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博士論文要旨

論文題目:ジュウォギjwogi、ジャジュウォキjajwok、ティポtipo、そしてラムlamの観念 ―ウガンダ東部パドラPadholaにおける「災因論」の民族誌的研究―
著者:梅屋 潔 (UMEYA, Kiyoshi)
博士号取得年月日:2015年3月11日

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 本論文は、4部からなっている。第Ⅰ部(序章)では、「災因論」について先行研究の整理と検討を行い、調査地の歴史的背景について論じた。第Ⅱ部(第1章~第9章)は、アドラの災因論を構成するエージェントについての民族誌的な記述である。第Ⅲ部(10章~11章)は葬送儀礼に対象を絞って民族誌的記述をまとめたものである。第Ⅳ部(12章~総括)では歴史的事件を中心に据えてアドラの「災因論」の動態的な側面を取りあげた。
 第Ⅰ部では、「災因論」をとりまく性質の異なる3つのコンテキストの存在を指摘した。それは、近隣社会の比較民族誌的な問題、80年代以降盛んとなった「妖術の近代性」をめぐる問題、そして「災因論批判」である。「物語論」は、「災因論」における「原因」概念を問題化するかたちで一時注目されたが、これらの概念はともに議論がつくされないまま放置されていたのが現状である。そこでは、古典的な問題だが、合理論者たちと経験主義の対立的立場が認められる。ここでは、「物語論」の理論的立場を概観し、「災因論」と「物語論」とが焦点化する問題意識が、アルフレッド・ジェルの議論と共有される部分があることを指摘した。同時に、これまでの「災因論」批判のいくつかは、ジェルの「アブダクション」の概念を導入することで、無効化されることも示唆した。次に、現地の民族、歴史、政治、宗教などについていわゆる民族誌的背景を先行研究の検討を含めて概観し、調査方法とテキストの扱いについて本論文における方針を示した。
 第1章では、パドラのトウォtuwoを構成する代表的な88の種類とその対処法を概観した。同じミレルワと呼ばれる医療従事者のなかで、「ムズング(白人)の」と形容される「近代」医療に関わるものと、「ニャパドラ」(アドラ流の)といわれる「伝統」に類するものとが、現地の理解では相互に「絡み合っている」実態を紹介した。特定の症状についてはジュウォギ(霊)に帰される例が多いが、しかるべき「災因」との結びつきは柔軟あるいは脆弱で、いかようにでも解釈できる可能性があり、「病気」の同定と対処にあたって長老、施術師などの特定の権威者による判定が果たしている役割が指摘された。
 続く第2章「「災因論」」では、一人の老人から得た録音資料にもとづき、アドラの「災因論」のうち、ジュウォギjwogi(死霊)、ティポtipo(殺害された者の霊)、アイラayira(毒)、ラムlamをとりあげ、次のような特徴を指摘した。(1)死にはその背後に「不幸」があること、(2)それはジュウォギによって引きおこされていること、(3)ジュウォギは専門家により操作可能であること、(4)屋敷の外部で死んだ者は不幸の原因となりうるので、特別の配慮が必要とされること、(5)死者は生者と同じく、妬みを持ち、さまざまな要求をするが、それにこたえて儀礼をしないと不幸がもたらされること、(6)何者かに殺害された死者は、ティポとして殺害した加害者や関係者に不幸をもたらすこと、それを解消するには「骨囓りの儀礼」をするべきであること、(7)毒を用いるのはジャジュウォキjajwok(後述)であること、などである。(8)「呪詛」は、年長者に対する不敬行為に対して発動し、不幸がもたらされること、解決するためには年長者の納得する賠償や謝罪と「浄めの儀礼」「骨囓りの儀礼」が必要であることなどである。そこでそれらの「災因」の体系が複数併存するという実態が抽出された。一人の話者のなかでも、それぞれの概念は排他的な意味領域の境界を形成せず症状からどの観念を災因として選び採るかという診断の基準もあいまいであること、「専門家」や占いなどの技法が介在した場合のほかは、解釈者の判断によって、「災因」がかなり恣意的に選ばれることが指摘された。
