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博士論文要旨

論文題目:観光市場におけるフレンドと詐欺師をめぐる人類学的考察 -カトマンズの観光市場、タメルにおける宝飾商売のフィールドから-
著者:渡部 瑞希 (WATANABE,Mizuki)
博士号取得年月日:2016年3月9日

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目次
序論...........................................................................1
Ⅰ節 はじめに...............................................................1
Ⅱ節 商取引における親密さをめぐる先行研究の問題点...........................2
Ⅲ節 小売商人にとっての利潤.................................................9
Ⅳ節 詐欺の暴きから見えてくるフレンド......................................12
Ⅴ節 表層に対する賭けの実践................................................16
Ⅵ節 本論の構成............................................................17


第一章 フィールドワークとタメルの宝飾品詐欺の概要............................19
Ⅰ節 調査方法とインフォーマント............................................19
Ⅱ節 タメルの発展経緯とその特徴............................................21
Ⅲ節 タメルで宝飾品を購入するツーリスト....................................25
Ⅳ節 宝飾品詐欺の概要......................................................27
Ⅴ節 小括..................................................................33


第二章 インド系ムスリムの小売商人の社会構造と商法............................35
Ⅰ節 宝飾商人の取引構図....................................................35
Ⅱ節 タメルの小売商人の社会的背景と店舗経営状況............................37
Ⅲ節 ハイ・リスク、ハイ・リターンの戦略....................................41
Ⅳ節 フレンドになる商法をめぐる言説........................................44
Ⅴ節 小括..................................................................49


第三章 宝飾商人間の取引倫理..................................................51
Ⅰ節 「親密さと詐欺」を想起させる取引相手の名前............................53
Ⅱ節 売り手に対する「リスペクト」..........................................56
Ⅲ節 レギュラーにおける「公然の秘密」......................................60
Ⅳ節 小括..................................................................66


第四章 表層としてのフレンドを信じる..........................................69
Ⅰ節 表層の強化過程―ツーリストによる懐疑と詐欺の咎めから..................71
Ⅱ節 表層の強化過程―詐欺の暴きと隠蔽から..................................75
Ⅲ節 経済外的な親密さが誘発されるプロセス..................................80
Ⅳ節 小括..................................................................88


第五章 小売商人による賭けの実践から現れるフレンド............................90
Ⅰ節 商取引を左右するフレンドという存在....................................92
Ⅱ節 フレンドになるための実践..............................................97
Ⅲ節 賭けの勝敗の不確定性.................................................101
Ⅳ節 属性の集積...........................................................104
Ⅴ節 小括.................................................................108


結語 経済取引の範疇を超えたホストとゲストの関係を論じるために...............110
Ⅰ節 小売商人とツーリストの経済外的な親密さとは...........................110
Ⅱ節 小売商人の利潤―レギュラーとフレンドの「公然の秘密」から.............115
Ⅲ節 ホストとゲストの継続した人間関係を論じるために.......................120
Ⅳ節 おわりに.............................................................122

参照文献.....................................................................123
資料.........................................................................130





