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博士論文要旨

論文題目:韓国における「周辺部」労働者の利害代表をめぐる政治―女性の「独自組織」の組織化と社会的連携を中心に―
著者:金 美珍 (KIM, Mijin)
博士号取得年月日:2016年3月18日

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1. 論文の構成
序章
第1節 問題意識と研究の目的
第2節 先行研究
第3節 分析視角
第4節 調査の概要
第5節 論文の構成及び概要

第Ⅰ部 歴史的な背景
第1章 「周辺部」労働者をめぐる歴史的背景
第1節 民主化以降社会運動の変化
第2節 「労働者大闘争」以降の労働体制の変化
第3節 非正規雇用の問題と労働運動の戦略的対応
小括
第2章 「女性労働運動」をめぐる歴史的背景
はじめに
第1節 1970代~1990年代における労働運動と女性労働者
第2節 1980年~1990年代における女性運動と女性労働運動
第3節 1997年以降の新たな女性労働運動の登場
小括

第Ⅱ部 組織分析
第3章 「独自組織」の分析
第1節 韓国女性団体連合(KWAU)の組織と活動上の特性
第2節 韓国女性労働組合(KWTU)の組織と活動上の特性
第3節 「周辺部」女性労働をめぐる「独自組織」の特性
小括

第Ⅲ部 社会的連携の多様性
第4章 非正規職保護法の法制化過程における「周辺部」労働者の利害代表
第1節 非正規職保護法制定過程における特徴と社会運動団体の関わり
第2節 非正規雇用問題の社会的争点化と「非正規共同対策委員会」(2000年)
第3節 労使政委員会審議の段階における「非正規共同対策委員会」(2000年)の関わり
第4節 国会審議段階における社会的連携の関与
小括
第5章 最低賃金の引上げをめぐる社会的連携
第1節 最低賃金引上げ過程における代表性の問題と社会運動団体の関与
第2節 韓国における最低賃金制度
第3節 「最低賃金連帯」(2002年~)の連携関係の内実
小括

