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博士論文要旨

論文題目:戦後日本における病床偏重の高齢者処遇 −コミュニティケア発展の困難の観点から−
著者:髙間 沙織 (TAKAMA, Saori)
博士号取得年月日:2016年3月18日

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章立て
序章 戦後日本における病床偏重の高齢者処遇
 1 問題意識
 2 戦後日本におけるコミュニティケアの構想
 3 コミュニティケアの定義・具体的課題と方法
 4 先行研究との位置づけと本論の学術的意義
 5 地域包括ケアシステムの今日的課題と本論の政策的意義
 6 本論の構成

1章 開業医による病床供給
 1 はじめに
 2 個人・医療法人病院の資本蓄積
 3 医療金融公庫・診療報酬と税制優遇・金融機関からの貸出
 4 おわりに

2章 医療の施設化・高度化と病院での高齢者処遇
 1 はじめに
 2 開業医の節税
 3 医療の施設化・高度化
 4 高齢者の長期入院とその処遇
 5 おわりに

3章 自治体病院による病床供給と入院適応
 1 はじめに
 2 慢性的な赤字体質
 3 自治体病院の病床供給と病床規制
 4 自治体病院の入院適応
 5 おわりに
4章 特別養護老人ホームの運営と入所要件
 1 はじめに
 2 社会福祉法人の成立と医療法人との相違
 3 社会福祉法人の資本蓄積と設備投資
 4 特養の入所要件と入所者の実態
 5 おわりに

5章 市区町村社会福祉協議会と福祉行政の関係性
 1 はじめに
 2 市区町村社協に期待された役割
 3 市区町村社協の経営上の構造
 4 福祉行政と市区町村社協の関係性
 5 おわりに

終章 コミュニティケアの発展に向けて
 1 病床偏重の高齢者処遇に関わる四要素
 2 コミュニティケア発展の困難のロックイン状態
 3 連続性・必然性
 4 政策的示唆
 5 課題

付録 地域包括ケアシステムの存続と自治の機能 一関市国保藤沢病院を事例として
 1 自治の機能を検証する意義
 2 藤沢町の自治
 3 藤沢病院の成立と地域包括ケアシステムの展開
 4 藤沢町の自治の機能
 5 地域包括ケアシステムの存続と自治の機能

引用文献・資料一覧
謝 辞



論文要旨


 1.研究の目的
 本研究の目的は,戦後日本において,病院の病床の供給が軒並み拡大する一方で,その他の福祉施設,自宅で生活するための資源の供給は病院ほどに進展することはなかったこと,そのために高齢者が病床で処遇される傾向になったこと,住民による福祉の組織化というのがなかなか進まず,1960年代以降構想されたコミュニティケアというのが発展しにくかったこと,それらは一体なぜなのかを明らかにしていくことである。
 近年,医療や介護の分野では,「地域包括ケアシステム」というのが,ある種の流行語のようになっている。政策において地域包括ケアシステムは,「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で,生活上の安全・安心・健康を確保するために,医療や介護のみならず,福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」と定義され,専門職のみならず住民も巻き込んで推進されているようである。
 ところが,人々を日常生活圏域で処遇するために医療や福祉サービスを統合させたり,住民を巻き込んでいこうという,今日の地域包括ケアシステムにおける発想は,おそらく日本では1960年代末に,イギリスからコミュニティケアという概念が輸入された当時から構想されていたものであった。 
 しかし,高齢者処遇に焦点をあてた場合,戦後から1980年代初頭の日本では,そのような構想通りにコミュニティケアが発展したとはいい難かった。医療と福祉が統合されて提供されるどころか,その一方の病院施設,並びにその病床数ばかりが増加した。特別養護老人ホームなどの福祉施設の供給は,病院に比べればあまり進展しなかった。コミュニティや自宅で高齢者を処遇するような資源の整備も進んだとはいえなかった。そのうえ,住民をケアの体系に巻き込んでいくというのも,多くの地域で実現したとは言い切れなかった。
 そんななか日本では,1970年代以降,高齢化が急速に進展し,高齢者処遇の問題が浮上するようになる。ところが,上記のようにコミュニティケアが発展しにくかった結果,自宅で処遇されない高齢者や,自宅で一人暮らしできない高齢者の一部は,最も量的に整備の進んだ病床で処遇されていくことになった。
 他の先進諸外国と比較すると,福祉施設や自宅で生活するための資源の整備が進展せず,高齢者の一部が病床で処遇されたというのは,とりわけ日本における特殊な事情であったことがわかる。さらに,今日の地域包括ケア政策に視点を戻すと,1980年代初頭までに供給された病床や,固定化されたコミュニティケアの発展し難さが,その推進を阻害している側面もある。では,なぜ,戦後から1980年代初頭までの日本では,諸外国とは異なるかたち,尚且つ,今日の地域包括ケア政策の推進にも影響するようなかたちで,病床の供給が進展したのだろうか。なぜ,戦後日本ではコミュニティケアが発展し難かったのだろうか。