■序論概要(本論の目的)
本論は、ネパール連邦民主共和国の首都カトマンズ最大の観光市場タメルにおいて、ツーリスト相手に商売をするインド系ムスリムの小売商人の経済活動についての民族誌である。 彼らの経済活動は、主として、宝飾商人からの仕入れとツーリストに宝飾品を売ることの 2 つから成り立っている。なかでも、本論が特に着目するのは、小売商人の取引行為に影響を 与える「フレンド」( friend)という言葉である。
フレンドとは、商取引のような利害関係の一切を否定する西欧の理想的な友情観念とは 異なり、むしろ「商売用語」として小売商人およびツーリストに認識されている。まず、小 売商人にとってツーリストとフレンドになることは、ツーリストから一方向的に利益をも たらしてくれるような経済外的な親密さを引き出し、価格競争が激しい市場でありながら も「独占的」にツーリストに売り続ける状況を生み出すものである。そしてツーリストは、 フレンドとなった小売商人が詐欺を働くことなく良品を安く提供することを期待している。
しかし、小売商人とツーリストが、上述したような経済取引の範疇ではとらえきれないフ レンドという存在に成り変わる現象も頻繁にみられる。たとえば、ツーリストが、フレンド
(小売商人)の詐欺や親密さの装い、虚言に感づきながらも、その小売商人から買い続ける ことにこだわったり、小売商人が当のツーリストから経済的損失を被ってもなおフレンド でいようとするケースもある。本論の目的は、利益を合理的に追求するような経済行為だけ では捉えきれないフレンドの有様を民族誌的に記述することである。
そのために、本論では、観光人類学研究が論じたような、ホストとゲストの間の親密さや 友情を単に擬似的だと切り捨てることなく[橋本 1999]、または、そうした友情を、ホスト とゲストの真なる友愛であるかのように論じることなく[市野沢 2003]、ツーリストが、 小売商人のいうフレンドの正体を探るためにその擬似性を暴きたてる動きに着目する。フ レンドとはその擬似性が知られているはずなのに、暴かれることによってますますその正 体がわからなくなるという「公然の秘密」である。そうした「公然の秘密」の暴きによって 生じる現象について本論では、タウシグの提示した「表層」(face)という概念を用いた。 タウシグは、ティエラフエゴ諸島の男性秘密結社において、精霊の仮面が何度も取られな がら(その擬似性が暴かれながら)、その仮面自体が精霊の存在を常に喚起させる対象物に なり変わる様を記述している[Taussig 1999]。本論では、タウシグが述べる精霊の仮面外 しと同様の現象が、ツーリストによるフレンドの擬似性の暴きにおいても生じていること を主張する。すなわち、フレンドは精霊のように、宝飾品(仮面)を通じて「どこかにいる かもしれない」という想像と期待によって、信じるべき対象となったり経済取引の現実を構 成する重要な存在になる。本論は、取引関係でありながらも経済範疇から逸脱する可能性のあるフレンド関係を、タウシグの論じた表層と捉えて分析するものである。



■一章「フィールドワークと調査対象の概要」
一章では、フレンド関係を論じるための基本的な情報を、以下の四点にまとめて提示した。
一つ目は私が行ったフィールドワークとインフォーマントに関する情報である。本論の 調査データは、2006 年 6 月から 2011 年1月までの間で断続的に行った約 15 ヶ月間の調査 に基づく。具体的に調査方法は、タメルの宝飾店(K 店)を営むインド系ムスリムの小売商 人(兄=シャーズ、弟=ハッシム)のもとで働きながら、聞き取り調査と参与観察を行うも のであった。
二つ目は調査対象地、タメルの特徴である。タメルは、洗練された情報伝達のメカニズム が未だ乏しいため、売り手と買い手の間に流れる相場や品質、生産コストに関する情報が不 確定な「バザール」のような場である[Geertz 1978]。
三つ目に、タメルで宝飾品を購入しようとするツーリストの性質である。私が K 店で参 与観察した限り、宝飾品を買いにくるツーリストは、本物志向が強く、詐欺のリスクを知っ ているために懐疑的であり、そのため複数の店舗をまわり情報探索をする人びとであった。
最後に、タメルの宝飾品詐欺についてである。タメルでは科学的な鑑別機関がないため、 その宝飾品の種類、品質について正確な判断は不可能である。そのためツーリストはタメル にいる限り、小売商人に対する詐欺の疑いはあってもそれを確定することはできない。ツー リストが小売商人の詐欺を現地の警察に告発するのは、ツーリストが自国に帰ってその宝 飾品を調べた後である。


