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博士論文要旨

論文題目:高度人材の国際移動に関する社会学的研究-クラスター化とリージョナル化-
著者:松下 奈美子 (MATSUSHITA, Namiko)
博士号取得年月日:2014年7月31日

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 本論文は、なぜ高度人材の国際的な労働市場はある特定の集団同士の競争によってクラスター化するのかという問いと、高度人材の国際移動の方向性はグローバルではなくリージョナル化するのかという二つの問いを社会学的に明らかにしたものである。

 21世紀の社会は科学技術の飛躍的な進歩により、知識基盤型社会になるだろうということは20世紀末から多くの経済学者が予見していた。彼らはグローバリゼーションが進み、産業が高度に発達した社会では知識を基盤とした高付加価値をいかに創造できるかが競争力の源となり、高度な専門的知識や専門的技術によってグローバル経済を主導するいわゆる「高度人材」が国境を越えて自由自在に移動するようになると主張した。なかでも、新古典派経済学に由来する人的資本理論が説く「高度人材の国際移動」の必然性、必要性のロジックは、先進国の移民政策、雇用政策、高等教育政策に対して、現実的に大きな影響力を持つに至っている。
 しかし、本論文はこれらの新古典派経済学の通説に対する根本的な懐疑から出発している。高度人材の国際移動に関する新古典派経済学の通説は、現実の労働市場における競争のメカニズムや競争がもたらす帰結に関する不適切な理解に基づいており、高度人材の国際的な移動を説明する理論として不適切なものである。また高度人材の国際移動の実態を各国の事例ごとに観察すると、新古典派経済学が主張する従来の通説では全く説明できない多くの矛盾する事象を発見することができる。高度人材の国際移動を説明する経済学的な通説の理論的妥当性はまだ検証されておらず、現実的な事象として観察される「高度人材の国際移動」の実像は、従来の経済学的視点に基づく通説が主張する姿とは大きく異なっているのではないか。そして、より現実に即した理論的な分析枠組みの提示が求められているのではないか。これが本論文の出発点となる基本的な問題関心である。
 
 1章ではこの問題意識からまず、高度人材の国際移動を説明する通説、ライシュ・フリードマン・サクセニアンの三人の議論に対する批判を試みた。それぞれの主張を端的に表現すれば、ライシュは知識経済社会においてシンボリックアナリストという存在は超人的で完璧な存在であるとし、フリードマンは21世紀の世界は全ての人間にとってフラットであるとし、サクセニアンは能力のある移民はアメリカとのネットワークをもとに起業すれば成功すると述べた。グローバルエリートの国際移動に関する研究の多くは、高度人材を従来の非熟練な経済移民と対極的な存在と位置づけている。非熟練の経済移民の移動が構造に従属的であるのに対し、グローバルエリートの移動は構造から自由であるとして二項対立的な構図を描きがちである。また、新古典派経済学からの説明の多くは、高い人的資本を豊富に持つ高度人材の国際移動は個人が行う自由で合理的な選択であると考える。こうした方法論的個人主義に基づく経済理論では、効用最大化を目指す行為者の持つ人的資本は公正に配分され、行為者がどの国家や企業に帰属するかということに起因する集団的な排除や差別は全く存在しないという前提に立つ。人的資本理論によれば、高度人材の国際的な移動をめぐって展開されている競争の主体はあくまでも個人であり、移動を可能にする競争力の源泉は個人の持つ知識や技術以外にはないとする。
 高度人材の国際移動に関する人的資本理論の根底には、次の二つの命題が存在している。第一の命題は、国際的に移動する高度人材にとって、労働市場は個人化している、というものである。労働市場の合理的な個人間競争が高度人材の国際移動をもたらしている、というのが人的資本理論の主張である。
 第二の命題は、高度人材の移動の方向性は、地球上の全方向に向かって広がっているというものである。国際的な労働市場は高度人材に対してグローバルに、つまり地球上の全方向に開かれているため、その移動は地理的・空間的に拘束されない、という主張である。この人的資本理論の二つの主要命題のうち、前者は移動における行為主体に関する命題、後者は移動の方向性に関する命題である。しかし、この二つの理論的命題の妥当性についてはまだ充分な学術的検討が行われていない。本論文の課題はこうした人的資本理論の主要命題に対し、社会学的な分析視角から高度人材の国際的な移動を解明することである。
 本論文ではこの二つの経済学的な主要命題に対し二つの対抗仮説を立てた。第一の対抗仮説は、労働市場は個人化してはおらず、逆にクラスター化している。具体的には、労働市場における競争が個人間で行われるのではなく、言語、国籍、学歴などによるstatus group(地位集団)同士の集団間競争として展開されると考える。この対抗仮説では、クラスター化した労働市場では、高度人材の国際的な移動は、個人の知識や技術に由来するのではなく、個人が帰属する社会的集団が移動先社会の既存集団に対して持つ相対的な優位性に由来すると考える。第二の対抗仮説は、高度人材の国際移動の方向性は、地球上の全方位に向かうのではなく、逆に地理的、空間的に特定の方向に集中するリージョナル化が起こっている。この仮説では、全ての高度人材が自由に移動できる競争的な市場は人的資本理論によって作り上げられた虚像であり、高度人材の移動は、地理的空間的に極めて偏ったものとなっていると考える。本論文では高度人材の国際移動の現実動向を解明すると同時に上記二つの対抗仮説に対して社会学的に答えることを試みた。
 
