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博士論文要旨

論文題目:エ・クウォス-南スーダン、ヌエル社会における予言的出来事と拡張する想像力の民族誌-
著者:橋本 栄莉 (HASHIMOTO, Eri)
博士号取得年月日:2015年3月20日

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1. 研究の背景と本論の目的
本論の目的は、南スーダンのヌエル(Nuer)社会の予言をめぐる信念が、歴史の中で交錯してきた複数の想像力とともに生成されてきた過程を明らかにするとともに、語り継がれてきた予言と出来事とが、人びとが新しい状況を経験し直す方法とどのように関わりあってきたのかについて検討することにある。
北東アフリカのスーダン地域で勃発した第一次・第二次内戦やその後の戦後復興の過程において、ヌエル社会の予言者や予言に関する噂は、民族集団の境界を越えて広く流通し、多くの人びとの言動に影響を与えてきた。1世紀以上前に存在していた予言者によってなされた「予言」――その人物が残した雄叫びを含む歌、奇妙な言動――は、内戦、国家の独立、その後の凄惨な紛争といったさまざまな出来事とともに語られ、現在の多様な背景をもつヌエルの人びとが自らの新しい経験に気づき、捉え直す方法と密接に関わってきた。この予言は時として人びとを戦地へと誘い、また自らの運命や未来への希望を語るすべともなってきた。しかし、ヌエルの人びとはただ盲目的に予言者を信じ、閉ざされた世界観の中で経験を解釈していたのではない。また、予言は社会の「近代化」とともに再興した「伝統」というよりも、動乱の歴史の中を生きてきたヌエルの人びとの経験と深くかかわり、互いを生成し合いながら息づいてきたものである。
本論が注目したのは、ある人物が人びとの間で「予言者」として浮沈する場面であり、また次々と起こる新しい出来事の度に、どのように予言が人びとの間で問題化され、語られ、疑われながらも、より多くの人びとにとって「腑に落ちる」経験として共有されていったのかというプロセスである。
南スーダンにおけるフィールドワークとヌエルの予言者に関する歴史資料・民族誌的資料の検討の結果みえてきたのは、多くの場合、ある出来事が生じてからはじめて予言が語られ始めるという、通常わたしたちが考える予言的事象の展開――はじめに予言がなされ、ついでそれに該当する出来事が生じて解釈がはじまる――とは逆の展開であった。こうした決定的な予言的出来事が生じた時、ヌエルの人びとはその驚きを、「エ・クウォスɛ kuɔth」(それはクウォス/神性である)と表現する。

2. 本論の構成
 本論では第1章でアフリカ諸社会における宗教的実践と社会変動に関する先行研究を概況し、本論の視座を据えた。第Ⅰ部(2章、3章)ではスーダン地域の植民地統治以降の歴史の中で、ヌエルの予言者が周囲の人間の想像力に翻弄される一方で、予言がさまざまな勢力の想定を超えた範囲で流通し、一地域の「伝統」を超えてゆく過程について歴史・民族誌的資料を中心に検討した。第Ⅱ部(4章、5章)では、都市部・村落部・国内避難民キャンプで得られた資料をもとに、ヌエルの人びとが第二次スーダン内戦後に直面したさまざまな新しい状況を位置づけてゆく方法と、予言者を祀った「教会」に集う人びとの予言の経験との関係を検討した。第Ⅲ部(6章、7章)では、筆者のフィールドワーク中に生じたさまざまな予言的出来事の中で、多様な背景を持つヌエルの人びとがそれらをどう語り、周囲の人間と議論・吟味し、自らの経験として位置付けてゆくのかを検討した。そして第8章では結論と残された課題を提示した。