 第3章では、ジャジュウォキjajwokの観念について検討した。この語の意味領域の極として、反社会的な「ウィッチとしてのジャジュウォキ」と「ナイト・ダンサーのジャジュウォキ」とがある。前者は、他人に毒を盛ったり、邪術をかけたり、他人の畑を不毛にし、死霊を使役する、反社会的存在である。後者は、「性癖」や「病」として本人の意思にかかわらず継承してしまうこともある「ナイト・ダンサー」である。夜裸で踊り狂い、さほど反社会的ともいえず、本人もそれと気づいていないことすらある。両者は同じ「ジャジュウォキ」の語彙で呼ばれ、「ウィッチとしてのジャジュウォキ」と、「ナイト・ダンサーのジャジュウォキ」は認識のなかでも交差する。「ウィッチとしてのジャジュウォキ」によって行われた加害行為の結果起こる症状は「呪詛」によるものと同じであり、「夜裸で外に出たがる」行動は、精神疾患の症状としても一般的な行動でもある。外形上の行為だけではそれが「ナイト・ダンサーとしてのジャジュウォキ」なのか、精神疾患であるのか、区別がつかない。ジャシエシにより明晰な判定が与えられるのでなければ、「ジャジュウォキ」がどうかの判断はできず、多様な解釈がありうることになる。「ジャジュウォキ」は、このように、典型的なインデキシカリティが顕著にあらわれる概念であることが確認された。
 第4章でみた「ジャミギンバjamigimbaの観念」は、いわゆるレインメーカーである。このレインメーカーについての考え方を紹介することによって、社会の周縁や構成員に根本的にほかの人間とは異なる能力や手段を持っている人間がいる、という仮定、その想像力が隣人に与えるイメージは、この社会の理念上の共同体の境界にある種の輪郭を与えているとの結論を得た。
 第5章「ティポtipoの観念」では、「殺人」を契機にして発現する死霊であるティポが、近隣民族と対比してどのような特徴を持っているのかを比較民族誌的に検討したものである。ティポは殺人による死霊であり自然死による死霊であるジュウォギとは異なる。ティポは、殺人の加害者に目標を設定して長期的な攻撃を仕掛けるとされる。このティポの攻撃の標的となるのは、基本的には殺人の主犯、遺体の第一発見者だが、情報を流した共犯や、意図せず殺人の状況をつくってしまった人間や、加害者が殺人の行為のあとにはじめて入った小屋の住民なども含むという。また殺人者の食物をともに食べることを通じてティポの標的が「伝染」することもあるとされる。被害者の症状はAIDSと同じである。孫の世代から病に冒され、死んでゆく。「骨囓り」と呼ばれる儀礼が、その攻撃から逃れることができる唯一の方法であるとされる。ティポの攻撃の標的となる範囲は広いから、知らず識らずのうちにティポの犠牲になったと判定された人々も、半信半疑のまま何らかの手を打つ。犯人ではなくても「とばっちり」がありえて、誤爆もよくある。本来「ティポの攻撃である」という診断に自ら肯定的に確信が持てるのは、「殺人事件」の加害者その人だけだ。反面、「ティポの攻撃ではない」ということを証明するのは、不可能である。心当たりがなくても、可能性は否定できない。「孫の世代に最初にあらわれる」ということは、歴史上の近隣民族との紛争を考慮すると、自分の先祖が「殺人者ではない」可能性はゼロに近いからである。アドラのティポの特徴は、「殺人」という事件に特化している点である。ランギのティポには魂の安寧をはかって祖先になってもらう、という転換可能性が認められるが、アドラのティポには、そうした「無害なもの」「祖先の霊」などへ変化する可能性が希薄であると考えられる。