 本稿は研究対象としてIT技術者を中心に考察を行った。IT技術者に限定したのは、第一には国際移動する高度人材のなかで、職種別に最大規模の集団を形成しているのがIT技術者であること、第二に各国の高度人材獲得政策において、IT技術者が獲得すべき主要ターゲットとして設定される場合が多かったためである。本稿では、IT技術者の国際移動を、異なる地位集団に属する既存集団と部外者集団が立場をめぐって排除と簒奪を行う集団間競争と考える。その際に、ブラウンの立場競争理論(positional competition theory)を中心にウェーバー、コリンズ、マーフィらの紛争理論や閉鎖理論を援用しつつ、地位集団同士が繰り返す集団間競争がどのように行われるのかについて考察した。
 本論文では高度人材の国際移動を、国際的な労働市場において部外者集団(outsiders)である外国人高度人材と、内部集団(insiders)である国内の高度人材が限られたポジションをめぐって簒奪と排除を互いに目指す集団間競争であると考える。この競争は実力本位の競争ではなく、どちらが社会的に優位な集団であるかという競争であり、労働市場に用意されたポジションは有限であり、決して需要に応じて供給が無限に拡大されることはないと考える。本稿の理論的支柱であるブラウンの立場競争理論では、ネオリベラリズムの楽観的な見方を否定し、立場をめぐる市場競争は構造化し、競合し対立する利益集団間で行われる競争は閉鎖的で不平等なものになると考える。富や地位の占有をめぐって常に争い続ける利益集団同士による対立や競争状態そのものが社会を構成しているとみなす。こうした理論的立場をもとに、2章から5章において二つの対抗仮説の検証を行った。
 まず2章では、OECDの統計をもとに高度人材の流入数と流出数から、英語圏と非英語圏の間で移動に大きな差があることを確認した。そして、言語とEUというメンバーシップルールが、高度人材の移動を規定する要因かどうかを探るため、EU内で英語圏のイギリスと非英語圏の経済大国であるドイツの二ヶ国の比較考察を行った。その結果、ドイツに移動していた高度人材はドイツの近隣諸国からの移動であり、EU加盟国の東ヨーロッパ諸国やロシアからの移動が大半であることが判明した。つまり、非英語圏であるドイツへの移動には英語という言語的支配力を持つ地位集団の優位性は確認できず制度的枠組みの影響が大きかった。これに対しイギリスに移動していた高度人材のほとんどは英語圏の国家からであり、さらにEUではなく旧植民地などイギリス連邦というメンバーシップを持つ国家からの移動が大半であった。イギリスへ移動した高度人材のうち、英語を母語としさらにイギリス連邦というメンバーシップを持つ地位集団が立場獲得競争において優位であり、英語以外を母語とする地位集団はイギリスの労働市場からは排除されたと言える。
 3章ではインド人IT技術者の国際移動について考察し、インド人集団がアメリカのIT産業で優位な立場を占有できた背景要因とメカニズムを明らかにした。
 インドのIT企業がアメリカ市場で立場を獲得するのに他の集団より優位な第一の要因は英語を公用語として共有していた点である。第二の要因は、1950年代から始まるアメリカIT産業との広く深い歴史的な繋がりがある。1970年代にアメリカは一時インドから撤退するが、その時期でも遠隔的にビジネスを在インド企業経由で行うというオフショアビジネスの原型を確立させていた。しかし、アメリカの市場で独占的な立場を獲得できたインド人集団ではあったが、H-1-Bビザという一時滞在許可で働くインド人技術者集団が決してグローバルエリートの自由な移動ではなかった点も併せて指摘した。
 4章ではヨーロッパ、アメリカに続き、日本の高度人材政策とIT技術者について考察を行った。日本は2000年以降、優秀なIT技術者を受け入れるために、技術ビザの取得要件を緩和した。その結果2000年代に技術ビザによる入国者数は飛躍的に増加した。グローバルな高度人材の国際移動が実現したかのように見えたこの移動であるが、入国者の出身地域を見ると実に90%以上が中国、韓国を中心としたアジア地域出身者であった。圧倒的な地域的偏りの発生要因は言語的な閉鎖性であった。英語圏の労働市場で非英語圏出身者が少なかったように、日本語圏では漢字や文法構造が似ている中国と韓国が優位であり、英語を母語とする人材にとって世界で最も習得困難な言語は日本語であった。
 5章ではビザ発給要件の緩和以降、大きく増加した韓国IT技術者の移動の背景と特徴について考察を行った。1997年のアジア通貨危機により韓国には多くの失業者が発生した。韓国政府は税金により国内の大卒人材をIT技術者として育成し、海外の労働市場へ送り出した。2000年の韓国からの技術ビザ入国者数の急激な増加は、韓国内に高度人材の送出圧力が高まっていた時期に、日本が入国管理制度を緩和したため移動が一気に増加したのである。技術ビザに必要な雇用の受け皿として大きな役割を果たしたのは韓国人元IT技術者が日本で起業した駐日韓国系IT企業であった。駐日韓国系IT企業は、長年日本のIT産業で就労していた時に構築した人脈を持つという点で他の外国人集団に比べ圧倒的に優位であった。韓国人集団よりも20年近く遅れて、アメリカで成功したグローバルビジネスモデルをもとに日本のIT産業に進出したインド系IT企業が日本で苦戦したのは、日本のIT産業における地位獲得競争で優劣を規定する要因となる言語や日本企業との繋がりの緊密さという点で劣位であったためである。インド系IT企業は日本のIT産業では外部集団であり、徹底的に内部集団化を目指したのは韓国系IT企業だったのである。
 6章では、2章から5章までの考察を踏まえながら、1章で示した二つの対抗仮説に戻り、なぜ高度人材の国際的な労働市場はクラスター化するのか、そして高度人材の国際移動はリージョナル化するのかという問いに対して、社会学的に答えることを試みた。
 なぜ労働市場における立場獲得競争は個人間競争ではなく、言語や国籍、学歴などの社会的地位集団同士の競争になるかという問いへの答えは、国際的な労働市場における高度人材の立場獲得をめぐる競争が、学歴主義による集団帰属競争となっているからである。学歴主義、学歴競争とは、個人の能力競争ではなく大卒という身分集団、社会的地位集団同士の競争である。現代の労働市場において立場を獲得する際に学歴競争を引き起こしている原因は、知識経済のパラドクス、言い換えれば学歴主義のグローバル化である。 
 一般的に学歴はその個人の能力の有無を証明とするとされるが、実際にはそうではない。学歴が労働市場において意味を持つのは、その学歴を有している事実が能力の担保であると認識されているためである。労働市場で立場獲得に成功した学歴集団の意義は、学歴主義によって個人の能力の存在を社会的に認知させ、学歴集団である自分たちの不在はすなわち社会において能力の欠乏であるという“主張”を社会に広く承認させたことに意味がある。つまり、学歴は学歴というイデオロギーを信奉する社会の支配的な集団によってその正当性を承認されることに意義があり、社会において特定の学歴集団が立場を獲得、占有するために学歴集団という形式的存在が必要になるのである。
 
