博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:反証事例が潜在的ステレオタイプ・偏見に及ぼす影響
著者:埴田 健司 (HANITA, Kenji)
博士号取得年月日:2015年3月20日

→審査要旨へ

本論文では、特定の社会的カテゴリー(以下、カテゴリー)に対するステレオタイプや偏見の反証となる事例が潜在的ステレオタイプ・偏見を低減させるプロセスについて、カテゴリー表象の多面性と階層性に注目して実証的に検討した。潜在的ステレオタイプ・偏見は、意識を介さない自動的な情報処理過程を通じて判断や行動に影響すると考えられている。平等主義的な社会的規範が流布した現代においてもしばしばステレオタイプや偏見に依拠した言動が見られるが、その一因として、ステレオタイプや偏見が潜在的なレベルで保持されていることを指摘できるだろう。そのため、どのようにすれば潜在的ステレオタイプ・偏見を弱められるのかを明らかにすることには、社会的な意義があると考えられる。
潜在的ステレオタイプ・偏見を低減させる要因の1つとして、ステレオタイプや偏見に合致しない事例、すなわち反証事例の影響が注目されてきた。これまでに、反証事例の呈示や想起によって、潜在的ステレオタイプや偏見が低減することを報告する研究が提出されている(e.g., Dasgupta & Greenwald, 2001; Gawronski & Bodenhausen, 2005)。また、ステレオタイプに一致しない情報を肯定するといった意識的な反応によって、潜在的ステレオタイプが低減することも示されている(e.g., Gawronski, Deutsch, Mbirkou, Seibt, & Strack, 2008)。しかし、どのようにして変容が生じているのかが包括的に説明されることはこれまでにほとんどなかった。そこで本論文では、ステレオタイプや偏見を内包するカテゴリー全体の表象に多面的・階層的な特徴があることに注目して、潜在的ステレオタイプ・偏見がなぜ変容し、どのような場合に低減しやすいのかを議論し、実証的に検討した。
潜在的ステレオタイプと潜在的偏見は、社会的カテゴリーと特定の属性あるいは感情価(valence)の間の非意識的な結びつき(連合)としてとらえることが可能であり、社会的カテゴリーに対する潜在的態度ともいえるだろう。Gawronski and Bodenhausen(2006, 2011)は、潜在的態度が変容する原理には2つあることを指摘している。1つは、連合の構造的変化で、態度対象と連合している情報(属性、感情価)が古いものから新しいものへ置き換わることによって、潜在的態度が変容するというものである。もう1つは、活性化パターンの変化であり、文脈との関連性などによって、態度対象と連合している情報のうち一部が活性化することで、潜在的態度が影響を受けるというものである。このとき、活性化する連合の感情価や意味的内容が異なれば、潜在的態度が変容することになる。連合の構造的変化は時間を要すると考えられることから、本論文では、反証事例によって潜在的ステレオタイプ・偏見が低減するのは、活性化パターンの変化によるところが大きいだろうという立場をとる。すなわち、反証事例によって、ステレオタイプや偏見に反する連合が活性化することで、潜在的ステレオタイプ・偏見が低減すると考える。
しかし、反ステレオタイプ的・反偏見的な連合が活性化して潜在的ステレオタイプ・偏見が低減するためには、そうした連合がカテゴリーに関する知識としてあらかじめ表象され、ステレオタイプに一致する側面、一致しない側面といったように、ある程度まとまって記憶内に保持されている必要があると考えられる。カテゴリーに関する知識がこうした構造になっているかどうかを議論したうえで、反証事例による潜在的ステレオタイプ・偏見の低減が検討されることはこれまでにほとんどなかった。
そこで本論文では、カテゴリーに関する知識としてどのような情報が保持されているか、そして、それらがどのようにして構造化されているかを議論した。カテゴリーに関しては、属性レベルの抽象的な情報(概念)や事例レベルの具体的な情報が記憶内に取り込まれ、属性の下位に事例が結びついた階層的な知識構造が想定できる。また、ステレオタイプはカテゴリーに関する知識の一部として表象されているが、特に人種や性別などに基づくカテゴリーでは、ステレオタイプに反する属性を備えた人物に接触することもあるだろう。こうしたことから、ステレオタイプや偏見とは意味的に反する属性・感情価、そして、それらの属性・感情価を備えた人物などの反証事例もまた、カテゴリーに関する知識として記憶内に取り込まれていると考えられる。したがって、カテゴリー表象は階層的なだけではなく、多面的な構造を有すると想定できるだろう。本論文では、このことをカテゴリー表象の多面的・階層的モデルとして提唱した。こうしたカテゴリー表象を想定することによってはじめて、反証事例による潜在的ステレオタイプ・偏見の低減は、反ステレオタイプ的あるいは反偏見的な側面の部分的活性化が原因となって生じると言える。