終章

2. 博士論文要旨内容

本論文は、1990年代以降の韓国における「周辺部」労働者の利害がいかに代表されたかを明らかにすることを目的としている。「周辺部」労働者とは、非正規雇用、インフォーマル部門での労働や失業などにより労働市場の中心から排除されている労働者を指す。かれらの多くは、労働市場における低い地位によって経済的不安定に陥っており、また既存の労使関係からもこぼれ落ち、自らの利害を代表する手段を持たないという問題を抱えている。こうした「周辺部」労働者の利害を代表するため、1990年代末以降韓国では、2つの新たな戦略的運動が現れた。それは、これまで既存の労働組合から排除されてきた「周辺部」労働者の問題を取り上げる新たな労働運動組織の登場であり、市民運動(Civic Movement)による労働問題への関与である。「周辺部」労働者の利害代表をめぐる全体的なダイナミズムを捉えるため、本論文では、既存の労働組合の取り組みを視野に入れた上で、第1に、新たな労働運動組織による組織化過程を明らかにすることと、第2に、労働組合と社会運動との社会的連携関係に注目し、「周辺部」労働者の利害がどのように政策過程に反映されるかを解明するという、2つの研究課題を設定した。その際、新たな労働運動組織の代表的な事例として、正規職中心の既存の労働組合の流れとは一線を画し、いち早く女性の非正規雇用問題に取り組んできた、韓国女性労働者会(KWWA)と韓国女性労働組合(KWTU)という女性労働運動組織に焦点を絞っている。その上で、これらの組織が参加した労働組合と社会運動との社会的連携―その中でも、非正規職保護法の法制化と最低賃金引上げに影響を与えるために形成された「非正規共同対策委員会」(2000年)、「非正規法共同対策委員会」(2004年)と「最低賃金連帯」(2002年~)―の事例をとり上げている。
新しい労働運動組織と社会的連携の実践の詳細を捉えるために、以下の2つの分析視角を設定した。第1は、労働NGOと労働組合という異なる形態の女性労働運動組織による活動を総合的・包括的に捉えるため、女性の「独自組織」という視角の導入である。つまり、「独自組織」の定義を、職場で団体交渉力を持つ労働組合という狭義のそれに限定せず、職場と生活空間及び市民社会領域にまたがる組織として拡張して理解し、その活動形式を労働者の日常生活及び、市民運動の変化と連動させて捉えようとするのである。こうした視角に基づき、本論文では、2つの女性労働運動組織間の協力関係の形成過程を歴史的な脈絡から把握し、女性非正規労働者の利害代表をめぐって両組織がいかなる役割分担関係をつくり出してきたのかを多角的に分析している。これによって、女性非正規労働者をめぐる「独自組織」の取り組みの多様性を把握することができるからである。
加えて、第2に、社会的連携の形成過程及び各参加団体の役割を検討する際には、連携関係を形成する4つの要素―共通の関心、連携の構造、参加団体の能力とコミットメント、連携活動のスケール―に基づいた分析を行い、既存の労働組合、市民運動と女性の「独自組織」とがどのような役割を果たしたのかを明らかにする。その上で、社会的連携が政策決定に影響力を展開する「場」として政策アリーナの内部と外部を設定し、非正規職保護法の法制化と最低賃金の引上げという主要政策決定過程において参加諸団体が相互に果たした役割関係を分析しようとした。
こうした「独自組織」と社会的連携を分析する際には、女性労働運動組織と非正規職保護法の法制化と最低賃金引上げの政策過程に参加した運動諸団体に関する第1次資料に加え、2009年から2014年まで関係者を対象に実施したインタビュー調査及び参与観察から得られたデータを用いている。これらの資料は、女性労働運動組織や社会的連携に参加した運動諸団体の結成の背景や歴史、組織運営や活動、また、非正規保護法の法制化や最低賃金に関する諸団体の問題意識などを把握する上で不可欠である。とりわけ、社会的連携の形成過程及び各参加団体の歴史に関しては、聖公会大学民主資料館で段ボール箱詰めの未開封の状態で保管されていた資料を整理した上で用いており、これらによって、労働運動研究においてこれまで研究の対象として注目されてこなかった、新たな労働運動組織と市民運動団体の活動及び役割を実証的に解明することが可能となる。
以上の問題意識と分析視角に基づき、つづく本文では、歴史的背景、組織分析、社会的連携の事例分析という3つの部分に分け考察を行った。
