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博士論文要旨

論文題目:戦後イギリスの都市におけるスポーツ政策の変容-シェフィールド市の事例-
著者:金子 史弥 (KANEKO, Fumihiro)
博士号取得年月日:2014年7月31日

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問題意識

 本論文では、近年、先進資本主義諸国で見られるスポーツに(政策的に)期待される価値・役割の多様化と、スポーツの「国家戦略」化という現象に着目し、これらの現象が持つ意味について考えることを研究の目的とした。その際、「スポーツ政策」を研究対象とし、政策的に期待されるスポーツの価値や役割の変容を、スポーツをめぐる権力編成の時代的変化とともに描くことで、これらの問いにアプローチすることにした。

各章の概要

 第1章では、はじめに、スポーツ社会学における本論文の位置を確認した。本論文は、政策的に期待されるスポーツの価値や役割の変容を、スポーツをめぐる権力編成の時代的変化とともに描くことを目指す点で、スポーツ社会学における「スポーツと権力」研究の系譜に位置づくと考えた。そして、これまでの「スポーツと権力」を主題とした研究をレビューする中で、先行研究が、スポーツの持つ特定の権力(階級)関係を(再)生産する機能を明らかにしてきた点を指摘した。また、その理論的発展の中で、「スポーツと権力」研究が、第1に、その主眼を「国家」や「階級」による一元的な支配形式とそこでの「国家の文化装置」としてのスポーツの機能の分析から、「市民社会」に偏在する権力とそこでの「ヘゲモニー装置」としてのスポーツの機能の分析へと移行させてきたこと、第2に、スポーツを「国家」と「市民社会」の間に存在する、多様な主体間の権力闘争の「アリーナ」と理解するようになったことを指摘した。その上で、「国家」と「市民社会」、そしてそれらとスポーツを結ぶ「結節点」と考えられる「スポーツ政策」を研究の対象とし、特にそれが示された政策文書を読み解くことで、現代特有の権力編成の中でスポーツに期待される価値・役割を明らかにすることを目指すこととした。
 この研究課題に取り組むにあたり、本論文は戦後のイギリスにおける都市のスポーツ政策、具体的にはシェフィールド市のスポーツ政策を対象に設定した。本論文がイギリスを対象としたのは、イギリスが現代資本主義社会における「国家」というもののあり方を象徴的に示してきた国であり、また、スポーツの「国家戦略」化を進める先進資本主義国の典型例(あるいは、先進例)と捉えられるからであった。また、本論文がイギリスの「都市」を対象としたのは、都市がグローバル、ナショナル、ローカルの諸力が重層的に重なり合う、現代社会特有の権力編成の「縮図」であり、同時に地方自治体としての都市がイギリスのスポーツ振興において大きな役割を果たしてきたと考えられるからであった。さらに、シェフィールド市を対象としたのは、シェフィールド市がグローバル化と国家の再編という現代社会における2つの大きな変化に直面してきた典型的なイギリスの都市(工業都市)であるとともに、シェフィールド市のスポーツ政策が、イギリスの都市のスポーツ政策として先進的な要素を持ち合わせたものであると考えたからであった。
 このような課題を設定した上で、本論文ではイギリスにおける「都市とスポーツ」、「都市のスポーツ政策」を主題とした先行研究をレビューした。そこで明らかになった課題を踏まえ、本論文では、主に政策文書の分析を通じて、都市のスポーツ政策に見られるスポーツの価値や役割をめぐる言説がどのように変容してきたのかを描くこととした。その際、都市が持つ重層的なコンテクストを意識しながら、スポーツ政策の内容の変化だけでなくそれを支える制度的変化についても考察することにした。また、シェフィールド市のスポーツ政策の変容と国レベルにおけるスポーツ政策の変容を関連させて論じることで、「都市のスポーツ政策」という対象から近年のスポーツの「国家戦略」化の動きを逆照射し、現代社会におけるスポーツの性格を規定する権力編成をより鮮明に描きだすことを試みることとした。
 本論文では、「当該社会において期待されるスポーツの機能」、「スポーツの発展に向けた論理」という2つの視点から、シェフィールド市のスポーツ政策の中に見られるスポーツの価値・役割をめぐる言説の変容を考察することとした。その際、スポーツと権力が結びつくプロセスを明らかにするとともに、スポーツが社会全体との関係、あるいは当該社会の重層的な権力編成の中でどのような位置にあったのかを把握することを試みることにした。また、本論文は、フーコーの「統治性」論を認識枠組みとして設定し、現代社会におけるスポーツを通じた「統治」、スポーツの「統治」という点を意識しながら、政策文書に現れるスポーツの価値・役割に関する言説の変容と、スポーツ政策の展開を支える制度的変化を描くこととした。