 第6章では、ラムlamの概念をあつかう。これは近似的に「呪詛」と訳すことができる。「呪詛」は年長者の権利、社会的な懲罰の側面があり、かけた側に正当性が認められる。「呪詛」の力の根拠は血のつながりに求められる。ジャラーミとなるのは、オジ、オバが多く、兄弟の息子が典型的な被害者である。花嫁代償の分配が適切ではない場合や寡婦相続の正当性が問われる場合など、社会関係の秩序が問題となる場合に発動される。症状としては、酒浸りになる、仕事がうまくいかなくなる、女たらしになる、財産を失う、裸で出歩くようになる、不幸になるなど、およそあらゆる種類の「不幸」が「呪詛」のせいにされうる、といってよいほど多岐にわたる。災いの経験から遡及的に解釈され、「呪詛」の影響と思い当たるケースが多い。「呪詛」の効き目は、遠く離れると弱まるといわれる。「浄めの儀礼」を行う際には、過ちに対して、謝罪と賠償で和解に対する合意形成がなされる。通常は「呪詛」された者の父親が介入し、クランや長老が、儀礼の執行を促す。クランの手続きは裁判のそれに準ずるものである。ジャラーミが解呪せずに死んだ場合に行う「浄めの儀礼」のバリエーションもいくつか知られている。本人の自覚がなくともジャラーミにされてしまったら「浄めの儀礼」を不承不承やらないわけにはいかない。その後のことは「呪詛」の存在と「浄めの儀礼」を前提に認識される。キリスト教によって、ウェレやジュウォギといった従来の神霊の観念体系とそれをめぐる実践は打撃を受けたが、「呪詛」はその影響をさほど受けていない。それは聖書の記述と矛盾しない、ということもあるが、より公式的、社会的な規範やその違反に対する罰則としての側面が強いという特徴にも理由がある。
 第7章「ルスワluswa」の観念である。これは「インセスト・タブー」の侵犯である、と訳されることもあるが、それだけではない。ルスワは親族との性交渉により発生するものと、近親者の裸形や性器などを目撃してしまう(事故も含む)という「不適切」な行動から発生するものとがある。父母やオジ・オバのベッドで寝たり、セックスしたり、ということもルスワとみなされる。クラン外婚や「性」の濫用を防ぐための性にまつわる社会的な規範としてきわめて重要な位置を占めている。「親子間では「呪詛」は効果がない」という原則があるので、父や母に「呪詛」の代替としても用いられた。祓うには、公式的な「燃やす」儀礼を行うことが必要である。薬は実在するが、用いれば死人が出るともいう。ルスワになった者の症状は、「「呪詛」と同じ」「AIDS患者のようだ」といわれる。最終的には発狂するという。発狂の典型は夜外に出て走りまわることだから、見方を変えると「ジャジュウォキ」のようになってしまっているともいえる。「ルスワ」に特有の症状はなく、「呪詛」「ジャジュウォキ」「ティポ」と同じであるといい、ティポの薬とルスワを祓う薬の作り方も共通であるといわれている。このように、それぞれの概念は、相互乗り入れ可能なかたちで相互依存して成立しているものである。
 第8章では、それまでの概念「についての」記述を踏まえて、概念「によって」どういった事件が叙述されるのかを検討するために12の事例を検討する。一般論としての行動規範などが「原則」として存在する一方でそれに反する現象も認識されていること、その際には原則が間違っているのではないか、と原則を精緻化する方向よりも、当座の問題解決あるいは改善のために「細則」の設置、例外を容認する方向に解釈者としての人々の舵が切られる様態について検討した。いくつもの観念が、原則がうやむやになったり、同時にいくつもの概念の複合となったりしながら一連の「不幸」を解釈するのに貢献していることもある。こうしたプロセスには、占いを代表とする施術師による診断に特権的位置があることは事実であるが、その場合でもクライアントに「思い当たる節」があることが重要性をもっている。
 第9章では聖霊派教会の指導者たちの認識する「災因論」について検討する。聖霊派教会は積極的にアドラの「災因」ととり組んでいる。彼らは「聖書」と「祈り」のみを用いた「ビジョン」によって「災い」を解決すると強調する。ただし、解呪の方法は、「「呪詛」を浄める」儀礼とあまりかわらない。病とされる「憑依」は肯定的に「ビジョン」として読みかえられている。「ビジョン」でさまざまな病に対する処方箋が伝えられる。「天使」と「聖霊の力」で「ビジョン」を通じて見るのは「アドラ流」の治療と同じである。悪魔祓いも行っている。