 2.具体的課題と方法
 上記の問題意識に対峙していくために,本論ではまず,コミュニティケアという概念を「コミュニティ・オーガニゼーションがなされるコミュニティにおいて,支援を要する対象者の個別の必要に応じて,コミュニティケアに対応した病院,福祉施設,自宅においてサービスが提供される体系」と定義した。
 そのうえで,コミュニティケアにおいて医療,福祉,コミュニティ・オーガニゼーションの主たる提供主体となりえた病院,福祉施設,社会福祉協議会にそれぞれ着目することにした。具体的に着目したのは,戦後日本において⑴病床数を軒並み増加させた開業医の個人病院及び医療法人病院,⑵同じ病院でありながら,開業医のように量的拡大をしなかった自治体病院,⑶福祉施設を供給してきた社会福祉法人の特別養護老人ホーム,⑷コミュニティ・オーガニゼーションの実践を期待された市区町村社会福祉協議会である。そして,これらの各提供主体に対して,以下のような5つの具体的課題を設定した。

1. なぜ,開業医の個人病院,医療法人病院は,施設数,病床数を1980年代後半に至るまで軒並み拡大させていくことができたのか。
2. なぜ,開業医の病院は,設備投資のなかでも病床に投資し,その病床で高齢者の長期入院を認めたのか。そして,なぜ病院での高齢者の処遇は,批判されるようなものになったのか。
3. なぜ,自治体病院は,開業医の病院と同じ病院であるにもかかわらず,病床数が開業医の病院ほど増加しなかったのか。なぜ,自治体病院では,高齢者の長期入院の傾向が,開業医の病院ほど見られなかったのか。
4. なぜ,社会福祉法人の特別養護老人ホームは,法人として医療法人と類似した特徴があったにもかかわらず,医療法人のようには施設数,定員数を増やすことができなかったのか。
5. なぜ,市区町村社会福祉協議会は,地域においてコミュニティ・オーガニゼーションの使命が課されていたにもかかわらず,多くの場合それを実践しにくく,行政の安上がりな下請け事業体として機能する傾向にあったのか。

 これらの五つの具体的課題に答えていくために,本論では病院や福祉施設,市区町村社会福祉協議会などの経営を左右した制度に焦点をあて,それを歴史的に整理する方法を採用した。本論が制度に焦点を当てたのは,本論が対象とする開業医の病院,自治体病院,社会福祉法人の特別養護老人ホーム,市区町村社会福祉協議会という四つの提供主体は,どれも医療や福祉などの高い公共性を伴う事業に取り組んでおり,それゆえ一般企業などとは異なる制度的制約を受けて経営されてきたものだからである。
 議論の対象期間は,敗戦後GHQ(PHW)の指示によって医療や福祉の提供のあり方が改革され,新しい法律,制度が構築された時代から,第一次医療法改正によって病床数の拡大に法的な規制が加えられる1985年までとした。
 