このように考えると、反証事例による潜在的ステレオタイプや偏見の低減は、そうした事例や、それらから抽出される反ステレオタイプ的な属性・反偏見的な感情価がカテゴリーに関する知識として表象されており、利用可能であるほど生じやすいだろう。言い換えれば、反証事例に遭遇しても、その反証事例がカテゴリーに関する知識として表象されていない場合や、表象されていても利用しやすい状態にないような場合には、潜在的ステレオタイプ・偏見は低減しないと考えられる。また、特定の状況においてステレオタイプや偏見に反する側面が活性化したとしても、一致する側面も同時に活性化してしまうような場合には、潜在的ステレオタイプ・偏見は低減しないと予測される。すなわち、反ステレオタイプ・反偏見的な側面だけが活性化する場合に、潜在的ステレオタイプ・偏見は低減するだろう。
以上のような議論を基に、本論文では、反証事例が潜在的ステレオタイプ・偏見に及ぼす影響に関する2つの基本仮説を導いた。1つは、「ステレオタイプや偏見に一致しない情報がカテゴリーに関する知識として表象されているほど、反証事例によって潜在的ステレオタイプ・偏見は低減しやすいだろう」という仮説(基本仮説1)である。もう1つは、「カテゴリーに関する知識として表象されている反ステレオタイプ・反偏見的な側面が反証事例によって活性化するほど、潜在的ステレオタイプ・偏見は低減するだろう」という仮説(基本仮説2)である。また、この仮説は、反ステレオタイプ・反偏見的な側面が活性化したとしても、同時にステレオタイプ・偏見に一致する側面も活性化してしまう場合には潜在的ステレオタイプ・偏見は低減しないだろうということも含意している。
上記2つの基本仮説に基づき、本論文では6つの研究を実施して、(1)反証事例の呈示、(2)反証事例の意識的な想起、(3)反証事例に対する意識的な解釈の3つの事象が潜在的ステレオタイプや潜在的偏見に及ぼす影響について実証的に検討した。
潜在的ステレオタイプや潜在的偏見の測定には、すべての研究においてIAT(Implicit Association Test; Greenwald, McGhee, & Schwartz, 1998)を用いた。IATは、態度対象と属性間の潜在的な連合の強さを、刺激の分類課題を通して測定しようとする方法である。例えば、「男は仕事、女は家庭」といった性役割観の潜在的な側面(i.e., 潜在的性役割観)を測定する場合、男性や女性、仕事や家庭それぞれに関連する刺激(単語)の分類課題が実施される。分類課題には、男性と仕事に関連する刺激を左側に、女性と家庭に関連する刺激を右側に分類する「男性・家庭-女性・仕事」ブロックと、仕事と家庭の位置を逆転させて分類する「男性・仕事-女性・家庭」ブロックが含まれる。ここで、前者のブロックのほうが後者のブロックよりも刺激を速く分類できたとすれば、潜在的性役割観が保持されていると考えることができる。また、「仕事」と「家庭」の代わりに、「強い」と「弱い」を用いれば、「男は強く、女は弱い」といったステレオタイプの潜在的な側面が測定できる。このようにIATでは、分類カテゴリーを変えることによって、様々なステレオタイプや偏見を測定できる。また、IATにはコンピュータ版と紙筆版(質問紙版)がある。本論文で報告する各研究では、これら2タイプのIATどちらかを用いて、潜在的ステレオタイプや潜在的偏見を測定した。

研究1では、ネガティブに評価されていると考えられる社会的カテゴリーに対する潜在的偏見が、反偏見事例の呈示によって低減するかどうかを、2つの実験で検討した。