3. 各章の要約
3.1. 第1章 予言と社会変動
これまでのアフリカ諸社会における宗教実践と社会変動に関する先行研究において、予言や神話は当該社会の人びとのモラル・コミュニティを形成するものと捉えられてきた。これらのアプローチの問題点は、端的にいえば、予言を当該社会の静態的・閉鎖的な世界観の問題とするか、アフリカ的「近代」の現れの一つとすることで、伝統/近代モデルのどちらかに当該社会の「変化」と宗教的実践の関係を還元して捉える傾向にあった。さらに近年の東アフリカ予言者研究では、上記の2つの視点の接合や相互作用の観点を持ち込むことで、かえって論者の前提とするコミュニティ観とその区分を明確化する傾向にあった。本論では、既存のアフリカの宗教的実践に用いられてきたモラル・コミュニティの概念の特徴を分類し、それぞれのアプローチの有する功績と問題点を第Ⅰ部、第Ⅱ部の各章で論じた。その際の手がかりとしたのが、東アフリカ社会の詳細な儀礼・民話研究を行ったT.O.バイデルマン(Beidelman)が用いた、「想像力」(moral imagination)という観点である。彼は、対象社会にかかわる者すべてに双方向的に作用するものとして想像力の特徴を指摘した。この想像力は、人びとに新しい経験のヴィジョンを与え、時として現実を捻じ曲げ破壊する力すらもたらしうる。さらに、その想像を実施すること(imaginative exercise)は、それぞれの語り手・行為者が依拠する前提を暴露し、その想像力への共感・衝突を引き起こしうるものであるとした。本章において、この観点は、伝統/近代への還元、また両者の接合・相互作用論でも捉えられなかった予言の側面、つまり人びとによってある出来事がどう予言として捉えられ、多くの人を巻き込む経験として展開しているのかを捉えるための手がかりとなることを指摘した。モラル・コミュニティは、予め定義される概念ではなく、行為者が他者や出来事と相互に関わり合う中で生み出されつつあるものとして捉える必要がある。バイデルマンにならい、本論では想像力を、自分たち自身や他者への気づきと期待を含むものであり、他者の見方を想像することは新しい経験の一局面を顕かにしてくれるものとした。
本章ではこの想像力という概念が、既存のモラル・コミュニティ論が有していた限界を乗り越える視座を提供するものとし、課題として以下の3点を設定した。
(1)対象社会の人びとに限らない複数の想像力が、いかにヌエルの「予言者」の成立に関わってきたのかを明らかにすること、(2)ヌエルの人びとが新しい状況や他者に出会った時、それを自分たちの経験として想像する方法を明らかにすると共に、この方法と予言とが、新しい経験を相互に生成してゆく過程を捉えること、(3)ある出来事に対して人びとが「腑におちる」経験――ヌエルの場合は「エ・クウォス」――と想像力とがいかに予言の「成就」を作ってゆくのかを検討すること、である。

3.2. 第Ⅰ部 予言者の歴史的生成過程
課題(1)に対して、本論の第Ⅰ部では、ヌエルの「予言者」が植民地期以降のスーダン地域のさまざまな勢力の想像力に翻弄され、またその想像力の中で形作られてきた側面を明らかにした。
第2章では、ヌエル社会の統治を担当した英国人行政官の書簡を中心に、彼が、当時の植民地行政に共有されていた「アフリカの宗教的指導者」のイメージをどう統治のプロジェクトに利用していったのかを明らかにした。1880年代に北部スーダンでイギリス軍に壊滅的な被害をもたらしたイスラームの救世主「マフディー」(mahdi)を名乗る者による反乱の記憶は、南部の統治に入る際の懸念の一つであった。彼は、このマフディーの例えを効果的に用いることで、ヌエルの予言者(ウィッチ・ドクター/スーダン・アラビア語のクジュールkujur)弾圧のための軍事的なプロジェクトを遂行していった。その行政官が強調したのは、ヌエルの予言者の外部由来性や反体制的性格であり、これは植民地政府にとって亡霊のようにつきまとうマフディーを想起させるものとして働いた。うまく進まない統治、頻発する英国人行政官の殺害、統治に協力しない「怠惰」な予言者の態度は、マフディーやほかの「アフリカの宗教的指導者」に対して植民地行政のコミュニティに共有されていた想像力の範型の中で捉えられ、またその範型を強化するものとなった。
第3章では、植民地期とは一転して、第一次・第二次スーダン内戦時には、彼らの「伝統的」素質がさまざまな勢力に利用された側面と、彼らの想定とずれてゆく予言のリアリティのあり方をそれぞれ明らかにした。複数のリーダーシップ、武装勢力に人びとが翻弄される中で、スーダン人民解放軍(SPLA)の司令官らは予言者を利用し彼らを戦いへと動員しようと目論んだ。この予言者の利用は、SPLAの党派対立の中で司令官が戦いを「民族紛争」化してゆく手段の一つともなった。この目論見の背後に働いたのは、予言者に従う「伝統」に縛られた市民という教育を受けた軍人たちの想定だったかもしれない。ところが、この司令官らの想像力とは裏腹に、予言者たちは必ずしもその通りの働きをみせたわけではなかった。一方で予言者は政府や諸反政府軍人、各民族集団の「伝統的」チーフ、キリスト教団体、NGOという複数の勢力のあいだを行き来し、平和構築者として活動しようとしていた。しかし、予言者による試みもむなしく、彼らの活動は部分的にしか成功しなかった。内戦中の予言者の利用や、予言者自身の試みが十分に成功を納めなかったのに対し、過去の予言は、平和構築、開発援助、選挙、政治家の台頭などの局面で多数の人びとに語られ、政治家や予言者の目論みを超えたところで広まり、人びとの想像力をかきたてていった。