 本論文の第2章では、1960年以降のスポーツ政策の変遷について論じた。その際、本論文では地域スポーツの振興をめぐる政策的言説の変化に重点を置く形で政策の変遷を描いた。政策文書の分析と先行研究での議論によって明らかになった特徴に基づき、本論文では、1)福祉国家のもとでの、スポーツ振興体制の整備と「スポーツ・フォー・オール」の志向(1960年代から1970年代中頃)、2)福祉国家の再編の中での、「ターゲット化」戦略と社会問題の解決の「手段」としての地域スポーツの振興(1970年代後半から1980年代中頃)、3)新自由主義のもとでの、地域スポーツ振興に対する公的責任の「後退」とスポーツの「産業化」(1980年代末期から1990年代中頃)、4)「第三の道」のもとでの、「市民社会とのパートナーシップ」を通じた「国家戦略」としての地域スポーツ振興(1997年から2010年)、以上の4つの時期に分けて戦後のイギリスにおけるスポーツ政策を記述した。
 第1期において、スポーツ振興は1960年のウォルフェンデン委員会報告、1965年のスポーツ・カウンシルの設立、1972年のスポーツ・カウンシルの執行機関化、さらには1975年の白書『スポーツとレクリエーション』の刊行といった一連の出来事を経る中で、福祉国家政策の一部として位置づけられていった。しかし、1975年の白書は、スポーツ振興に対する「公的責任」を認めつつも、中央政府は直接はスポーツ振興に関わらないとした。また、スポーツを「制定法上の」サービスとは位置づけなかった。これにより、非省庁公的機関であるスポーツ・カウンシルと地方自治体が各競技団体と協力しながら公的なスポーツ提供を担うという、イギリス固有のスポーツ振興体制が確立された。
 第2期の国レベルのスポーツ政策は、失業者、若者、高齢者、エスニック・マイノリティ、女性、障害者などの「ターゲット・グループ」に対して重点的にスポーツを振興することで、スポーツ参加における(●●●●)格差を是正することを目指しながらも、それと同時に、スポーツ参加を通じた(●●●●)社会的格差の是正を目指したものであったと要約できる。そして、こうした意図を象徴的に反映していたのが、「アクション・スポーツ計画」や「国のデモンストレーション計画」であった。これらの計画は、スポーツ振興官を中心とした地域におけるスポーツ振興のモデルを提示し、スポーツ振興が地方自治体の正当なサービスとして位置づけられていく基盤を形成したという点で、イギリスのスポーツ政策史上大きな意義を持つものであった。しかし、これらの計画は期限付きの計画であったという点で、スポーツの振興を地方自治体の「主流の」サービスへと押し上げるには至らなかった。
 第3期の国レベルのスポーツ政策においては、スポーツの価値・役割に関する言説の多様化が見られるとともに、新自由主義の影響もまた見られ始めるようになる。特に、この時期のスポーツに関わる政策文書ではスポーツの持つ「経済的価値」が強調されるようになり、これに合わせてスポーツの「産業化」に関する政策的言説も頻繁に見られるようになる。また、「ナショナリズムの高揚」の手段としてスポーツが捉えられるようになったのに伴い、この時期にはスポーツの高度化の側面が強く押し出されるようになった。さらに、この時期にはスポーツ振興における公的セクターの役割が定義し直され、実際に、CCTの導入などを経て、地方自治体による公的なスポーツ提供の市場化が進められた。
 その後、1990年代に入ると、メージャー政権は「ナショナリズムの高揚」の観点から、スポーツの「国家戦略」化を目指すこととなる。それを象徴する出来事が1995年の白書『スポーツ:ゲームを盛り上げよう』の刊行であった。この中では、中央政府が学校体育における伝統スポーツの実施やエリート・スポーツの振興に積極的に取り組むことが示唆された。しかし、この文書では地域スポーツの振興に関する言及はほとんどなかった。加えて、これまでスポーツの振興を支えてきた地方自治体の役割についても論じられなかった。
 第4期の国レベルのスポーツ政策、すなわち、ブレア・ブラウン労働党政権のスポーツ政策では、学校スポーツとエリート・スポーツの振興が引き続き目指されながらも、前保守党政権が「軽視」した地域スポーツの振興もまた「国家戦略」に位置づけられた。それは、地域スポーツの振興が健康増進、教育成果の改善、犯罪抑制、コミュニティ形成、社会的包摂の「手段」と認識されたためだと考えられる。しかし、第2に、中央政府は地域スポーツを「国家戦略」と位置づけながらも、中央政府およびスポーツ・イングランドの役割はあくまで「戦略的」なものとし、実際の政策実施は「パートナー」として位置づけられた地方自治体、競技団体、地域のスポーツクラブに「委託」することを目指していた。このような取り組みの背景には、「社会投資」を通じて「アクティブな市民(社会)」を構築するとともに、「市民社会とのパートナーシップ」を通じて政策を展開しようとするブレア政権の「第三の道」という政治理念が明確に反映されていたと考えられる。
 しかし、2005年のロンドン・オリンピック開催決定は、このような性格を帯びて展開されていた地域スポーツの国家戦略に変調をもたらした。すなわち、第1に、「さまざまな社会的課題を解決する手段としての地域スポーツ振興」から、「スポーツ本来の目的のための地域スポーツ振興」へ、地域スポーツ政策を支える論理を転換しようとする動きが見られた。第2に、競技団体を中核とした「世界をリードする地域スポーツシステム」の構築を目指す動きが見られるようになった。