研究1-1では、参加者に知られていない新奇の反偏見事例の呈示によって、潜在的偏見が低減するかどうかを、肥満者に対する潜在的偏見(肥満者を無能であると潜在的にネガティブに評価する傾向)を題材にして検討した。基本仮説1より、反偏見事例(e.g., ポジティブに評価される人物)の呈示によって潜在的偏見が低減するためには、その事例があらかじめ知られている必要がある。言い換えれば、呈示される反偏見事例が新奇の人物である場合には、潜在的偏見は弱まらないだろうと考えられる。研究1-1はこのことを確認するために行われた。実験では、新奇の肥満者事例を、有能であることを示すプロフィールとともに呈示する有能肥満者呈示条件、無能であることを示すプロフィールとともに呈示する無能肥満者呈示条件、肥満者とは無関連の情報を呈示する統制条件の3つの条件があった。事例の呈示後、肥満者の能力に関する潜在的偏見の強さを測定した。その結果、潜在的偏見の強さは条件間で差が見られなかった。すなわち、有能な肥満者事例の呈示によって潜在的偏見が低減したり、無能な肥満者事例の呈示によって潜在的偏見が逆に強化したりすることは示されなかった。
研究1-2では、黒人が白人よりもネガティブに評価されていること(i.e., 人種偏見)を題材に、反偏見事例(ポジティブに評価される著名な黒人事例)を呈示する際の評価次元の顕現性が潜在的偏見に及ぼす影響を検討した。基本仮説2より、著名な反偏見事例が呈示された場合でも、その事例のポジティブさが顕現的に示されたときのほうが、潜在的偏見は低減しやすいと考えられる。この仮説を検討するため、実験では、卓越した経歴を持つ黒人の著名な人物を反偏見事例として呈示した。その際、経歴などの人物の評価に関する情報を含めずに事例を呈示する評価非顕現条件と、経歴を示すことによってポジティブに評価されることを顕現的にして事例を呈示する評価顕現条件があった。そして、潜在的な人種偏見の強さを紙筆版IATで測定した。その結果、評価を顕現的にして反偏見事例を呈示した場合には、単に反偏見事例を呈示した場合や、反偏見事例を呈示しなかった場合(統制条件)に比べ、潜在的人種偏見が弱くなっていた。この結果は仮説を支持するものであった。
研究2では、ステレオタイプに一致する事例と一致しない事例のいずれかを想起することが潜在的ステレオタイプに及ぼす影響を、2つの実験で検討した。具体的には、「男は仕事、女は家庭」といった性役割観を題材として、キャリア女性に代表される従来の性役割に一致しない女性を非伝統的女性、主婦などに代表される従来の性役割に一致する女性を伝統的女性とし、それぞれのタイプにあてはまる女性事例の想起が、「男性」と「仕事」、「女性」と「家庭」を結びつける潜在的性役割観に及ぼす影響を検討した。
研究2-1では、女子大学生を参加者として、伝統的・非伝統的女性の事例想起が潜在的性役割観に及ぼす影響を検討した。女性カテゴリー表象の中で、伝統的女性は従来の性役割に一致する側面を、非伝統的女性は従来の性役割に一致しない側面を形成していると考えられる。したがって、伝統的女性の事例が想起された場合よりも非伝統的女性の事例が想起された場合において、潜在的性役割観は弱まるだろう。この仮説を検討するため、伝統的女性想起条件では「“良き妻”、“良き母”というイメージがある女性有名人」を、非伝統的女性想起条件では「“キャリアウーマン”、“バリバリ働いている”というイメージがある女性有名人」を想起させた。そして、潜在的性役割観を紙筆版IATによって測定した。その結果、伝統的女性を想起した場合に比べ、非伝統的女性を想起した場合には、潜在的性役割観が弱くなっていた。この結果は仮説を支持するものであった。
各タイプの女性に関しては、男性よりも女性のほうが多くの知識を持っていると思われる。すると基本仮説1より、非伝統的女性の想起による潜在的性役割観の低減は、男性よりも女性において生じやすいことが予想される。このことを検討するため、研究2-2では男女大学生を対象として、研究2-1と同様の実験を実施した。実験の結果、キャリア志向度の低い女性が非伝統的女性を想起した場合、伝統的女性を想起した場合に比べ、潜在的性役割観が弱くなることが示された。潜在的性役割観に対するこのような影響は、男性や、キャリア志向度の高い女性では見られなかった。また、研究2-2では、伝統的・非伝統的女性事例の想起が顕在的性役割観にも影響を及ぼしていた。具体的には、参加者の性別にかかわらずキャリア志向の低い参加者において、伝統的女性が想起された場合よりも非伝統的女性が想起された場合に、顕在的性役割観が平等主義的になっていた。
