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博士論文要旨

論文題目:日本の気候変動政策過程 ―三極構造から生み出される「自主行動」中心統治―
著者:佐藤 圭一 (SATOH,Keiichi)
博士号取得年月日:2016年3月9日

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<章立て>


はじめに

第1章 問われる気候変動政策過程
第2章 日本の気候変動政策の歴史的経緯
第3章 気候変動政策ドメイン――三極ブロックの抽出
第4章 情報過程――対立軸を「固着」させる力
第5章 政策選択過程――環境省ブロックの弱さの要因
第6章 執行過程――疑似省庁経団連
第7章 「自主行動」中心の気候変動政策体系の要因と課題
おわりに


参考文献
付録 A 気候変動政策に関連する審議会・小委員会・検討会等一覧
付録 B 調査票


1.問題関心
気候変動問題は各国でその問題性が共有されつつも、その対策のあり方は各国で大きく 異なっている。気候変動問題によって引き起こされうる多様な自然災害を緩和するために、 1997 年に京都で開かれた第三回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)において京都議定 書が採択された。この議定書に基づいて、主要先進国は温室効果ガスの排出削減義務を負 うことになった。こうして共通の枠組みのもとで、各国で温室効果ガスの削減が行われる ことになったが、具体的な削減策は、国ごとに異なる。欧州が環境税や排出量取引を中心 とした対策を進めるいっぽうで、日本は産業界の自主行動計画を中心とした対策が行われ てきた。温室効果ガスを発生させる化石燃料に代わるエネルギー源としての自然エネルギ ーや原子力に関する扱いも各国で異なっている。日本の場合、気候変動政策の体系は「省 エネ・原発・補助金・自主行動」からなる。このうち、とりわけ「自主行動」に日本の特 徴がある。
「自主行動」とは、日本経済団体連合会による「環境自主行動計画」を指す。これは、 賛同企業が気候変動緩和のため、業界単位で自主的に目標を設定して温室効果ガスの削減 に取り組む対策である。産業界の自主的な宣言に基づくため法的な根拠はない。それにも かかわらず「自主行動」は日本の対策と位置づけられ、かつ対策が実行されてきた。
本論文は、京都議定書第一約束期間(2008 年~2012 年)を対象として、次の二点の問 いに答えることを目的とした。第一に、この期間、なぜ日本の気候変動政策の体系は「省エネ・原発・補助金・自主行動」という組み合わせとなり、維持されたのか。第二に、こ のうち最も特徴的かつ大きな役割が期待されていたのは、「自主行動」だが、なぜこのよう な自主行動中心の統治が成立するのか。
これらの問いに既存研究が十分に答えてきたとは言えない。先行研究の多くは個別政策 の政策選択過程における省庁間の対立に分析の焦点を絞ってきたからだ。だが、高度な専 門知、広範な合意の調達、公私アクターの協働による取り組みを必要とする気候変動政策 では多様な社会アクターも含めた分析を行う必要がある。

2.研究手法と枠組み
このような視点から、気候変動政策形成に主要に関わる官民 72 団体への調査票と聞き 取りによる調査をもとに、社会ネットワーク分析の手法を用いて、日本の気候変動政策ネ ットワークの構造を分析した。政策ネットワークから生み出される政策過程を、情報過程・ 政策選択過程・執行過程の三つ下位過程に分け、それぞれの過程における慣習と制度が全 体としてシステムを形成するという視点で考察を行った。