 本論文の第3章では、1960年代以降のシェフィールド市のスポーツ政策の変遷について論じた。その際、スポーツ政策の性格の変化を踏まえ、1)スポーツ振興の確立期(1968年から1980年)、2)スポーツ振興の発展期(1980年から1985年)、3)スポーツの「産業化」と「市場化」の始まり(1986年から1991年)、4)スポーツを通じた経済的再生と地域スポーツ振興のバランスの模索(1992年から1996年)、5)総合的なスポーツ政策の展開期(1997年から2000年代)の5期に分けて、シェフィールド市のスポーツ政策の変遷を描いた。
 1960年代後半のシェフィールド市では、施設の提供が重点的な課題として掲げられた。その後、1970年代になると、シェフィールド市では施設の提供に限らず、多様なプログラムが展開されるようになった。そこでは、地域のボランタリーのスポーツ組織の活動を公的機関である市のレクリエーション局が支援する形で、各スポーツ種目の大会と指導教室が開催された。さらには、こうした姿勢を裏付けるものとして「少額の財源助成」など、ボランタリーのスポーツ組織に対する助成制度が確立された。
 第2期のシェフィールド市のスポーツ政策においては、1981年に開始された「夏のプログラム」の提供、1984年の「レジャーへのパスポート」制度の導入を通じて、スポーツを通じた社会的格差の是正が目指されるようになった。しかし一方で、この時期には「スポーツのための」スポーツ振興に対してもより一層の力が注がれるようになった。実際に、一部の種目については先進トレーニングセンターが設置され、高度化の側面に対しても市の支援が行われるようになった。
 第3期のシェフィールド市のスポーツ政策の最大の特徴は、新たに「スポーツを通じた都市再生(経済的再生)」政策が展開され始めたことである。この取り組みについては1984年の『レジャーの挑戦』などの政策文書の中で言及され、1991年のユニバーシアード大会の開催という形で具体化された。一方で、シェフィールド市は1980年代前半のスポーツ政策を発展的に継承し、高度化の側面では「競技者、指導者に対する助成」、「先進スポーツセンターに対する助成」などの取り組みを展開した。また、大衆化、あるいはスポーツを通じた社会的格差の是正という点では、エスニック・マイノリティ、女性、障害者に対するポジティブ・アクション政策などを進めた。こうして、シェフィールド市はこの当時のスポーツ・カウンシルの政策とは異なる、「第1の購買者層」、「第2の購買者層」双方に対応した独自のスポーツ政策を展開することを目指したのである。しかし、中央政府が公共サービスの「市場化」を推し進める中で、シェフィールド市もその対応に迫られることとなった。
 第4期のシェフィールド市のスポーツ政策の特徴としては、第1に、ユニバーシアードの「遺産」とも言うべきスポーツ施設群を活用することで、「スポーツによる都市再生(経済的再生)」を一層進めた点が挙げられる。その象徴とも言えるのが、「大規模スポーツイベント戦略」である。その結果、シェフィールド市は1990年からの7年間で合計300ものスポーツイベントを開催し、これらのイベントによって多くの経済効果と雇用が市にもたらされた。また、「スポーツ・シェフィールド協会」の取り組みを通じて、シェフィールド市はイギリス国内初の「国のスポーツ都市」に認定された。こうして、シェフィールド市は「鉄の街」から「スポーツの街」へのイメージ転換を果たそうとしたのである。
 しかし一方で、ユニバーシアード開催経費を補うためにサービスに関する歳出削減が進められ、その結果、「スポーツによる都市再生(経済的再生)」と「地域スポーツの振興」のバランスをめぐる問題が浮上した。特に施設に関しては、古い施設の閉鎖、利用料の高騰、イベント開催優先による住民の利用の制限などの問題が生じた。その意味で、この時期のスポーツ政策においては、スポーツの「大衆化」、あるいは「スポーツにおける/よる社会的格差の是正」という観点が軽視されていたと考えられる。さらに、歳出削減への対応策として、市は民間、ボランタリー・セクターとの「パートナーシップ」を通じてサービス提供を行うことで、その役割を「権能付与」的なものに転換しようとしていた。
 最後に、第5期のシェフィールド市のスポーツ政策には、ブレア労働党政権のスポーツ政策の傾向が強く反映されていた。具体的には、「スポーツを通じた社会的包摂」、「より広い社会的目標のためのスポーツ振興」という言説が、2002年の市のスポーツ戦略をはじめとした政策文書に数多く現れるようになった。しかし、1990年代と同様、「スポーツによる都市再生(経済的再生)」に関する取り組みも積極的に行われた。そこでは、これまでの「大規模スポーツイベント戦略」に加え、「スポーツ・パルス」という団体によるスポーツ産業の育成や、2012年のロンドン・オリンピック開催決定を受けての国際的なトレーニングキャンプ地としての地位の確立など、新たな取り組みもなされていた。
 こうして、この時期のシェフィールド市のスポーツ政策においては、より包括的なスポーツ政策の展開が目指されていた。そして、これを端的に示しているのが、市のスポーツ関連団体間のパートナーシップである「スポーツ・シェフィールド」の設立と2009年の戦略文書であったと考えられる。