 対抗仮説への答えとしてもう一つの重要な点は、知識経済のパラドクスである。近代以降科学技術の知識が重視されるが、資本主義や功利主義が社会の中で支配的になるにつれ、科学技術の知識そのものが単に資本主義の道具としてみなされるようになった。市場における知識の「効率性」が重視され、知識が社会で実践的にどれだけ役に立つのかという基準でその価値を測られるようになったのである。知識の実践的機能、経済効果という効率が重要視されるにつれ、知識は目的を達成するための手段となった。また、高等教育機関の増加に伴い、国家が高等教育にも一定の水準や質の保証を求めると、高等教育における知識教育は平準化され、暗黙知として習得される知識ではなく形式知が重視されるようになる。さらにこの形式知の中身さえも重要視されなくなると、形式知の表面の部分、学歴や学校歴として形式化される部分だけが教育の内容と結果を証明する基準となるのである。社会において特定の学歴集団がポジションを簒奪するために学歴集団という形式的存在が必要なのであり、その集団が持つ知識の知的厳密さが重要なのではない。
 人的資本論が理論的に成立する前提条件として、新規参入者に対して開放的な労働市場と非常に強い競争力を持つ個人の存在が必要不可欠である。しかし高等教育の普及によって知識の価値が下落し、高い能力や競争力を持たない大卒という証明だけを持つ人材にとって個人で立場を簒奪することは難しい。また、言語や国籍、学歴という社会的属性から完全に脱却することも不可能である。結局、社会的属性に拘束されない真のグローバルエリートの自由な国際移動を除いた大半の高度人材の国際移動は、文化的、イデオロギー的側面を持つ集団として組織化することで他の同じ経済水準の集団よりも社会的に優位な立場を獲得する力を持つようになる。言語や国籍も一つの身分集団の要素ではあるが、それ以上に学歴集団の組織化は労働市場において好ましい立場を独占するための経済的武器なのである。したがって、高度人材は学歴集団として組織化し、労働市場において立場競争を繰り返し、立場を簒奪し続けることで市場のある特定の部分を占有するようになり、クラスター化するのである。
 第二の対抗仮説、なぜグローバルな市場において財やサービスの移動は全方位的であるのに対し、高度人材の移動はある特定地域から他の特定地域への一方的な移動に偏向するのかという問いへの答えは、労働市場がクラスター化しているからである。つまり、第一の対抗仮説である労働市場のクラスター化は、さらに高度人材の国際移動のリージョナル化という現象として表層化する。国際的な労働市場において繰り返し立場獲得競争が行われることによってより弱い集団が排除され、強い集団だけが立場を独占するようになるからである。その結果、特定の産業を特定の外国人地位集団が占有する状態が発生する。すなわちリージョナル化状態が発生するのである。4章で示した日本の産業で就労している高度人材のリージョナル化プロセスを、職種別に図式化すると以下のようになる。