■二章「インド系ムスリムの小売商人の社会構造と商法」
二章では、本論が対象とするインド系ムスリムの小売商人の商法について概説した。まず、インド系ムスリム商人は、ネパール商人、チベット商人とは違い、高額商品や品質判断の困 難な商品を扱い、ツーリストとフレンドになる戦略をとる。
フレンド商法は詐欺の手口としてすでに知れ渡っている。そのため、その商法を使う小売 商人はツーリストから懐疑の眼差しを向けられる。また、一旦国に戻ったツーリストから詐 欺の告発を受けて店自体を失ったり逮捕されることもある。そのため、この商法を使うこと 自体、ハイ・リスクである。一方、ハイ・リターンとは、フレンドが、小売商人の生活を一 変させるほどの経済効果をもたらすことである。二章で取り上げた、タメルで経済的成功を 収めた小売商人は、ツーリストとフレンドになることができた者だと語られる。そのため、 小売商人の多くは、フレンドからの一獲千金を夢想し、リスクを負いながらもツーリストと フレンドになるという賭けにでるのである。


■三章「宝飾商人間の取引倫理」
三章では、小売商人がツーリストから経済外的な親密さを引き出す基盤である、宝飾商人間のレギュラー関係について論じた。 小売商人にとって、レギュラーとは詐欺への懐疑を抱く必要のない信頼のおける売り手である。小売商人はその信頼を示すために、レギュラーと交わした取引内容を第三者に公表しないという振る舞いを見せる。しかし、レギュラー間でも、その宝石が何であるか、価格 の妥当性について乖離が見られる。そのため、小売商人は、特定のレギュラーを信じること で、その宝飾品が何であるか「わかったことに」しておきながら、レギュラーに対しては通 常行わないはずの情報探索を頻繁に行うのである。
レギュラーに対する情報探索が可能であるのは、小売商人だけでなく、そのレギュラー自 身も含め、小売商人の情報探索に気づきながらそれを黙認するためである。つまり、レギュ ラーとは、信頼の表現が擬似であることを誰もが知っているが、それについては誰も明るみ にしないという「公然の秘密」によって成立する取引関係である。
この「公然の秘密」の働きにより可能となる情報探索は、レギュラー間で完結するわけで はなく、小売商人が、他の小売商人の詐欺をツーリストに暴いて見せるために必要な情報源 となっている。小売商人は、自身がレギュラーから購入した宝飾品を別のレギュラーに見せ て意見を聞くことを繰り返しながら、宝飾品の品質を見極める方法や価格変動に関する情 報を入手し、それを元に、ツーリストからフレンドとみなされるような巧みな商品説明(ま たは他の小売商人の詐欺の暴き)を繰り出している。すなわち、小売商人の情報探索は、売 り手に対する詐欺の疑いを減らすだけでなく、ツーリストが自身に向ける詐欺の疑いを減 らす手段になっている。


■四章「表層としてのフレンドを信じる」
四章では、「本物の宝飾品は何か」、「信じられる小売商人は誰か」、「フレンドとは一体何者か」というツーリストの真相追求の過程で、ツーリストが小売商人の詐欺を暴く状況から、 ツーリストから小売商人に抱かれる経済外的な親密さを説明した。それは、ツーリストが小 売商人のいうフレンドの擬似性を暴きながらもそれを暴ききることができない「公然の秘 密」の働きによりもたらされる親密さである。たとえば、【事例 4-7】では、シャーズから ただのメッキを 14K のゴールド・ジュエリーとして購入したアメリカ人女性が、金細工職 人に騙されたというシャーズの見解を信じことを取り上げている。しかし、その暴きにおい て、シャーズが彼女を騙す意図があったのかどうかを知る者はシャーズを除いて誰もいな い。彼女は、そうした不確定な状態において、再度、シャーズから本物のジュエリーを購入 している。それは、シャーズがフレンドを利用して詐欺を働く商人なのかどうかを確かめる ための行為(あるいはシャーズがそうした詐欺師ではないことを確認するための行為)だと 考えられる(しかし、それを確証することも不可能である)。
このように、ツーリストは、小売商人の詐欺を暴きながらもその小売商人が騙しをしない フレンドである可能性に期待し続けている。四章では、ツーリストが小売商人に向ける経済 外的な親密さを、その小売商人の詐欺を確証しようとするもそれができない表層に向けら れるものとした。小売商人は、そうしたツーリストに対して、他の小売商人との価格競争が ある中でも「独占的」に売ることができると考えている。その限りにおいて、フレンドとは、小売商人に利潤の極大化を期待させる存在である。