人間は本来無垢なのだが、霊的な成長がうまくいかないために「霊」を刺激して「不幸」を呼び込んでいるとの考えを主張している。アドラでは夢の観念は非常に重要である。正夢の観念もあり、死霊との回路とも考えられている。「夢」と「ビジョン」との区別が明確でなく、すべてをビジョンとみなして神の意図を読み解く点は、彼らがアドラに支持される基盤であり、彼らはニャパドラの「災因」を相手にしない既存のキリスト教から漏れたクライアントの受け皿として勢力を伸ばしているといえる。「「呪詛」の結果」と見なされてもおかしくない、かつてなら「浄め」の対象であっただろう人物が、その条件を逆転させて、「奇跡」として肯定的に提示することに成功している場合もある。否定形で語られる彼らの描くアドラの文化は、当該文化の本質を浮かび上がらせる結果になっている。
 第Ⅱ部でみた世界観を構成するうえで重要な機能をはたす葬送儀礼を中心とした資料と考察をまとめて第Ⅲ部とした。第10章は、葬儀について、まず、儀礼の一連の流れを確認した。儀礼の現場は雑然としており、それぞれ大きな差異が認められる。儀礼のなかでオケウォの示す特権的地位は明確であった。コンゴを共に飲むことが儀礼の節目に組み込まれていて、コンゴが供されるプロセスを経て、死の事実が受容されていく。死者が女性でもムシカ(後継者)とムクザ(後見人)が任命される。父系社会であるアドラにとっては、妻の死を契機として妻方のクランの政治経済的介入を可能とすることになる。これを構造的脆弱性に結びつけないためもあって、寡婦相続が推奨されていた。
 第11章「葬儀の実際」では、前章を踏まえつつ、私が実際に参列し観察した葬儀を具体的に記述しながら論じた。とくに詳しくとりあげたのは飲酒による死のケースである。調査地のエリートの多くは、朝から酒浸りであった。彼らが飲み続ける理由は、エリートへの妬みから発する妖術の犠牲になることを恐れてのことかも知れないし、蔓延するHIVの発病を恐れてのことかも知れない。プライドにかなうふさわしい仕事がないことからくる現実逃避かも知れない。しかし、彼らが酒浸りになることそれ自体も、妖術や「呪詛」の効果と見られてしまっていた。「問題飲酒」のような新しい病やアルコールの氾濫によって起きる新しい社会問題が「呪詛」などの言葉で語られること自体は、珍しいことではない。植民地運営のために移植された教育システムのなかで出口がなくなったエリートたちの問題も、「問題飲酒」も、エイズもエボラも「近代の邪術」だが、「災因」はそれ自体で完結しておらず、必ず別のやっかいな問題と絡み合っている。「葬儀」の「説明」を中心に扱うのが第10章だとすれば、第11章は「行為」「実践」についての観察にもとづいた記述が中心となっている。
 第Ⅳ部では、それまでの「概念」の理解や描写に専心してきた手法とは異なり、「概念」を用いて具体的な歴史的事件、ACKという具体的人物の死をめぐるローカルな「災因論」の実態を描こうとした。
 第12章「ある遺品整理の顛末」では、ACKをめぐる調査の経緯と地域史を支えた長老たちとの対話を紹介し、ACKの人物像、生きた時代の背景を描写する。アミン政権時の無秩序状態では、誰が殺されてもおかしくはなかった。ACKは前大統領オボテの右腕でもあったし、アミンに殺される要素、「思い当たる節」は数え切れないほどあった。ほとんどのウガンダ人にとっては、彼の突然の死に結びついた「災因」は、「アミンによる粛正」で説明がついてしまっていた。しかし、アドラ人にとってはそうではなかった。彼らはパドラで40年代に起こった殺人事件や、ACKの60年代から70年代の事績から「災因」を導き出した。ACKの死は、予言されたものであり、当然のこととして受け入れられたといわれる。
