博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:日米財界関係に関する政治社会学的研究 ―ネオ・グラムシ派のアプローチを中心に―
著者:高瀬 久直 (TAKASE, Hisanao)
博士号取得年月日:2016年3月18日

→審査要旨へ

・論文の章立て
序章 本研究の課題と分析枠組み
1 本研究の問題関心
2 先行研究の検討
3 本研究の課題と分析枠組み
4 アメリカにおける有力な資本諸分派――その歴史的展開
5 日本における有力な資本諸分派――その歴史的展開
6 本研究における時期区分について
7 本研究の構成
第1章 自由主義的国際主義の時代
1 アメリカにおける金融界の台頭と自由主義的国際主義の形成
2 日米金融界の提携と日米経済関係の緊密化
3 自由主義的国際主義の危機と日本
第2章 アメリカにおける法人自由主義(埋め込まれた自由主義)の形成と日米対立
1 フォード主義的諸産業のアメリカ多国籍企業の台頭と法人自由主義の形成
2 アメリカ多国籍企業と日本経済
3 日米間での国際経済秩序観の相違
第3章 法人自由主義の時代
1 アメリカの企業・銀行の日本再進出と逆コース
2 日米電機業界の提携
3 日米パートナーシップと日米経済関係の緊密化
第4章 法人自由主義の危機、自由貿易体制の堅持、新自由主義の形成
1 アメリカと日本における法人自由主義の危機
2 日米間での自由貿易体制に関する合意
3 アメリカにおける金融界の台頭と新自由主義の形成
第5章 新自由主義の時代
1 アメリカ金融界と日本の米系外資企業・多国籍企業の提携
2 成長のための日米経済パートナーシップと日米経済関係の緊密化
3 リーマン・ショックとトヨタ・ショック
終章 本研究の成果と課題
1 各章の要約
2 本研究の成果
3 今後の課題

・各章の要約
以下、序章の要約である。本研究は、1920年代から2000年代までの日米財界関係を主な対象とした政治社会学的研究である。日本にとってイギリスに代わってアメリカが世界経済の中心となった第一次大戦以降、日米関係は最も重要な二国間関係となってきた。とりわけ、アメリカを中心として日米間で経済政策・理念が共有され、投資さらには貿易が拡大していくことは、日米経済関係及び日本経済の発展にとって重要であった。本研究は、こうした「日米経済関係の緊密化」をもたらす要因を明らかにすることを念頭に置き、日米両国の経済政策の形成に影響力を有する日本財界とアメリカ財界の関係(日米財界関係)に焦点を当てた。その際、本研究は、1920年代以降にアメリカ財界を支え対日投資を行ってきたアメリカの多国籍企業・国際的銀行に着目し、分析の中心に据えた。こうした視点に立って、1920年代から2000年代までの日米財界関係を対象とした分析は、これまでの先行研究(世界システム論・アメリカ「非公式」帝国論・日米関係史研究等)において行われてこなかった。そこで、本研究は、アメリカの対欧投資に着目しながら欧米経済関係の緊密化の過程を研究してきたネオ・グラムシ派の分析枠組みを中心として、政治社会学的分析枠組みを構築した。すなわち、日米の財界を構成する多様な諸集団について、その拠って立つ業界、企業活動の地理的スケールを参照基準とし、アメリカからの対日投資の影響も考慮に入れて、資本諸分派と捉えた。また一定の理念・政策を共有する資本諸分派と政治エリートの連合を統治連合と捉えた。こうした基本的な分析枠組みに基づき、日米両国で資本蓄積を主導する最も有力な資本諸分派(及び統治連合)の関係と日米経済関係の緊密化との関連を明らかにしようとした。そのため、第一に、日本に投資していたアメリカ財界における最も有力なトランスナショナルな資本分派、第二に、日本財界における最も有力な資本分派の動向を参照基準として、1920年代から2000年代までの期間を5つの時期に区分した。そして、5つの時期において、日本に投資していたアメリカ財界における最も有力なトランスナショナルな資本分派と、日本財界における最も有力な資本分派との関係の特徴について、日米経済関係の特徴も考慮に入れながら、明らかにすることを目指した。各時期については、1章から5章で具体的に論じた。
第1章は、1920年代から30年代初頭までの時期を対象とした。アメリカでは、有力企業や日本政府公債を含む外国公債にも投資を行って経済成長を牽引したトランスナショナルな金融資本分派(国際的銀行)が最も有力であり、統治連合を支えた。日本では、国内企業への融資も行っていた金融資本分派(有力銀行)が最も有力であり、統治連合を支えた。双方の代表者は、新四国借款団に関する交渉を通じて一定の提携関係を結び、経済面でワシントン体制を支えた。その過程で、日本の金融資本分派の代表者は、アメリカからの対日投資を受け入れていった。そしてアメリカを中心とした国際金本位制への日本の参加を支持し、金本位制と均衡財政を軸とした自由主義的国際主義に対する支持をアメリカの国際的銀行の代表者と共有して国際的提携を行った。その過程で、日米経済関係は緊密化した。しかし、アメリカを中心とした世界恐慌の中、国際金本位制の基盤は崩壊し、日米金融界の提携は断ち切られた。