本論文の成果と課題

 本論文の成果としては、第1に、本論文は、「スポーツ政策」という対象をスポーツ社会学における「スポーツと権力」研究の文脈に位置づけながら考察した点が挙げられる。こうすることで、現代社会特有の権力編成の中で、スポーツが多様な問題に対処するとともに多様な主体を管理・統制するための「統治のテクノロジー」として位置づけられたことを理論的に実証した。また、スポーツの「統治」のあり方も、主に中央政府における政治的変化の影響を受けて変化してきたことを明らかにした。ただし、これらの視点と同様に本論文が重視したのが、スポーツ政策に見られる「スポーツの発展に向けた論理」である。本論文はこうした視点を意識しながら「スポーツ政策」という対象を分析する中で、そこには「目的論」と「手段論」、「高度化」と「大衆化」という2つの軸が存在し、これらが当該時期の権力編成と交差しながら、その時期のスポーツ政策の性格を規定している点を資料をもとに丹念に描き出した。この点で、本論文はスポーツの持つ特定の権力(階級)関係を(再)生産する機能を明らかにすることに偏りがちな「スポーツと権力」研究に対して、また、スポーツの持つ「諸効果」を描くことに終始しがちなスポーツ社会学の機能主義的な研究に対して、ひとつの視座を提示できたと考えられる。
 第2に、イギリスにおける「都市のスポーツ政策」に関する先行研究の課題と関連して、本論文はシェフィールドという都市のスポーツ政策に見られる多様な言説を詳細に明らかにした点が挙げられる。これまでのシェフィールド市のスポーツ政策の変容を描いた先行研究は、聞き取り調査の結果に基づき、理論的仮説を優先する形で論を展開したため、シェフィールドのスポーツ政策に見られる多様な価値を見出すことはできていなかった。これに対し、行政資料を丹念に読み解いた本論文は、シェフィールド市のスポーツ政策には、時に国レベルのスポーツ政策の影響を受けながら、スポーツの価値・役割をめぐる多様な言説が存在することを明らかにし、先行研究で語られていたシェフィールド市のスポーツ政策とは異なる像を提示することができた。
 第3に、本論文は先行研究で見落とされがちであった「国レベルのスポーツ政策と都市のスポーツ政策の関係性」を詳細に分析したことが挙げられる。本論文では、1980年代においては国レベルのスポーツ政策とは必ずしも一致しないスポーツ政策の展開がシェフィールド市において見られる一方で、1990年代のスポーツの「国家戦略」化以降(特に地域スポーツが「国家戦略」化した2000年代以降)、国とシェフィールド市のスポーツ政策が一致していく過程を明らかにした。ここからは、国レベルのスポーツ政策に対して都市のスポーツ政策に独自性が存在したこと、そして、そうした独自性を打ち消すようなスポーツの「国家戦略」化の「強さ」の一端を明らかにできたと考えられる。
 最後に、今後の課題として、第1に、本論文は政策的に期待されるスポーツの価値・役割が「どのように」変容してきたのかについては、丹念に描くことができた。しかし、「なぜ」、それが変化してきたのかという点に関しては不十分なものに留まったと言わざるを得ない。第2に、本論文はイギリスの(国レベル、都市レベルの)スポーツ政策の変容、およびスポーツ振興体制の変化に関しては十分に考察できたが、地域のスポーツクラブの活動など、地域におけるスポーツ実践の実態に関しては十分に明らかにできなかった。今後は本論文を通じて明らかになった自治体と地域のクラブとのつながりを手がかりに、シェフィールド市における地域のスポーツ活動について考察していきたい。

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