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博士論文要旨

論文題目:終わりなき「悩み」―エチオピア・東ショア及びアルシ地方にみられる参詣の共同性―
著者:松波 康男 (MATSUNAMI, Yasuo)
博士号取得年月日:2015年3月20日

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参詣路や参詣地で人びとが「悩み」を語り、見知らぬほかの参詣者がそれに祈祷する。このような光景はエチオピア東ショア及びアルシ地方で頻繁にみられるものであり、そこには参詣特有の共同性が現出していると言える。では、なぜ人びとはこれらの参詣において他所から来た見知らぬ参詣者の「悩み」に耳を傾けてその人のために祈るのだろうか。参詣でみられるこのような祈祷の連鎖は参詣者にとってどのような意味を持つのだろうか。本稿はこれらの問いを起点として当該地方周辺にみられる参詣の共同性がどのようなものであるかを考察した。
本稿で主人公となるのは「悩み持ち」と現地で呼ばれる参詣者たちである。「悩み持ち」とは病や夫婦の不和、家畜の死、ビジネスの失敗、作物の不作、交通事故などさまざまな「悩み」を抱えた人びとの総称である。本研究では参詣を「悩み」に対処する一方法と捉え、人びとが自らの「悩み」を解決するためにどのような方法をとるのか、そしてその「悩み」がどのような内容であり、どのような条件が揃えば参詣が敢行されるのか、さらに参詣地で「悩み」への助言がどのように与えられ、それが人びとによってどのように受け入れられるのかについて説明した。
第1章では筆者の主たる調査地となった東ショア地方ボサト県についての概要を述べた。現在、当該県に暮らす人びとの多くの祖先は、マチャ・オロモと呼ばれるオロモの分派が北上した結果この地に移り住んだものである。16世紀はエチオピア北部に形成されたキリスト教王国に退行の潮流が起こった時代であった。16世紀はじめアフマド・イブン・イブラーヒーム将軍が聖戦(ジハード)を蜂起し、その後ムスリム・オロモの兵士たちを率いてデンゲル王から勝利をおさめた。キリスト教王朝は大きな被害を被ったがなんとかムスリム・オロモたちを北部高地から一掃した。これによりエチオピアにおける今日の地政学的配置(北部高地居住のキリスト教徒アムハラ/南部低地居住のムスリム・オロモ)が形成された。当時、エチオピア北部を中心とする政治的混乱に乗じてオロモの一派であるトゥラマとマチャも北上し、現在のボサト県にマチャ・オロモの人びとが定住するようになった。
このような経緯でオロモの人びとが居住するようになったボサト県では、オロモ社会特有の年齢階梯体系として広く知られるガダ体系がいまも機能している。それは精霊(アテテ)の存在と関連が深いものであった。精霊(アテテ)はオロモの伝統的なワーカ神と関連付けて説明される一方でオロモ社会における聖母マリア崇拝の受容とも結び付いてきたことを説明した。
第2章では東ショア及びアルシ地方にみられる複数の参詣地について述べた。そしてそれらを比較することで各地に備わる特徴を明らかとした。また、そのようにして理解できるそれぞれの参詣地の特徴が、そのときどきの政策や参詣地の地理的条件とも深く関わっていることを述べた。ボサト県ボリ集落周辺で世帯調査を実施し、参詣経験の有無について聞き取りを行うと住民の8割以上がいずれかの参詣地を訪問した経験があることがわかった。名前のあがった主要な参詣地はボリ、ガネテイ、カラ・トルバ、ファラカサ、ディフィカル、ボララであった。それらの参詣地は異なる宗教、民族帰属の参詣者を同じ空間に集めることを可能としている。聖者やその継承者らが改宗者であったことや(ファラカサ)、霊媒師の宗教と憑依する精霊(ウカビ)の宗教が異なること(ボリ、ガネテイ)、参詣地の地理的要因から生じる異教徒の訪問と、それに結びつけて語られる生前の聖者の寛容さ(ディフィカル)、特定の信仰の欠如(カラ・トルバ)といったように、これらの参詣地には同じ帰属のものだけを同じ空間に集める排他的なメカニズムではなく、異なる帰属のものを集める包括のメカニズムが備わっているのであった。