 第2章は、1930年代半ばから1945年までの時期を対象とした。アメリカでは、フォード主義的諸産業を中心としたトランスナショナルな生産資本分派(自動車・電機・石油産業等の多国籍企業)が有力になっていった。この集団は、国家の介入政策と自由貿易政策を軸とした法人自由主義(埋め込まれた自由主義)を支持し、国際的銀行の関係者と共に、1940年代初頭以降に統治連合を支えるようになった。また、この集団は、日本経済にも一定の投資を行い、特に電機産業では日本で提携者が形成された。ただし、日本では、国家の保護政策や軍需に支えられて、重工業を代表する鉄鋼業が有力となり、1940年代初頭までに統治連合を構成し、勢力圏構想を支えた。アメリカでは、多国籍企業・国際的銀行の関係者や外交官経験者を組織した外交問題評議会の戦争と平和研究グループの関係者と国務省の関係者が、日本・中国・東南アジアを含めた自由経済圏の形成を支持した。対中政策を含む日米の統治連合関係者の国際経済秩序観は異なっていた。
 第3章は、1945年から60年代までの時期を対象とした。アメリカでは、フォード主義的諸産業を中心としたトランスナショナルな生産資本分派(自動車・電機・石油産業等の多国籍企業)が有力だった。この集団は、アメリカでフォード主義的資本蓄積を推し進めた。また、国家の介入政策と自由貿易政策を軸とした法人自由主義(埋め込まれた自由主義)を支持し、国際的銀行の関係者と共に、統治連合を支えた。さらに電機・石油産業の多国籍企業及び国際的銀行は、1940年代後半以降、日本経済に対して投資を行った。電機産業では、日米企業間で戦前来の資本・技術・人的提携が復活した。日本では1950年代半ば以降、そうした電機産業の代表者が他の資本諸分派の利害にも配慮しながら有力な立場に立った。また、訪米視察団等を通じて経済成長を続けるアメリカの政策動向を参照しながら、対米輸出の増大を前提としてフォード主義的観点を受容し、法人自由主義を支持して、日本で統治連合を支えた。さらに、アメリカからの対日投資も日本経済発展の梃子として容認した。1960年代には、法人自由主義を支持する日米電機産業の代表者を中心に財界・政治指導者による一定の提携関係(連合)が日米間で形成された。そして、アメリカからの対日投資は増大し、日本の対米輸出も増大して、日米経済関係は緊密化した。
 第4章は、1970年代から90年代初頭までの時期を対象とした。アメリカでは、70年代にフォード主義的諸産業が苦境に立ち、法人自由主義が危機に陥る中で、トランスナショナルな金融資本分派(国際的銀行)が国内外で活動を拡大して日本への投資も増大させていった。この分派は、アメリカにおける資本蓄積の隘路に対応するため、80年代以降、新自由主義を支持し、金融主導の資本蓄積の輪郭を形成するとともに統治連合を支えた。日本では、ブレトンウッズ体制の崩壊と石油ショックを背景に、法人自由主義が危機に陥る中で、賃上げ抑制を主導した鉄鋼業界の関係者が有力となり、日本の輸出主導型成長を牽引し統治連合を支えた。国際競争力の高かった鉄鋼業に代表される日本の輸出主導企業は、日本に投資していたアメリカの国際的銀行・多国籍企業とともに、日米間で自由貿易体制を維持することに一定の利害を共有した。また、プラザ合意後には、アメリカへの対外直接投資を行うことで発展を目指すトランスナショナルな生産資本分派(多国籍企業)が、自動車・ハイテク業界を中心に台頭した。
第5章は、1990年代半ばから2000年代までの時期を対象とした。90年代半ば以降、アメリカでは、IT産業にも支えられて、金融主導の資本蓄積を主導するトランスナショナルな金融資本分派(国際的銀行)が有力となり、新自由主義を支持して統治連合を支えた。また、対日市場開放要求を強めた。日本では、バブル崩壊と超円高を背景に、金融資本分派(有力銀行)と鉄鋼企業に代表される輸出主導型企業が苦境に陥った。こうした状況の中、対日投資を行っていたアメリカの国際的銀行と提携したアメリカ系外資企業と多国籍企業が有力な立場に立つことになった。この集団は、日本で資本蓄積を主導し新自由主義を支持して統治連合を支えた。2000年代には、アメリカの国際的銀行と日本のアメリカ系外資企業・多国籍企業の提携を軸に新自由主義を支持する財界・政界の代表者による提携関係(連合)が日米間で確立された。同時に、アメリカから日本への投資(特に企業の株式への投資)、日本からアメリカへの直接投資が急速に増大し、日米間で、日米経済関係は緊密化した。しかし、アメリカにおける金融主導の資本蓄積がリーマン・ショックによって危機に陥り、アメリカ市場への依存を強めていた日本の多国籍企業もトヨタ・ショックと呼ばれる経済不況に見舞われた。