研究3では、反ステレオタイプ事例の解釈におけるステレオタイプへの関連づけの有無が、潜在的ステレオタイプに及ぼす影響を検討した。反ステレオタイプ事例に遭遇した際に、私たちはその事例をステレオタイプに関連づけて解釈する場合(例えば、「あの女性は家庭的でない」)もあれば、関連づけずに解釈する場合(例えば、「あの女性は仕事ができる」)もある。どちらの場合も、反ステレオタイプ事例に対して解釈を行っているため、カテゴリー表象中の反ステレオタイプ的な側面が活性化すると考えられる。しかし、ステレオタイプに関連づけて解釈するにはステレオタイプを参照する必要があるため、ステレオタイプに一致する側面も活性化してしまう。一方で、ステレオタイプに関連づけずに反ステレオタイプ事例を解釈する場合はステレオタイプを参照する必要がないため、ステレオタイプに一致する側面は必ずしも活性化しないと言える。基本仮説2に基づけば、前者のように解釈した場合には潜在的ステレオタイプは低減しないが、後者のように解釈した場合には潜在的ステレオタイプが低減すると予測できる。研究3では、この仮説を2つの実験で検討した。
研究3-1では、男女の顔写真を、強いことを表す特性語あるいは弱いことを表す特性語をペア(写真-単語ペア)にして呈示した。参加者には、それらのペアの中から反ステレオタイプ事例を表す「男性-弱い」ペアと「女性-強い」ペアを探してもらった。このとき、どのようにして反ステレオタイプ的なペアを探すのかを教示によって操作した。関連づけあり条件では、ステレオタイプと関連づけて反ステレオタイプ事例を解釈することを方向づけるために、「“男は強い、女は弱い”というステレオタイプにはあてはまらない人物」を探すように教示した。一方、関連づけなし条件では、ステレオタイプと関連づけずに反ステレオタイプ事例を解釈することを方向づけるために、「“弱い男性、強い女性”にあてはまる人物」を探してもらった。また、男女に関連する以上のような認知的処理を行わない統制条件もあった。その後、「男」と「強い」、「女」と「弱い」間の連合強度(i.e., 潜在的ステレオタイプ)を紙筆版IATで測定したところ、3つの条件間で潜在的ステレオタイプの強さに差は見られなかった。よって、仮説を支持する結果は得られなかった。
研究3-2では、研究3-1の手続き上の問題を改善し、反ステレオタイプ事例の解釈におけるステレオタイプ関連づけの有無が、潜在的ステレオタイプに及ぼす影響を再度検討した。研究3-1では、写真-単語ペアの処理数を統制できていなかったという問題があったため、研究3-2ではペアの処理数が一定となるようにした。また、紙筆版IATではなくコンピュータ版IATによって潜在的ステレオタイプ(男は強く、女は弱い)を測定した。その結果、反ステレオタイプ事例を既存のステレオタイプに関連づけて解釈した場合には潜在的ステレオタイプは弱まらないが、関連づけずに解釈した場合には潜在的ステレオタイプが弱まっていた。この結果は、仮説を支持するものであった。

本論文では、反証事例によって潜在的ステレオタイプ・偏見が低減するのはなぜか、どのような場合に低減しやすいのかという問題に対し、多面的で階層的な構造を持つカテゴリー表象に含まれる特定の側面の部分的活性化による説明を試みた。具体的には、反証情報による潜在的ステレオタイプ・偏見の低減は、反ステレオタイプ的・反偏見的な側面がカテゴリー表象内に形成されており、そうした側面が反証情報の呈示などによって活性化するが、ステレオタイプや偏見に一致する側面は活性化しないような場合に生じるだろうと考えられた。実証的検討として実施した研究の知見はこうした仮説をおおむね支持するものであった。ただし、潜在的性役割観における伝統的・非伝統的女性事例の想起の影響が男性においてみられなかったなど、予測に反する実験結果も散見されることから、反証事例の影響プロセスモデルの妥当性について、今後さらに検討していく必要がある。
本論文の成果から、潜在的ステレタイプや偏見を低減させるために有効な方法をいくつか提案することができる。その1つとして、潜在的偏見を低減させるためには人々によってよく知られている反偏見事例を、その事例の評価も含めて呈示することが有効であるといえよう。また、ステレオタイプに一致しない人物として知っている人を思い出したり、そうした人物を反ステレオタイプ的な属性と直接的に結びつけて解釈したりするなど、意識的に制御可能な認知的処理によって潜在的に保持されているステレオタイプを低減することもできると言えよう。このように、潜在的ステレオタイプや偏見をどのようにすれば低減させられるかを明らかにしたという点と、低減に至るプロセスを明らかにしたという点に本論文の意義があると言えるだろう。ただし、カテゴリーに関する知識が多面的・階層的に構成されること、反ステレオタイプ的・反偏見的な側面が部分的に活性化することについては直接的な証拠が得られていない。今後はこうした点も含めて、潜在的ステレオタイプや潜在的偏見をどのようにすれば低減させられるのかについて、さらに検討していく必要があるだろう。

このページの一番上へ