3.各章の要約
「はじめに」においては、気候変動問題が国際的に認識されるようになった 1990 年代 以降も、日本の温室効果ガス排出削減量や、GDP や一人当たり排出量は改善が進まず、対策が停滞していることを確認した。このような状況にもかかわらず、国内においては「自 主行動」を中心とした既存の政策体系が今後も維持される方向であることを論じ、このよ うな自己撞着に陥るのは「自主行動」中心の統治のあり方が要因なのではないかと問題提 起した。
第1章では、本論文が分析視角として設定する政策ネットワーク論について述べた。
1980 年代以降、統治モデルの研究では政策領域ごとのダイナミズムが重視されるようにな っている。政策ネットワークとは、政策領域ごとに存在する公私の政策アクターによる安 定的なコミュニケーションの回路を指す。本章ではその理論的系譜について、先行研究を 踏まえながら論じた。
本論文は日本の気候変動政策形成に関わる省庁・政党・メディア・研究機関・業界団体・ NGO など各種団体への調査票調査と聞き取りをもとにしている。この章ではこの調査過 程についても説明した。さらに本研究の大きな特徴としてネットワーク分析を使用してい ることがあげられる。ここではその基本的な手法についても述べた。
第2章では、日本の気候変動対策の経緯を概観した。ここではオイルショックを契機に
導入された「省エネルギー法」と、気候変動問題の問題化の初期に自民党「環境族」が果 たした役割が特に重要だった点について述べた。一方でこの章はこれらの歴史的な経緯だ けでは説明できない点は何かについても押さえる章として位置付けられる。気候変動問題が存在するという基本的な前提、および省エネ・補助金・原発については、問題化初期か らの連続性がみられる一方、「自主行動」についてはそのままでは説明できない。また 1990~2000 年代を通じて、実際には政治勢力が大きく入れ替わっていることを論じた。
第 3 章以降が実際の調査に基づいた報告部である。第 3 章では、調査対象団体の属性や 行動について概観したのち、対象団体を三つのブロックに分けた。ここで見出される三つ のブロックが本論文を通じた基本的な説明単位となる。
具体的には、調査票への回答を対象に、構造同値に基づいたブロック・モデリングを行 った結果、NGO が多く集まる「環境省ブロック」、主要政党、政府系研究機関、民間シン クタンク、メディアが集まる「経産省ブロック」、業界団体が多く集まる「経団連ブロック」 の三つが抽出された。これらの三つのブロックは、活動課題・活動内容・政策選好・団体 属性の点でもまとまりがみられる。経団連ブロックは原発や自主行動計画からなる「自主 的対策」を支持する一方、環境省ブロックは、環境税や排出量取引などの「制度的対策」 を支持する。経産省ブロックはこの両者のちょうど中間的な団体としての考え方を持って いる。
各ブロックの政策への考え方は、政策ネットワークにおけるブロック間の協力関係のあ り方に一致する。「環境省ブロック」と「経団連ブロック」それぞれが「経産省ブロック」 と協力関係を結ぶ一方、「環境省ブロック」と「経団連ブロック」の間の協力関係はあまり ない。日本の気候変動政策ネットワークは、このような三極のブロックの綱引き構造とし て理解することができる。そして政策過程もまた、この三つのブロックを基本単位として 展開する。
第4章では、情報のやり取りという側面から、これら三つのブロックの持つ政策選好が
いかにして形成されるのかを取り上げた(情報過程)。情報過程における特徴は以下であ る。第一に、主にブロック単位で情報が流通しており、そもそもブロック間での見解の相 違が起きやすい。第二に、政策判断をするための情報源である大手メディア(「読売」vs.「朝日・毎日」)、研究機関・シンクタンク(経産省系と環境省系)がともに対立軸を「固 着」させる役割を果たしている。団体はこれらの情報源からパッケージ化された「メッセ ージの収集」をしている。そのため本来利益にも不利益にもなり団体ごとに多様な立場の ありうる気候変動対策が、単純化された対立構図に収まる状況となっている。
第 5 章では、それぞれの政策選好をもつ各ブロックが、自らの支持する政策を実現するために、どのように影響力を行使しているのかを見た。この過程で、どの政策の実現が阻 まれるのか、どの政策が選択されることになるのかを分析した(政策選択過程)。
「省エネ・原発・補助金・自主行動」という対策の体系が選択される理由を考察するた めには、二種類の異なるプロセスを区別して理解する必要がある。「省エネ・補助金」につ いては、政治的影響力の行使の単位である環境省ブロック・経産省ブロック・経団連ブロ ックの三つのブロックごとに見た場合には、考え方に大きな違いが見られない。このため、 これらの政策については比較的容易に導入される。その理由として考えられるのは以下で ある。第一に、そもそも「補助金や技術開発」に関しては、政策的にも個別アクターの負 担を強いないために支持が高まりやすい。第二に、「補助金や技術開発」に関しては、多様 な情報源が団体の考え方を形成する状況になっており、いくつかの「気候変動対策が長期 的には利益になる」と考える団体がこれらの政策を支持すると考えられるからである。第 三に、歴史的にもオイルショックへの対応の経験から日本社会の「省エネ」への意識は強 く、自民党「環境族」を中心に気候変動問題が政治アジェンダ化されてからも「補助金」 を通じて「省エネ」を図る取り組みが既定路線となってきたことから、多かれ少なかれそ の重要性については社会的な合意ができていると考えられるからである。
「原発・自主行動」については、異なる原理が働いている。これらの自主的対策を支持 する経団連ブロックと、環境税や排出量取引などの制度的対策を支持する環境省ブロック の考え方の違いは大きく、最終的に前者の志向する政策が選択される。その要因としては 第一に、審議会において自主的対策を支持する団体の方が、制度的対策を支持する団体よ りも呼ばれやすく、政策審議において意見を反映させやすいことである。もっとも審議会 に呼ばれなくともそれ以外の手段を用いて政策形成に影響力を行使することは可能だ。だ が、第二に、制度的対策を支持する環境省ブロックが圧力をかけるタイミングは、多くの 場合自主的対策を支持する経団連ブロックよりも遅く、政策の形成段階に実質的な影響力 行使ができていない。こうして「省エネ・原発・補助金・自主行動」という日本の政策体 系が生み出され、維持される。