 3.各章の概要
 以上の方法によって具体的課題を検討した本論は,次の7章によって構成されており,1章から5章までの内容は,上で設定した5つの具体的課題に対応したものとなっている。以下では各章の概要を整理していきたい。
 まず,序章では,以上に整理したような本論の問題意識を指摘したうえで,コミュニティケアを定義し,具体的課題と方法を提示した。そこでは特に,従来のコミュニティケアに関する研究や,開業医や自治体病院,特別養護老人ホームや社会福祉協議会の個別の研究によっては,戦後日本におけるコミュニティケアの発展のし難さ,病床偏重の高齢者処遇を説明しきれていない可能性を指摘した。
 1章では,開業医の病院である個人と医療法人の病院に着目し,それらの病院が,投下される資金と病院自体にある資本蓄積の構造という二つの点で,他の開設主体の病院や福祉施設に比べて,相対的に病床などの設備投資に有利な条件と構造に恵まれていたことを整理した。それによって,市中銀行などから病院への融資も順調に拡大し,なおさら開業医の拡大再生産が促されたことも指摘した。
 2章では,開業医の病院が,病床への設備投資を促された背景には,彼らに課される税の影響もあった可能性を整理した。さらに,開業医の病院が彼らの病床で高齢者の長期入院を認めることができたのは,高齢者を入院させても経営的に赤字にならない策を,行政などの干渉を受けずに講じられたためであったことを指摘した。加えて,病床での高齢者処遇の一部が批判されるようなものになったのは,必ずしも開業医の営利性のためだけでなく,当時の診療報酬制度や医学・医術の展開もそれに関係している可能性を提示した。
 続く3章では,自治体病院は開業医の病院と同じように,あるいはそれ以上に資金の投下があったにもかかわらず,慢性的な赤字経営体質と政府による設備投資への規制,開業医の病院とは異なる入院適応の判断がなされていたために,病床を増加させることも高齢者の長期入院を開業医ほど受け入れることもなかったことを明らかにした。
 そして,4章では,社会福祉法人の開設する特別養護老人ホームに着目し,それらが医療法人と類似して資本蓄積できる法人としての構造を持ちえていたにもかかわらず,そこへ投下される資金,すなわち措置委託費が医療のそれと比べて著しく抑制されており,同時に,法人内部に利益が蓄積しても所轄官庁の許可なしに自由に設備投資ができなかったために,病院のようにベッド数を柔軟に拡大できなかったことを指摘した。
 さらに5章では,地域の個別のニードを発見し,その克服のための連絡・調整,社会資源の開発などの使命を課されていた市区町村社会福祉協議会に,地方自治体の福祉行政との関わりのなかで下請けとして機能せざるを得ない経営上の構造があったことを言及した。加えて,当時の地方自治体の福祉行政は,直営事業によって福祉を展開することに終始しており,そうした事業型の福祉が主流のなかでは,個別のニードに応じて福祉を組織化しようとする市区町村社会福祉協議会の特性が活かされる土壌がなかったことを指摘した。それによって,当時の市区町村社会福祉協議会は,コミュニティ・オーガニゼーションを実践しにくい状況であった可能性を提示した。
 最後に終章では,以上の1〜5章の各論を総括し,同じように医療,福祉を提供してきた四つの提供主体の戦後の展開の相違に影響した要素とは,何であったのかを指摘した。加えて,戦後から1980年代初頭までに,コミュニティケアの発展のし難さが,いかに崩し難いものとして固定化されたのかを整理した。そして,そのような崩し難い戦後の医療及び福祉の供給のあり方が,今日の地域包括ケア政策にいかに影響しているのかについても検討した。さらに,開業医の病院,自治体病院,特別養護老人ホーム,市区町村社会福祉協議会の戦後のそれぞれの展開をコミュニティケアという概念を用いて並行して議論したことで,新たに浮上した論点を政策的示唆として提示した。

 4.結論
 以上のようなかたちで,コミュニティケアという概念を用いて,開業医の病院,自治体病院,社会福祉法人の特別養護老人ホーム,市区町村社会福祉協議会を並列的に検討したことで,本論は以下の二つの点で学術的・政策的な貢献をしたといえるだろう。

 ⑴病床偏重の高齢者処遇に関わる四要素の抽出
 従来,医療及び福祉の供給における量的な格差は,医療保険制度や措置制度のもとでの「投下資金」の違いだけによって説明されることが多かった。しかしながら,本論がコミュニティケアという概念を採用して,開業医の病院,自治体病院,特別養護老人ホーム,社会福祉協議会を並列的に整理し直したことで,それらの戦後の展開の差異に影響したのは,単に投下資金という要素のみではなく,「資本蓄積」,「入院適応/入所判断」,「行政との関わり」という要素も関係していることが判明した。
 さらに,従来のコミュニティケア研究では,戦後日本におけるコミュニティケアの発展のし難さや病床偏重の高齢者処遇が何によってもたらされたものなのかを説明したとはいえなかったが,本論がコミュニティケアという概念を用いて,各提供主体間の差異を際立たせたことで,以上のような四要素の組み合わせの相違によって,コミュニティケアの発展のし難さや病床偏重の高齢者処遇が生じえた可能性を指摘した。

 ⑵連続性・必然性の指摘
 加えて本論は,コミュニティケアという概念を用いて,戦後日本の医療や福祉の提供のあり方を歴史的に捉え直したことで,今日の地域包括ケア政策の抱える問題の性質はどのようなものなのか,そして,なぜそのような状況であるのかを理解することにも貢献した。今日の地域包括ケア政策では,対象者が地域に供給された複数の施設を巡回するようなシステムが,あたかも「地域包括ケア」であるかのようになっている面もあるが,こうした問題は,まさに戦後日本で供給の進んだ病床の負の遺産として,その連続性のなかで生じているものといえるだろう。

 5.本論の課題
 本論は,以上のようなかたちで,戦後日本における病床偏重の高齢者処遇,コミュニティケアの発展のし難さを紐解くことに貢献し,その知見をもとに今日的な動向の評価にも貢献した。だが,コミュニティケアを高齢者処遇という切り口でしか捉えられていないこと,高齢者処遇の負担の多くを担った家族について議論できていないことなど課題も残る。以上の課題は,今後の研究で検討していきしたい。

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