3.3. 第Ⅱ部 経験の配位
課題(2)に対して、第Ⅱ部では、多様な状況の下で暮らすヌエルの人びとの日常的実践の場から、いわゆる社会変容の場面において、人びとが新しい状況や他者との出会いをどのように想像し、位置づけてゆくのかを追った。
第4章で取り上げたのは、さまざまな場面でヌエルの人びとに参照され、共有されるような自分の新しい経験を位置づけるための方法である。人びとは、さまざまな危機的状況にあっても自身の生が次世代へと受け継がれるための記録物としての交換媒体を確保しようとしたり、食糧の交換を介して長期間に渡る互酬的関係を維持しようとしたり、自分と自分の子孫たちの生命を脅かしうる「血」の穢れに起因する問題をどうにか解決しようとしていた。そしてこれらの実践・戦略の根幹にあったのは、一度限りの自己の生ではなく、時世代へとその名前が受け継がれてゆくことで保証される、不滅的な自己という「原理」であることを指摘した。この原理を保証するのは、チエン(cieng:地域的共同体、相対的な居住集団/共時的)と、ソク・ドゥイル(thok dwil: 父系祖先、不変的な祖先群/通時的)とからなる、ヌエルのモラル・コミュニティであった。この原理のもとで、個々の「新しい」経験――ウシの喪失、食糧不足、遠くからやってきた他者、都市化に伴う血の穢れの発生――は配置されていた。対象社会の「変化」や「近代化」、「都市化」は、ヌエルの不滅的な自己とそれを支える方法が共有されるモラル・コミュニティのあり方とともに想像される経験であった。
第5章では、予言者を祀った「教会」に集う人びとの実践と、予言者への祈りの中で用いられる表現や、人びとの対話の中から見出せる、予言の経験の諸相に焦点を当てた。ここで明らかになったのは、確かにキリスト教的イディオムや実践、近代技術が予言の「正しさ」を支える一助となっているものの、その「正しさ」の根源にあったのは、人びとの苦難の経験を明らかにしてくれるような祖先やクウォス(神性)のあり方であった。人びとの語りにおいて特に強調されていたのは、祖先の過ちは苦しみの出来事――紛争、病気、「教育」のなさ、貧しさ――となって自分たちのもとへと帰ってきているという、自分たちの経験の「真」の姿だった。なかでも、「不妊の疑いのある身体」の回復という奇跡の経験は、個々人の人生のみならず、不滅的な自己とそれを支える社会的なもの、つまり4章で取り上げたモラル・コミュニティと著しく関わるがゆえに、一層人びとを信仰へと向かわせる契機となる。繰り返し世界に対して「無知」な人間でしかない祖先と自分たちの一体性を語り合うことは、自分たちに経験をもたらしている経験の主体としてのクウォスや世界と、その絶対的な客体である自分たちの存在を確認するものであった。1世紀以上前の予言者による予言的言動が多くの「真実」をもたらすのは、人びとが自分たちの経験を想像する方法――祖先、クゥオスと自分たちの「適切」な関係、それらがもたらす自分たちの経験の配位を確認する――を、その奇妙な言動の中で示してくれるからであった。

