、地域活動に参加するよ うになった。1999 年から 2005 年に全国的にみられたスケートボーダー達の広場設置活動は、彼ら・彼女たちが、地元の活動に参与する契機となっていた。
第6章では、集団に帰属し文化的行為を生み出すことに賭ける時間の意味を彼らの社会空間の移動 の中で捉えた。スケートボードをするという行為の時間とは行為に打ち込むパフォーマティブな状況的な時間と、行為者の生の歩みを内包する生きられる時間との2つの時間から構成されている。行為者に とって都市下位文化は行為者自身の成長であり、長い時間へのコミットメントと己の身体を賭けたものである。これまでの都市下位文化研究は身体化された行為がもたらす帰結について目を瞑ってきた。 土浦駅西口広場で形成された集団の特性は、①土浦で生まれ育ったローカルスケートボーダーであること、②集団成員の約 7 割が高卒の若年層であること、③実家で両親とともに暮らしているということ、④集団の流動性は低く集団への帰属意識が高いこと、が明らかになった。その一方で、新宿路地裏に 湧出したたまり場で形成された集団の特性は、①都内で生まれ育ったものは集団成員の 2 割にとどまり、のこりの8 割が都内へと「上京」してきたものによって構成されていること、②高卒者と専門学校・私立大 学卒であること、③8 割強が賃貸アパートで暮らしていること、④集団の流動性が高く、集団としての帰属意識よりは、それぞれの友人関係のネットワーク志向であることが明らかになった。都内の滞在歴や たまり場とのかかわり年数が数年以上になっているコアな成員にとっては、土浦の集団と同じような集団意識が生まれつつある。両集団成員の個別のライフストーリーを追跡したことで、スケートボードという身 体的行為に快楽を体感し、下位文化集団に帰属することで集団内における自己の存在意義を感じながらも、不安定な社会的境遇へと組み込まれていく行為者の生き様が浮かび上がってきた。
結論として15年間という時間経過を踏まえることで都市下位文化の成員の相互行為と学校から職場 への移行過程と間の関係性を、集団の共変的な軌道として捉えることが可能になった。下位文化的行為の探究と社会空間の移動は無関係ではない。費やした時間と労力、そこで得る身体資本は、彼らが 生きていく歴史を刻む資本となる。都市下位文化的行為を媒介に形成される集団が学校から職場への移行を通じて、特定の社会階層へと移行していく排出装置となっている。都市下位文化集団は文化的な行為の空間を獲得し得ても、社会空間からは自由ではいられない。都市下位文化を創出し続けて いく行為者たちによる主体的な文化形成の過程と、その過程において身体を賭けて蓄積されていく行為とネットワークが、彼らの社会空間での位置を規定していく。スケートボードに没入することでの自己 鍛錬と集団内での自己の存在証明は、彼らをとりまく構造的な規定要因を鵜呑みにすることでしか存立しえない。学校文化とのズレによる代償は、社会空間での下降移動として彼らにダイレクトにかえって くる。下位文化的行為に打ち込むことは、ひと時の「遊び」ではなく個々の生を賭けたライフアクティビティである。そうであるがゆえに、各々の社会空間の移動を戦略的に練り込んでいくしたたかさを行為の没入期間も忘れてはならない。五感を研ぎ澄まし苦痛と喜びを伴う身体を賭けた生の投資が、思い描 く社会空間の移動を導くには、下位文化的行為を客観的に捉え、自身の勝ち得た身体資本をいかなる資本へと転換していくか、的確な認識と中長期での戦略が不可欠なのだ。 本論文の研究成果を踏まえて、都市下位文化研究の課題を次のように新たに提示することができる。
今後、都市下位文化集団への研究は、(1)文化的行為が湧出する場所と過程を都市空間との関係性の中で捉え、(2)行為の選択と没入をスタイルの共有と行為の身体経験から抽出し、(3)身体を賭けた 生きられる行為者の時間と社会的なコンテクストとを対話させ、そこから相互行為の構造を導きだし、(4)そこでの構造が文化を基盤とした社会的再生産の動力源なのかどうかを分析していくことが求めら れる。都市下位文化集団の相互行為とは集団内外の相互行為を共有する過程での状況変動的なパフォーマティブな営みであり、特定の社会階層へと経路づけていく個々の軌跡を積み重ねる時間経過 の中で、構造的な力学に集団的実践を対峙させ交渉・折衝を続ける只中で生み出されているからである。

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