 内部集団は主に学歴を中心に上位から下位までの地位集団に分かれ、外部集団は言語や国籍、学歴など複数の要素によって小規模な地位集団を形成する。そして外部集団内部の複数の地位集団の階層的地位を規定する要因は職種、地域、さらには時代によって異なる。英語が現在言語的支配力を持っているからといって英語を母語とする集団が必ずしも全ての国の労働市場において上位集団になるとは限らない。
 移動先の国の言語をより正確に運用でき、移動先の文化や慣習をより多く受容し、より早く適応できる集団が外部集団内で上位集団の地位を獲得し、下位集団を排除することに成功する。外部集団内での立場競争が繰り返されることで次第に外部集団は特定の地位集団によって組織化され、クラスターの規模も拡大していく。それぞれの地位集団はクラスターの持つ力に応じて簒奪可能なポジションを獲得していく。最も獲得しやすいポジションは外国人でなければならない職種である。ここでの立場獲得競争は内部集団との競争ではなく、外部集団同士の競争となる。地位集団として組織化してまずは外部集団内で上位集団の地位を獲得する。それに成功したクラスターは次に労働市場の既存の内部下位集団から立場を簒奪することが可能になる。そのため最初の外部集団同士での地位獲得競争の段階で少しでも高い地位を獲得する必要がある。
 英語を母語とする人材にとって日本語は習得困難言語である。日本の労働市場において、日本語が要求される産業、職種で異なる言語の学歴集団同士が対立し、地位獲得競争が行われると、英語を母語とする学歴集団は中国語や韓国語を母語とする学歴集団よりも劣位集団になる。逆に中国語や韓国語を母語とする人材が英語圏に移動した場合、日本に移動して外部集団として獲得できる地位より劣位になると考えられる。
 つまり、高度人材の国際移動は、部外者集団内の立場獲得競争で上位集団を獲得できる国や地域への移動となる。就労ビザを持たずに移動してから職を探す低技能移民との違いはここにある。就労ビザは雇用先が確保されない限り発給されない。移動するためにはまず労働市場における立場を獲得しなければならない。これは日本でもアメリカでも、イギリスでも同様である。外国人が内部集団からポジションを比較的簒奪しやすい労働市場と簒奪しにくい市場がある中で、高度人材の地位集団が比較的簒奪しやすい部分へ移動を行うのは当然である。高度人材の国際移動においても、特定の産業に特定の外国人集団が立場を独占するのはそのためである。部外者集団でも立場獲得が可能な産業に、外国人集団同士の地位獲得競争で優位な立場を獲得した強いクラスターが次第に立場を占有していくため結果的にグローバルな移動ではなく、リージョナルな移動という帰結になるのである。

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