第3章では、オロミア州アルシ地方の参詣地ファラカサで開催されるとりもち儀礼と同州東ショア地方ボサト県のボリ集落で開催されるハドラ集会について説明した。それらはともに「悩み持ち」に「悩み」を語る機会を提供している文化装置である。だがそこにはさまざまな違いがある。開催条件だけではなく、対話にたどり着くまでの過程や儀礼の人的配置、「悩み」の語られ方、対話の枠組み、儀礼をとおしてみられる精霊(ウカビ)と人間の関係性、被相談者による聴取の要点、助言の導かれ方や与えられ方など多くの点が特徴的に異なっている。とくに「悩み持ち」がどのように「悩み」を語るか、被相談者はどのように対応するかという相互行為の仕方について事例をあげて、それぞれの儀礼について説明した。両儀礼を通じて頻繁に助言されるのが精霊(ウカビ)への供犠と奉仕であった。精霊(ウカビ)への供犠は「精霊(ウカビ)持ち」の義務と言われている。適切なやり方による家畜の供犠や、香水や蜂蜜を参詣地で得ることがそれにあたる。また奉仕とは、精霊(ウカビ)にコーヒーをいれることやハドラ集会に参加すること、ファラカサへの参詣行為である。
ファラカサで開催されるとりもち儀礼は当地の代表者ハッジ・スラージによってとり仕切られる。この儀礼は「悩み」の解決を望む「悩み持ち」の参詣者が自主的に参加することができた。ファラカサには、人びとに訪れる「悩み」は人間と精霊(ウカビ)の不和を原因とする、といった一義的な「悩み」の説明様式があった。そしてその不和の原因は精霊(ウカビ)への供犠や奉仕の欠如であるとそこでは説明される。スラージはこの儀礼で被相談者となり、「悩み持ち」とその精霊(ウカビ)双方の意見に耳を傾け、双方にたいして助言することをとおして、それらの仲をとりもち、悪化してしまった関係性を修復しようと試みる。憑依における精霊と憑座とのあいだののディスコミュニケーションは、憑依という現象の本質にかかわるものである。もし、このディスコミュニケーションがなければ、憑座と憑依霊の区別はなくなり、憑座の人格が変様したとか、新たな自己を獲得したなどと言われかねない。ファラカサのとりもち儀礼においては、スラージが「悩み持ち」と精霊(ウカビ)のあいだに立ち、双方の言い分に耳を傾け、それぞれに助言を与えることで、このディスコミュニケーションによって隔てられた両者を橋渡しして供犠の約束を締結し、双方の仲をとりもつのであった。
この儀礼でスラージは「悩み持ち」に質問するが、それへの返答の内容やふるまいに応じてその面談は異なる「手続き」へと進行していく。この儀礼は精霊(ウカビ)をめぐる知識、とくにその名前と適切な供犠とを媒介する「データベース」を核とした体系的なものとして構築されている。また、この儀礼をとおして「悩み持ち」に近づく邪霊が祓われたり、「悩み持ち」が精霊(ウカビ)に憑依されたりする事態が頻繁に生じていた。
第3章の後半では、ボサト県ボリ集落で開催されるハドラ集会について述べた。そこでは霊媒師カラニによるハドラ集会が毎週開催されていた。ファラカサとは異なり被相談者である霊媒師が精霊(ウカビ)マルカトに憑依される。ここでは「悩み持ち」の語る「悩み」の具体的な詳細がマルカトの聴取の要点であった。「悩み持ち」とマルカトの対話の自由度は高く、他の参加者が意見をたずねられたり、電話が使用されたりすることもあった。そこで「悩み持ち」に与えられる助言は、精霊(ウカビ)への供犠と奉仕の徹底のみならず、首飾りの着用やイレッチャ儀礼の実行などオロモ的慣習の励行に及んでいた。また、常にひとつの対処法が指示されるのではなく、複数の対処法が並び立てて指示されることも少なくなかった。
第4章ではファラカサのとりもち儀礼とボリのハドラ集会で与えられる助言が、どのようにして人びとにリアリティのある物語として受け入れられるかを考察した。ここではまず、エチオピアの精霊(ウカビ)信仰をめぐる知識や行為がどのように流通しているか、そしてそれらはどのように互いに関連付いたり干渉したりしているか、さらには、その結果としてエチオピアの精霊(ウカビ)信仰と呼ばれるものがどのような意味のある空間として形成されているかについて述べた。当該地方の参詣者のあいだには、精霊(ウカビ)信仰に関する知識や行為のずれがはっきりとみてとれる。エチオピアの精霊(ウカビ)信仰と呼ばれる広大に張り巡らされた信仰のネットワークにおいては、ある地域で実践される精霊(ウカビ)信仰はほかの実践のされ方で異なるかたちに形成された精霊(ウカビ)信仰とつねに交叉した関係にあり、人びとの実践をとおしてその知識や行為は絶えずとり込み合ったり、排除し合ったりと更新されているのである。このような非均質的なネットワークとしてイメージされる精霊(ウカビ)信仰では、その「真正」と呼べるような知識や行為が、どこか特定の場所(参詣地、ハドラ小屋)や特定の人物(聖者、霊媒師)、特定のモノや語り(経典、神話、言説)に辻褄の合うものとしてまとまり、それが人びとに広く共有されているという全体的な様相は措定できない。