第 6 章では、実際に選択された政策の実効性がどのようにして担保されることになっ
ているのかを見た(執行過程)。選択された政策がそのまま実行されるとは限らない。「原 発」の稼働率向上は、そもそもの見通しの甘さ、さらには福島第一原発事故によってまっ たく機能しなかった。これに対して「自主行動」計画については、成果を上げたことが評価されている。なぜ法的根拠のない自主行動がある程度の成果を上げたのか。ここでは、 産業界内部の統合様式に注目した。
気候変動政策として選択された自主行動計画には、本来フリーライダー発生の危険が付 きまとう。しかし、実際にはフリーライダーを防止する仕組みがいくつも埋め込まれてい る。日本において、一業界一業界団体という形式で高度に組織化された業界団体は、各企 業の利益を代表し、政府と交渉してくれる存在である。業界団体は業界全体としての利益 を保護するために一番不利になる企業に合わせるという慣行も敷くことで離脱を防止する 決定方式もとっている。業界団体がこうして業界の利益を代表する代替不可能な存在であ る限り、業界単位での付き合いは長期的に続くため、各企業担当者にとっては「繰り返し ゲーム」状況になる。
しかしこの側面だけでは、たとえフリーライダーが発生しなくとも対策は限りなく最小 限に近いものとなるだろう。だが、ここでは対策が下がりすぎないいくつかの作用が働い
ていることが確認された。第一に、各企業の担当者たちの中には気候変動対策に大きな関 心を持つ人々も多く、実際の対策の実行を引っ張っていた。第二に、これらの先進企業の 取り組みは業界団体単位で集約され他企業に情報伝達がされていた。また一業界一業界団 体という組織の存立状況がこの比較を容易にしている。第三に、政治的影響力を確保し続 けるという組織の存在理由を確保するためにも、業界団体はある程度の対策を上げること への誘因を持っていた。このように日本の「自主行動」を中心とした気候変動対策には、 それを可能にする仕組みが様々に埋め込まれていた。
第7章では、各政策過程で分析した知見を統合して論じた。また本章では、各章から得
られた分析をもとに、現状の政策過程の課題、および政策変更の可能性についても考察し た。
マクロに見た場合「自主行動」中心統治が成立する条件としては、第一に前述の単純化 された対立図式の共有(情報過程)、第二にある程度の大きな政治的影響力をもつ対抗者の 存在(政策選択過程)、第三に競争ではなく協力行動がとられていること(執行過程)が重 要である。
単純化された対立図式の共有は、対立軸を「固着」させる限定された情報源という情報 過程の状況が大きな要因となっている。個々の企業が純粋に利益を追求した場合には「自 主行動」が本当に有利な政策なのかは疑わしい。「自主行動」が有利なのか不利かは、基準 をどこに置くのかによって異なるからだ。それでも、自主行動がもっとも望ましいという 信念が共有されるためには、何が「対抗者」なのかが共有されなければならない。ここで いう対抗するアイデアとは、「経済的な悪影響は大きくはなく」、「環境税や排出量取引」な どの制度的対策が望ましいとするアイデアである。自主行動を支持する個々のアクターに とっては、その他の有利・不利を判断する基準がありえたとしても、制度的対策という共 通の対抗的なアイデアが広く共有されることでこそ、自主行動のほうがより望ましいとす る信念が共有される。
しかし、「対抗者」がある程度の力を持っていない限り、「自主行動」の方が望ましいと いう信念が現実味を持つことはない。環境省ブロックの影響力がもしも経団連ブロックに 比べて圧倒的に小さかったならば、制度的対策の導入も現実の脅威として認識されること はなく、法の裏付けのない「自主行動」が、これほど熱心に行われることはなかっただろ う。確かに環境省ブロックが自身の主張する政策を導入するという意味での影響力は限定 的だ。しかし、そのことが、環境省ブロックが影響力をもっていないということを意味す るわけではない。1990 年代を通じて、環境庁の省への昇格や環境 NGO などの市民団体の 成長により、無視できない「対抗者」となった。
しかし、この対策のあり方は長期的に見た場合には、問題がある。第一に、実際には業 界団体が担う必要がない業務を「自主的」に担うことによって、気候変動対策という公共 的課題が私的自治化される。「自主行動」の政府事業としての位置づけは非常に曖昧である一方、日本の気候変動対策の柱としても位置付けられている。このため、一連の気候変動 政策過程の最終盤である対策実行段階において、政治過程における政治的意見集約と実行 との連関が切断される。第二に、日本全体として低い目標が設定された場合には、熱心に は行われなくなる。第三に、業界団体の指導力が発揮しにくい業界では対策が進みにくい。 第四に、これらのカバー率の低い業界も含めて、今後さらなる対策進展のためには、国民 的な合意が欠かせないが、現状の仕組みではそれは困難であり、かつ成熟した批判勢力も 生み出せない。
京都議定書第一約束期間中の削減目標を達成したという点で、日本の削減政策はある程 度の成果を上げたが、それは社会の仕組みそのものを変える動きではなかった。気候変動 問題という新たな社会課題に対処するためには、政策過程そのものが不断に新たな状況に 合わせてチューニングされていく必要がある。急激な変化は無理だとしても、持続可能な 対策のためには仕組みそのものを育てる必要がある。「自主行動」が当面の対策法であると しても、長期的な方向性を見誤ってはならない。明確なルールと責任を伴う討議を通じて こそ、社会の仕組みとは育つものである。

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