第Ⅰ部では「周辺部」労働者の増加と、それに対する取り組みが登場する歴史的背景を検討した。まず第1章では、1987年の民主化以降、市民社会及び、労働体制―労働市場、労使関係、労働政治―の変化に焦点を置いた。市民社会領域においては、民主化以降、経済以外の問題に積極的に関わっていた市民運動が、アジア通貨危機以降、経済構造の変化、中間層の崩壊により、貧困・失業・社会的安全網、非正規雇用の問題などへの関与が増加するという変化が見られた。さらに、労働市場においては、アジア通貨危機以降、大企業・正規中心の安定的な内部労働市場が縮小すると同時に、中小企業・非正規雇用を中心とする外部労働市場が拡大するなど、労働市場の二重構造化が顕著になってきた。これに対して労使関係においては、正規職労働者を中心とする労働組合から非正規労働者が排除されてきた。さらに、1987年「民主化」以前の労働運動を主導していた民主労働運動勢力は、アジア通貨危機以降、合法的なナショナルセンターとして認定され、労働者の代表として政策過程に参加できたものの、この参加は、非正規雇用の増加をもたらす労働の柔軟化政策に合意する代わりに得られたものであった。以上の検討から導き出されたのは、非正規雇用が労働市場、労使関係、労働政治から排除されてきたこと、及び市民社会がその受け皿になってきた動向である。さらに、「周辺性」という視点を中心に女性非正規雇用の実態を考察したうえ、その実態と非正規労働者をめぐる既存の労働組合の取り組みの間にずれがあったことを明らかにした。
第2章では、女性労働の「独自組織」の起源を1970年代の軍事独裁政権に対抗してきた民主労働組合運動と、1980年代の女性運動の分化から探り、組織形態の特徴、活動内容の変化を考察した。1970年代の民主労働組合運動と1980年代の女性運動という2つの流れから始まった韓国の女性労働をめぐる運動は、1987年に韓国女性労働者会(KWWA)の結成につながった。韓国女性労働者会(KWWA)は、「進歩的」との評価を集める女性運動の連合体である韓国女性団体連合(KWAU)との密接な関係に基づき女性労働を改善する法制化運動を主導してきた。だが、1990年代半ば以降は、女性運動のテーマが多様化していくなか、低所得層女性をめぐる労働のイシューは女性運動の中心課題から遠ざかるに至っていた。また、韓国女性労働者会(KWWA)は、交渉力を持たないNGOという限界に直面し、女性のみの労働組合である韓国女性労働組合(KWTU)を結成するに至った。
こうした歴史的背景を踏まえた上で、第Ⅱ部の「組織分析」では、第3章において、韓国女性労働者会(KWWA)と韓国女性労働組合(KWTU)の組織と活動上の特性を分析した。韓国女性労働者会(KWWA)は「周辺部」労働者を対象とした生活と就労の支援サービスの提供と、政策対応に関するアドボカシーという、生活空間と市民社会領域にまたがる活動を担ってきている。具体的には韓国女性労働者会(KWWA)は、労働相談、貧困女性の自立支援、女性労働者の職業訓練、職業斡旋、家事労働者の組織化といった生活と就労の支援サービスを提供するとともに、アドボカシーなどの政策対応活動を担ってきた。これに対し、韓国女性労働組合(KWTU)は多様な業種にわたる女性非正規労働者を組織化し、団体交渉を行うなど、職場における利害に基づいた女性非正規労働者の当事者組織として位置づけられる。
第Ⅲ部「社会的な連携の多様性」では、「周辺部」労働者の利害が政策過程にいかに反映されるのかを社会的連携を中心に考察した。第4章では、非正規職保護法の制定に「周辺部」労働者の利害が反映される過程を、「社会的争点化」、「労使政委員会審議」、「国会審議」という3つの段階に分け、各政策過程において労働組合、「独自組織」及び他の社会運動がいかに連携関係を形成し、また、これらの連携活動が政策決定過程にどのような影響を与えたかを考察した。その考察から、「社会的争点化」、「労使政委員会審議」の段階で形成された「非正規共同対策委員会」(2000年)の事例では、非正規雇用の不安定性が社会正義の観点から「生活の質」を脅かすものとして共通に認識されたことによって、多様な運動団体が社会的連携の結集に繋がっていたことを解明した。さらに、各団体における連携関係への参画の程度は多様であったが、なかでも、労働組合のみならず、市民運動団体、女性労働の「独自組織」などの積極的な関与が確認できた。
一方、2004年発表された政府案に反対するため結成された「非正規法共同対策委員会」(2004年)は非正規職保護の法案が国会で審議される際に、さまざまな圧力をかけた。これによって、同法案は国会審議の段階で労使が直接議論できる「労使政代表者会議」という政策決定の場が設けられた。しかし、「非正規法共同対策委員会」(2004年)に参加していた諸参加団体間の利害関心がくいちがっていたために、さらに仲介団体の求心力の低下によって、社会的連携に参加した労働組合と他の社会運動間の関係は解散に至らざるをえなかった。こうした非正規職保護法をめぐる社会的連携の考察を通じて、同法の法制化過程において大きく影響を与えていたのは、労働組合の組織的な動員よりも、市民社会における社会的連携であったことが明らかになった。