各章の内容を踏まえて、終章では、本研究の成果について述べた。本研究の第一の成果は、アメリカで資本蓄積を主導して日本にも投資していたトランスナショナルな資本分派(及び統治連合)と、日本側でアメリカからの投資を受け入れながら資本蓄積を主導する資本分派(及び統治連合)との提携関係が、日米経済関係の緊密化をもたらすことを明らかにしたことである。1920年代から30年代初頭までの時期について日米金融界の提携が重要であったことは、先行研究で明らかにされていた。本研究は、とりわけ、1950年代後半から60年代までの法人自由主義(埋め込まれた自由主義)の時代において、アメリカの電機産業と日本の電機産業の提携が日米経済関係の緊密化につながったこと、90年代半ばから2000年代までの新自由主義の時代において、アメリカの国際的銀行と日本のアメリカ系外資企業・多国籍企業の提携が、日米経済関係の緊密化につながったことを明らかにした。第二次大戦後の日本財界に関する先行研究が、その視野を国内に集中させていたのに対して、本研究は、日米経済関係の緊密化を理解する際に日米財界関係に対する視点が重要であることを提起した。
 さらに、本研究は、アメリカの多国籍企業・国際的銀行を日米財界関係の分析の中心に置く際に、ネオ・グラムシ派のアプローチを中心に据えた。日米を対象とした本研究の知見を、アメリカの対欧投資に着目してアメリカを中心とした欧米経済関係の緊密化過程の解明に取り組んできたネオ・グラムシ派の研究成果と比較すれば、およそ次のような共通点と差異を見いだせる。1920年代初頭から30年代までのアメリカを中心とした国際経済関係の緊密化を支えたのが、アメリカの国際的銀行による対外投資と自由主義的国際主義を支持する各国の有力銀行の関係者及び統治連合であった点は、欧米間及び日米間で共通していた。ただし、中央銀行の代表者が有力であったという点では、日本は、特にドイツと共通点が見られ、民間の金融界が強力であったイギリスとは国際金融における位置が異なっていた。また、1950年代後半から60年代にかけてのアメリカを中心とした国際的経済関係の緊密化を欧州側・日本側で支えたのが、アメリカを中心としたフォード主義的大量生産産業の多国籍企業の展開と法人自由主義(埋め込まれた自由主義)を支持する企業関係者や法人自由主義を支持する統治連合の関係者であった点について、欧米間及び日米間で共通点が見出せるといえる。他方、差異について指摘すれば、米欧間では特にアメリカの自動車産業における多国籍企業がアメリカ側の有力な集団として指摘されてきたのに対して、日米間ではアメリカの電機産業における多国籍企業がアメリカ側の有力な集団であった。さらに、新自由主義の時代における欧米間での経済的緊密化を支える資本分派の中では、米欧の有力銀行の重要性が従来指摘されていた。ただし、日米間において、1990年代後半から2000年代にかけての新自由主義の時代における日米経済関係の緊密化を日本側で支えたのは、アメリカの国際的銀行の関係者と提携したアメリカ系外資企業や多国籍企業であり、日本の有力銀行の果たした役割は見いだせなかった。
 以上を踏まえれば、ネオ・グラムシ派の分析枠組みは、1920年代以降から2000年代にかけて、アメリカで資本蓄積を主導していったトランスナショナルな資本諸分派(国際的銀行・多国籍企業)が、自由主義的理念・政策を掲げて統治連合を支え、対外投資を通じて、各国の資本分派の代表者及び統治連合と利害・自由主義的理念・政策を共有し、トランスナショナルな次元を組み込みながら欧米間・日米間で経済関係の緊密化をもたらしてきたことを理解する上で、一定の有効性を備えている。従来のネオ・グラムシ派の研究では、日米欧三極委員会に関する研究を除けば、専ら欧米が主な対象とされた。本研究は、ネオ・グラムシ派の一定の分析枠組みを1920年代から2000年代の日米間に適用し、一定の有効性を示した。同時に、欧米・日米の比較を可能とする視点を提示した。このことが、本研究の第二の成果である。
これらの点に加え、第二次大戦後におけるアメリカから日本へのフォード主義的観点の波及がアメリカの電機業界と提携した日本の電機業界の代表者を中心にもたらされた点について、本研究は指摘した。この点は、日本のフォード主義に関する研究で必ずしも触れられてこなかった点であり、本研究の第三の成果である。

このページの一番上へ