 第13章では、ACKの死の原因として語られる「災因」を検討した。頻出する「災因」は、父の代からのティポ、クランの長老による「呪詛」ないし邪術、そして親族でもあり、政界の先達でもあるオチョラのティポの観念が相互に絡み合っていたことを確認していく。さらに、ACKの父親が通常あるべき埋葬場所に埋葬されなかったこと、クウォル関係(殺人によって発生する敵対関係)を無視して婚姻関係を結んだことなど、必ずしも認識されてはいないが複数のマイナーな「災因」が持ち出されうるような状況があったことを描写した。さらには、ACKが歴史的に敵対する隣接民族のニョレの女性と結婚したことと、その彼女の希望によって周辺の土地の買い占めと接収が行われたことが近隣住民の反感を招き、それらが複合的に作用してもともとアドラがニョレに対して持っていた「呪詛」イメージを増幅させたことなどが指摘できる。これらの点ではまさに「近代性」(この場合には貨幣による土地の売買)によって「災因」が付与されたものであるといえる。さらに、キリスト教受容の過程で、「骨齧り」に代表される、パドラにおいて本来行われるべきであると認識されていた儀礼の執行をACKの一族が回避した(らしい)ことも、これらのネガティブな噂を強化した。一方で、そのACKの地所を取り囲むように設置した「有刺鉄線」は、外部からの直接交渉を断ち、「有刺鉄線の外部」の人々の想像力をたくましくし、「ティポ」や「呪詛」などの解釈をエスカレートさせた。「内部」と「外部」との直接の接触経験が少ないところに、補正の機会はなかったのである。彼らは、ACKと相互交渉をすることはなく、砂埃を巻き上げて走って行く車を眺めながら、イメージを「外部」で作り上げていった。彼らが入手できる情報、埋葬場所や目にする巨大な十字架などの建造物、すべてウィッチのそれと見なされた。しかし、ACKと同じような条件を満たしている人物でも、ティポや「呪詛」の噂は一切報告されていない例も複数あり、数は少ないが国際的な舞台でも中央政府でも表舞台で一時期華々しく活躍しながらもごく普通にリタイアして農民に戻る例もある。このことから、近代化やポストコロニアルな社会変化に対する地域社会の人々の見方の柔軟性も認めることができた。
 第14章にあたる「総括」では、それまでの民族誌的な資料を検討していえることを要約的に確認しつつ、論文の到達点を査定した。この論文でとりあげられたそれぞれの事象には、措定される「結果」が複数あるだけではなく、想定される「原因」も、数え切れないほど「思い当たる」構造が共通して指摘できる。それらは、「原則」の束につきあわされ、当てはまらない場合にも「原則」は棄却されずに「細則」を増やしていくものとなる。「ティポ」にしろ「呪詛」にしろ、これらの「災因」は一見すると、あるいは遠目には、何か体系の一部を形成しているかのようにみえる。しかし、その体系は一貫しているわけでも、閉じているわけでもなくて、常に新しい現象の登場に直面して、柔軟に対応するちょうど蜘蛛の巣の「網の目」のように張り巡らされていたと考えるとわかりやすい。いったんこの「網の目」に捕らわれてしまうと、その内部にあった既存の「因果関係」でその多くが説明されてしまう。しかし、蜘蛛の巣だから、隙間はたくさんあいていて、その隙間をすっと通り抜けることもあるに違いない。網は閉じてはおらず、あちらこちらにほころびのようなものがあって、そのほころびの部分に位置していたり、軌道をもっているものに対しては、さほどの影響はない。しかもときにはそのほころびの部分から、体系の中心にはとりこめそうもないものでも次第に絡め取っていこうとする。そういった体系の特徴があればこそ、新しい現象が登場してもその説明力を保ちうるのだろうと思われる。
 とりわけ死という、他者のそれでは置き換え不能な現象だが、誰もにいつかはふりかかる、という意味ではありふれた現象に対して、こうした体系のなかでそれぞれの観念はあるときは「説明」のようにも働き、「物語」と呼ぶのが適当であるようなあらわれ方をすることもある。それぞれの行為者に焦点をあてるならば、ありうる複数の物語の筋のなかから、いかに特定の筋を選び出し、関連づけていくのかが可視化される。本論文は、そうしたさまざまな要素と絡み合いながら紡ぎ出されていく解釈という営みを追っていきながら描こうとする試みのひとつであった。その意味では、こうした民族誌とは、現地の人々のアブダクションをアブダクションする、という営みでもあった。

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