ファラカサのとりもち儀礼では、「悩み持ち」とスラージのあいだの精霊(ウカビ)信仰をめぐる知識のずれによって精霊(ウカビ)と邪霊が反転したり、参詣者が「精霊(ウカビ)持ち」へ転身したりする事態が生じている。精霊(ウカビ)と邪霊をめぐる判断は、参詣地に蓄積された知識に基づいてなされるが、それと同時にその場のアクターの相互作用そのものからも実践的に判断される。この儀礼で与えられる助言(「悩み」の物語)を人びとが受け入れることは当地の権威性のみで説明できるものではない。精霊(ウカビ)と邪霊の反転や「精霊(ウカビ)持ち」への転身などをとおして、その物語の持つ内部完結的な循環へ「悩み持ち」を誘いこむことと関わっている。それはほかの「悩み」の説明様式がこの循環に侵入しないという意味で、安定的な「悩み」の物語をつくりあげるものである。
一方、ボリのハドラ集会では、人びとの「悩み」にたいして、精霊(ウカビ)への供犠のみならず、オロモ的慣習の励行が助言されている。そこでは、人びとに語られる「悩み」と霊媒師の助言のあいだに定式を見出すことは困難であった。ボリで与えられる「悩み」の物語は、特殊な言語行為を生じる舞台装置において実践的に人びとに受容されるものといえる。精霊(ウカビ)の秘密を核として編みだされるつかみどころのない「悩み」の物語は、硬直していく既存の「悩み」の物語を揺さぶることを可能とするのである。
第5章ではまず参詣動機の語りについて考察した。巡礼・参詣研究においては人びとに語られる動機が、その旅の経験を考察する際の主要な情報となることが多い。だが必ずしもそのような動機が、参詣行為に先立つものとしてあらかじめ存在し、その旅を導く原因となっているとは捉えられない。「なぜ」という問いにたいして語られる参詣動機とは、質問者が問うた時点に生じたものであり、それは参詣者が自らの行為をその時点から「再記述」することで得た後成的なものに他ならないのである。また、人びとに動機として語られることはなかったが当該地方のほとんどの参詣地や参詣路で筆者が目にした相互行為について報告した。それは参詣者同士の相互の祈り合いであった。各地からの参詣者が車座になり、互いに「悩み」を語り、聴き、祈祷するといった集団が形成されている。
第5章の最後に人類学の巡礼・参詣研究がこれまで共同性をどのように議論してきたかをまとめ、それを踏まえたうえで、結論でこの相互祈祷について考察した。とくに、当該地方の参詣地で人びとが他者の「悩み」に耳を傾け祈ることと、そこでみられる共同性とがどのような関係にあるかを焦点として議論した。ここで述べる共同性とは、同じ「悩み持ち」である他の参詣者と出会い、その悩みを吐露し、祈り、祈ってもらうという行為の連鎖のなかに見出すことができるものである。人びとの「悩み」が続くことは、たんに貧困、衛生不良、医療制度の不足などによって説明できるものではない。「悩み」を語る相互行為の場が当該地方の参詣地に備わるからこそ、自身に生じる出来事をそこで語りうる「悩み」として捉える視座が形成されていくのである。参詣においてさまざまなかたちで提供される「悩み」への対峙は、他の参詣者もまたそのような「悩み」に曝された存在であることを知る機会ともなっている。「悩み」は排除が不可能なものであり、引き受けざるを得ないという受動的な性質においてこのように関係性の網の目に人びとを組み込んでいくものである。当地の聖地や参詣路にみられる共同性の根底には宗教、民族的同一性による融合とは異なった、「悩み」を語り、聴き、祈ることで拡張していく他者による関係性が存在する。それは区別と融合により成立する共同性とは異なった、参詣における共同性のあり方である。

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