■五章「小売商人による賭けの実践から現れるフレンド」
五章では、ツーリストから信じてもらえるよう、経済外的な親密さを引き出そうと取り計
らう中で、小売商人が逆に儲けられなくなったり損失を被ってしまうような状況を、小売商 人の賭けの実践から論じた。小売商人はツーリストとフレンドになるための実践を繰り返 す中で、そのツーリストと自身がフレンドである方に賭ける、つまりそのツーリストに高値 で売り込んだりする。しかし、一端はその賭けに勝ったとしても(一度はツーリストに売る ことに成功したり、ツーリストが小売商人のことをフレンドと呼んだとしても)、ツーリス トは情報探索をして詐欺を暴く可能性が高いことから、小売商人の賭けの勝敗は、ツーリス トが店を出た途端、不確定性に満ちたものとなる。この状況を表層という概念で説明すると、 小売商人は賭けの瞬間に、ツーリストの示す表層が何であるか答えを出すも、再びその表層 に惑わされるというものになる。そのため小売商人は、そのツーリストとフレンドになるた めの実践を繰り返すのである。五章では、こうした「フレンドになるための実践」と「フレ ンドである方に賭ける」ことが循環し続けることで、フレンドという表層が成り立つことを 明らかにした。
小売商人がフレンド(ツーリスト)から期待する最も大きな経済的利益は、ツーリストの 国でビジネス機会を得ることである。五章では、そうした経済的成功を目指して賭けの実践 を繰り返す中で、小売商人が、親密さを戦略的に用いる操作主体から、経済的損失を厭わな い状況(経済外的な親密さを抱く状況)に転じる様を描いた。それは、フレンドからいつか 儲けられるかもしれないという期待に支えられながら、損失を引き受け続ける状況である。 経済外的な親密さには、そうした相反する二つのものを同時に含まれているのである。


■結語「経済取引の範疇を超えたホストとゲストの関係を論じるために」
本論では、通常の経済取引関係では理解できないような状況をもたらす経済外的な親密さがどういったプロセスで生成し、それがどういった親密さの表現であるかを明らかにす るために、以下三つの課題に取り組んだ。
①小売商人がツーリストから一方向的に引き出そうとする経済外的な親密さは、小売商 人とツーリストの間で完結するだけでなく、小売商人とレギュラーとの間で行われる情報 探索を基盤としていること。
②一部の観光人類学研究のように擬似性の背後に真正性を探し求めることで、何が真正 なのかますますわからなくなる動きを捉えるために、表層という概念を用いること
③小売商人がツーリストに抱く経済外的な親密性を「真の意味での私的な親密性」とする ことを避けながら、小売商人がツーリストから儲けるための賭けの実践を繰り返すことで 逆に儲けられなくなるプロセスを明らかにすること。
以上の三点により、観光人類学が関心を抱いてきたホストとゲストの関係を論じるにあ
たって詐欺や裏切り、擬似性、演技が、ホストとゲストの間に経済外的な状況を生み出す引き金になることを提示する意義がある。 本論のもう一つの意義は、小売商人のまたがる二つの取引関係(レギュラーとフレンド)を「公然の秘密」として論じたことである。その意義は、モノを買う行為が、必ずしも完全 競争市場モデルやバザール経済論が想定するような合理的な計算に基づいて行われている わけではなく、そうした計算の及ばない経験である可能性を示唆したことである。宝飾品の 中には、それが実際は何であるか、価格は妥当かどうかについて明確な答えを出せないもの が数多くある。そのため、タメルで宝飾品を買うためには、特定の売り手(レギュラーやフ レンド)を「信じみる」しかない。本論では、「公然の秘密」から、この「信じみるしかな い」状況を導き出し、小売商人の利潤(単純計算で言えば「売値―仕入れ値」)が決まること を明らかにした。

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