3.4. 第Ⅲ部 「エ・クウォス」の変動
 課題(3)に対して、第Ⅲ部では、国家の独立やその後の紛争という出来事の中で、人びとに大きな驚きと確信をもたらす予言と現実との「偶然の一致」――人びとが「エ・クウォス」と表現する時――が複数の想像力の間を行き来し、予言の「成就」を作り上げてゆく過程を考察した。
第5章で取り上げたのは、南スーダンという国家の誕生とその際広まった「予言の成就」である。住民投票の前後に生じたさまざまな出来事や「偶然の一致」は、「予言の成就」としての国家の独立を支える大きな「証拠」となり、さまざまな立場にある人びとに「エ・クウォス」と言わしめた。若者、エリート、失業者、老人、クリスチャンの予言語りの中に含まれていたのは、彼らの辿ってきたさまざまな位相の経験――例えば内戦経験、聖書と予言との一致、就職難、政府への期待と不安など――であった。このように、「エ・クウォス」とされた出来事は他のさまざまな経験・出来事と関連付けられることで、人びとの間で「予言化」していった。語られる予言の中で、個々人の経験は集合的なものに接続され、出来事のみならず個々の経験の「正しさ」をも支えるものとなっていた。ヌエルの人びとにとって南スーダン共和国という新国家は、住民投票によって勝ち取られた「国民的想像力」と、祖先とクウォスとが働きかける現在という複数の想像力が共に創り上げてゆくような、新しいモラル・コミュニティであった。
 第6章では、南スーダン独立後の紛争の中で台頭した「自称予言者」が、疑いの目を向けられながらも、人びとが直面する出来事との関係の中で徐々に「本物らしさ」が浮上してくる過程に注目した。大きな期待と共に誕生した新しいモラル・コミュニティは、その後相次ぐ紛争の中で一転して疑わしいものとなった。その中で台頭した「自称予言者」は、大統領には政府に歯向かう排除すべき「クジュール」と呼ばれ、報道関係者には地域住民を戦いへと動員する「自称スピリチュアル・リーダー」と呼ばれ、予言者「教会」の成員には「ウィッチ」や「単なる狂人」などと呼ばれた。このようにさまざまなイメージを与えられた予言者とは離れたところで、村落・都市部に住む人びとは、かつての予言の中に祖先と「敵」が過去に築いた関係を見出し、現在の自分たちの苦境の「正しさ」を語っていた。ところが、「自称予言者」を疑っていた人びとが、その人物を本当の「予言者」として語り始める契機となったのは、武装解除の失敗と新たな犠牲、その中で露呈した国家の脆弱性という新しい状況に直面した時だった。
内戦後の国家の独立、その後の紛争の中で直面された「エ・クウォス」の経験は、個人と集団の想像力の統合・分離をひきおこすエージェントとなり、新たなモラル・コミュニティの生成、あるいは対立の一つのきっかけとなった。その中で「エ・クウォス」といわれた出来事は、複数の想像力を導き、人びとがさまざまな語り口で「予言」の正しさを説明し、その「成就」を確信するための土台であった。

4. 第8章 結論と課題
 結論部ではこれまでの議論をまとめた上で、G.ライル(Ryle)の『心の概念』を参照しながら、既存の「想像力」の概念を批判的に検討し、その可能性について論じた。本論で取り上げたヌエルの予言をめぐる事態において、予言的出来事にかかわる者たちは、自分たちがそれまで有してきた既存の概念区分――例えば事実とそうでないもの、変化と持続、個人と社会――の前提が揺らぐ場所で予言を経験し、新しい自身の経験の可能性に気付きはじめていた。人から人へと伝わってゆく予言の噂は、あらゆる位相の出来事――過去の内戦・避難民経験、社会特有の「常識」や規範、自分の祖先との関係、政治状況、人生の折々で触れてきたいわゆる科学的・合理的知識、宗教的イディオムやそれらに基づく予知――と接続されながら、個々人にとって「受け入れ可能」な経験に転換されていったことを指摘した。この想像力の概念を用いて本論で明らかにしたことは以下の3点に集約できる。
(1)ヌエルの予言者の力は、ヌエルの「世界観」によってのみ捉えることはできない。その力や性格を付与してきたのは、歴史の中で拮抗・衝突してきた複数の想像力であった。一方で、予言は必ずしも予言者を支えているわけではなく、むしろ予言者に対する周囲の勢力の想像力を越えて、出来事に新たな意味を与えながら流動し、拡大してゆくものである。
(2)現代の多様な背景の中に生きるヌエルの人びとが、他者との出会いと共に自分の経験を位置づけるために参照してきた方法の中でも重要なのは、祖先から続き子孫へとつけ継ぐという不滅的・集合的な自己を確保することであった。この祖先と自己との一体性と、自分たちの直面している苦境との関係を明確化してくれるのが予言であり、だからこそ予言の経験は人びとの「腑に落ちる」ような「真実」の経験を与えうるものとしてある。
(3)予言や予言者に懐疑的な者までをも予言への信念へと向かわせる契機となったのは、多くの人びとに「エ・クウォス」と言わせるような圧倒的な予言的出来事の出現であった。この「エ・クウォス」はさまざまな位相の出来事と接続されることで、個々人にとって、あるいは彼らが意識する流動的なモラル・コミュニティにとってより説得的なものとなり、またその両方の経験を共に把握することを可能にしていた。
「予言」という対象にかかわる者の想像力は、自分たちがこれまで自明視してきたような世界の隠された様式を暴露するものであり、それへの対立・共感を引き起こしながらも、新しい生のヴィジョンやヴァージョンを与えるものとして、いわば拡張する。この拡張する想像力を導くのが、他者と相互に関わりながら推察と内省を行う人間を驚かせる、「エ・クウォス」という予言的出来事であった。
 残された課題は、予言のグランド・ナラティブとさまざまな話者の有するレトリック、話者同士の社会関係や語りのモード、そしてそれらが受け継がれ他者の経験を巻き込みながら拡張してゆく過程を明らかにし、予言の現実構成力なるものをさらに追及してゆくことである。

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