第5章では、「最低賃金連帯」(2002年~)の事例を中心に、労働組合と「周辺部」労働者の「独自組織」、及びその他の社会運動団体の役割について検討した。各参加団体の役割は、次の3点が明らかになった。第1は、韓国労総・民主労総といった既存の労働組合による政策過程のインサイダーの役割と、政策過程と他の社会運動とをつなぐ架け橋としての役割である。両組合は、その専門性やインサイダーとしての位置を保ちつつ、「最低賃金連帯」(2002年~)という社会的連携において幹事団体の役割を担っていたのである。第2は、最低賃金に直接的な影響を受けている当事者を組織化した団体の存在が、政策過程に参加する労働組合に正当性を与えていたことである。その代表的な例としては、韓国女性労働組合(KWTU)と韓国青年ユニオンがある。第3は、社会的な影響力と道徳的な権威に基づく支援の役割である。参与民主社会と人権のための市民連帯や経済正義実践市民連合といった社会的な影響力をもつ市民運動団体の参加を得て、「周辺部」労働者の抱える低賃金の問題が社会的・経済的公正の観点から押し出されるようになった。これらの参加諸団体の役割が相互補完的に作用し、最低賃金に対する社会的な関心が寄せられた結果、「最低賃金連帯」(2002年~)という社会的連携関係の形成が使用者側や政府にも圧迫をかける有効な戦略となったのである。
終章では、これまでの議論を総括するとともに、今後の課題を提示した。以上の本論文の考察を通じて、以下の知見を提示することができる。第1は、女性労働運動組織間における相互補完的な協力関係、あるいは役割分担関係である。本論文で検討した2つの女性労働運動組織は、「周辺部」労働者の利害と深く関与しつつ、多面的な活動を展開してきた。これらの組織は、労働NGOと労働組合という異なる組織形態を持つことによって、幅広い活動領域を担うことができ、またそれを可能とする明確な役割分担関係を有していた。この点から、「周辺部」労働者の利害を代表するためには、活動範囲を労働条件の改善や雇用安定といった職場における活動だけに留めることなく、職場、生活、市民社会領域をつなぐ、多面的な活動を展開することが、「周辺部」労働者の現実に合致した戦略となりうるとの示唆を得ることができるだろう。
第2に、「周辺部」労働者の利害を政策過程に反映するにあたって、現に労働組合以外の多様なアクターが関与した事実が重要である。社会的連携に参加した運動団体の特徴を、運動分野、政治的志向、民主化運動への関わり方という歴史的な経緯、運動スタイルなどを基準に分類して検討した結果、「周辺部」労働者の利害をめぐる政策過程には、既存の労働組合をはじめ、民衆運動、市民運動、女性運動などに関わるさまざまな諸団体が参加していたことが明らかになった。本論文における「非正規共同対策委員会」(2000年)、「非正規法共同対策委員会」(2004年)及び「最低賃金連帯」(2002年~)の分析から浮かび上がったのは、韓国における「周辺部」労働者の利害代表には、既存の労働組合以外の女性の「独自組織」を始めとした新たな労働運動組織、及び市民運動団体の参加による社会的連携とその裾野の広がりが、決定的な役割を果したという事実である。こうした知見は、「周辺部」労働者の利害の代表において、既存の労働組合の取り組みだけに注目する視角を越えて、「周辺部」労働者の「独自組織」の取り組みと、市民社会、とりわけ、市民運動といった社会運動の役割を分析の射程に取りこんだ本論文の独自の方法視角から明らかにしえたと言うことができるだろう。
本論文が取り上げた1997年のアジア通貨危機から非正規職保護法が制定された2006年までの約10年間は、民主化運動勢力の支持を基盤としていた金大中政権と盧武鉉政権によって、政治・社会における民主化改革が行われると同時に、アジア通貨危機の影響を受け、新自由主義政策が本格的に展開しはじめた時期である。とりわけ、この時期から既存の労働組合に包摂されない労働者層の増加によって労働者の代表性に対する懐疑の念が社会的に強くなり、労働組合の衰退が顕著になってきた。本論文は、「周辺部」労働者の利害をめぐって市民運動及び新たな労働運動組織、労働組合の間に連携形成の動きが顕在化し始めた時期に注目し、その経緯を捉えた。本論文で明らかにしてきたように、韓国の「周辺部」労働者の利害代表の動きは、新しい労働運動組織と市民運動が既存の労働組合の影響力低下を補って余りあるかたちでなされてきた。民主化政権に続く保守政権―李明博政権と朴槿恵政権―期において新自由主義政策がより一層加速化されている今日、新たな労働運動組織及びの社会的連携の動向が今後の「周辺部」労働者の利害代表をめぐる労働政治にどのように影響を与えるかについて、本論文の分析視角を用いつつフォローアップする必要がある。

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